お近づき
時間にして十数分後。
あれだけ騒がしかった喧騒は遠くから聞こえてくるわずかな雑音に変わり、喧騒の代わりに頬を撫でる風が耳をくすぐる。
移動している間に晴れたのか、雪は降りやんでおり雲は海の向こうへと流れている。
そして空には真ん丸な月。満月とは言い難いが、それでも丸い月と呼べる。
夜にはっきりと月を見たのは人魚イベント以来だ。
今頃どこの海を漂っているのだろう。ビッチの素質があったからどこかで男でも作っているのか、それとも捕獲されて食われたかのどっちかだろうな。
「そこの波止場に腰掛けましょう。今日は海も穏やかだから、濡れることは無いでしょうし」
「懐かしいなぁ。子供のころ、こうして海を眺めていたこともあった」
「今は無いのかしら?」
「純粋さを無くしちまったもんでね」
港の埠頭の波止場に腰掛ける二人。
すこししっとりとしていたが、直ぐに慣れることだろう。
波止場に手を着いた時にざらざらとした塩が、少し懐かしく感じる。
遠い昔のことだ、思いを馳せるのはまた今度にしよう。
「そうね、まず何から話そうかしら」
「仕事は何を?」
「学者よ。医者もしていたこともあったわね。今は……そうね、魔物専門の学者ってところかしら」
「学者ねぇ。知り合いに地質学者がいるんだけれど、そんなに楽しいものなのか?」
「楽しい人もいるでしょうけど、少なくとも私は楽しくないわね。お金にもならないし」
彼女が学者だと言うのは全編通して共通のこと。
しかし、やはり違いがあるのか魔物専門の学者だと言うのは初耳だった。
そもそも魔物のことを積極的に調べようとする学者がいたことに驚きだ。そんなこと、今の時代だと禁止されているのが良いところなのに。
「じゃあ、私からの質問ね。貴方、出身地は?」
「白の国のベルリヒンゲンから北に行ったところにある国境辺りだ」
「ベルリヒンゲンから北に……つい一年前に貴族間の私闘が活発だったところね。結局はベルリヒンゲンの領主……ゴッドフリートと言ったかしら。その領主が勝利を収めたと聞いたわ」
「そこの私闘で戦っていたこともあるんだ」
「へぇ……にしては、あまり戦いとは仲良さそうには見えないけれど」
「冗談キツイよ。戦いなんてこりごりだ」
もっとも、ビジネスの絡む戦いなら重い腰を上げざるをえないがな。
俺が復興させた土地だ。少しでも張る胸が出来たと思える出来事だ。
「……でも、嘘吐いているわね」
「あ?」
「貴方、そこの生まれではないのよね?」
「……良く分かったな」
「くすくす、勘よ勘。女の勘よ」
しかし、そこで痛いところを突く言葉が。
もちろん、そこは俺の出身地ではない。あくまでも俺がこの世界で生まれたと仮定している場所だ。
事の発端は赤姫のトーナメントの受付に対して吐いた嘘なのだが……いつの間にか俺が生まれた場所はそこだと言うことにしていた。
だが、彼女クルスはそれを見事嘘だと見破った。
正直、俺は動揺している。
「悪いが、話せない。聞かないでくれないか?」
「えぇ、良いわよ。私も、出身地は答えられないもの」
「……なるほどな」
「嫌な女だと思った?」
「いや、思っちゃいないが、面倒だ」
「あら、意外と高評価ね」
正直に俺の出身地は別の世界の日本です……だなんて言えたものではない。
仕方がないので素直に教えられないと言ったところ、それなら彼女自身の出身地も答えられないと返って来た。
してやられた。俺は素直にそう思った。
質問自体はどうでも良いこと。なのだが、この返答を聞いてしまったからには一筋縄ではいかないだろう。
頭の良い女性と話すのは楽しいが、腹の探り合いだけは面倒くさい。
そしてなにより、宣戦布告と同義なのだ。私はお前の質問に素直に答える気はない、そう俺に言っているのだ。
「じゃあ……話題を変えよう。医学研究もしていると言っていたけれど、職業は何だ? 魔法使いか?」
「えぇ、魔法使いもしていたし、上位職業の賢者だったこともあるわ。今はすっぴんだけど」
「すっぴん……それで魔物専門の学者なら、一体いくつの職業を極めたんだ?」
「さぁ? 遠い昔にすっぴんになって以来、転職はしていないから忘れちゃったわ」
「賢者だったことは覚えているのにな」
「あらら、女性の秘め事には首を突っ込まない方が良いわよ」
「その通りだ」
腹の探り合いをしようってんなら、逆にこちらから身を引いてみる。
別に、俺は彼女の腹の内なんてテキストを読んでいたら分かることだし、知ろうとも思わない。
むしろ、探ろうとしたものならばはらわたを引き摺り出されかねない。俺はそこまで頭が良くないものでな。
ということでゲームの中では明らかになっていなかった彼女の職業を聞いてみた。
プレイヤーの間では彼女の職業はプロフェッサーかと思われていたが、実際に聞いてみればなんてことはない。ただのすっぴんだった。
すっぴんはその名の通り職業についていない状態で、職業の恩恵を何も受けないでその人の才能だけの状態のこと。
……というのはゲームの中の説明で、実際には器用貧乏にすら届かないすっぴんでいるだけ無駄な職業なのが実態だ。
スラングでニートと呼ばれている。止めてやれや。
そして、彼女はすっぴんと言うニート状態で魔物専門の学者をしていると言うのだから彼女の潜在能力は高いのだろう。
まぁ、賢者も極めたらしいので言うだけ野暮なものだが。
「そっくり返すけど、貴方の職業は?」
「鍛冶屋だよ。器用貧乏も良いところだけど」
「良いんじゃない? 貴方は少なくとも納得しているのでしょう?」
「そうなんだけどさ」
くすりと彼女は笑う。
どこか見透かされているようで、そうじゃない。
俺を馬鹿にしているようで、立ててくれている。
母性があるようで、対等に見てくれている。
隣にいて楽な人だ。
それも彼女の魅力と言えよう。
「……ちょっと、今研究していることで参考程度に聞きたいことがあるのだけれど、良いでしょ?」
「なんだ?」
少しの間を置いて、今までの会話が建前だと言わんばかりに纏っていた空気が変わった。
穏やかな空気が少しだけピリピリし始めた気がする。彼女の顔が見えないはずなのに、真面目な表情をしている、そんな雰囲気だ。
本題は今研究していることで聞きたいことがあるとのこと。
研究していると言えば、魔物のことだろう。魔物のことに関しては一通り知識もあるので、バカだと分からない程度に口を出そう。
「じゃあ聞くけど、魔物はどこから生まれたと思う?」
「……魔物の出生地? それは【魔王】じゃ……」
「【魔王】は、魔物が蔓延ってから纏め上げた存在よ? 少なくとも【魔王】が生まれる前から魔物は既に存在していたの」
「……そう言う輩は大抵、自分の理論を持っていると相場が決まっている」
「御名答。くすくす、安心なさい。そこらにいる男よりも貴方、頭が良いわよ」
「皮肉にしか聞こえねぇな」
質問の内容は魔物がどこから生まれたか。
そういえばゲームでも設定集でも触れられることは無かったな。
ゲームの冒頭でも『魔物は蔓延る世界に【魔王】が降臨し~~』で始まっていた。
そもそも魔物が存在していたことが大前提だったこの設定に、そんな設定が練られていたのか?
言われてみれば、謎なことだ。
魔物を専攻しているのならば、どうしても知りたいことだろうな。
そして、彼女はその仮説を立てていると見た。その仮説を聞こうじゃないか。
「魔物はね、人間が放出する瘴気から生まれてきたと、私は思っているわ」
「瘴気? それは魔物が出しているんじゃ?」
「その身に大きな瘴気を宿しているのなら、放出すると思うわよ。でも、小型の魔物はどう? 放出するどころか、なければ動くことすらままならない」
彼女曰く、魔物は人間が出す瘴気より生れ出るものだと言う。
瘴気と言う物は、この世界の一般常識として魔物の原動力であり、人間が吸ってしまうとその身に異常をきたしてしまうこともある澱んだ空気のことだ。
主に瘴気は地中深くに溜まっていたり、廃村や戦場跡地に溜まっていることがある。
更に言えば瘴気は魔物が出すものであり、人間が出すことは無い。
それを覆そうと言うのか。発表しようものなら笑われて相手にされないか、圧力により消されてしまうだろう。
「それはそれとして、瘴気はどのようなところで発生する?」
「廃村だとか、戦場跡地とか?」
「そうね、それまでのところでは発生しないわ。ねぇ、どうして発生すると思う? 元々そんなところに魔物はいなかったのに」
「……魔物が死肉を漁りに来たり、食料を求めてくるから?」
「それもそうだわ。でもね、考えてみて。そんなこと、どこでも同じことだわ。どこの魔物も、獲物を求めたり、死肉を漁るわ。……もう一度言うわよ。どうして元々は魔物がいなかったのに、瘴気が発生するの? 廃村や、戦場跡地で」
「……人間の、怨念?」
「大正解っ」
……ちょっと待てよ。
それは……いや、待ってくれ。
なんだこれ、どういうことだ。
「じゃあ、ダメ押しよ。レヴナントっていう魔物がいるわよね? その魔物はどうして生まれるの?」
「人間の強い想い…………いや、ちょっと待て! まさか、おい……」
なんだよこれ、なんだよこれ。
これじゃあまるで……瘴気そのものじゃないか。