No.8 彼との出逢い
そして私は思い出す──
──去年の夏。隣県の海水浴場に友達と遊びに来た私は……海で溺れた。
カナヅチの私は浮き輪を使って波間を漂っていたのだが、浮き輪に小さな傷が付いていたらしく、小さな破裂音と共に浮き輪は萎み、立ち上がろうと伸ばした脚は海底に届かなかった……
みるみる縮む浮き輪を必死で掴み、砂浜に向かって助けを叫ぶ。小さくなる浮き輪に錯乱状態になった私の声を聴き付け、助けに来てくれた男の子は暴れる私の頭にチョップを叩き込み、呆然とする私を抱えて泳ぎ、砂浜まで運んでくれた。
監視員に状況を話す男の子の頬には、暴れながら必死にしがみつこうと私がつけた引っ掻き傷……
係の人に付き添われ、救護テントで診察を受ける事になった私に『具合が悪い時は直ぐに係の人に教えて下さいね』と声を掛けてくれた男の子の笑顔に、私の心は鷲掴みにされ、脳内では教会の鐘の音が響き渡る。
吊り橋効果なんて知らないけれど……一目ではないかもしれないけれど……
人生初の一目惚れを私は経験した。
救護テントで横になって休んでいた時に、救護係のおばさんに助けてくれた男の子の事を聞くと、年下かと思っていたら私より一つ上。地元の高校一年生で、ライフセイバーのバイトをしているらしい。何とか御礼を言おうと男の子を探したが、見つからなかった……
夕方になり、私も電車の時間が迫っていたので、男の子に御礼も言えずに家に帰ったのだが、家に着いても、助けてくれた男の子の顔が頭から離れない……
その後、御礼を言おうと二度程あの海水浴場へ脚を運んだが、男の子には逢えなかった……
──それから二ヶ月過ぎても、男の子の顔が、毎日頭に浮かんで来る……
そして、私は、受験を予定していた地元の高校を止め。あの海水浴場のある町。隣県の高校を受験する事にした。
調べた処に因ると、あの町に高校は一つしかないので、あの男の子も必ずそこの高校にいる筈だ。
わざわざ遠い他県の高校を受験しなくてもいいと、反対する両親をなんとか説得し、受験勉強を頑張った。
合格発表の日、掲示板に自分の番号を見つけた時は、掲示板の前で大泣きした。
……あの男の子に
……あの人に逢える……
そして、私は四月から、あの人がいるばずの高校に通い始め、入学式が終わった三日後の昼休み。
混み合う購買の片隅で、あの人を見つけた。
いたっ! やっぱり、この高校にいた!
嬉しい……凄く嬉しい……
この七ヶ月の努力が……もう一度逢いたいと願った気持ちが報われた瞬間だ!
神様ありがとうございます!
高鳴る鼓動で胸が苦しくなり、嬉しくて視界が霞む……
ハンカチで涙を拭き、視界を確保すると、震える脚でこっそりとあの人の追跡を開始する。
クラスを突き止め、近くにいた女の先輩を捕まえて、あの人の名前を聞く。
……素敵な名前だ……
その日は頭の中があの人の名前で一杯になり、午後の数学のノートが、あの人の名前で一冊埋まった……
そして、私は一晩掛けて手紙を書いた。
──あの人を想って……
──あの時の想いを……
──私の想いを全て……
──私の願いをあの人に伝える……
──鋭い痛みで目が覚める……
視線の先には赤い路面と走り去る車。
身体を動かそうとすると全身に痛みが走る。視界の半分が赤く染まり、咳き込むと口の中に血の味が広がる。
──バチが当たったのだ……
家から駅に向かって歩いていて、彼の家に初めて遊びに行けると、浮かれて赤信号の横断歩道を渡ったバチが当たったのだ……
近くに転がるバッグまで這いずり、震える血まみれの手で携帯を取り出す。
赤色でよく見えない視界。目を凝らし、彼に電話を掛ける。
最後になるかもしれないから、今までの感謝を伝えたかった……
海で助けてくれてありがとうと……
付き合ってくれてありがとうと……
彼の……彼の声が聴きたかった……
逢いに行けなくてゴメンなさいと謝りたかった………