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夏の嵐  作者: 蝉川夏哉
第二章 ビターテイスト・メルティシュガー
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05 札束と難点と中華料理店

 札束を無造作にロッカーへ放り込んだ。


 中には既にかなりの額の久遠紙幣の塊が転がっている。

 (けい)がいなくなってから俺が毎日のように依頼を請けて稼いだ報酬だ。使い道は特にない。

 自分と珪、二部屋分の寮の家賃と最低限の生活費を除けば、後は武器の補修代にしかここから金を出すことはなかった。銀行に預けることも出来るが、それはそれで面倒だ。


 点滅する蛍光灯に蛾や羽虫が纏わりついている。

 打ちっぱなしのコンクリートがむき出しのロッカールームには俺以外誰もいない。ここのロッカーは元々工員用で、一〇〇久遠支払えば無期限で使用できることになっている。島で大規模な工事や区画整理が無い時はほとんど誰も使っていないので、個人的な私物入れに使っている学生も多い。


 いつも通りロッカーに鍵を閉めようとして、少し躊躇(ためら)う。

 一瞬だけ悩んで、今突っ込んだばかりの札束をもう一度取り出した。最近インフレの進んだ久遠は札束で持ち歩くのが当たり前になりつつある。その内に対天魔用の武器を新調する時には、金額ではなく重さで計るようになる、というのは学生の間で流行っている冗句だ。


 ロッカーの並ぶ工員宿舎を出て、大きく一つ、伸びをした。

 どこからかコロッケの匂いが漂ってくる。久遠ヶ原の街並みが夕陽に染まっていた。

 この時間の商店街は賑やかだ。まだ残暑の残るアーケード街に、授業やクラブを終えた学生たちが小腹に詰め込む食糧を求めてごった返している。楽しそうに弁当を選んでいるのはこれから依頼を請けて深夜に稼ぐ連中だ。天魔相手には夜も昼もない。重要施設の夜間警備は体力的には辛いが、実入りは良い。

 そういう任務では、買っておいた弁当だけが唯一の楽しみになる。俺も昔は珪と一緒にチキン南蛮弁当が美味いか鶏竜田揚げ弁当が美味いかで激論を戦わせたものだ。


 普段ならこの時間に、少し安くなった鶏のささみと卵を買う。

 定価で買うと珪に怒られていたせいか、いつの間にか癖のようになってしまった。学園は久遠ヶ原島と対岸の茨城県に農場を持っているので、鶏や卵は新鮮で日持ちがする。味も、良い。

 七不思議研の歓迎会さえ無ければ、いつも通り買っていただろう。


「歓迎会、ねぇ……」


 なし崩しで「七不思議研」の部員にされてしまったことを少しだけ後悔もしていた。

 珪の仇を討つためには馴れ合いは不要だし、むしろ邪魔だ。その考えに変わりはない。

 それでもしぶしぶ承知をしたのは、予想外に七不思議研の戦闘力が高かったからだ。

 一人で請けられる依頼に限りがある以上、いずれ俺は誰かと組まねばならなくなるのは避けられない。

 斡旋所のマスターはああ見えて一度決めたら曲げないところがあるから、俺が納得するまで色々なグループと「お見合い」をさせ続けるつもりだろう。それは色々と面倒だ。


 どうせ誰かと組まなければならないなら、一緒に戦ってメリットのある連中とが良い。

 久藤もルクレツィアもああ見えて腕は確かだ。

 指揮は的確、支援は正確。おまけにこちらのやることには口を挟んでこない。前衛で戦う撃退士(ブレイカー)にとって、それは得難い環境だ。一緒に戦うことは出来ても、誰かの指示を受けて戦うなんてことは俺には絶対に出来ない。性に合わないのだ。

 組めば、いい仕事が出来る。そういう連中だということは、一度戦っただけで十分に分かった。ただ強ければいい、というものでもない。呼吸が大切だ。


 珪がいればこんなことで迷う必要もなかった。

 俺がどんな無茶をしても珪は上手くサポートしてくれたし、息もぴったりだったのに。

 四ヶ月。

 たった一二〇日が、随分と長く感じる。どんなに忘れないようにしようとしても、薄い膜が掛かっていくように珪のいない一日一日が「当たり前」になっていくことに愕然とする。



 ただ、七不思議に全く興味がない、というわけでもない。

 オカルトは嫌いだが、この久遠ヶ原には謎が多いのも事実だ。それを解き明かす、というと多少大げさだが、どうなっているのか少しだけ、ほんの少しだけ気になる。

 天使の眷属との戦闘の片手間なら、そういう調査に加わってやってもいいか、という程度の気分にはなりつつあった。


 “難点”は、たった一つ。


 その難点の紅茶色の髪を思い出しながら、道端の空き缶を蹴飛ばした。

 伊勢崎愛海(いせざき まなみ)

 あのデカい後輩のことを考えると、どうして俺はこうもイライラするのだろう。

 一瞬でも気を許した自分が馬鹿だった、という腹立ちが込み上げてくる。今考えても、不思議だ。

 自分も守れないくらいに弱いのに、どうしてああも能天気なのだろう。明日死ぬかもしれない。その危機感がまるでない。


 いや、危機感が無いというだけなら、その辺りをうろうろしている学生も大して違いはないはずだ。

 鼻歌を歌いながら自転車を漕いでいる奴。揚げ立てチキンカツを美味そうに頬張っている奴。今晩のメシを温泉ラーメンにするかカレーにするか悩んでいる奴。こいつらが撃退士として明日戦場で死ぬ覚悟をしているとは到底思えない。


 なら、俺はなぜ伊勢崎愛海にだけ、こんなに腹が立っているのだろう。




 コンビニの角を曲がり、目印として指定された喫茶店の看板を探す。ティーポットをかたどった看板は目立ちそうなものだが、意外に見つからない。

 夕陽を受けて海沿いの監視塔の影が長く伸びている。防衛省の干渉を嫌って、この島には自衛隊の駐屯地は置かれていない。久遠ヶ原も日本なのだから一緒に守ればいいと思うのだが、この辺りはオトナの話なんだろう。お陰で島の周辺海域の監視も学園生の大事なお仕事になっている。

 五感にも優れた撃退士の目視で天魔の襲来に備えている、と言えば聞こえはいいが、実際には天魔の侵入は日常茶飯事だ。天使にせよ悪魔にせよ、背中に翼を背負った連中は電波でさえ捕捉し辛い。だからこその肉眼での確認だが、低空を高速で侵入する天魔については見過ごされてしまうこともある。

 七不思議、何て言われている事件の中にも天魔が引き起こしたものがあるに違いない。


 この島に天魔の影が色濃いのは事実だ。

 八年前に大きな被害を受けた襲撃事件から、島のマンホールの全てに天魔の透過を防ぐ阻霊(それい)の紋章が刻み込まれているのは冗談でも何でもない。俺は請けたことはないが、「下水掃除」の名目で地下に潜む天魔がいないか捜索するという依頼もある。肝試しのつもりで請ける奴もいるが、大体は何事もないというのが一般的な通説だ。但し、「白い影を見た」だの、「殉職したはずの撃退士を見た」だのと言った下らない噂には事欠かない。


 目当ての看板があったので、その横の路地を覗いた。ヌシのような猫があくびをしている。

 青いポリバケツやエアコンの室外機を避けるように身体を傾けながら奥へと進む。久藤に貰ったやけに詳細な地図が間違っていなければ、ここが目的地のはずだ。一見するとちゃらんぽらんに見えて、久藤の配慮はきめ細かい。手渡された地図にも曲がり角ごとのランドマークだけでなく、概算の距離まで書き込まれている。


 あった。

 古い木造二階建ての朱塗りの建物に、大きく金文字で中華料理|<虎牢関飯店>《ころうかんはんてん》の看板が掲げられている。こんな路地裏にあるにしては立派な設えの店構えは、横濱中華街辺りからそのまま移築されたと言われても信じてしまいそうなほどしっかりしていた。

 今立っている灰色の路地とは対照的に、店の中からはほんのりと灯りが漏れ、中華風スープの良い匂いが漂ってくる。


 年季の入った赤い格子扉に手を掛けた。

 小さく深呼吸をし、俺は、そっと戸を押す。


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※この作品は出版デビューをかけたコンテスト
『エリュシオンライトノベルコンテスト』の最終選考作品です。
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