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睡幻の章

鶯の鳴く季節が過ぎようとしていた。日中は動いていると少し汗ばむほどの陽気である。水勢藩寺社取締方(みなせはんじしゃとりしまりかた)宮代陽貴(みやしろはるたか)は、そんなうららかな日差しの中を馬で駆けていた。行先は、例によって焔神社である。

本日は月に一度、神社を一人で取り仕切っている巫女の朱希(あき)に会う日であった。

先日、参勤交代のため江戸に出向いていた藩主が帰ってきた。近々、焔神社にも顔を出す算段になっている。その件も含め、藩からの伝達事項を「水勢の巫女」に伝えるのが、陽貴の役目である。

神社に着き、急な傾斜の階段を上る。その先では、穏やかな巫女が出迎えてくれる。

「……朱希、殿?」

はず、だった。

いつも階段の近くまで来てくれていた朱希はいない。視線を奥へと向ければ、拝殿の片隅で座り込んでいた。具合でも悪いのだろうか。陽貴は焦りながら、彼女のもとへと駆け寄る。

「朱希殿、いかがなされた!?」

少し声を荒げながら近付いた。個人的な感情が含まれていることも否定はできないが、「水勢の巫女」が倒れては一大事である。

しかし様子を見れば、朱希はただ眠っているだけだった。すやすやと寝息を立てて、完全に眠りこけている。体調が悪い素振りは見えなかったため、陽貴はひとまず安心した。

今日のような温かい天気では、屋外でうたた寝をしてしまう気持ちも分かる。しかし少々無防備ではないだろうか。物取りにでも遭ったらどうするのだろう。一体、いつから眠り出したのかは分からないが、陽貴は朱希を起こすことにした。寝始めたばかりなら申し訳ないが、このままでは陽貴の用事もままならない。

「朱希殿」

一度、声をかける。

「……朱希殿」

もう一度、先程より大きめの声で巫女を呼んだ。

だが、朱希は目覚める気配どころか、身じろぎ一つ起こさない。拝殿の壁にもたれかかり、気持ちよさそうに眠っていた。深い眠りについている彼女を起こすのは至難の業のようである。

「はあ……」

陽貴は脱力し、溜息を吐いた。とりあえず具合が悪いわけではなさそうなので、朱希の隣に座り、しばらく様子を見守ることにした。

「さて、一体いつ目覚めるのだろうか」

一人ごちた陽貴の問いかけに答える者は、誰もいない。

思えば、これほどまでに近い距離で朱希の横に並ぶのは初めてかもしれなかった。顔を合わせる時はいつも、机を挟んで向かい合う、もしくは、少し後ろをついて歩くなど、ある程度離れたところから巫女を見てばかりだった。

――少しだけなら、許されるだろうか。

陽貴はおそるおそる巫女の手に触れた。その肌は、想像以上に柔らかく繊細だった。その感触が、陽貴の心に潜んでいた欲望を刺激する。

巫女の右手に触れた指は、そのまま彼女の手の甲を行き来する。堪らない触れ心地に、陽貴は今まで彼女に触れてこなかったことを後悔した。

大丈夫だ、場と身分は弁えている。

心の中でそう言い聞かせながらも、巫女に触れる手は止まらない。

陽貴の手は、朱希の手の甲から一旦離れた。その感触を忘れないままに、今度は彼女の頬へと指を滑らせた。次こそ起きてしまうのではないかと危惧したものの、やはり朱希は一向に目を覚ます様子を見せない。それによって、陽貴はますます夢中になって朱希に触れた。

頬の柔らかさは、手のそれとは比べ物にならないほどだった。錯覚かもしれないが、彼女の肌の白さがそれを更に引き立てているようにも感じられた。

輪郭をなぞっては、頬を軽く突いて、その動作を繰り返す。ひたすら一方的に触れ続けているというのに、まだまだ朱希は目覚めない。いい加減、気付いても良さそうなものなのだが。

陽貴は、このまま気付かれずにずっと触れ続けていたいという気持ちと、早く目覚めて自分を止めてほしいという気持ちの間で揺れ動いていた。なけなしの理性で正気を保っていたつもりだったが、自分自身で止める気がない時点で、理性などないに等しいのかもしれない。

朱希の頬を横滑りしていた指を止める。ごくりと生唾を飲み込み、頬から指を動かそうとした。

「ん……」

その時だった。ようやく朱希の目がぴくりと動き、薄く開いた。陽貴は慌てて朱希の頬から指を離し、何事もなかったかのように平然を装う。

「朱希殿、目を覚まされたか」

「はる、たか、さま……」

先に陽貴が声をかけた。朱希は寝ぼけ眼をこすりながら、ゆっくりとそのつぶらな瞳を開ける。

「おはよう……ございま、す?」

半ば寝惚けていた朱希は、自分がどこで眠っていたのか、何故陽貴が隣にいるのか、色々な状況を把握できずにいる。

「あっ、わ、私……なんてところで寝ていたんでしょう……!」

辺りを見渡し、自分の失態に気付いた朱希は、顔を真っ赤に染めて慌てふためいた。先程までの真っ白な頬が綺麗に赤くなる様子に、陽貴は紅白饅頭を想起した。もっとも、本人に伝える気にはならなかった。

「陽貴様、いついらっしゃったのですか!? 御用なら起こしてくださっても……!」

「声ならかけた。されど、なかなか目を覚まさなかったのは、朱希殿の方ではござらぬか」

決して嘘は吐いていない。声をかけても目覚めないのをいいことに、朱希に触れていたとは決して言わないが。

「そんな! ああ、私としたことが、何と恥ずかしい姿を……申し訳ございません!」

普段はあまり取り乱した様子を見せない朱希が、こんなにも落ち着きがないのは初めてで、陽貴は面白おかしく感じた。

「いや、気に病むことはござらぬ。朱希殿の珍しい姿が見られて、拙者は楽しませてもらった」

「楽しむだなんて……! 人の寝姿を見て、一体何が楽しいというのですか!」

少し意地悪く返してみれば、朱希は顔を両手で覆い隠して更に恥ずかしがった。恥ずかしがる朱希が可愛らしくて、陽貴はくつくつと笑いをこぼす。

笑わないでください、と朱希が抗議するも、陽貴は笑いを堪え切れない声で、すまないと一言返すだけだった。全く申し訳なさそうに見えない陽貴に、朱希はふくれっ面になったが、それすらも余計に陽貴を楽しませるだけだった。

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