ハートの女王の日常
小鳥の声で目が覚める。
起き上がると、分厚いカーテンの向こう側から光が僅かに差していた。
寝台から起き上がり、サイドテーブルにある呼び鈴を鳴らす。
チリンチリン
すぐさまお湯を張った盥を持った侍女が入ってきた。顔を洗い、夜着のまま鏡の前に座る。
映った女に微笑みかけた。
(ご機嫌いかが? ハートの女王)
自分で自分に問いながら、答えはもう決まっている。
「気分は最低だわ。誰か私の眠りを妨げた小鳥を撃ち落としなさい」
引き攣った表情の侍女が視界の隅に映った。ああ、この子も使えないわね。
再び呼び鈴を鳴らす。
チリンチリンチリンチリン
現れたのは女官長。
「お呼びで御座いましょうか、陛下」
「そう、お呼びよ。私の眠りを妨げた小鳥を撃ち落としなさい。ついでにソレも目障りだから処分して。それからドレスの用意をして私の髪を結ってちょうだい」
「かしこまりまして御座います」
打てば響くような応え。
だから私はまだ年若い彼女を女官達の長にしたの。年老いた分からず屋の首を刎ねて。
私に逆らう者なんて、存在する価値などないのだから。
蒼白な顔で何か言っている侍女が部屋から引き摺り出され、女官長が今日のドレスを持って控える。
「如何で御座いましょうか、陛下」
示されたドレスを見て頷いた。流石、有能ね。趣味が良いわ。
女官長の手を借りて着替え、再び鏡台の前に腰を下ろした。女官長が私の背後に立ち、慣れた手付きで髪を梳く。
身の回りは赤だらけ。
赤いドレス、真っ赤なルビーのネックレス、紅薔薇香る艶爪、唇にも濃紅を差す。
ダークレッドの髪を結い上げ赤い宝石に彩られた金の王冠を頭に乗せれば、私は今日もWonderlandを統べる君臨者。
そのまま朝食を取っていると、扉を叩く音がする。
「入りなさい」
許可を出すと、現れたのは一羽の雀。褐色の羽毛は艶やかで、肩には矢筒を背負っている。
その後ろには、蓋のされた大きな盆を捧げ持つ兵の姿があった。
合図と共に蓋を取り去る。
銀の盆に乗せて運ばれてきたのは、矢の突き刺さった憐れな駒鳥。愚かなものだわ。鳴かなければ、泣くことになどならなかっただろうに。
ああ、射落とした雀には褒美をやらねば。そうね、帽子に付ける羽根飾りなんてどうかしら。
駒鳥の羽根で作らせて、その功績を讃えるの。雀は一体どんな顔をするだろう。
これで駒鳥の恋人が復讐に来たら、もっと面白いことになるでしょうに。起こる騒ぎもまた一興。
「もう良いわ。下がりなさい」
くすくすと笑いながら告げた。
頭を下げて退室する雀の背中に声をかける。
「褒美は後日取らせましょう」
そのときは楽しいものを見せてね。
にっこり笑って雀を送り出し、褒美について女官長に指示する。了承して部屋を出て行った女官長と盆を持った兵士。
一人になった部屋で考える。
今日は何をしようかしら。
クロッケー? お茶会? 裁判? それとも処刑? いいえ、今日は散歩にしましょう。庭ではきっと、薔薇が見頃だわ。
チリチリと鈴を鳴らす。すぐさま現れた女官に微笑みかけた。
「庭を見に行くわ」
女官長の次に勤めの長いこの女官も、多くを語らずとも察してくれる。
おかげで部屋から廊下に出るまでの間に手袋とショールとつばの広い帽子と日傘を用意され、背後には護衛のための近衛兵。
そつがない。少しつまらないくらいに。
でも…その有能さに免じて、密かに兵士へと指示を出していたことには気付かない振りをしてあげる。
中庭を見渡せる渡り廊下に出ると、出迎えたのは庭師と何故かトランプ兵。僅かに震える彼らの前に立つ。
「私の薔薇は美しく咲いていて?」
「女王陛下の仰せのままに」
「そう…」
庭に咲くのは赤い薔薇。当たり前じゃない。これ以上に私に相応しい花があって?
白薔薇なんて必要ないわ。そんなものが私の目に入った時点で、関係者は処刑台行きね。
それをこの場にいる者は全員知っているはず。なのにこの失態はどうしたことかしら。
私の目は節穴だと? 後ろ手に隠したペンキと刷毛に、気付かないほど愚かだと思っているの?
「剣を貸しなさい」
近衛兵から剣を奪い、トランプ兵に突きつける。そして庭師を指して命じた。
「首を切り落としなさいな」
「…は?」
呆けた顔のトランプ兵に苛立つ。
その理解力のない頭、庭師の前に刎ね飛ばしてしまおうか。
「聞こえなかったかしら。首を刎ねろと言ったのよ」
がたがたと震える庭師の方が、よっぽど現状を理解している。今回のことがなければ、それなりに長生き出来たでしょうに。
残念ながら、その命も今日までなのだけれど。
「へ、陛下、何故…」
食い下がろうとするトランプ兵に冷めた眼差しを向ける。
私に口答えしようだなんて、大した身分だこと。
「何故と問うの? ならば、あれはどういうことかしら」
示す先には、赤と緑の中にぽつりと咲く白い薔薇。
一輪だけであるが故に、一際目立っている。
何てお粗末。上手く誤魔化せていれば、気付かない振りをしてあげたのに。
同じ木に咲いている薔薇が、一輪だけ白ということはありえないわよね? 更に付け加えれば、一輪だって白薔薇を植えろとは言っていないわ。
薔薇を植えるのも庭の管理も庭師の仕事。それをこんな拙い誤魔化しで私を騙そうだなんて、これを怠慢と言わずして何というの。
「自分の仕事も満足に出来ないなんて、存在する価値もないでしょう?」
その血で薔薇を染めるがいいわ。
「理解したわね? 早く切りなさい」
「…分かり、ました」
手入れが良いのだろう、切れ味の良い刃は未熟な腕からなる一降りでさえ対象の首を落とした。
飛び散った血が辺りを濡らす。
堪えきれないかのように膝を付くトランプ兵に自害を命じ、私は散歩を続けようと歩き出そうとして立ち止まった。
目の前の地面は赤く染まっている。
こんなところを歩いては、靴が汚れてしまう。
「部屋に戻るわ」
何だか気分が削がれてしまったから。
「御意に」
目の前であった二つの死にも顔色一つ変えなかった女官と近衛兵が、静かに頭を下げた気配がする。
事切れた庭師とトランプ兵を横目に、私は城の中に入った。
付き従う女官が死体の片付けを指示する声が背後から微かに聞こえる。
血を吸った薔薇は枯れるのかしら。それとも赤深く咲き誇るのかしら。
一人そんなことを考えながら、私は欠伸を噛み殺す。
ああ、つまらない。
退屈は人を殺せると言うけれど、そんなことが許されて?
だって私はハートの女王。この国の者はすべて、私を退屈させないために存在するというのに。
部屋に戻ってからは、呼び寄せた若い女官とチェスをして過ごした。
勝った時はつまらない勝負をさせたとして罰を、負けた時は主君を立てない不出来な者だと鞭を。
私のチェスは、そういうルール。
どう転んでも自分に不利な条件となっていることにも気付かず、今日の女官はよく踊った。
ゲームを終えてからようやく言葉の意味を悟り、青ざめる顔は愉快なもの。
馬鹿ね、途中で気付いていれば引き分けにするという逃げ道があったというのに。まあ、それほどの腕があったらの話だけれど。
理不尽? だから何だと言うのかしら。だって私はハートの女王。私の決定が全てなのだから。
「罰を考えなくてはね」
わざとらしく負けるだなんて、嫌みな娘だこと。
私とのチェスに勝ち負けはあまり関係がなく、出した条件にどのような対応を取るのかが重要だというのに。
「ああ、そうだわ。丁度お茶会のためにタルトを焼こうと思っているの。そのタルトに入れる木苺を取ってきて。ジャバウォックの森で」
目の前の女官が顔を引き攣らせ、周囲からも声にならないざわめきが聞こえる。
魔の森だなんて馬鹿な話。あの森にいるのはジャバウォックだけよ。
いくら得体の知れない怪物と言ってもあの広い森を網羅しきれているとは思えないから、運が良ければ出会わないわ。
「そうね、熟れたものを籠一杯。知っているかしら? あそこの木苺は不思議な色合いで、他の森にはないものなのよ」
だから、違う森で摘んできて誤魔化そうとはしないでね。
にっこりと笑って見せると、青ざめた顔が更に引き攣った。
「陛下、それだけはお許し下さい!」
悲痛な声が響く。
失礼な話だわ。私が酷いことをしているみたいじゃない。
これは罰なのだから、簡単に出来ることでは意味がないでしょうに。
「どうしたの? 早く行きなさい。公爵夫人とのお茶会は明日なのだから」
「…っ!!」
何も言わずに部屋から飛び出していく若い女官。絶句する侍女達。
礼儀がなってないわね。不敬罪で処刑してしまおうかしら。
でも、そうね。明日は明日で飛ぶ首が決まっているのだから、今は見逃してあげましょう。慈悲深い私なんて、私らしくないかもしれないけれど。
苦笑しながら立ち上がる。
今日はもう寝てしまおう。明日はもしかして、忙しい一日になるかもしれない。
図ったように現れた女官長に湯浴みの準備を命じ、遊戯室を後にする。
明日は処刑場に、幾つの首が並ぶのかしら。
クックロビンの一節 (マザーグース)
'Who Killed Cock Robin(誰が駒鳥殺したの)'
「だれがころした こまどりを」
「おれさ」とすずめが いいました
「おれの ゆみやで こまどり ころした」




