てんで器用で
「まぁ、今はこうして安定した地位に着けたし、文句は言えないんだけど」
ははははと笑うアゾットさんの顔には疲労の色は見えるが、不満は見えなかった。
彼は彼なりに今の状況を楽しんでいると言うことなのだろう。
友と呼べる者同士が会えば、微笑ましい空気が流れるというもの。
そんな空気の中、アゾットさんはどこか改まったように「さて」と前置きを置いた。
何やらこれから話でもするのかと、変に緊張してしまう。
「マクラギには教えておくよ」
「なにをだ?」
少し、嫌な予感がした。
こういう時の予感は当たる。嫌なのに。
「俺の名前だよ。アゾットって名乗っているけれど、それはいわゆるハンドルネームなんだ」
「名前? それがどうかしたのか? それを知らなくて何か困ることでも?」
「……いや、困らないけどさ」
そんな身構えていた時に言われたのは名前のこと。
拍子抜けるなんてものじゃない。体にこもっていた力が一気に抜けていき、思わず語気に力がこもる。
まるで息を通して力が抜けて行くように。
とは言うものの、アゾットさんの本当の名前のことは気になる。
彼の設定にはそんな項目があっただろうか。最近記憶に自信が持てない。
件の人魚のようにそれを知っているけども、忘れているだけなんじゃないのかって。
「一応聞いておくよ」
「あぁ、そうしてくれ。俺の本当の名前はテオラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ポンバストゥス・フォン・ホーエンハイム。俗称パラケルススだ」
「ホーエンハイム……パラケルススったら稀代の錬金術師の名じゃないか!」
「そうなのか? 嫌だなぁ、そんなに有名なのか、俺」
「いや、勘違いだったわ。ゴメン」
「なんだそれ」
聞いた時に稲妻が走ったような衝撃が流れたが、その後のアゾットさんの反応を見て冷めた。
もしかしてアゾットさんは伝説上の偉大なる錬金術師なのか、そんな裏設定があったのかと一人で舞い上がるところだったけれども、今の反応からしてそんなことは無かったのか。
テオラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ポンバストゥス・フォン・ホーエンハイム。
くっそ長いが、錬金術が好きな人だったら絶対に一回は目にしている名前だ。格言う俺も、某アニメではまってしまい、蒸留器を使って鉛を鍍金をして金に見せたこともある。
まぁ、直ぐに飽きてしまったので久しく忘れていたが。
「で、なんで隠してたんだ?」
「いや、一応俺って王族らしいんだわ。もう滅亡したらしいけど」
「へぇ、それは言及してほしいのか?」
「いや、してほしくない」
「じゃあ、何も訊かないわ」
王族らしいと言われても、おそらくスタッフの遊び心なのだろう。
錬金術師としてパラケルススの名を借りていたのだろうが、それが世に出ることなくお蔵入りになった。もしくは最初からそういう設定だったのだが、途中で変更して名前が変わったとか。
そんなとこなのだろう。あのスタッフたちのことだから。
けれど、その裏設定があると言うことは、どこかでアゾットさん専用の没設定があると言うことなのだろうか。
そもそもアゾットさんはヨフィさんとセットで専用のイベントがある。しかも、とてもとても後味の悪いシフトワールドスタッフ大歓喜なイベントが。
そして、そのイベントは起こすわけには行かない。
だから、なんとかしてアゾットさんとヨフィさんにはこの二人の【勇者】エンドには拘わらないでほしい。
この二人にはどうか安らかな平穏を与えてあげたい。俺がそこまで思うんだから、普通の人からしたらトラウマ物のイベントなんやで。
「それで……どうしてここに来たんだ?」
「あぁ、ちょっとな。やることが見つかったんだ」
「やること?」
「そうなんだ。そのついでにあの支配人に一泡ふかしてやろうと寄ったんだけど、いないならもういいや」
「そ、そうか」
違う。
本当は力を借りようと思っていたのだ。
しかし、このまま本当のことを口にしては絶対にアゾットさんを巻き込んでしまうことになる。
それだけは絶対に避けたい。絶対にだ。
「それで、あたしを無視しないでほしいな」
「おぉ、スラン。まだいたのか」
「まだってねぇ、あたしがここまで案内したんだよ?」
話が一段落が付いたところで背後から声が聞こえて来た。
振り向いてみると、そこには先ほど俺を案内してくれたスランが大層御立腹で立っていた。その手に箒を持って。
どうやら俺とアゾットさんが話している最中、ずっと背後で待っていたらしい。そんなことをしなくても戻ればいいのに。
「あたしがマクラギさんの下呂を掃除したりお世話していたのに忘れていたなんて……よよよ」
「むしろ下呂をした時が初対面だったんだが」
「あれ? バレた?」
「良いから戻れ。掃除の最中だったんだろ?」
「支配人に言われちゃしょうがないや。じゃあね、マクラギさん。寂しくなったらいつでも呼んでいいからねー。うふふ」
そんなことをわざとらしく泣いている素振りをしているが、わざとだと分かっているので冷たくあしらう。
まだ何回も会話をしたわけでもないのにこの馴れ馴れしさ。俺としてはこの方がありがたい。
むしろ仲良くしていきたいと思っている。彼女は良い盾になってくれるだろう。
支配人であるアゾットさんに仕事に戻れと言われたからには戻らないわけには行かない。
少し後ろ髪を引かれる様子だったスランは、手のひらをひらひらと振って仕事に戻って行った。
これから絡まれた時にはアゾットさんの名前を出すことにしよう。
「で、これからどうするんだ?」
「あぁ、そうだな。別に赤の国に家を構えようとは思っていないから、近いうちに旅に出るよ」
「旅? 確か、自分の店を持つことが夢で、それまで冒険者をしていたんじゃなかったっけ?」
「そうなんだけど、ちょっと用事が出来てさ」
「用事?」
「まぁ、深くは聞かないでくれ」
「危ないことじゃないだろうな?」
「旅を危ないものじゃないと言えるのか?」
「それもそうだな」
とりあえずアゾットさんにはぼろを出さないようにのらりくらりと躱し続ける。
おそらく彼には旅の理由を話す気が無いことはばれているだろう。何が目的で、何を求めて旅をするのか、それは彼に知られるわけには行かないのだから。
それを何の言及もせずに話を聞いてくれるアゾットさんには頭が上がらない。
彼を見ていると、本当は何もかも知っているんじゃないかと錯覚するくらいだ。
「そういえば、今【勇者】様が来ているんだが……場所はだな――」
「あ? ちょっと待て。何で俺に【勇者】の場所を教えているんだ?」
「違うのか? お前なら、何か金が目的でも他の目的でも何でも良いから接触すると思っていたんだが」
「Oh……」
まさか本当にバレている……いや、予想されているとは。
アゾットさんは俺の反応を見て笑い出した。
きっと、俺の表情がおかしくて仕方がないのだろう。
今の俺の表情はさぞや狐に包まれたかのような顔をしているだろうから。
「だはは! マクラギ、本当にお前は面白いな。期待を裏切らない」
「いや、なんというか……怖いよおかーさん」
「実はだな、ネヒトともそう言う話をしていてな」
「いつもの二人だったか……」
ネヒトさんの名前を聞くと同時に思わず諦めの溜息を吐く。
アゾットさんはネヒトさんと仲が良いのはもはや周知の事実。いつもではないが、よくお酒と一緒にバカなことを企んでいたり、くだらないことで面白おかしく笑っている姿が目撃される。
アゾットさんもネヒトさんもバカなキャラではないが、何故かこの二人が一緒に酒を飲むと男子高校生みたいな会話になるのだ。
それがとても仲が良いと証拠になる。まぁ、その中に混じってバカみたいな話をしている俺が言うのもなんだが。
「それはそうと、マクラギ。ヨフィに何かしたか? なんかマクラギのこと嫌ってるんだよ……」
「え? 何かしたって……むしろ助けたことしか浮かばないんだが」
「そうだよな、俺もそう思う。あまりプライベートでも話すようでも無かったしな」
話は変わってヨフィさんのこと。
過去に誰かにも言われたような気もするが、なにやらヨフィさんが俺のことを嫌っているとのこと。
誰にでも優しく、まるで女神だと言わしめた彼女が嫌うとは余程のことだと思う。
思うのだが、まるで皆目見当が付かない。
俺は彼女を怒らせることをしてしまったのだろうか。
むしろ、俺はこの世界でヨフィさんとはそんなに関わっていないので、何が問題だったのか分からない。
俺は故意でいやがらせをすることはあるが、無意識でいやがらせにはならないよう気を付けている。
そうして敵を増やすのは嫌だから。
「でも、ヨフィさんが誰かを嫌うだなんて」
「そこだ、そこなんだよ。ヨフィは波風立てるとか敵を作るとかそんなこと極力しない」
「そうだよなぁ」
なにより、そのことを一番よく知っているのはアゾットさんだ。
アゾットさんが一番彼女のことを知り、理解している。だからこそ、理解が出来ないのだろう。
そして、ゲーム越しだが彼女をよく見ていた俺も理解が出来ない。
何がそこまで俺のことが嫌いなのだろうと。
「……考えても埒が明かないな。マクラギの方からもそれとなく探ってみてくれ」
「あぁ、俺としてもヨフィさんとは仲良くしたいからな」
「渡さんぞ?」
「付け入る隙なんてねぇよ」
とりあえず分からない者同士が考え合っても分からないものは分からないので考えることを止める二人。
地頭が良いアゾットさんが考えても分からないなら、俺だって分かるわけもない。頭が悪いってやだなぁ。
……とりあえず、【勇者】の居場所を聞こうか。