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贈物の章

白衣に袖を通し、緋袴を穿いたところで、朱希は鏡台の上に置かれた簪に視線を移した。長さは五寸程度だろうか。紅い椿があしらわれたそれは、一昨日訪れた参拝客から、朱希に直接贈られた品である。

何故、神社への供物ではなく朱希への贈り物なのか。何故、巫女という身分に属する朱希に簪を贈ったのか。

参拝客は素性を明かさないまま、薄様に包んだ簪を朱希に渡した。今にして思えば、性別もはっきりしなかったかもしれない。ありふれた着流しに笠を目深に被っていた参拝客の姿は、男とも女ともとれた。どのような声だったかも、曖昧にしか思い出せない。

「……どうしましょうか」

朱希は簪を手に取り、困ったように呟いた。彼女は焔神社で一生を過ごす身である。普通の娘のように小袖を着て町を歩く事もなければ、ましてや簪を挿す機会など無い。

しかし、せっかくの厚意を無下にするわけにもいかない。それに今日は、彼がやって来る。

朱希は一思案した後、簪を帯の脇に差して部屋を出た。



* * *



「朱希殿。そちらは如何なされた?」

今日は月に一度、水勢藩寺社奉行の宮代陽貴が訪れる日である。藩の神社でも特に手厚い保護を受けている焔神社では、今後の保護の方針などを話し合う機会が多い。

陽貴を社務所の客間に通して一刻ほど後、その話合いが終わりを迎える頃に、陽貴は朱希の袴に飾られている簪に気が付いた。

「こちらですか? 一昨日、参拝された方から頂いたのです。髪に挿す事は出来ませんが、このように帯に挿してみようと……」

朱希は簪に触れながら答える。

「簪は、氏子からもらったのか?」

陽貴は、やや怪訝な表情を見せた。氏子ならば、朱希がこの神社から出られないのを知った上で、わざわざ簪を贈る事などないだろう。そもそも、朱希本人に贈るのではなく、神社に対する供え物を納めるのではないのか。

「いいえ、初めてお見かけした方でした。遠方から参られたのだと思います」

「その者の素性は? 名前ぐらいは聞いたのだろう?」

「特に何も伺ってはおりませんが……」

陽貴がどうして簪を気にするのか分からず、朱希は首を傾げる。そんな朱希の反応に、陽貴は呆れと苛立ちを募らせ、溜息をもらした。普段は愛らしく見える彼女の仕草も、今は苛立ちの原因でしかない。

幼少から神社で過ごしてきたのだから仕方がないとは言え、やはり朱希は世間に疎いようだ。素性の知れない人間からの貰い物を易々と受け取り、身に着けるというのは無防備ではないだろうか。

要するに、陽貴は朱希の危機感の希薄さに呆れていると同時に、嫉妬により苛立っているのである。

「朱希殿」

「はい?」

「次に参拝客から物を受け取る時は、必ず素性を尋ねるように」

「はあ……承知しました」

返事をしながらも合点のいっていない朱希に向かって、今すぐにでも説教をしたい衝動をこらえながら、陽貴は立ち上がった。

「ですが、陽貴様にお会いするのが、今日で良かったです。この簪を、一番にお見せできましたから」

「……そうか」

思いもよらぬ朱希の一言に虚を突かれてしまった。陽貴は、それ以上気の利いた言葉も考えられずに、焔神社を後にした。



* * *



翌日の午の刻をやや過ぎた頃。朱希は所用を思い出し、社務所から住まいのある離れへと向かおうとしていた。

「朱希殿!」

社務所から出た瞬間、二の鳥居の方から陽貴の声が聞こえ、朱希は反射的に顔を上げた。

「陽貴様? 今日はおいでになる予定ではなかった筈では……」

「いや、今日は私用で参った次第で……」

陽貴は懐から紙に包まれた何かを取り出す。

「昨日の帰りに城下の店で売られていたのを見つけた。朱希殿に似合うと思ったのだが、よければ使ってくれないか?」

「今、開けてもよろしいですか?」

「ああ」

陽貴から包みを受け取ると、朱希はそれを開ける。

「まあ…………」

中身は、櫛だった。上質なツゲの木で作られており、撫子の模様が描かれている。

「陽貴様、このような物、本当に頂いても……」

「気に入ってもらえるなら、貰ってくれないか」

勿論だとか、当然だとか、はっきり言えない自分自身がもどかしい。しかし、何の脈絡もなく突然贈り付けた物を、不審に思わないだろうか。陽貴は不安を拭えない。

「嬉しい…………ありがとうございます、陽貴様。大切に使わせていただきますね」

朱希は櫛を両手でそっと包み込み、はにかんだ。何故だか分からないが、簪を貰った時とは違う喜びを感じる。

「そうか。喜んでもらえたようで、よかった」

朱希につられて、陽貴もまた笑う。彼女の笑顔を見る事が出来て、渡した甲斐があったかもしれない。

陽貴の中で燻っていた不安は何処かに消え去っていた。

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