魔よりの物
それはとても簡単なものだった。
ドラゴン。そのたった四文字だけで絶対的な強者であると愛当てに伝えるとが出来るのだから。
ここにいる奴は強い。恐ろしく強い。戦ってもいないのに強いと断言できてしまうほど。
その強者が敵であることを自覚しなければならない。
その鋭利な爪が襲って来るのを覚悟しなければならない。
それはとても簡単なものだった。
このドラゴンは、長い間地下に幽閉されて退屈なのだから。
強者は首を動かし、俺の方を見る。
鼻を動かし、目の前に何かがあると感じた瞬間、その口は開いた。
腐臭のする、酸っぱい臭いだ。
「っ……!」
威圧感が半端ない。
今まで倒してきた魔物の中にはかなり厳つい体躯の奴もいた。
しかし、見た目の問題ではない。圧倒的な力を持つ者特有の威圧感だ。
幾ら見た目が凄かろうが、その中にある力が大したものでないのなら威圧感は出せない。
だから分かる。コイツは強い。
「ウボォ……」
「くっ」
目の見えていないコイツは鼻を使って俺が何なのか探っているようだ。
だから、今は攻撃はしてこない。コレをチャンスと呼ぶものなのか。今手を出しても良いものなのだろうか。
だが、コイツが俺を敵だと認識したらもう近づくことは叶わない。
俺は四次元ポーチからオウルパイクを選択して装備する。
コイツは斬ることよりも突くことに特化した穂先を持ち、長さも三メートルある突進用の槍だ。
ドラゴンの鱗なんて斬り裂けるものだとは思っていない。だから、コイツで距離を保ったまま弱点らしき腹を貫く。
「《刺突》!」
少し距離を取り、助走をつけて槍スキルの一つ《刺突》でドラゴン目掛け攻撃する。
《刺突》は槍スキルの中でも単純なスキルで、中々に威力を持つスキルだ。このスキルは相手との距離にも左右され、適度な距離を置いて使うと威力が上がるというもの。
そんなスキルでドラゴンの腹目掛け突進する。
ドラゴンは依然として鼻をヒクつかせて俺のことを窺っている。そんな今がチャンスだ。
だがしかし、レベルの差というものはそんなものでは埋まらなかった。
「なっ!?」
金属同士がぶつかる様な金属音が洞窟内に鳴り響く。
俺の目線の先には穂先が折れたオウルパイク。ドラゴンの腹に弾かれ、力の行き場がなくなって折れたのだ。
その原因は明らか。その部位が全体的に見て柔らいのだとしても、百三十レベルの守備力を四十一レベルの俺の力が上回ることが出来なかったのだ。
ドラゴンの様子が変わる。
俺との距離は三メートル。その距離は、既にドラゴンの間合い。
ドラゴンは口を開け、息を吐く。その息は炎を纏い、俺に目掛けて放出される。
このドラゴンが何を思って炎を吐いたのかは知らない。
この洞窟内にいる魔物たちの主。その主に反逆する者に粛清の意味で吐いたのか。ただ好奇心によるもので吐いたのか。そのことにムカついて吐いたのか。
そんなもの俺は知らない。
だが、一つだけ俺の脳裏に掠めた記憶がある。
元の世界で友達が言っていたこと。それは「剣と魔法の世界なら活躍出来るのにってよく聞くけどさ、この世界で凡人だったら他の世界に行っても凡人なんだろうよ」と言う言葉。
確かにそうだと頷いた記憶がある。この世界で活躍も出来ないのに、他の世界に行っても活躍できるわけがない。
しかし、俺は今になって言える。
その世界でのハンデがあるのなら、その限りではないって。
「……熱くねぇ」
何故なら俺は今、ドラゴンの焔を浴びてもピンピンしているのだから。
「うおぉおおおお! やった! どうだ、これで戦える!」
炎が渦巻く中で飛び跳ねる俺。
正直賭けだったが、こうも上手くいくとは思っていなかった。
今、こうしている合間にも浴びせられる劫火。それなのにも、全く熱さも感じずにHPも減っていない。
何故ならば、今の俺は緋色の指輪によって火属性耐性十割減だから。ダメージは全く受けない寸法。
しかも、敵には攻撃モーションと言うのが設けられている。
ひっかく攻撃だったり、殴る攻撃だったり、このドラゴンがしているように炎ブレスを吐くように設定されている。
そして、このドラゴンは目が見えないのと、肥えているためか物理攻撃をしてこない。
つまり、この炎ブレスしか攻撃モーションが無いのだ。その攻撃モーションを封じた俺にとって、こうなってはドラゴンはただの案山子ですな。
このことにテンションの上がった俺は炎の中で行うような儀式めいた動きをする。
こうなったら後は攻撃して倒すだけ。無抵抗……いや、必死に抵抗する奴をただ殴るだけと言うのは何と気持ちの良いことか。
「うらぁ!」
折れたオウルパイクを投げ捨て、四次元ポーチから新たな武器を取り出す。
その武器はスティレットと呼ばれる短剣で、これも斬るよりも突くことに特化した鎧通しだ。
俺はスティレットを左手で握り、右掌で柄頭を押し出す様にドラゴン目掛け突き出す。
もちろん、ドラゴンの腹にだ。
だがしかし、スティレットは腹に触れた途端に圧し折れてしまう。
これはもう一筋縄ではいかない。圧倒的なレベル差だとここまで違うものなのか。
ダメージ一を与えられていたら殺せるが、これでは与えているのかさえ分からない。
「どうすんだよ……」
こちらはダメージを受けないが、あっちもダメージが通らない。
こうなったらドラゴンの守備力を下げて攻撃するしか方法は無い。
「これなら……っ!」
今度は杖を取り出す俺。
杖スキルに確か《錆付き》という守備力を下げる魔法があったはず。杖はただでさえ他の武器よりも熟練度が低いが、それくらいなら俺だって習得している。
そう思って取り出したのだ。樫の杖を。
だが、俺の認識が甘かった。
樫の杖を出した瞬間、再びドラゴンが炎のブレスを吐いてきたのだ。
樫の杖は材質にもよるが木だ、木は燃えるのが常識。
つまり、樫の杖を装備した途端にただの木炭に早変わりしてしまったのだ。
俺の四次元ポーチには杖系の武器はそれ一つだけ。他の武器にも守備力を下げるスキルはあるのだが、いかんせん中級スキルとなってしまうのでただでさえ低い熟練度では習得していない。
絶望の色が見え始める。
一旦出直すか?
いや、ここを出たらクエストをクリアしたことになってしまう。もうクエストの条件である一定の魔物を倒しているのだから。
それならば、もうここには立ち入ることが出来なくなってしまう。
そうなってはもうこのドラゴンと再戦するのは無理だろう。
いや、待てよ?
「確かコイツがあったはず」
四次元ポーチの中から副王の剣を取り出す。
至って普通の鉄の剣にしか見えない武器だが、これは魔法を斬り裂くことが出来たはず。
だからどうしたって話なんだが、以前に硬い石のような皮膚を持つ石犀という魔物を斬り付けたとき、すんなりダメージが通った記憶がある。
それでも、ダメージもそこまで大きいものではなかったので副王の剣は弱いという印象だった。
もしかしたら、この武器はいわゆる守備力無視の武器では?
このゲームには守備力を無視してダメージを与えることが出来る武器が幾つか存在する。しかし、そのどれもがレア度の割には弱い武器なのであまり見向きをしていなかった。
確証は無いが、試してみる価値はある。
「シャオラァ!」
気合を入れていざ尋常に。
剣の構え方なんてまだまだ甘ちゃんの俺が、構えたところでどう出来るか分かったものではない。
見様見真似で覚えた中段の構え。選択するのは覚えている剣スキルの中でも最強のスキル。
ちょうどおあつらえ向きにドラゴンが再三炎を吐こうと口を開け、上体を起こした状態になる。
当然、腹はがら空きだ。
「うぉおおおお!!!!」
炎が吐かれると同時に駆け出す俺。
炎の中を掻い潜り……もろ直撃しているのだが、まるで映画の中の様なことをしているとテンションが上がってくる。
自分が主人公になってしまったかのよう。悪くない気分だ。
目前まで肉薄して、もう一度剣を構えなおしてスキル名を宣言する。
その手に握るのは、殺す道具。
「《挨拶剣》!」
宣言と同時に直立して、剣を持っている右手を軽く上げるように構える。
そして、そのまま軽い挨拶をするような仕草でドラゴンの腹を斬り付ける。するとどうだろうか、それまで試してみても折れるだけだった攻撃が、すんなり通った。
俺の目論見は当たっていたようで、この武器は守備力無視の武器のようだ。
ドラゴンにもダメージがそれなりに通っているようで苦痛の色が見える。それに、斬り付けられた箇所が抉られた様に無くなっているところを見ると、確実に殺せる。
後はもうただの作業だ。
《挨拶剣》を連発して倒すだけ。
「《挨拶剣》! 《挨拶剣》! 《挨拶剣》! 《挨拶剣》!」
「マクラギ! 洞窟の奥には狂暴なドラゴンがいたっていう情報……が……?」
後に聞いた玄翁さんの話だと、ドラゴンの焔を浴びながらひたすらに挨拶をする俺の姿が異様だったという。