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夏の嵐  作者: 蝉川夏哉
第一章 久遠ヶ原モノクローム
3/15

02七不思議と転移装置と紅茶色の髪の少女

 電信柱のスピーカーが週末の台風の情報を流している。

 天魔の襲来を告げる防災無線は、非常時以外は放送部が番組を流す有線と化していた。

 商店街を山手に向けて全力で駆け上がる。どんよりと曇っているお陰で直射日光は浴びずに済んでいるが、それでも島の晩夏は蒸し暑い。


 久遠ヶ原学園は茨城県沖合に浮かぶ人工島にある。太平洋にぽっかりと浮かぶこの島は本土とJR常磐線の支線、久遠ヶ原線で接続されていた。高速船も就航しているし、利便性は高い。

 校舎などの学園設備は島の中央部に位置していて、そこだけ標高が高い。元々は火山性の小島だった頃の名残だ。転移装置も当然そこに置かれている。


 なだらかに海に向かって下っていく島の裾野部分は全て、埋め立てによって後から作られたらしい。第二次世界大戦末期、大本営の指揮で「決号作戦」の一環として要塞化が進められたなんていう説もある。間違いなく嘘だろう。事実だとすれば馬鹿馬鹿しいまでの浪費だ。シーランド公国のような浮き砲台ならまだしも、どこの世界に敗戦間近の状況で戦略的価値の乏しい小島を埋め立てて要塞化しようなどという酔狂な考えの持ち主がいるというのか。


 いずれにせよ、天然の島嶼としては居住に適する面積の少なかったこの島が、曲がりなりにも六万の学生と関係者、その他の住民が暮らすに足る大きさになったのは自然の働きではなく人間の活動によってだ。オランダ人にも匹敵する努力と根性で、島は今も少しずつ拡大している。


 数度の大規模な区画整理によって、商店街や学生寮、斡旋所は島の外周、埋め立てによって作られた海沿いに整理されていた。その所為で学園に向かう為には必然的に長い坂道を登らなければならない。

 九月とはいえ、まだ残暑が厳しい。曇りだというのに少し走っただけで汗が噴き出してきた。


「なんでこんなところに学園を作ろうと思ったんだろうな」


 島と茨城県は鉄道で結ばれているとはいえ、基本的に学生はこの島から出ずに生活することが出来るようになっている。商店街には衣料品や食料品の店だけでなく、書店やゲームセンター、喫茶店にカラオケ屋まであった。

 ただの学園都市を作る上では明らかに過分なことに、LNG火力発電所や大規模な上下水道処理施設も備えられている。物資さえ貯め込めば、一、二年ならこの島だけで持久できるだけの設備が整っているという話だ。


「七不思議、ってわけじゃないけど……確かに謎の多い島ではあるか」


 夜中に聞こえる謎の呻き声や、人の消える袋小路、といった噂には事欠かない島だ。本当に七不思議くらいあるのかもしれない。何せ、戦っている相手が天使や悪魔なのだ。幽霊の一人や二人、出てもおかしくはないだろう。


 坂の街はまだ夏休みの浮付いた空気が抜けていない。

 夏休みの間、多くの寮生は実家に帰る。その反動もあってか九月は皆、どこか気が緩んでいる。夏休みボケ、という現象だ。

 俺にしてみればいつ戦場に放り込まれるか分からないのにどうして気を抜けるのだろうと思うのだが、ほとんどの学園生には気にもならないらしい。あるいは気にしているが、それはそれとして割り切って楽しんでいるのかもしれない。

 ともかく、人口の大部分が学園生で占められるこの島は、久遠ヶ原学園の行事カレンダーに沿って動いている。この小さな島で、六万という生徒の数はそれだけの影響力を持っていた。

 もうすぐ開催される浴衣コンクールの宣伝がところ構わず貼ってある。ポスターの中から浴衣美人が微笑みかけているが、俺にとっては随分と遠い場所での出来事のようだ。


 車道を走っていると荷台に生徒を満載にした軽トラックとすれ違った。

 パンダの着ぐるみに黒装束の忍者に魔法使い(ダァト)のフードマント。変な格好だが、れっきとした学園の生徒だ。天魔と戦うための技術の専攻は色々ある。元がオカルトじみた技術の場合、格好が珍妙なものになってしまう場合もある。その為、学園ではおかしな格好で過ごしている生徒は少なくない。但し、パンダは単なる趣味だろう。

 仮装パーティをそのまま載せたような軽トラックは本土では一発で切符を切られるのだろうが、この島ではそんなことはない。大人が少ないこの島では自動車の数自体が少なく、道交法も緩いのだ。部活の買い出しに行った帰りなのだろう。みんな楽しそうに笑っている。


 ああいう学園生活を、かつては俺も珪と一緒に送っていた。

 戻れるのか、とは思わない。戻りたい、とはもっと思わない。

 ただ、胃が締め付けられるような孤独が時々不意に襲ってくるだけだ。



 坂の上に学園の正門が見えて来る。

 一緒に戦うことになる七不思議研、というのはどういう連中なんだろうか。



                              †  †  †



 天魔が地球に襲来して良くなったことなんて一つもない、というのが世間一般に共通した考え方だ。その点については俺も全面的に同意するし、珪もそうだった。

 ブルーマウンテンは手に入りにくくなるし、不味い代用珈琲は出回るし、紅茶についてはもうほとんど飲めない。アッサム、アールグレイ、ダージリンにオレンジペコ。美味い紅茶は産地が天魔に抑えられる前にイギリス人が確保してしまって、日本にはおこぼれでさえもほとんど入荷しなくなっている。


 久遠ヶ原には優先的に物資が回されているからほとんど気にならないが、実のところ色々な物が随分と割高になりはじめている。輸入の飼料を使っていた牛肉はどんどん値上がりし、今では肉と言えば鶏のことだ。アメリカがヨーロッパ向けに小麦の全力生産に踏み切った為、大豆も手に入りにくい。子どもの頃は身近にあった豆腐も、今では高値の花だ。

 京都の失陥以降、西日本からの物資は全て海上輸送でないと手に入らなくなってしまった。天魔の支配地域が増えることはじわりじわりとボディブローのように人類の戦力を奪いつつあるのは確かなのだ。


 それでも、もし一つだけ良いことを選ばねばならないとしたら、俺は迷わず“転移装置”を挙げる。

 転移装置というのは有り体に言ってしまえばワープ装置で、距離を無視して遠方に人や物を転送する装置のことだ。撃退士の力で魔方陣に力を送り、無理矢理に次元を繋げてしまう。

 詳しい仕組みを俺は知らないし、知ろうとも思わない。

 そんなことよりも、一瞬で遥かに遠方にいけるということが素晴らしい。

 戦国時代の火縄銃や幕末の蒸気機関のように、理屈は詳しく分からなくてもとりあえず使ってしまえるのが人類の素晴らしい所だ。大事なのはこの転移装置が一瞬で目的地に連れて行ってくれる、ということだけ。早く着けばその分、時間を節約できる。帰りは電車バスで帰って来ないといけないのが(たま)(きず)ではあるが。



 学園の正門を潜ると広場の右手に一際大きな白い鉄筋コンクリート製の建物がある。これが転移装置だ。学園内には全部で十二の転移装置があるらしいが、普通の学園生が使うのは(もっぱ)らこの一号基ということになる。

 一度次元を繋げてしまうと二十分は余波が残って別の場所に転移できないので順番争いは熾烈を極めるのだが、今は月曜の午前中だ。こんな時間に依頼を請ける酔狂の数はそれほど多くない。


 雲が晴れ、少し陽が出てきた。

 七不思議研の連中を探すために辺りに視線を彷徨(さまよ)わせる。

 この時間帯、正門前広場にはそれほど人は多くない。人通りもまばらな中で見つけるのは簡単だろうと高を括っていたのだが、それらしい集団は見当たらなかった。七不思議研、というからには数人で固まっているに違いないと決めてかかっていたのだが、どうやらそうでもないらしい。


 さてどうやって探したものだろうか。今更になって俺はマスターにもっとしっかりと七不思議研の特徴を聞いておくべきだったと軽く後悔した。転移装置の前には七不思議研とは何の関わりもなさそうな眼鏡の美少女が人待ちをしている。この少女がオカルト趣味に傾倒しているとはとても思えないので、除外して考えるものとする。


 その時、風が吹いた。


「渡瀬、さん、ですか?」


挿絵(By みてみん)


 少女の紅茶色の髪が、風に揺れる。

 心臓が大きく一つ脈打った。

 一瞬、珪がそこにいるのかと錯覚したからだ。

 いや、姿形は全く似ていない。ただ、背の高さが似ている。俺が少し見上げるくらいの高さが、ちょうど珪と同じくらいなのだ。

 柔らかそうなボブカットにふんわりと包まれた丸みのある顔。眼鏡の奥に好奇心の光を湛えた大きな茶色の瞳が躍っている。小ぶりな鼻の下で透明感のある唇は優しげだ。


「あの……人違いでした?」

「いや、俺が渡瀬だ。アンタは?」


 思わず強く言い返してしまったのは、多分照れ隠しだ。勝手に珪と間違えて、勝手に不機嫌になるのだから始末が悪いと自分でも思う。


「よかった……私は伊勢崎愛海(いせざき まなみ)です、七不思議研の」


 伊勢崎が満面の笑みを浮かべる。感情表現が豊かなんだろう。今まで俺の周りにはいなかったタイプの女子だ。ネクタイの色からすると高等部一年。俺や珪の一年下になる。


「へぇ、アンタが。もっとオカルトマニアみたいなのが出てくると思ってた」


 少しからかってやろうと冗句を言ってみると、伊勢崎はニッと歯を見せて笑った。目が大きいからか、笑うと少し子どもっぽく見える。


「よく言われます! うちの研究会って実はあんまりオカルト方面には強くないんですよね」

「七不思議研なのに?」俺は少し面食らった。七不思議と言えばオカルトだ。

「んーどっちかと言うと、ジャーナリストと言う方が近い感じですかね……あ、部長!」


 そこに建物からひょろりと猫背の男が現れた。

 大学部の制服をだらしなく着こなし、口にはちびた煙草を咥えている。学園の生徒と言うよりは場末の雀荘からぬるりと這い出てきそうな雰囲気の男だ。


「おー、イセザキ。そこの少年が例のワタセさんか?」

「はい、たった今到着されました」


 部長、と呼ばれたからにはこの男が七不思議研のトップなのだろう。三白眼でやる気のなさそうな風体だが、その実、足運びは訓練された人間のそれだ。のらりくらりとしているようでいて、勘所だけは押さえている。隠そうとしても隠しきれない、正規の戦闘訓練をきちんと積んだ者の動きだ。


「渡瀬だ。よろしく」

「はい、よろしく。私は久藤。工場の工じゃなくて久しい方の久藤ね。永久の久。一応、七不思議研の部長、ってのをやっております。しかしまぁ、“研究会”なのになんで“部長”なんだろうねぇ。んで、もう自己紹介しちゃったかもしんないけど、こっちがイセザキ。うちの主筆」

「伊勢崎愛海です。改めまして、よろしくお願いします」


 久藤が手を差し出したので、そっと握手を返す。煙草の臭いがきつい。ぺこりと頭を下げる伊勢崎がせっけんの香りを漂わせているのと対照的だった。

 こういう馴れ合いは好みではないが、一時とは言え共闘関係になるのだ。礼は失しない程度に注意しないといけないだろう。


「……で、七不思議研の他のメンバーは?」


 七不思議研だから七人いる、という訳でもないだろうが、二人だけと言うことはないはずだ。隊を編成して戦うメリットを考えて、もう少し人数はいるに違いない。依頼の内容から考えて、もう少しいないと戦力が不足気味になる。


「ん? ああ、先に現地に偵察に出してるんだけどね、一人。あ、いっけね。早いとこ潜っちゃわないと、接続切れちゃうんじゃないかな?」

「部長、一人ってことは、浅田先輩と岸野先輩は?」

「今日もお休み。幽霊部員を当てにしちゃあ駄目だってことだねぇ。いやぁ、ワタセさんが来てくれてほんとーに助かった」

「……おい、ちょっと待ってくれ。それじゃ、この三人と偵察に出してる一人だけで戦うのか?」


 四人、というのはそれほど悪い数ではないが、少し心配になる。

 斡旋所の依頼書を見る限り、今回は相手にする眷属が少し多い。俺自身としては何の不満もないが、足手纏いになられると厄介だ。最悪の場合を考えると寝覚めが悪い。


「大丈夫大丈夫、心配しなくても四人いれば何とかなるんじゃないかなぁ。渡瀬開(わたせ かい)さんと言ったら、京都撤退の時もなかなかの活躍だったみたいだし」

「そんなことはない」

 応えてから、少し違和感を覚えた。

 俺は、この久藤とか言う飄々とした男にフルネームを名乗っていただろうか。

 悩む間もなく、伊勢崎が先頭に立って歩きはじめる。


「部長はいっつも楽天的ですね」

「悲観的になっても人生つまらないからねぇ。さ、お仕事、お仕事。ワタセさんも急ごう」


 一瞬、久藤と目が合った。探るような、値踏みするような眼。気の所為かもしれないが、どうにも気になる視線だった。


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