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悪行



 深い蒼の髪の毛に、緑の瞳。その顔はとても懐かしいものに出会ったかのような輝かしい表情。

 暗い水面に瞬くその瞳は宝石のようで、無意識に手を伸ばしてしまうそうだ。


 こちらと目が合うと、少し控えめに手を振って来た。

 大きく手を振ってしまうと、巻き上げられた飛沫が音を発してしまうためだろう。

 だが、その表情は喜びを隠しきれていない。


「お、お久しぶりですっ」


 少し控えめに出された声は、潮騒の音に掻き消されることなく俺の耳に届いた。

 その声色からは興奮が聞き取れるが、そこまでして俺に何を伝えたいのだろう。誰かに見つかるかも知れないのに。


 ……いや、待てよ。

 どっかで見たことあるぞ、あの人魚。

 と言うか俺に人魚に知り合いなんて一人しかいないはず。いつしかあった唯一の人魚の知り合いの両親なら既に捕獲大作戦時に命を落としているらしいので。

 ということは、あの人魚は俺が助けた人魚か。騙すことしか考えていなくて見た目なんて全く覚えていない。


 名前は……忘れた。

 いや、マジで忘れた。


「あの……マクラギさん、ですよね?」


 いつまでも反応を示さない俺に不信感を覚えたのか、少し自信なさげに声を掛けて来た。

 どうやら過去に助けた人魚に間違いないようで、こちらが何も反応をしなかったら怪しまれてしまうだろう。

 ここは何でも良いから反応しておくべきだろう。


「おう、久しぶりだな。元気してたか?」


「っ! はいっ、元気です!」


 とりあえず当たり障りないようなことを言ってみると、人魚は救われたような表情になる。

 幼さが残るが随分と美人だ。しかし、下半身は魚だと考えると萎えてしまう。水族館の魚を見て美味しそうとしか感じないのと同じだ。

 実際、人魚は美味しいから結構好きだ。ふとももの脂身が堪らんのだ。


「何か用か?」


「えっと……たまたま見かけたもので」


「いつまでも顔を出してると見つかるぞ。もう少しで見周りが来る」


 このまま顔を出していたら見張りの船員に見つかってしまう。

 魔物を特に警戒する船員。水面なんて目を凝らしてみていることだろう。

 ということで見つかってしまっては面倒なことになってしまう。俺は面倒事は嫌いだ。


 きっと、人魚だとバレなくても人型をしていたら魔物か漂流者だと思われる。

 そうなっては捜索隊を組まれるだろう。


 そうだと言うのに、一向に海の中へ入る気配が無い。


「あのっ、私……やっぱりどうしてもマクラギさんと話したくて」


「ここで君が見つかれば、俺もどうなるか分からない。悪いことは言わないから早く」


「だ、だったら! お願いを、一つだけきいてくれませんか?」


「お願い?」


 何を言っても引き下がる彼女に対して少しムカついてきた頃、お願いを聞いてはくれないかと言ってきた名前も思い出せない彼女。

 俺としては早く済ませてほしいので、聞くだけ聞いてみることに。それにしても、俺も人魚とフラグを立てていたとは、まだまだ捨てたものでもないのかも知れない。


 効いてくれると分かった彼女は、とても嬉しそうな表情をした後、顔を赤らめてあからさまにもじもじし始めた。

 もしかしてもう二度と会えないかも知れないから一晩の喜びが欲しいだなんて言いださないだろうな。


「その……マクラギさんの、精を、ください」


「おうふ……」


 そのまさかが当たってしまったようだ。

 顔を真っ赤にしてそう言う彼女は、とても美しいもので、美人にそこまで言わせたのだから男として本望なのかもしれない。

 しかし、相手は人魚。所詮魔物で魚だ。食料だ。欲情なんて……いや、抱き付かれた時にムラムラした記憶があるぞ。

 下半身を見なければ意外とイケるかも知れない。いや、でも魔物だしなぁ。


 クルスさんとはまた違ってくる。

 クルスさんはおそらく……魔物ではないが人間でもないのだろう。

 ものすごく美人だったが、果てしない時を生きているのだそうだ。しかも、ゲームのプログラムではなく、存在する生物として。

 だが彼女は人間と言っていた。元人間だからセーフだセーフ。見た目人間だし。


「もう、人魚は私しかいないし、このまま……ずっと一人は、嫌だよ……」


「って言われても、人と人魚って交配できるのか?」


「わからないけど……過去に卵に人間の精を掛けてもらったら生まれたって。伝説で」


「卵? あぁ、そっか」


 これから人外と交わらなければいけないのかと思うと少しげんなりしていると、拍子抜けする言葉が聞こえて来た。

 卵に精を掛けてほしいということは、人魚は卵生なのか。魚だもんな、そうだよな。

 考えてみれば分かることだ。魚類は卵生。深く考えて損した。


 ということは、俺が精を出せばいいだけのこと。

 よし、早く終わらせよう。


「今持ってくるから、ちょっと隠れてろ」


「は、はいっ!」


 俺は彼女に精を持ってくるべく一旦船室へと戻る。

 もちろん、本当の精なんてやるわけには行かない。人魚との子どもを作るなんて御免だ。

 ましてや魔物だぜ。世界の脅威を増やしてどうする。


 向かった場所はちょっとした食堂。

 十人も入れば廊下へ追いやられてしまいそうな小さな食堂。

 そこに併設されている厨房内に忍び込み、冷蔵庫を開ける。そして、目的である牛乳を取り出す。


 朝食の時に牛乳が出てきたのであることは知っていた。

 後は……栗の花があればいいのだろうが、生憎とそんなものはない。

 仕方がないので生簀から生きたタコを取り出して、その一端を少しばかり拝借する。

 分からないように生簀へと戻し、タコを冷水に浸す。すると、ぬめりけが出てくるので、それを採取して少量の牛乳と混ぜる。


 何とかそれっぽいのが出来た。

 後はこれを小さなコルク瓶に入れて完了だ。

 彼女は人間の精を知らない。なら、それっぽいものを見せれば納得して自分の卵に振りかけるだろう。


「おい、いるか?」


 再び彼女と会ったところまで戻り、声を掛けると彼女は顔を出した。

 向日葵のような笑顔だ。彼女の笑顔はきっと日向で輝くものだろう。まぁ、日の目を浴びることはもう無いのだろうが。


「行くぞ、海に落っことすなよ」


「はいっ」


 偽の精が入ったコルク便をそっと落としてやると、器用に受け止めた彼女。

 コルク便の中に入っている白い液体に、少し顔を赤らめて見ていたが、直ぐどこかにしまい込んだ。

 一体どこにしまったと言うのだろうか。


 しかし、こうも美人さんが男の精(思い込みだが)を見て頬を上気させる光景は中々にお目に掛かれない。

 なんか……こう、背徳感が半端ない。罪悪感なんて欠片も感じないが。


「ほら、受け取ったら帰れ」


「……あの、ありがとう、ございました」


 少し煩わしくなって来た彼女へぶっきらぼうに言うと、少し何か違和感を感じたのか彼女の声色が少し変わっていた。

 彼女の中での俺がどんなものなのか知らないが、俺の中では彼女はもうどうでも良い人魚なので気にするわけがない。

 何だったら食べてやっても良い。美人の人魚はさぞや美味いだろう。


「なにか、思いつめているんですか?」


「何も……いや、そうなのかもしれない。でも、何も心配することは無いよ」


 それでもなお俺のことを気に掛けてくれる彼女は、よっぽど騙されやすい性格をしているのだろう。

 そんな彼女に少し呆れを持って優しい言葉を投げ掛けてやる。すると、どこか安心したような表情になる彼女。


 ごめんよ、名前も思い出せない人魚。

 俺の中ではもうどうでも良いことなんだ。


「最後に……このブローチ。私、一生大事にします!」


「それは……ありがとう」


 さてこれ以上会話を続けるのは危ない。

 ということで、彼女は最後にとあるものを見せて来た。

 それは俺が一番最初に作った赤サンゴの装飾品で、過去に彼女に送ったものだ。

 形は少し歪で、とても褒められたものではないが彼女はとても大事に使ってくれている様子。


 作成者として作品を大事にしてくれる野はとても喜ばしいこと。

 そこは素直にお礼を言う。俺だって一端の鍛冶屋だから。


「それじゃあ、またどこかで!」


「あぁ、じゃあな」


 少し大きめな水飛沫が巻き起こり、海中へと姿を消した彼女。

 あの様子からすると、彼女は俺のことが好きなのだろう。人魚に好かれるなんてファンタジーの世界だと思っていたが……ファンタジーの世界だったな、忘れてた。

 しかし、所詮はファンタジア。幻想曲に過ぎないんだ。


「おや、まだ起きていたんですか」


「あぁ、ちょっと気分が優れなくて」


「じゃあ、お薬でもお持ちしますよ」


「頼む」


 まるで待ち構えていたかのように俺に話しかけてくる見回りの船員。

 気分が優れないことを伝えると、わざわざ船室へと薬を取りに行ってしまった。

 自分だって眠いだろうに。まぁ、乗船している客だからかもしれないが。


 それにしてもさっきの人魚の馬鹿さには呆れた。

 精なんて出してから数分もしないうちに死滅してしまうというのに。それを知らないのか。

 それで彼女は笑顔で自分の卵に振りかけるのなら、救われなさ過ぎて泣けてくる。

 しかも、偽物なんだから追い打ちは完璧。


 元の世界でも人魚に関わる物語は悲恋や悲劇的なものが多い。

 彼女が悲劇になるのは人魚の宿命なのかもしれない。


 よし、もう忘れて寝ようか。

 もちろん、見回りの船員が持ってくる薬を飲んでから。

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