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説得力



「貸せ」


「は、はい」


 呆気に取られる少女には眼もくれず、包んだばかりの新聞紙を剥いで鱈を取り出した主人。

 尾を掴み、重力に逆らうことなく垂れ下がる鱈を主人は迷うことなくエラに手を突っ込んだ。

 そして、見えるようにエラを広げると、主人は溜息を吐いた。そのことに、少女は思わず身を震わせた。


 また何か、やってしまったのではないか、と。


「おっちゃんよ、こんなもんを良いものだって売りつけるのか?」


「た、鱈が入用だったんだろう? 破格な値段じゃないか」


「何の話だよ。俺はこの鱈の“鮮度”の話してんだよ。エラが白く濁っている。それにアメてるんじゃないのか?」


「……誰だい、アンタ」


 少女の主人は店主に見せつけるように鱈を掲げた。

 少女は覗きこむように鱈を見てみると、確かにエラが白くなっている。少女の知る限り、魚のエラは鮮やかな赤色をしていた。

 決して白くは無い。そして、少女の主人がその色に異を唱えている。


 そこまで言われれば少女も想像が付く。

 粗悪品を掴まされたのだと。


「俺はコイツの主人でね、買い物へ行かせたんだが……何か嫌な予感がしたもんでな」


「……」


「余所者が我が物顔で、それも良質のものを選んでいたらムカつくわな。普段は市街地にある量販店で買って、なにか安い時や特別なときにしか買いに来ない客には良いものを売りたくないよな」


「……あぁ、そうだな。良いものは良く来る常連さんに売ってやりたいって思うのが人間だ」


 少女は理解が出来なかった。

 何故、商人である店主が粗悪品を売るのだろう、と。

 そうなればお店の評判が下がってしまうのではないか。そう思えて仕方がない。

 しかし、少女の主人も店主の考え方を理解していた。それが、理解できない。


 店主は差し出された鮮度の悪い鱈を受け取り、そのままゴミ箱へと投げ捨てた。

 それを見届けた少女の主人は少女へと近づき、顔を近づけて来た。


「おい、ブローチ持ってるか?」


「え? はい。落としたら大変なのでポケットに」


「店主に見せろ。早く」


「? はい」


 少女は言われるがままポケットに入れていた二人目の友であるメリアからもらったブローチを取り出す。

 それを店主に見えるように掲げると、店主の顔色が一変する。まるで見てはいけないものを見てしまったかのように。


「そ、それはっ……」


「ビバール家の家紋と国章だ。分かるだろ? 国とビバール家の息が掛かった者だよ」


「じゃあ、嬢ちゃんは……」


「一応なりともエル・シッド卿の娘とも親交がある。いやー大変だなー怒るだろうなーメリアお嬢様は」


 そこまで言うと、少し身を乗り出して店主の顔を覗き込んだ少女の主人。

 それまで不愛想な表情だった店主の顔は青ざめていた。そんな店主へ畳みかけるように少女の主人は悪い顔でこう言った。


「大切な友達に何をしているんだってな」


 そこで少女は気付いた。

 あれだけ活気のあった朝市が静まり返っているのだ。

 辺りを見回す少女。そこにあった光景は買い物客も店の者たちも全員がこちらを見ているものだった。

 不安そうにこちらを窺っている者。明らかに不機嫌そうに睨み付けてくる者。仕事しながらこちらを窺っている者。

 それぞれの反応があったが、皆一様にこちらを見ていた。


 その光景が少女には恐怖と映ったのか主人の元へ寄り添う。

 それを気にせず店主を睨み付ける少女の主人。少女には少なからずこの事態を引き起こしたのが自分だと言う思いがあった。

 故に、主人に対しての罪悪感が芽生えるのも自然な道理なのかもしれない。


「あ、あの……これ、今日獲れた……一番のものです……」


「ほぉ。確かに脂も乗っていて身も崩れていない。眼も透明だな。それをもらおうか」


「は、はい! まいど!」


「銅貨十二枚だよなぁ? もちろん」


「へっ?」


 店主は観念したのかカウンターの下から大振りで見るからに美味しそうな鱈が少女の主人へ手渡された。

 渡す際の店主の手は震えており、受け取る時に思わず落としそうになる。もちろん下は申し分程度の均された地面。

 落としたとなったら価値は一気に下がってしまう。客の眼の前ならばなおさら。


 しかし、そうでないにも関わらず少女の主人が提示した鱈の値段は先ほど少女が買わされそうになった鮮度も糞も無い鱈と同じ値段だった。

 もちろんそんな無理がある値段に呆けたような表情になる店主。そんな態度を少女の主人が気にいるはずがない。


「あー……言い忘れていたんだが、俺はここの者でな」


「それは……イグニード商会の!」


「いやぁ、懇意にしてもらっているんだよ。偶に酒も飲む仲でな。そんで? アンタはどこの許可をもらってここで商売をしているんだっけ? 俺が知る限り、この商船を仕切っているのはイグニード商会だったと思うんだが」


「…………ど、銅貨十二枚、頂戴、いたします……」


「いやぁ、悪いね。“これから”もよろしく頼むよ」


 店主は突き付けられた値段にはさすがに渋る様子。

 そんなことをしてはせっかくの儲けが無くなってしまう。

 明らかに原価を下回っているその値段の差は大きく、埋めようとしても更に多くの魚を売らなければ取り戻せるものではないだろう。

 渋るのは無理もない。しかし、明確に拒否も出来ない。


 そんなことをしてしまったら、明日にはここで商売できなくなっているのかも知れないのだから。


 それを、分からない少女の主人ではない。

 分かっているからこそ、このとんでもない値段を吹っ掛けたのだ。

 そして、この値段で売らせるために取った手段があった。とても憎たらしいほど適切な手段で。


 少女の主人は懐からとある紋章を取り出した。

 それはいつの時かイグニード商会の会長より渡された紋章。それはイグニード商会の系列の証。

 傘下ではなく系列。故に特別に認められた者しか持てない物。


 この港自体は国で管理されているが、商船や漁船、連絡船や所場は全てイグニード商会の“傘下”である。

 だから、ここで商売している店主はイグニード商会に許可をもらって商売をしているが、紋章は持っていない。

 もし、少女の主人が傘下にある者から嫌がらせをされたのあれば、一瞬にして許可は取り消されてしまう。


 故に、店主に残された道は提示された値段で売るしかないのだ。


「ま、毎度、ありがとうございます……」


「さーて、次は何を買おうかなー」


 力無く項垂れる店主をしり目に踵を返す少女の主人。

 その後ろを不思議そうに申し訳なさそうについていく少女。

 突然振り向いた少女の主人に目を合わせ無い様に一斉に顔を逸らす買い物客と他の店の者たち。

 それに気を良くしたのか、我が物顔で朝市の中を闊歩する少女の主人。


 結局、それ以上二人がそこで買い物することは無かった。




◆ ◆ ◆




「朝一の連絡船には玄翁さん乗ってなかったな」


「そう、ですね……」


「ってことは昼の便かもな」


 朝市で買い物を得た後、船着場にやってきた連絡船の前で待っていたが玄翁さんの姿は見えなかった。

 行き違いになったのではと辺りを捜してみても見当たらない。どうやらその連絡船には乗ってきていないようだった。


 となると次は昼の連絡船となる。

 そうなってしまうと俺は迎えに行くことが出来なくなってしまう。

 メリアの剣の稽古があるためだ。これに穴を空けるわけには行かない。


「あのっ」


「どうした?」


 帰路についていた俺たちだったが、不意にロボ娘が立ち止まって俺を呼び止めた。

 道の往来だったが、そこまで混んでいるというわけも無いので通行邪魔になることは無い。


 ロボ娘の方を向くと、なにやら思いつめているかの様子。

 持っているバスケットを握りしめ、口は引き結ばれている。


「申し訳ございませんでしたっ」


「……何がだ?」


「私のせいで、御主人様に迷惑を……!」


 そして予想通りに謝りだすロボ娘。

 謝罪の理由は先ほどの朝市の出来事だろう。しかし、なんと珍しいことに今回の件についてはロボ娘は何も悪くない。

 強いて悪いと言うのならば、お得意様でもない人を気難しい人たちばかりいる場所へ買いに行かせた俺が悪いってもんだ。

 まぁ、悪いとは思っていないけれども。


「あれは完全にあっちが悪い。余所者は邪険にしたがる人達ばっかりなんだよ。特に商店街とかの小売店はな」


「ですが……!」


「俺がお前は悪くないって言っているのに、それでも悪いと思っているのか?」


「……いえ、御主人様は私を気遣う人ではありませんので、私は悪くないんだと思います」


「おう、癪に障る言い方だったが赦してやろう」


「?」


 一見さんは招いていない店は総じて糞だと思う。

 昔ながらの常連客を大切にするのは別に良い。その常連客に良いものを売ってやるのも別に良い。

 だけれど食い物または使い物にならないものを売りつけようとするのは赦さない。後で会長に言って営業停止にしてやらなくては。


 そんなこんなでロボ娘は悪くないと言ったは良いものの、納得はしているが理解はしていない様子のロボ娘。

 その様子のロボ娘に一から説明してやる気は無いので、放って置く。


 けれど、一つだけ訂正させなくてはいけないことがあるので口を開く。


「ロボ娘。申し訳ありませんでしたって言葉は何か悪いことをして謝る時に使う言葉だ。分かるだろう?」


「え? は、はい」


「じゃあ、ロボ娘は何も悪いことはしていないから使う言葉としては間違っている。お前が知っていることを間違うとはな。じゃあ、なにが正解だ?」


「……! ありがとうございますっ」


「正解だ」


 そうして二人は再び歩き出した。


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