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夏の嵐  作者: 蝉川夏哉
第一章 久遠ヶ原モノクローム
4/15

03伏撃と連携と屍肉の蜘蛛

 転移装置で跳んだ先は、東海地方の小さな都市だった。

 少し晴れ間がのぞきはじめている。雲間から射す弱々しい光が波間に照り返して光っていた。

 視界は見渡す限りの太平洋だ。安全の為に拓けた場所が転移先に選ばれるので、今回は砂浜に繋がっている。九月の海辺は少し肌寒い。夏は海水浴場として解放されているのだろう。畳んだ海の家なんかが転がっている。


 校則に従って、転移装置のロッカーには遺書を残してきた。

 通常の依頼での殉職者はほとんどいないと言っていいが、それでも全くいない訳ではない。教育機関でありながら同時に戦闘集団である久遠ヶ原学園ならでは不思議な規則だ。例え中身が白紙でも、そうしなければならないというのがルールだった。


 久藤が端末で誰かと連絡を取っているのを尻目に、伊勢崎は浜辺に棒を持ってしゃがみ込んでいる。何をしているのか気になって覗き込むと顔を上げ、えへへと悪戯っぽく笑ってみせた。


「蟹の穴を突っついてたんです。渡瀬さんもやりますか?」

「……いや、遠慮しとく」


 思わず、ガキかと突込みを入れたくなる。

 この二十一世紀に、一体どこの高校一年生がうら寂しい浜辺で蟹の穴を突いて喜ぶというのか。人類五十五億人の規模で見てもほとんどいないのではないだろうか。しかも今は天使の眷属との戦闘前だ。緊張感が不足し過ぎている。


「こう、何て言うんですかねぇ、好奇心が抑え切れなくなる時ってありませんか? “関係者以外立ち入り禁止”の向こうに何があるんだろう、とか、この扉はどこに繋がっているんだろう、とか」

「……伊勢崎って、変な奴って言われるだろ?」

「初対面のレディに向かってまた随分と失礼な言いぐさですね」


 そう言って伊勢崎は少しむくれてみせるが、すぐに機嫌を取り直して穴掘りを再開する。余程、蟹のことが気になるのだろう。打ち寄せる波の音以外何も聞こえない浜辺に、伊勢崎が穴を掘る音だけが響く。

 波打ち際で、蟹と戯れる少女。

 これでもう少し身長が低ければ絵になるんではないだろうか。

 手持無沙汰なので、戦闘前に疑問を解消しておくことにした。


「そういえば伊勢崎、七不思議研って――」


 聞きかけたところで久藤の横槍が入る。


「ハイ、注目!」


 わざと遮った訳でもないのだろうが、絶妙なタイミングだ。

 いつの間にか武器の用意を整えている。得物はアサルトライフル。ほとんど一メートル近い長さを持つ突撃銃だ。撃発装置は付いていないので実弾は出ない。弾の代わりにアウルを撃ち出す、こういう形の対天魔用の兵器だ。

 これを使うということは撃退士の中でも射撃手(インフィルトレイター)専攻ということになる。確かにこのひょろひょろした男が剣を片手に戦場を駆け回る姿は想像しにくい。


「まずは状況の説明から。ま、簡単なブリーフィング、という奴だねぇ」


 蟹の巣を掘っていた棒を伊勢崎から受け取ると、久藤は砂に意外に手慣れた風に絵を描いていく。

 三白眼のおっさんが久藤、眼鏡の女の子が伊勢崎、そして剣を持った男が俺だろう。もう一人、妙に凝った画風で女性を描いているが、これが先に偵察に出していた一人に違いない。


「さて、今回の状況に投入される撃退士は四名。敵は現在判明している所では、眷属(サーヴァント)のアラクネーが九体だ。事前の情報では八体だったからそれより少し多いね。勝利条件は敵の捕捉と殲滅」


 アラクネーの名前を聞いて伊勢崎が眉を(ひそ)める。

 出来れば俺もあまり戦場では出会いたくない種類の眷属(サーヴァント)だ。こいつが強いからではない。むしろ戦闘力としては京都で戦ったケルベロスよりも劣っている。

 問題はそのビジュアルだ。


 眷属(サーヴァント)、というのは天使が創り出した生物兵器だが、その材料には人間を使う。

 天使は主食である感情エネルギーを吸い尽くした後、搾り滓となった人間の死体を加工することで眷属を創る。その美的感覚は人間とはかなり異なっているようで、神々しい者もいれば見ただけで狂気に奔りそうな者まで色々だ。

 よく見かける眷属の中でもデザインセンスが最悪の部類に入るのがこの屍肉蜘蛛(アラクネー)

 爛れた人間の女性の上半身に、引き千切った人の手足を無理矢理癒着させて蜘蛛のようなシルエットに整えた化け物だ。気の強い撃退士でも夜道で会ったら卒倒しそうなグロテスクさに仕上がっている。


「彼我の戦力差は四対九だが、知っての通りアラクネーは物資調達に特化した輸卒型の眷属だ。見た目が少しユニークなことを除けば脅威レベルもそれほど高くない。数の劣勢をひっくり返すことは十分に可能だと私は判断するね」


 この判断は間違っていない。

 前衛のルインズブレイド専攻の俺と、後衛型のインフィルトレイターの久藤が巧く連携を組めば、地形と練度次第では二人でも足止めをすることくらいは出来なくもない数だ。天使の支配領域近くで食糧を漁るだけのアラクネーに対するには、満足は出来ないが了承し得るぎりぎりの布陣と言える。伊勢崎とあともう一人の使い方次第では、九体の全部の殲滅も可能だ。


「敵はここから東北東に約二〇〇〇(フタマルマルマル)の距離にある無人の食料品スーパーで略奪を行っている、ということだ。近傍に敵増援の気配はない。近隣住民は疎開済みで住民基本台帳上は人口〇。無届け帰還者がいることは十分予想されるので注意するように」

「はい!」

「分かった」




 海から離れると、じっとりとした残暑がまた帰って来た。

 アスリート以上の身体能力を持つ撃退士の足なら、目的地までは目と鼻の先だ。ただ、このままの位置から攻めると敵に気付かれた場合、後背の天使支配地域に撤退を許す可能性がある。攻撃を仕掛けるのは食品スーパーと支配領域の間からの方が良い。そう判断した久藤の提案で、俺たちは廃墟となった無人の街を目的地目指して進んでいた。


 天使は支配地域に隔離した人間の感情を糧にする。だから、中の人間を長時間生存させなければならない。アラクネーのような眷属を作ってまで食糧を調達するのはその為だ。


 事前の情報通り、この辺りには住民がいない。

 無断帰還者がいないかを確認しながら、慎重に進む。

 幾つか前の依頼では、廃墟愛好者の一団と状況のど真ん中で鉢合わせすることになった。彼らの内の何人かは残念な結果になってしまったが、あまり良心の呵責はない。自己責任だ。

 とは言え、避けることの出来る悲劇はなるべく避けたい。

 人気のない街には略奪された自動販売機や、道にまで引きずり出されて破壊された冷蔵庫が転がっている。誰も手入れをしなくなった道路はあちらこちらでひび割れ、雑草が生い茂るままになっていた。生活音がまるでしない住宅街に、ひぐらしの声だけが耳に痛い。


「……酷いですね」


 隣を進む伊勢崎が呟く。

 そうだ。酷いのだ。俺は感覚が麻痺しかかっていることに気が付いて、少し衝撃を受けた。


「ああ、酷いな」


 見慣れた光景になってしまったが、こんな悲劇が日本中、世界中で引き起こされている。

 地球上の人類五十五億が残らず天魔の胃袋に収まっていないのは、単に相手側の都合に過ぎない。効率よく、長期的に地球を策源地として使おうというのだろう。結局は相手さんの都合であって、人類の抵抗が激しいからというわけではない。地球というのは、その程度の惑星なのだ。


 ふと、自分の故郷のことを思い出す。

 海辺の温泉町として有名な街だったが、ここのように天使の侵略を受けて壊滅した。まだ小さかったのでほとんど何も記憶に残っていないが、海がきれいだった、ということだけははっきりと覚えている。

 今のところ、敵にゲートを開かれてから奪還に成功した例は一例しかない。それだけの余力が人類にないということだ。

 撃退士(ブレイカー)は確かに対天魔の優秀な矛であり、盾だ。しかしその戦力はあくまでも個人のものに過ぎない。訓練を積めば誰でも戦えるわけではないというのは、戦力の絶対的な不足を意味している。全ての撃退士が全力を振り絞っても天魔を押し戻せないという現状で、勝機なんてあるのだろうか。


「そう言えば渡瀬さん、さっき何か言いかけてませんでしたっけ、砂浜で」


 伊勢崎に声を掛けられ、現実に引き戻される。黙々と進む久藤はこの会話に入ってくるつもりがないらしい。狙撃手(インフィルトレイター)は、狙撃術と同時に斥候の役割も叩き込まれている。

 依頼に関係のない話をするつもりはなかったが、この伊勢崎の声音は何となく懐に入り込んでくる。拒めないのではなく、拒もうという気が起きない。


「ん、ああ、七不思議研って何をやっているのかな、って」


 来たな、という表情だ。この手の質問を受け慣れているのだろう。


「あーなるほど。オカルトじゃないのに七不思議って、変わってますもんね」

「変わってる、ていうか七不思議ってオカルトだろ?」


 トイレの花子さん、走る二宮金次郎、目の動くベートーヴェンに十三階段。普通、学校の七不思議と言えば心霊現象というか、オカルトそのものだ。誰も理科室で夜中にかんかんのうを踊る骨格標本を科学的に分析しようと考えたりはしない。


「渡瀬さんは久遠ヶ原の七不思議って言うと何を思い浮かべます?」

「そうだな……“夜中に聞こえる呻き声”とか、“彷徨える間歇泉(かんけつせん)”とか、十三番目の転移装置とか……後は“人の消える袋小路”なんてのもあったか?」

「結構知ってるんですね」

「何となく耳に入ってくるからな」


 確かに久遠ヶ原学園には謎が多かった。

 人工島の学園都市、というロケーションをも相まって、奇妙な噂には不自由しない。どれだけ警戒しても天使や悪魔の侵入はあるし、そもそもそこで学んでいる生徒たちがアウルなんて言うオカルトじみた力の持ち主だ。不思議が生まれる土壌はしっかりとある。


「今、うちの研究会で把握しているだけで久遠ヶ原の七不思議と呼ばれる現象はざっと三〇〇あります」

「三〇〇? 七不思議なのに?」

「細かく分類すると五〇〇くらいにはなるんじゃないですかね。しかも、毎週のように増えてます」

「……驚いたな。そんなにあるのか」


 あまり関心がなかったので気が付かなかったが、確かに話題に上る七不思議は毎回違う。七不思議が八個ある、なんていのは定番のネタだが、それどころの騒ぎではなかった。斡旋所のマスターの茶飲み話に出てくる話題でさえ、一度として同じだったことはない。


「ね、興味が湧いてくるでしょ?」

「いや、オカルトには興味ないから」

「ふぅん。でも、実は七不思議のほとんどが科学的に説明できるとしたら……どうです?」


 伊勢崎の顔を見た。大きな瞳が猫のようにくるりと光る。どこか勝ち誇ったような表情。確かに今、俺はほんの少しだけ興味を持ってしまっている。


「渡瀬さんも知ってる中で言うと、“夜中に聞こえる呻き声”なんかは原因がはっきりしちゃってます」

「原因? 撃退士に捕まった天魔が地下牢で嘆いてるとかか?」

「なんですかそれ? そんな陰謀論みたいな話じゃないですよ」


 実を言うと、この呻き声は俺も聞いたことがある。地の底から響くような、低い呻き声。

 依頼で帰りが遅くなったとき、寮の近くの路地から聞こえてきたのだ。何となく気になって辺りを調べてみたが、猫の子一匹いなかった。


「あの呻き声って、実は……圧縮空気を送るコンプレッサーの音なんです。」

「圧縮空気? あれが?」

「はい。実は、人工島の地下には巨大な空間があるんですよ」

「地下? 人工島の下に?」


 第二次大戦末期、追い詰められた日本軍は本土決戦を覚悟して「決号」作戦を発動。本土の要塞化に乗り出した。有名な所では長野県松代の地下大本営。かなりの人手が繰り出されて、日本中で大土木工事が行われたとされる。

 予想される敵の上陸地点は、千葉県九十九里浜。但しこれとは別に、日立と那珂の両港を占領する、ということも予想された。それに対抗する手段として、茨城沖の島を要塞化した、というのが久遠ヶ原島の成り立ちらしい。


「この時使用されたのが潜函(ケーソン)工法、という方法で、要するに空気の入った箱を海の中に沈めて、上に土を被せるという方法です。今でも商店街や学生寮のある辺りの地下は、この潜函(ケーソン)が埋まっているんです」

「そのケーソン、っていう箱に空気を送り込むコンプレッサーの音が、呻き声ってことか?」

「知ってしまえば拍子抜けしちゃうような話でしょ?」

「……まぁ、そうだな」


 確かに拍子抜けする話だが、それが詰まらないとは思わない。

 答えを知る前と知った後では物の見え方が全く違ってしまう、というのは不思議な感覚だ。前はあの呻き声のことを思い出すたびに少し背筋が寒くなったりしたが、今ではもう全然そんなことはない。たった一言、あの呻き声の正体を知っただけなのに、それまでの俺とはもう違ってしまっている。


「“幽霊の、正体見たり、枯れ尾花”っていう言葉があるんですけど、久遠ヶ原の七不思議って調べると正体が分かっちゃうものが結構あるんですよね。謎が多い島なんで、みんな謎を謎のままにしてるだけなんです。それを一つずつ、白日の下に曝け出してやろう、と」

「……ちょっと、面白いかもな」

「でしょ? 今調べてるのは……」

「はい、お二人さん。楽しいお喋りタイムはそこまでだ。着いたよ」


 久藤の制止で、漸くここがスーパーのすぐ近くだと気が付いた。

 いつの間にか話に夢中になっていたらしい。駐車場を囲むように植えられた植栽の陰に身を潜めながら、使い慣れた両手剣を用意する。

 植え込みから見る限り、食品スーパーは何度も略奪を受けたようだ。出入り口は完全に破壊され、駐車場には焦げ付いた自動車が放置されたまま風化している。遠目にちらりと見える肌色の物体が、恐らくアラクネーだろう。この距離からでは数までは分からない。

「じゃ、ちょっと私は偵察に出てる奴と合流してくるから。ここで待機している分には大丈夫だと思うけど、何かあったら各自判断して迎撃して頂戴」


 手をヒラヒラさせ、久藤が茂みから出ていく。猫背で不健康そうに見えて、かなり俊敏だ。スーパーの中から見えないように自動車の残骸を遮蔽にしながら巧みに進んでいく。経路の取り方も学園の授業で教えられているよりも慎重かつ大胆だ。


 どこかでまだひぐらしが鳴いている。

 伊勢崎も長柄斧(ポールアクス)の準備を終えていた。持ち方を見る限り、あまり武器の扱いは得意ではなさそうだ。斧を構えている、というよりも斧に摑まっているという印象を受ける。いくらアウルの力で筋力が強化されているとはいえ、女子高生の細腕に長柄斧は少し仰々しいのかもしれない。

 植え込みにあまり幅がないので、顔が近い。ほとんど頬に吐息がかかりそうなところに、伊勢崎の大きな目がくりくりと輝いている。


「……伊勢崎って専攻は?」

「私はアストラルヴァンガード専攻ですよ。ちなみに後の一人は魔法使い(ダァト)です」


 アストラルヴァンガード、というのは主に回復と前衛を担う専攻だ。器用貧乏になりがちだが、的確な判断力が伴えば戦力の中核になる。回復役がいるというのは隊の継戦能力を大幅に高めることになるので、大切な役回りだ。

 バランスとしては良い組み合わせのチームだった。前衛が俺と伊勢崎で二枚、後衛の久藤に加え、遠距離支援がついているなら俺は前線で好きに暴れまわれる。馴れ合いは好きではないが、足手纏いにならない支援なら断る理由もない。あくまでも目的は眷属の撃破だ。


 両手剣の手入れを入念にする俺を見る伊勢崎に、ふと違和感を覚えたのはその時だった。上手く説明出来ないが、なんだか温もりのこもった視線を投げかけられている気がする。頼りにされるのなら分かるのだが、こういう反応は初めてだ。


「渡瀬さん、心配しなくても大丈夫ですよ、私がしっかり守ってあげますからね」


 にっこりと微笑みながら、伊勢崎が力こぶを無理に作って見せる。一体、どういうことなのか本気で分からなくなってきた。

「……えっ?」と間抜けな声を思わず漏らしてしまう。


「だって、同じ前衛じゃないですか。年上が年下を守るのは当たり前ですよ!」


 力説する伊勢崎のネクタイの色をもう一度確認する。間違いない。高等部一年、つまり俺の一つ下だ。念の為にと自分の襟に手を伸ばして確認してみる。ネクタイはちゃんと付いていた。


 ということは、

「伊勢崎、ひょっとして勘違いしているかもしれないけど……」

「何ですか、渡瀬さん。後、年上を呼び捨てにするのはあまり……」

「その……年上、っていうところなんだけどさ」


 二人の間に重い沈黙が流れる。

 伊勢崎の顔が最初真っ赤になり、その後はっきりと青ざめた。


「えっ……ひょっとして……」


 勘違いの原因は、分かっている。身長だ。

 俺の身長が一六三。伊勢崎の身長が、目測で一七二か三。珪と同じくらいだ。一〇センチ違えば、確かに年下と錯覚しても不思議はない。


「ご、ごめんなさい! 高等部二年の先輩を中等部の二年と間違えるなんて、私……」


 見ているこっちが哀れになるような見事な慌てっぷり。

 女子高生の慌てるところなんてあまり見られるものでもない。嫌味の一つも言ってやろうかと思ったが、どうにもこんなに平謝りされてしまうと、毒気が抜かれてしまう。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい。実家の弟とちょうどおんなじぐらいの身長だったから、つい……」

「……いや、もう良い。気にしてないから」


 気にしている身長のことなのに、こうもダイレクトに勘違いされると却って何も言えなくなる。ほとんど泣き顔になっている伊勢崎を抱き起しながら、ハンカチを渡してやった。


「この埋め合わせは、いずれ必ず何らかの形で!」

「いや、本当にそういうのはいいから……」


 一緒に依頼を解決するための員数合わせとしか思っていなかったのが、気付かない内にしがらみになってしまうのが嫌だった。この伊勢崎にしろ、久藤にしろ、依頼が終わってしまえばそれまでの関係だ。

 久遠ヶ原には生徒だけで六万もいる。すれ違ってしまうだけの人間に感情を移したくない。また別の依頼で組むことはあるかもしれないが、それ以上でもそれ以下でもない。そういう関係に留めたかった。

 これ以上、親しい人間は作りたくはない。


 俺の貸したハンカチで、伊勢崎が目尻を拭う。眼鏡を取った素顔もなかなかの美人だと思う。

 伊勢崎を宥めていると、微かにスーパーの方で物音がした。久藤が誰かを連れてこっちに向かってくるのが見える。幸い、敵に追われてはいないようだ。


「伊勢崎、部長さんが戻って来る。戦闘だ」

「えっ、あっ、はい!」


 武器を握る手に、汗が滲む。こんなに緊張する戦いは、久しぶりだった。



                              †  †  †


「ワタセさんにも紹介しておこう、七不思議研の“貴重な戦力”であるルクレツィアだ」

「うむ、此方(こなた)がただ今紹介に(あずか)ったルクレツィアじゃ。七不思議研究会の“居候(いそうろう)”をしておる」


 久藤の紹介で、ルクレツィアと名乗った少女がしゃなりとお辞儀する。

 いや、少女と言って正しいのかどうかも分からない。ピンク色のゴージャスな髪を長く垂らし、小ぶりな顔に紫の瞳と薄紅色の唇が愛らしく鎮座している。服装は甘ロリと言うのだろうか、フリルやレースのたっぷりついた可愛らしいそれだ。そして何より、背中に小さなコウモリの羽根を背負っている。


「お察しの通り、此方ははぐれ悪魔じゃ。よろしゅうな、渡瀬殿」


 嫣然(えんぜん)と微笑むとそこだけ花が咲いたように雰囲気が和らぐ。初歩的な<魅了(チャーム)>だろうか。アウルによって魔術的な耐性のある撃退士でなければ、仄かに薫る白檀に似た香りを吸っただけで虜にされてしまうかもしれない。


 はぐれ悪魔、というのは人類側に寝返った悪魔のことだ。同じく人類に味方する堕天使と同じく、久遠ヶ原学園など各国の撃退士養成機関で監視されながら暮らしている。最近は規則も緩くなったのか、斡旋所や転移装置で見かけることが多くなった。


「渡瀬だ。ルインズブレイドを専攻している」

「久藤から聞いておるよ。此方(こなた)は悪魔じゃが、一応ダァトと似た戦い方をする。前衛に守って貰わねば色々と難渋するでな。よろしゅう頼む」

「ああ、こちらこそよろしく」


 寝返ったことでエネルギーの供給を断たれた悪魔は本来の力を十全に発揮できない、というのはよく知られたことだ。だからルクレツィアは後方支援専門のダァトの戦い方を選んだのだろう。申し訳程度の大きさの(ワンド)を所在無げに弄んでいる。


「さぁて、自己紹介も済んだ所でブリーフィングと行きましょうかね」


 何処から手に入れたのか、久藤が地面に食品スーパーの敷地見取り図を広げた。七不思議研の部長をしているだけあって、こういうところは目敏いのだろう。


「ルクレツィアの事前情報に加えて私が目視で確認してきたが、敵の数は現状、確認できる限り九体で間違いない。既に食品スーパー内で缶詰などの保存食を大量に略奪し、それぞれ背中に積載している。間もなく撤収を開始するだろう。但し知っての通りアラクネーは輸卒型の眷属であり、この荷重によって敵の作戦行動に支障が出るとは考えにくい。こちらを視認すれば速攻を掛けてくる可能性は十分にある」


 説明しながら久藤の指先が胸ポケットをまさぐるが、マイルドセブンスーパーライトのパッケージに触れて思いとどまる。作戦行動前だ、ということを思い出したのだろう。こういう撃退士の職業倫理には共感を覚える。


「こちら側の有利な点は、戦端をいつ、どこで開くかを選択出来る点にある。そこで今回は数の不利を覆す為にも、伏撃(アンブッシュ)を行う」


 つまりは待ち伏せだ。こちらが有利なポイントに予め潜んでおき、敵に奇襲を掛ける。事前に察知されなければ、非常に有効な手段となる。

 伊勢崎は久藤の話を聞きながらファンシーな柄の手帳に内容をメモしていく。如何にも優等生、という几帳面なノートの取り方だ。


「伏撃地点はここから一〇〇(ヒトマルマル)東の地点で行う。敵の帰還ルート上にあり、線路の高架と水路に挟まれた、伏撃に適したポイントだ。水路の奥にある建物に私とルクレツィアが伏せる。イセザキは高架の脇で待機するように」


 そこで久藤がじっと俺の顔を覗き込む。出発前に見せた、探るような目線だ。


「……ワタセさん、アンタはどうするね?」


 目だけで、「アンタは一匹狼だろう?」と聞かれている気がして胸がざわめいた。この男は一体、俺の何を知っているというのだろうか。馴れ合いはごめんだ。足手纏いを抱え込むのも嫌だ。だが、自分が邪魔をして作戦を失敗させる危険を冒すほど、俺は馬鹿ではないつもりだ。


「久藤さん、アンタの指示に従うよ」


 その答えに満足したのか、久藤は実に人のいい笑みを口元だけで表した。こんな表情の出来る男だとは思いもよらなかった。


「じゃ、ワタセさんはイセザキと前衛同士でペアだ。浅田と岸野が休んでるから近接戦の戦力が不足していたが……ワタセさんなら必要十分だな」

「なんじゃ、またあの二人は休んでおるのか?」

「相変わらずお二人は駄目ですねぇ」


 七不思議研の面々が顔を見合わせてクスクスと忍び笑いを漏らす。普段からあまり参加しないメンバーなのだろう。となると前衛がアストラルヴァンガードの伊勢崎一枚では、少し手元不如意な気がする。俺がこの依頼を請けなかった時はどうするつもりだったんだろうか。


「攻撃はまず、ルクレツィアと私の直接火力支援から始める。攻撃の発起は私の方で決める。然る後、ワタセさんとイセザキが敵正面から斬り込むという手筈だ」

「……悪魔使いの荒いニンゲンじゃのぅ」

「ま、この依頼の報酬が入ったら<虎牢関(ころうかん)>に連れて行くからさ、そんなにヘソ曲げないで。で、現場は隘路(あいろ)でアラクネーのサイズなら二体は横に並べない。思う存分叩きのめしてくれ」

「分かりました!」

「分かった」


 オーソドックスな作戦だ。

 奇を(てら)っていない分、実力が如実に表れる。前衛の責任は重大だ。俺か伊勢崎が抜かれれば、その時点で敵の殲滅には失敗したことになる。


「今回の依頼は“眷属の捕捉と撃滅”だ。捕捉には成功しているので報酬の半分はもう貰える。とは言え眷属の撃破は撃退士の責務だ。可能な限り殲滅しよう。ま、出来れば余裕のある勝ち方が出来れば言うことはないがね。何か質問は?」


 誰からも質問が出なかったので、そのまま作戦開始地点に移動を始めた。

 久藤とルクレツィア、そして俺と伊勢崎のペアは分かれてそれぞれの持ち場に着く。

 身を潜めた高架の向かいは水路になっていて、そのまま海に繋がっていた。はっきり言って、視界は良くない。アラクネーに見つからないことを優先した布陣だ。

 緊張しているのか、伊勢崎はさっきから何度も眼鏡を拭いている。


「……敵、来ませんね」

「心配しなくても、来る時は来る。焦る必要はないだろ」


 伊勢崎に言い聞かせたのか、それとも自分への言葉だったのか。

 誰かと連携して戦うのは、京都以来のことだ。アラクネー相手に後れを取るつもりは無いが、足を引っ張るのも引っ張られるのもごめんだった。緊張を紛らわすように指を屈伸する。水路の水音、そしてひぐらしの声が妙に耳に響く。


 長柄斧の柄を握る伊勢崎の指が、微かに震えている。

 奮える指は、細い。

 身長がいくら高くても、身体も中身も女子高生のそれなのだと思い出す。場数を踏んでいなければ緊張するのが当然だった。俺も最初はそうだったのだ。このまま戦って足手纏いになられても困る。ここは後輩の緊張を解してやるのも先輩撃退士としての務めだろう。


「伊勢崎、守ってくれるんじゃなかったのか?」

「いっ? え、えええっ? 何言ってるんですか、渡瀬さん。あれはその、勘違いで」

「冗談だ」

「あ、あああ、良かった。何言ってるのかと思いましたよ、本当に。びっくりさせないで下さい」

「心配するな。年下は、年上が守る」


 出来の悪い冗談だ。

 意外に受けたのか、伊勢崎は背中を丸めてこっちを見ようとしない。笑いを堪えているのだろう。

 その時、地面を微かな振動が伝わって来た。次いでペタラペタラと耳障りな足音。

 間違いない。アラクネーだ。


「さ、敵さんのお出ましだ」


 別働隊の潜伏しているポイントが光ったかと思うと、そこから先頭を行くアラクネーにエナジーアローと精密射撃が殺到する。敵の注意がこちらから逸れた。ひとまず機先を制することには成功したわけだ。あとは折角得られたこの好機を逃さずに、如何に戦果を拡大するか。


「よし、削るぞ!」


 両手剣(グレートソード)を片手に飛び出し、瀕死のアラクネーに止めを刺す。

 女の上半身に似た構造物が「ギッ」と悲鳴を上げ、崩れ落ちた。背中に満載していた鯖の水煮の缶詰が地面に転がって派手な音を立てる。剣勢を殺さぬままに軌道を変え、隣の一体の腕も斬り飛ばした。

 改めて見るとやはりアラクネーの醜怪さは眷属の中でも際立っている。突き出た女形の上半身にはまるで感情というものが見えず、溶けかけた蝋人形のような不気味な身体からは無秩序に人間の手足だったパーツが生えていた。生理的嫌悪感を引き起こす見た目を無視して、攻撃を叩き込む。

 相手の方が数は多い。確実に敵の手数を減らすことが先決だ。


 長柄斧(ポールアクス)の伊勢崎も手数は少ないが着実に屍肉蜘蛛(アラクネー)にダメージを与えている。長柄斧には敵の首や足を引っかけて転倒を狙う使い方もあるが、複数の肢を持つアラクネーは異常に安定性が高いために効果が薄い。伊勢崎は相手を“破壊”することに主眼を置いて、遠心力を味方に付けた大ぶりな攻撃を相手の脇腹に叩き込んでいる。巧くはないが基本に忠実な戦い方だ。


 第二射、第三射と支援砲撃組もいい仕事をしている。

 久藤のヘッドショットで一体のアラクネーの首が爆ぜた。会心の一撃(クリティカル)。ルクレツィアと久藤は射点を少しずつ移動させながら、近接攻撃チームの不利を補うように上手に攻撃の順序を入れ替えている。巧い。


 剣を振るいながら、思わず“楽しい”と思ってしまっている自分に気付く。

 殺して、殺して、殺して、殺す。

 誰かに背中を預けて戦うのは久しぶりだ。五月の京都。あの日、珪と一緒にケルベロスのボスと対峙して以来のことだった。

 陳腐で使い古された言い回しだが、血が湧き、肉が躍る。


 背中を預けられると思うと、余裕も出てきた。

 幸運なことに相手はまだ混乱から完全に脱し切っておらず、右往左往しながら無軌道な突撃を繰り返しているだけだ。久藤の言った通り、狭い道は数の多い敵を相手にするには絶好のポイントだった。俺と伊勢崎は連携らしい連携をとっていないが、それでもこの道の幅が味方して上手く敵を阻止出来ている。


 三体潰したところで敵の動きが変わった。

 背負った缶詰を放棄して吶喊(とっかん)に集中してくる。多脚によって繰り出す突進の衝撃は侮れない。こちらは両手剣の受け流し(パリィ)で凌いでいるが、途端に伊勢崎の動きが守勢一方に追い込まれる。


「伊勢崎、落ち着け!」

「は、ふぁいっ!」


 伊勢崎が素っ頓狂な声を上げた。ずり落ちた眼鏡も直さずに自分の身の丈よりも大きな長柄斧をぶん回しているが、限界が近い。見立て通り、前衛戦闘の実戦経験が足りていないのだろう。温存しているのか、アウルの使い方にも思い切りが足りない。


 危うい。昔の自分を見ているようだ。

 珪もこんな風に俺を見ていたのだろうか。そう思うと、顔が熱くなる。意外なことに助けてやりたいという気持ちもあるのだが、荷重を棄てて動きの良くなったアラクネーを捌くのは流石に骨が折れた。目の前の一体を斬ったところで、少し息も上がり始めている。

 残り、五体。

 残り五体のはずだ。

 だが、目の前にいるのは四体だけ。


 躍り懸かってきたアラクネーの遮二無二な殴打を弾き返しながら、視線を走らせる。

 水路か? 違う。

 となると、


「伊勢崎! 後ろだっ!」


 鉄道の高架の壁面を蜘蛛のように這って、一体のアラクネーが後背に回り込んでいる。伊勢崎が前後から挟み撃ちに遭う形だ。長柄斧という武器は当たりさえすれば威力は大きいのだが如何せん大振りで取り回しは効きにくい。ただでさえ手数の多いアラクネーには向いていない武器だが、この状況はまずい。


「くそっ! 伊勢崎!」


 温存してあったアウルを練り、(やじり)にして飛ばす。

 狙いは伊勢崎の正面の敵だ。難なく命中するが致命傷には程遠く、足止めにしかならない。最近は授業に出ずに実戦に明け暮れていたツケだ。こういう小手先の技術はあまり使いこなせていない。

 猛った相手の注意がこちらに向けばいいと挑発の意味も込めていたが、反応は薄かった。ケルベロスよりも程度の低い知能しか与えられていないのだろう。


 強打に弾かれ、伊勢崎が長柄斧を取り落した。慌てて拾おうとする背中に、アラクネーが一撃を入れようと動く。が、これは制服の背中を切り裂いただけでダメージには入らない。

 こちらも目の前の敵に意識を戻し、真一文字に剣を振るう。抑え込んで動きを封じて来ようとする前肢を斬り落とし、そのまま袈裟に胴を薙いだ。

 残り、四体。

 銃声と腹に響く魔法の着弾音が轟き、もう一体が倒れる。これで後三体。


 渾身の(アウル)を振り絞り、伊勢崎の背後の蜘蛛に剣圧を飛ばす。

 命中。

 敵が怒りの矛先をこちらに向けてくれたので、そのまま一気に斬りかかった。年下は、年上が守る。斬撃を防ごうとする相手の手が白刃取りのように剣を掴んだ。ここで退くわけにはいかない。無我夢中で剣を圧し込んでいく。ギチリギチリとアラクネーの骨が軋む音が、感触が、伝わってきた。所詮は人間の搾り滓を繋ぎ合わせた被造物(フランケンシュタイン)だ。力勝負になれば、脆い。


「だぁッ!」


 裂帛(れっぱく)の気合いで剣を振り抜く。これで、残り二体。

 視線だけで伊勢崎を確認する。アラクネーの一撃を頭に受け、地面に倒れ込むのが見えた。

 血だ。




 そこから後のことは、よく覚えていない。


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