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ハートの女王の非日常






次の日になっても、森へ行った女官は戻って来なかった。

逃げ出したのか戻れなくなったのか。


どちらにせよ、私がすることは変わらない。


「あの女官の一族を全て捕らえなさい」


部屋の外に立つ近衛兵に命じる。


窓の外に広がる空は、眩いばかりの透き通った青。


ああ、今日は良い裁判日和だわ。

でもその前に、タルトを作らなければ。





膨らみを抑えたドレスに身を包み、厨房へと下りる。


私専用に作らせた厨房にいるのは一人だけ。この城の料理長で、無愛想な初老の男。

でも何故か私を苛立たせることがない。



目の前には使う道具も材料も揃えられてる。

足りないのはタルトに乗せる果物だけ。


「木苺がないの。代わりの物を出してくれる?」


そう言うと、無言で出されたのは艶々とした真っ赤な林檎。


「美味しそうね」


それは蠱惑的な罪の味。


丸々とした大きい林檎は赤子の頭を思い起こさせる。

そう言えば、公爵夫人は我が子の首を見つけられたのかしら。


材料を混ぜて生地を作る。甘さは控えめ酸味は多め。代わりに林檎は甘く甘く煮詰めた。

タルト型に敷いた生地を焼き、その上に林檎を薔薇のように盛り付ければ完成だ。表面に蜜を塗り、午後まで涼しいところに置いておく。


使い終わった道具を素早く片付けた料理長を労い、厨房を後にした。





騒ぎが起こったのはその小一時間後。私が昼食を取っているとき。


「何ですって!?」


受けた報告に思わず立ち上がった。

きり、と唇を噛み締める。


何て忌々しい男なの、ハートのジャック。せっかく公爵夫人とのお茶会用にと作ったタルトを盗んでいくなんて。


「衛兵! 早くあいつを捕まえなさい!!」


そしてその首を私の前に持ってきて。あのちょび髭の巫山戯た顔を八つ裂きにしてやらないと気が済まないわ。

裁判? そんなの結果は分かり切っていることでしょ? 有罪により死刑!


だって私はハートの女王。私がこの国の法律なのだから。私に逆らう者など、粛清してしまいなさい。





ああ、気分が悪い。


「公爵夫人に、今日のお茶会は中止だと伝えてちょうだい」


公爵夫人は癇癪持ち。今日は誰が鞭の餌食になるのかしら。


躊躇う姿を見せる侍女達を鼻で笑った。


「早く行きなさい。鞭で打たれたいの? 決まらないなら皆で行けば良いでしょう」


ぐずぐずしている侍女を全て追い出し、私は紅茶を口にする。


「…不味い」


一体誰が入れたのかしら。

責任を取らせるために、一人でも残しておくべきだったかもしれない。


どちらにせよ、あの子達はお仕置きしなきゃね。





数時間が経っても、侍女達は戻ってこない。

馬鹿正直に全員で行ったのかしら。そんなことをすれば、気難しい公爵夫人の癇に障るだけなのに。



その時、扉を叩く音がする。


「入りなさい」


姿を現したのは甲冑に身を包んだ騎士。


「何用かしら」

「女官の親族を捕らえました。如何なさいますか」


女官の親族? ああ、あの役立たずの。もう興味もないわ。


「ジャバウォックの森で女官を探させなさい。見つけるまでは戻らないように言っておいて」


女王(わたし)の命令は絶対。逆らうことなど有り得ない。身内の失態は身内で償えばいい。


「そんなことより、ジャックは見つかったの?」


騎士の後ろでおどおどとこちらを窺っていた兵士に尋ねる。


「い、いえ、総力を挙げて捜索に当たっているのですが…」


総力を挙げて、この体たらく?


「警備の者を呼びなさい」


いえ、いいわ。私が直々に出向きましょう。





中庭に続く回廊。

薔薇の植え込みを縫うように走り回るトランプの兵士達が、私に気付いて整列し頭を垂れる。


「これは一体どういうこと? 我が城にジャックのような者を入り込ませるとは」

「…」


目を伏せ黙り込む警備兵達。言い訳もしない。

沈黙が金などと、どこの馬鹿が言ったのかしら。


私の質問に答えないなんて、その口は必要ないということかしらね。


「私の兵に無能はいらないわ」


目の前にいる警備兵十三人。職務怠慢の罪で処刑してしまおうか。


血色を纏ったBloody Queenと陰で囁かれようと構いやしない。

この私には鮮血のような赤が似合うでしょう?


だって私はハートの女王。血塗れの手で玉座に座り続ける女。


さあ、早くレッドカーペットを敷いて! こんな道を私に歩かせるつもり!?


慌ててカーペットを抱えてやって来た耄碌爺の背を蹴り飛ばす。


遅いわ! この私の待たせるなんて、何様だと言うのかしら!?


役立たずは必要ない。

警備兵と共に絞首台に登らせてしまえ。




"Off with their head!(この者の首をちょん切っておしまい!)"


これが私の口癖。


いつも忙しないくせに時間を守れない白兎。

人を小馬鹿にするように笑う神出鬼没なチェシャ猫。

私の呼び出しにも応じないで永遠に終わらないお茶会を続けている帽子屋に三月兎に眠り鼠。

見ている方が目を回すほど鬱陶しく堂々巡りで走り回るドードー。

間抜けな蜥蜴。

訳知り顔で諭してくる芋虫。

悲観的ですぐに泣き出すウミガメもどき。

能無しグリフォン。

役立たずのトランプ兵。


そして卑しい盗人ハートのジャック。



全部全部首を切ってしまえたら、少しはマシな国になるかしら。


キング? そんなものは必要ないわ。私より尊い者なんて、いるはずがないのだから。


だって私はハートの女王。跪いて靴をお舐め! …これは何か違う間違えた。

ふ、ふん! 下賤の者が触れた靴など、穢らわしくて履いていられないわ。


それよりもジャックよ、ジャック。

本当に腹立たしい。何で私がアレを気に掛けなければならないのかしら。

あの小太りのちょび髭め。私の侍女にちょっかいをかけたときにでも、処刑しておけば良かったわ。


今ではもう、処刑だけでは生温いわね。

死んだ方がマシだと言うような生き地獄を見せてあげる。





◇◇◇





数日が過ぎてもハートのジャックはまだ見つからない。

小物の分際で、いつまで逃げ隠れするつもりなのかしら。


そうだわ。見つかるまで一日一人、処刑していきましょう。あの男と関わりがあった者から順番に。


「陛下」

「私はお前に話す許可を与えたかしら」

「…」


「冗談よ、何かあったの?」

「はい。陛下に謁見を望む者が」


謁見? 一体誰が私の予定を狂わせようというのかしら。


「さっさと帰らせて」

「し、しかし…」


何故かトランプ兵は食い下がる。くどいわね、何が言いたいの。


「謁見を願い出ている者が、アリスと名乗っているので御座います」


アリス?


「…いいわ、会いましょう」





玉座の間に足を運ぶ。

勿論、これ以上ないほど目一杯着飾って。


招いてはいないとはいえ、客人を出迎えるのですもの。美しく装うのは当然のことでしょう?


レース、リボン、フリル、コサージュ。鮮やかな赤いドレスを飾るのは、色とりどりの赤。金の刺繍、白銀に煌めく宝石で豪奢に飾り付ける。

黒斑点のある白い毛皮に縁取られたマントは、燃えるような緋色。マントを留めるブローチは謎めいた色合いのルビーだ。

頭には王冠、手には王笏を持つ。


靴を鳴らして広間に入り、絢爛豪華な椅子に座る。

片手を上げて合図を送ると、荘厳で堅牢な扉が開いた。


広間に入っていた者を見て、知らず眉が吊り上がる。



光を縒り合わせたような金糸の髪、瞳は海を映したような深い青、人形のように整った容姿。


「…この者がアリスだなんて、何の冗談?」


普通、アリスと言えば可憐な女の子の筈でしょ!


金髪碧眼、膝丈の水色のワンピースに白いエプロンドレス、白のストッキングとつるりとした黒の紐付きフラットシューズ、ついでにカチューシャか幅広のリボンを頭に付けていれば完璧。


実際、前に来たアリスはそうだった。


可愛い可愛い小さなアリス。


口が達者で小生意気で、怖い物知らずのお転婆さん。

私の決定を批判した、愚かで考えなしで無邪気な娘。


私はあの子をどうしたかしら。


いつも通り首を切った?

料理番に命じてシチューに煮込んだ?

いいえ、それとも…私の寛大な心を持って帰してあげたのだったかしら。


思い出せないけれど、まあ良いわ。

問題は今、目の前にいる人間。


金髪碧眼は合っている。容姿は可愛いというより綺麗だけど、これも許容範囲。

なのに、性別が男ってどういうこと!?


エプロンドレスの代わりに白いコート、ワンピースの代わりに水色のポケットチーフだなんて詭弁だわ。

コートの下は三揃え、足下は革靴、頭にはシルクハット。おまけに小粋なステッキまで持っている。


口元には不敵な笑いを浮かべ、玉座に座る私を見上げてくる。


「女王陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう?」


恭しく頭を下げるが、礼儀も過ぎれば嫌みというもの。


「こんな悪ふざけまでして一体何の用かしら」

「悪ふざけ、とは?」


私が何を言いたいのか分かっているはずなのに、恍ける姿に腹が立つ。


「この私が何用かと聞いているのよ、スペードのキング!!」

「おや?」


僅かに苦笑した男が軽く指を鳴らす。

途端、目の前の姿が切り替わった。


金糸の髪は艶やかな闇色へ、煌めく青は硬質な黒曜石へ、白のコートは黒のマントへ。

容姿は同じ、ただ色彩が変わっただけだというのに。

纏う雰囲気は段違い。


毒々しい美しさが、周囲の者を魅了する。


彼はまさに、"死" そのものだ。

恐ろしいのに見入ってしまう。


一瞬だけその姿に呑まれてしまった私に、男は甘やかに笑った。


その手には一輪の薔薇。


「美しい人に」


そう嘯いて差し出してくる赤薔薇が、目の前で黒く染まっていく。

鮮紅なる薔薇の色が深くなり、濃赤色よりなお暗い真黒の薔薇となった。


黒薔薇の花言葉は "貴方はあくまで私のもの"


それを私に渡そうだなんてどういうつもり?

冗談じゃないわ。私は私のものよ。


「そんなものはいらないわ」

「そうか」


残念だとばかりに肩を竦め、薔薇を持つ手を翻す。

次の瞬間、男の手にあるのは白い薔薇。


それはみるみる生気を失い、萎れて枯れてしまった。

この男の生涯など、私には関係ないというのに。


何て気障で鼻持ちならない男!


伏せた目、その睫が作り出す陰さえ美しく見えるのだから憎たらしい。


「もう一度聞いてあげる。何をしに来たの」

「愛しい者に会いに来ることに、理由など必要か?」


愛しい者? 馬鹿馬鹿しい。


「スペードのキング。私は冗談が嫌いだわ」


私が言うのは良いけれど、私に言うのは腹が立つ。


「ご機嫌斜めだな、Dear heart(愛しい人)

「世迷い言を」


歯噛みすると、愉快げに笑う。


気に入らない気に入らない気に入らない。


「もう顔も見たくないわ。下がりなさい」

「つれないな。こんなにも恋い焦がれているというのに」


それが何だって言うのかしら。


「そのまま焦がれて焼き死ねばいい」


この返答に、男は嗤う。楽しげに、愉しげに。


「それでこそ、我が愛しの女王陛下」



そんな男を私は冷えた目で見下ろした。

何て感じの悪い男。


女王たる私に対して、このような態度は許されるはずがない。


「そうよ、私はQueen(ハート) of() He(女王)arts。逆らう者は許さない」


王笏を振り上げ、目の前の男を指し示す。



「そこの者の首を刎ねておしまい!」







『クイーン・オブ・ハートの一節 (マザーグース)』

'The Queen of Hearts(ハートの女王)'

  みんな ある なつのひの できごとさ

  ハートのクイーンが パイ(タルト)を つくった

  ハートのジャックが パイ(タルト)を ぬすんだ

  すっかり もって にげてった




"薔薇の花言葉"

赤色の薔薇  【情熱、愛情・あなたを愛します、美、熱烈な恋、欲望、嬉しさ】

緋色の薔薇  【情事、灼熱の恋、陰謀】

紅色の薔薇  【死ぬほど恋い焦がれています】

黒赤色の薔薇 【決して滅びることのない愛、永遠の愛】

黒色の薔薇  【貴方はあくまで私のモノ】

白い色の薔薇 【心からの尊敬、恋の吐息、私はあなたにふさわしい】

白い枯れた薔薇【生涯を誓う】



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