いつまで
「それで【勇者】の居場所は?」
「あぁ……確か、えーっと、この首都の外れに今は使われていない街道があるんだ。もう、人も通らないから街道とは呼べないけどな」
「街道? そこにいるのか?」
「いや、その街道を行った先にある、何を祀っていたのかさえ分からない神殿跡地がある。そこで最近は寝泊まりしているそうだ」
「神殿……」
俺が知る限り、そんな街道も神殿跡地もゲームには存在していなかった。
この周辺にあるのは低レベル上げ御用達の魔女の森に狂気山脈くらいしか無い。
そんなものがあればとっくの昔に足を運び、攻略しているはずだ。しかし、当然ながらそんな記憶は無い。
そんなもの、初めて聞いたから。
「わかった、ありがとう」
「今夜は空けとけよ? また、三人で酒を囲もう」
「当然だ。酒に誓って」
「酒にか。確かに裏切らねぇしな」
【勇者】はその神殿跡地にいると言う。
ならば、早速そこに向かおう。早く彼女に取り入り、仲間だと認めてもらわねば。
【勇者】と仲間になる……つまり二人の【勇者】エンドのシナリオの導入に入るにはまず【勇者】と接触する必要がある。
そして、特に何かをすればいいというわけではない。ただ【勇者】に会えば彼女から誘ってくる。
それを二つ返事か三つ返事で返せば決まる。
ちなみに、一度【勇者】と接触してしまうと、勧誘イベントは必ず発生してしまうので序盤のうちに彼女に出会わないよう気を付けなければならない。
なぜなら、勧誘イベントは一回きり。断ってしまうと、そのセーブデータではもう二人の【勇者】エンドには辿り着けなくなってしまう。
だからこそ、俺はいつも新聞の【勇者】の情報が掛かれている欄にはいつも目を通していた。
出来れば会いたくないから。
「じゃあ、俺はもう行くよ。ヨフィさんにはよろしく言っておいてくれ」
「あぁ、近いうちに食事にでも誘ってやってくれ。レナちゃんも誘えば断らないだろうから」
「アゾットさんは同行しないのか?」
「俺は地雷原で踊る趣味は無い」
「いい趣味しているよこんちくしょう」
当初の目的も済んだので、ギルドを後にする。
今夜の予定も入ったし、久しぶりに何も考えずに大笑いできそうだ。
ギルドを出て行く際に特設冒険者応援店の大木へ足を運ぶ。
もちろん彼女、マルタのヴィーナスに会うためだ。俺は出禁を食らってしまっているが、牛乳を買うことは出来たはずなので、厳密には出禁にはなっていないはず。
彼女にはゲーム時代、本当にお世話になった。出来るなら、機械があれば顔を出したいところ。
店の敷居を跨ぐと、姿を現すふくよかな体を持つ女性。
この道四十年の大ベテラン、マルタのヴィーナスだ。
「ども」
「あぁ? おや! いらっしゃい! ここのところ顔を出さないから死んだと思ってたよ」
「出入り禁止を食らっていたもんでね」
「ははは、まさか業務妨害をしていた若造が姫様に勝つとは思わなんだ。手のひら返しが商売は基本さね、いつでも顔だしな」
「じゃあ、また――」
「妨害をしようものなら箒で尻をひっ叩いてやるからね」
「――牛乳を一つ」
「あいよ、牛乳だね」
彼女は相変わらずのようだ。
朗らかに笑い、いつでも冒険者を笑顔で後押ししてくれる女神様は健在。
やはりまた入退店を繰り返そうものなら、今度こそ出禁を食らいそうになりそうだ。
しかし、普通に通うならば問題は無い。近くに来たら顔を出そう。
牛乳を一本購入し、飲み干す。
牧場から直接仕入れている牛乳だ。とても美味い。
飲み過ぎたらぽんぽんごろごろだがな。
「それじゃ」
「またきなよ」
とてもよい気分で特設冒険者応援店大木を後にする。
なんだか今なら人の優しくできるかも知れない。しないのだろうが。
「おやぁ? マクラギ殿! マクラギ殿じゃあないですか! 帰っていたという噂は本当だったんですねぇ!」
そして、俺が今一番会いたいだろう人物が、戦車のような勢いでこちらに向かってきた。
まるで壁みたいに威圧感を感じ、岩から削り出されたような顔が見る者を震え上がらせる。
しかしその実一番心優しき大巨漢。
ネヒト・ジェントルマンが大きな足音をたてながら俺に笑顔を向けていた。
「ネヒトさん! 見ないうちにまた筋肉が付いたんじゃないですかい?」
「えぇ、えぇ、わかりますか。少しでも多くの児童を抱きしめられるようにね」
「相変わらずのようで安心しましたよ」
レベルに合わせて筋肉が増量するシステムでも彼にあるのだろうか。
「先ほど、ギルドの方々が口々にマクラギ殿が返ってきたという報を聞きまして、こうして捜しに来たところです」
「そうだったんですか。まぁ、あまりいい雰囲気じゃないみたいですけど」
「あいや、気分を悪くしたなら勘弁してやってください。皆、名立たる武人には喧嘩腰になってしまうんですよ」
「その割にはネヒトさんに対して目くじらを立てないようですが」
「最初はそうだったんですけどねぇ……いざ、私を前にすると大人しくなっちまうんですよ」
「あぁ……納得」
幾ら自分に自信があれど、レベルがあれどネヒトさんには喧嘩は売りたくないよな。
久しぶりに会う彼は筋肉が増量したこと以外なんら変わっておらず、相も変わらずな笑顔は見る者を震え上がらせる。
少し色褪せて来たトレードマークのエプロンも相まって中々シュールだ。接してみて分かるが、本当に優しい方だ。
父親や意外に唯一尊敬できるな。
「そういえば、さっきアゾットさんに会いましたけど、今夜三人でどうですかって」
「おお! 最近はご無沙汰でしたからねぇ、喜んで行きやしょう」
ということで本格的に今夜の予定が入った。
それまでに何とかして【勇者】と接触を図りたい。ともなれば、急いで件の神殿跡地へ向かうとしよう。
「それじゃあ、ネヒトさん。今夜に」
「マクラギ殿も!」
真の漢とも言うべきネヒトさんと別れる。
彼の腕は児童を抱きしめるためにあり、彼の背中は児童を脅かす脅威から守るためにある。
俺も彼みたいな信念と誠実さを持っていれば何か成し遂げることが出来たのだろうか。
出来ないのだろうな、それはネヒトさんだからできることだ。
彼の姿はギルドメンバーの群集に入って行っても頭一つ抜けている。
そして、皆彼に対して笑顔だ。俺とは違う。
俺はどこか彼に対して自分には無い憧れを持っているのかも知れない。
早い話、嫉妬しているのだ。男の嫉妬は醜いもの。だが、彼はそれを否定するだろう。
それが俺と彼との違いだ。
「……俺にだって信念はあるさ」
道端に唾を吐き捨てるように言い、向かうべきところが無い言葉はやがて霧散して消える。
俺は俺のやるべきことを成すために、歩を進めた。
◆ ◆ ◆
「ここ、か」
アゾットさんの言う通り、首都から外れたところに分かりにくいが今は使われていない街道があった。
その街道を進んでいったところに、信仰されずただただ朽ち果てる時を待つだけの神殿があった。
跡地とは言うものの、形はまだ朽ちずに残っているために、未だ現役かと錯覚させる。
だが、壁に這う蔦を見る限り手入れをする者さえいないのだと自覚させられる。
形状は元の世界でも有名なパルテノン神殿のような造りをしている。
元の世界では既に信仰が廃れているのに歴史的建造物と言うことだけで維持されているパルテノン神殿だが、その光景を祀られていた神が見たら何を思うのだろうか。
この神殿も然り。
「……」
神殿の入口の前には、確かに人が最近までいた形跡がある。
燃え尽きた薪に、石で作られた簡易的な竈。近くには水を溜める穴もある。
今もここで寝泊まりしている、もしくは最近までここにいたのは間違いないだろう。
しかし、こんなところがあるのなら盗賊が巣食っていてもおかしくはない。
この形跡も盗賊の物かもしれない。なにも、【勇者】の物と決まったわけではないのだから。
「……風」
神殿に足を踏み入れると、頬に感じる風。
どこか吹き抜けているのか、それともヒビが入りそこから通っているのか。
湿っている感じはせず、乾いた風だ。少なくとも、中は苔むしていることはなさそうだ。
一応、足元や壁に注意しながら進む。
ベアトラップやワイヤートラップが仕掛けられている可能性もある。
致命傷になることは無いだろうが、痛いのは誰でも嫌だ。
「《隠密の影》」
鉄の短剣〈伝説的〉を装備し、念のために《隠密の影》を発動しておく。
言わずもがな敵に見つかっていない状態だと見つかりにくくする短剣スキルだ。
しかし、それは杞憂に終わり、なんのトラップも魔物に出くわすことも無く奥へと辿り着く。
それはいいのだが、俺はそこで見た光景に驚きを隠せなかった。
「ここは……」
屋内だと言うのに天井から降り注ぐ温かい光。
木々と小鳥の囀りが耳をくすぐり、吹き抜けていく心優しい風が頬を撫でる。
足元には綺麗に敷き詰められた大理石のタイル。手入れがされていないはずなのにピカピカに輝いている。
俺はこの光景を見たことがある。
デジャヴなんかじゃない。しっかりとした記憶が焼き付いている。
そうだ、そうだ。
ここは……あそこじゃないか。
俺が、この世界で一番最初に見た光景だ。