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信念



「おう、まずは食えや」


「……いただきます」


 その日の夜。

 イグニード商会の会長室ではなく、イグニード会長の自宅に招かれた俺。

 さすが世界一の商会の会長の家だ、ビバール家と謙遜無い豪邸である。だが、趣味はこちらの方が悪趣味である。


 熊型の魔物“ベアマウス”の剥製が玄関で勇ましいポーズをしている姿が出迎えてくれる。

 床には虎型の魔物“タイガーネオ”の皮の絨毯が敷いてあり、その御尊顔が俺を睨みつける。

 壁には鹿型の魔物“鹿威し”の頭が何も言わずに虚空を見つめている。


 それでなくとも、居間のショーケースには様々な盾やトロフィーが並び、酒棚には世界中のお酒が並んでいる。

 居間の感じもシックな雰囲気で落ち着くには良い。だがタイガーネオ、オメェだけはだめだ。


 そんな感じでテーブルを挟んで目の前にイグニード会長がいる。

 テーブルの上には御馳走が並び、これからグラスに注がれるであろう酒はとてもじゃないが手が出ない銘酒だ。

 中には養殖されているとは言え高価な人魚の刺身やモツも見える。きっと、会長のことだろうから美人な人魚を卸して捌いてきたのだろう。

 噂によれば人魚の解体ショーもしているそうだ。


「おい、ちょっと下がれや」


「はい、御前様」


 そして傍らで控えていたイグニード会長の奥さんが、会長の一声で部屋を出て行ってしまった。

 元の世界で言うアジア系の綺麗で若い奥さんだった。色気もあって、それでいて淑女であるその姿は早々お目に掛かれない。


 奥さんが部屋を出て行くのを見届けた会長はこちらへ向き直り、何を思ったのか酒瓶を手に取った。


「グラス寄越せ」


「いやいや、仮にも会長に注がせるわけには行かねぇさ」


「先生と俺の仲だ。ちなみに、俺が酒を注いだのは今はもういねぇ親父と先生だけだ」


「畏れ多いな」


「そう思うなら、良く味わって飲めよ」


 なんと本来なら注ぐ側であろう俺に酒を注ごうとする会長。

 形式上、一度遠慮したがそれでも注ぐと言うので注いでもらうことに。

 こぽこぽと注がれる酒は無色透明で、懐かしい匂いが辺りに漂う。俺はこの匂いを過去に嗅いだことがある。


 形としては間違っているであろうその酒を口元に運び、ちびりと飲んでみる。

 そして、俺は驚くことになる。なんせ、もう一度この酒を飲むことになるとは思わなかったから。


「焼酎じゃなねぇか……!」


「焼酎?」


「あ、いや……これは米か? それとも芋か? もしかして麦か?」


「驚いた……先生、アンタ魔界酒を飲んだことがあるのか?」


「魔界酒?」


「あぁ、魔界の酒だよ。どこで飲んだんだ? これは人間で俺しか飲んだことが無いと思っていたがよ」


 そうだ、この味は焼酎なんだ。

 元の世界で飲んでこの二年間口にすることが無かった大好きな酒。日本特有の蒸留酒で、種類も豊富にある。

 驚いて聞き返してみると、なんと魔界で生産されている酒だと言う。本ゲームでは魔界の名前は出てくるが、冒険することは出来ない。

 すべてこの五国を中心で広がっていくために、まさか魔界の名前も聞くとは思わなかった。


「あ、あー……えーと、魔物……そう! 魔物学を専攻している学者にもらったんだ。名前はクルス・クルスって言ったかな」


「そんな人がいるのか? 嘘じゃねぇだろうな」


「嘘を言ってどうするんだよ」


 ごめんなさい、嘘です。


「まぁいいや。うめぇだろ、それ」


「あぁ、美味い。コレを果実の搾り汁で割るとまた違って美味いもんだよ」


「本当か? 今度試してみるわ」


 久しぶりに口にする焼酎は美味しく、煙草が吸いたくなる味だった。

 そう言えばここのところ煙草を吸っていなかったな。メリアが煙草の臭いを嫌がったために、少し抑えていたんだっけか。

 これからはもう思う存分吸えるとなると笑みがこぼれてしまう。


「ほれ、この人魚の刺身も美味いぞ。なんせ、さっきまで元気だった奴だからな。先生が来るって言うんで、急いで捌いたんだよ」


「へぇ、美人か?」


「あぁ、別嬪さんだったよ。部下に世話させたら一目惚れするほどのな。これが写真だ」


「うお、これまた美人さんじゃねぇか。しかも若い」


 そして勧められる人魚の刺身。

 予想通り美人な人魚だったようで、俺が来ると聞いてから捌いたそうな。

 写真も撮ってあるそうで見せてもらうと、確かにかなりの美人さんだった。街で見かけたら間違いなく振り向くレベルの。

 しかし、その人魚の隣に一人の青年が写っている。そして、一人と一匹はとても笑顔だ。

 この青年が今言っていた一目惚れした世話係だろうか。


「でも、大変じゃなったか? 人魚と言っても魔物だから力も強いだろう? 見たところ買ってきたわけじゃなく、会長自らが養殖しているようだし」


「確かに俺がやったら大変だったろうが、これに写っている世話係には警戒心が無いからな。コイツにやらせたよ。息の根を止めてからは俺がやったけどよ」


「なるほど、当て馬みたいなものか」


 会長も中々に酷いことをするもんだ。

 一目惚れしているということは、この世話係はきっとこの美人な人魚には優しくしていたことだろう。

 ならば人魚の方もこの世話係に心を開いていたとしても不思議ではない。そして、この世話係が近づいても抵抗しないだろうから、そこをバッサリとやらせたのだろう。

 きっと、その人魚の絶命時の表情は理解が出来ないと言う表情だったに違いない。


「でよ、これが今回の目玉だ」


「これは乳か?」


「あぁ、その人魚のおっぱいだ。乳腺と詰まった脂肪がまた美味なんだよ」


「どれ…………おぉ、凄いまろやかだ。それに油なのにくどくない」


 さてどうやって話を切り出したものかと模索し始めたところ、そんなことはお構いなしに会長はとあるものを出して来た。

 何やらほくほく顔で勧めてきたそれはなんと人魚の乳房だった。とは言っても処理はしているようで、皮も剥がされているために名残と言う名残は形のみ。

 それでもプリンをより強くしたかのような弾力と、ミルクのような甘い香りが何とも食欲をそそる。


 この乳房が先ほどの写真に写っていた美人さんの物だと考えると美味しそうに見えるから不思議だ。

 これで不細工だったら食欲もわかない。


 一口食べてみると、なるほど確かに美味しい。

 デザート感覚ならとても美味しく食べられるが、酒の肴には合わない。さしずめ珍味だから出してきたのだろう。


「それで……会長、話があるんだが」


「なんだ? 言ってみろ」


 このままなぁなぁにして引き伸ばすのも忍びないので、思い切って切り出す……が、その時の会長の表情は冷や汗ものだった。

 とても嫌らしく笑っていたのだ。口端が思い切り弧を描いて。

 やはり、世界一の商会の会長ともなれば少しの情報くらいなんてことはないのだろう。


「……お見通しか」


「あぁ、そうだ。話が早くて助かるだろ?」


 と言うことは変な小細工なんてしたものなら、俺は二度と白の国の国土をまたぐことは出来なくなる。

 いや、変な小細工なんて出来たものじゃない。この会長には、常に嘘は吐かないでおきたい。そして、本当のことも。


「で、だ。これから会長に納品することは出来なくなる」


「俺がそれを赦すとでも? ……とは言わねぇよ。元々は先生が持ちかけてきた話で、俺がちょっかい出したわけじゃねぇ。おかげさまで良い商売が出来た」


「…………」


「あぁ、良いねぇ。そこで油断しないところがもったいない」


 久しぶりの腹の探り合い。

 ドス黒い狸の腹の中を必死で掻き分け、その中で最善の答えを導き出さなければならない。

 だから、相手が出してくる甘言は絶対に罠だと思った方が良い。会長は自分から答えなんて言わないから。


 だから、俺は油断しない。


「これを持ってきた」


「なんだその紙きれは」


 ということで、出し惜しみしていたらこちらが飲まれかねないので、早々に切り札を出す。

 尤も、切り札とは言ってもこれしか手が無いのだがな。


「赤サンゴの加工法だ。これしかカードが無いもんでな」


「……ほお。確かに、それは俺が求めるうちの一つだ」


 そう、この世界で俺しか知りえないただ一つの技術。

 赤サンゴの加工法だ。赤サンゴの装飾品はそこらの宝石より高価で希少価値も高い。

 それがこのテーブルに並ぶのだから、それなりに合った対価を払わねばならないはず。


 しかし、それしかないことを会長も知っているはず。


「だがな、先生にはそれしかない。確かに先生の技術は素晴らしい。国宝級だ。その技術と、赤サンゴの加工法……どっちが希少か先生にもわかるだろう?」


「俺の技術は遅かれ早かれ到達する域だ。だが、赤サンゴの加工法は門外不出。未だに人魚から聞き出せていないはずだ」


「あぁ、殺す寸前になっても吐きやしねぇ。強情な奴らだ」


 あまりの緊張で手が震えて来た。

 そして、それを隠す気力もない。そんなことをしても会長には意味が無いだろがな。

 それを分かっているかのように不敵に笑う会長。どうしてこうも俺の胃袋を苛めることばかり起こるのだろう。


「…………」


「…………」


「…………はぁ、止めだ止め。ここで先生を引き留めたら国王様にどやされちまうよ」


 お互いにそれ以上何も言わずに睨み合う……と思っていたら、会長は溜息を吐きながら両手を上にあげた。

 それは万国共通の降参のポーズであり、それまでのピリピリとした雰囲気は消え失せた。

 ということは、もう話す気はないのだろう。


「俺はな、先生。人を見る目は国王様に劣らねぇと思っているんだ。先生が、ここで食っていける人じゃねぇのは最初から分かっていた」


「どういうことだ?」


「形式上仕方がねぇんだよ。先生が出て行きます、俺がはいそうですか、ってなったら面目が立たねぇんだ。やくざな商売は嘗められたら終わりさ。だから、形だけでもこうして話し合わなきゃいけねぇのさ」


「……じゃあ、良いのか?」


「言ったろ、俺がちょっかい出したわけじゃねぇ」


「っはぁー……」


 一気に肩の力が抜ける。思わず椅子に深く座り込むほどに。

 話を聞けば最初から俺を止める気が無かったのだと。だったら俺の胃袋を案じて赦しを出してくれても良いじゃないか。


 緊張の糸が切れたのか、笑いまで込み上がって来た。

 そうすると次に欲求するのは食べ物。お腹が空いた。


「ほら、食っちまえ。あっち行ったら、こんなもの食べられねぇぞ」


「おう、食ってやるさ」


 安心からくる空腹に従う様に、目の前にある食べ物に食いつく俺。

 毒なんて持っているなんてバカな考えさえも浮かばずにがっつく姿は、さぞや子供らしいことだろう。

 だが、そんなことはもうどうだっていい。目の前に御馳走があるんだからそんな考えさえおこがましい。


「先生、何か合ったら俺のところに来な。先生と俺の好だ、助けてやるよ」


「見返りは?」


「それはもう先生の武具に決まっているじゃねぇか。もうブランド物だぜ? あ、赤サンゴの加工法はもらって行くからな」


「あ、汚ねぇ」


 そうして、白の国での用事は全て済んだ。

 何か忘れているようなことがある様な無いような。


 でも、忘れているのならそれまでの事だった迄の話。

 気にしないでおこう。

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