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夏の嵐  作者: 蝉川夏哉
第三章 夏の嵐
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14 Hack and Slash

 死体。

 最初に俺たち三人の目に入ったのは、(おびただ)しい数の死体だった。人間の物だけではない。犬、猫、鶏、豚、牛、羊。まるでアンデッドのノアが洪水に備えて方舟を誂えたように、この部屋にはありとあらゆる種類の死が充満している。


「この部屋に、異界が重なっておるようじゃのぅ」

「つまり、ここだけ異世界ってことか?」

「完全に別の世界、という訳ではない。重なり合って存在しておるだけじゃが…… 悪趣味よのぅ」


 白骨化したもの、まだ肉が付いているもの、生きているようにすら見えるもの。その全てが、地下に作られたこの巨大な空濠を埋めていた。凄まじい腐臭に鼻が曲がりそうになる。

 俺たちの立っている入り口はコの字型の遊水地に突き出るような岬状になっていた。視線の先には、あの男が悠然と滞空している。


「早かったじゃないか」


 隻腕の天使。

 俺の宿敵の姿が、そこにある。


「歓迎しよう、ワタセカイ。私の右腕を奪った、ホモ・サピエンスの戦士」

「右腕だけじゃバランスが悪いだろ? すぐにもう片方も斬り落としてやるよ」


 俺の軽口を愉しむようにヴェレクエルが鷹揚な頷きを返す。


「私はね、君に特別な感情を抱いている。愛着だ。手のかかる家畜という以上の関心を君に抱いている。こんなことは、私の長い生涯の中でも初めてのことだ」

「そいつは光栄だね」


 適当に受け流しながら、目では必死に愛海を探す。

 愛海はまだ、必ず生きている。それだけは間違いない。これまでヴェレクエルという天使と接して分かったのは、こいつが方法論に独特な拘りを持っているということだ。

 俺を絶望の淵に叩き落とす為だけに、絶対に凝った演出を考えている。全く気に入らない胸糞の悪さだが、今はこの悪趣味さに感謝を捧げたい気分だ。


「正直を言えば、私はこの任務に飽き飽きしていたのだ。弱々しいホモ・サピエンスという家畜から如何に効率よく感情を収穫するか、などということは優良な魂の持ち主である私たち天使のするべき仕事ではない。そう思っていたのだ。君に右腕を斬り落とされるまではね」


 俺の左右を珪とルクレツィアが固める。さながら、悪の魔導師と対峙する冒険者一行といった構図だ。


「御託は良い。伊勢崎を、伊勢崎愛海を返して貰う」

「そう急くものではないよ、ホモ・サピエンスの戦士。森羅万象には順序というものがある。慌てずとも、すぐにご登場頂くさ」


 そう言って、天使は満面の笑みで指を鳴らす。

 骨の崩れる乾いた音がして、十体の我捨髑髏(がしゃどくろ)が立ち上がって来た。身長こそ人間と変わらないが、左右三対、計六本の腕を持つなかなかの強敵だ。


 一人頭、三体と少し。前衛が俺と珪の二枚看板で後方からルクレツィアの火力支援を受ければ、決して難しい相手ではない。恐らく後詰を用意しているだろうが、ヴェレクエルと刃を交える前の前菜としては丁度いい歯ごたえの敵とも言える。


「勘違いしないで貰いたいが、戦士である君とこんな下等な眷属(サーヴァント)を戦わせようという気はない。君にはちゃんと相手を用意してある。邪魔が入らないように、そちらの二人を見張っておくための措置だと思って欲しい」


 胸騒ぎがする。こいつは一体俺を“何”と戦わせようと言うんだ?


「それではお待ちかね。今宵の君のお相手をご紹介しよう」


 見覚えのある、長柄斧(ポールアクス)

 見覚えのある、赤い眼鏡。

 そして、見覚えのある、紅茶色の髪。


 天使ヴェレクエルの前に現れたのは、予想通り(・・・・)、伊勢崎愛海だった。

 但し、珪と相対した時とは気配が違う。完全に虚ろな目をした愛海は、殺気さえ宿らせずに何事かを小さく呟くだけの木偶(でく)に成り下がっていた。


「伊勢崎!」

「無駄だよ。君の呼びかけは彼女の心に届かない」


 子どもが自慢のおもちゃを紹介するような口調で、ヴェレクエルは上機嫌に続ける。身振り手振りを咥え、その動きはエンターティナーのようだ。


「サワラケイの時は、恐怖と“裏切ればワタセカイを殺す”という契約で縛っていたのだが…… 彼に裏切られてから考えを改めてね。イセザキマナミの場合は、感情を直に弄ってやることにしたのだ」

「感情を、弄る……?」

「ああ、そうとも。他の天使にこのような芸当が出来るかどうかは知らないが、私は食糧調達のエキスパートを以って任じているのでね。ホモ・サピエンスの感情に少しばかり手を加えることが出来るというわけだ」

「……伊勢崎に、愛海に何をした!」

「洗脳、とでもいうのかな? 君に対して絶対的な破壊衝動を覚えるように、ね。面白い趣向だと思わないかい?」

「貴様ッ!」


 俺の絶叫に反応したのか、愛海がまるで光を宿していない瞳をこちらに向ける。

 長柄斧の構え方は、いつもの遠慮がちな物ではない。極端に柄の下の方を持つ、一見奇妙な構えだ。

 青褪めた顔色の愛海の唇が、微かに動くのが見えた。


「……渡瀬さん」

「伊勢崎? 伊勢崎!」


 まさか。こんな状況でも、愛海には意識があるのだろうか?

 駆け寄ろうとする俺の肩を、珪が捕まえる。


「待って、開。様子がおかしい」

「何だって?」


 愛海が、嗤う。

 耳元まで真っ赤な口を引き攣らせ、見る者全てを恐怖に陥れる笑み。


「渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん」


 艶やかな唇から呪詛のように俺の名前を紡ぎながら、愛海が例の奇妙な構えで長柄斧を振るう。

 その一撃は速く、重い。

 非力な人間でも、ゴルフクラブを長く構えれば十分な殺傷能力が生まれる。先端の方に重量の偏ったトップヘビーの武器は、遠心力をそのまま破壊力に変えることが出来るからだ。


 愛海の繰り出す長柄斧も、同じ原理で強い。

 但し、本当にこんな攻撃が有効であれば誰もが採用している筈なのだ。長い戦斧の歴史の中でこんな戦い方が一般化しなかったのは、単純にそれだけの膂力(りょりょく)を持った人間が存在しないことと、攻撃が大ぶり過ぎて命中しないことが原因だ。


 撃退士としては非力な部類であるとは言え、愛海も立派にアスリート級の筋力を持っている。

 アウルで強化されたそれは、身体への負担さえ考えなければ圧倒的な瞬発力を発揮するだろう。つまりこの長柄斧によるハンマーアタックは、愛海の肉体を代償にして繰り出しているのだ。


「……渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん……」

「くそっ!」


 襲い掛かる斧を払おうとして、両手剣ごと身体を持って行かれそうになる。とにかく、重い。こんな攻撃を繰り返していては愛海の身体が持たない。何としても、速やかに止めなければ。

 俺の後ろでは、珪とルクレツィアが我捨髑髏相手の戦闘を始めていた。

 前衛一枚に、後衛一枚。速さを武器にする珪では、これだけ多数相手の壁役としては少し心許ない。


「焦っているようだね、ホモ・サピエンスの戦士。特別大サービスだ。イセザキマナミに掛けられた洗脳を解く方法を教えよう」

「方法、だと?」


 直感した。恐らく、その方法とやらが俺を“絶望”させる為の手段だ。


「君が死ぬか、私が気を失うか、だよ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は愛海に背を向けてヴェレクエルに跳躍した。空振りされた長柄斧の風圧を背中に感じる。倒すべきは、天使のみ。

 しかし、振り抜いた攻撃はほんの僅かにヴェレクエルに届かず、虚しく空を斬る。


「卑怯だぞ、ヴェレクエル!」

「卑怯? 一体何が卑怯だというのか。正々堂々と戦う、というのは互いの立場を尊重した時にのみ成立するものだ。ワタセカイ、私は君のことはホモ・サピエンスとしてはほとんど特別と言っていいほどに重視しているが、対等だとは思わない」


 着地した先は、骨の海だった。乾燥して脆くなったカルシウムが衝撃を支え切れず、崩れて足がのめり込む。その不安定な足場にも、愛海の長柄斧が襲い掛かってきた。


「……渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん渡瀬さん……」


 魔法で足場を創り出した愛海は、崩れやすい骨の上でも安定した攻撃を繰り出してくる。弾くことも受けることも出来ない攻撃を、斧の軌道を読んで紙一重で躱していく。


「くっそ…… 何とかヴェレクエルに一撃だけでも……」


 誰かにアシストを頼もうにも、珪もルクレツィアも我捨髑髏の相手で手一杯、むしろ押されつつある。ヴェレクエルの戦術は陰湿で、ルクレツィアが魔法で敵を吹き飛ばす度に、同じ数だけ我捨髑髏を補充しているらしい。

 俺と愛海の戦いに割って入らせない策なのだろう。


 斧を振り回すことに慣れて来たのか、愛海の斬撃は段々と鋭さを増している。フェイントなどが一切ないことが救いだが、こちらは足場が不安定なだけ、不利が大きい。一発喰らうだけでダメージの大きい長柄斧だ。避け続けるにも限界がある。

 やはり、愛海ではなくヴェレクエルを何とかする必要があった。


「誰か…… 誰か、アシストを!」



『はいよ、ワタセさんのアシストはいつも遣り甲斐があるねぇ』


 トランシーバーから、聞き慣れた久藤の声。

 そして次の瞬間、耳を(つんざく)くような轟音が遊水地に響いた。

 音のした方を見ると壁が大きく崩落し、土煙の向こうに黒々とした何かが見える。

 鋼の装甲。轟くキャタピラ音。そして、長大な主砲。

 あれは、戦車だ。


『61式戦車改、現時刻を以って戦闘に加わります、ってね』


 車載スピーカーから聞こえる久藤の声は得意げだ。

 だが、天使相手に戦車が役に立つのだろうか。


「愚かな。そんな物、天使には通用しないということがまだ分からないのかね」


 ヴェレクエルが手で合図をすると、数十体の我捨髑髏が現れ、戦車に向かって殺到していく。

 透過能力を持つ眷属は戦車の装甲をすり抜け、中の兵士を攻撃することが出来るからだ。

 天魔との戦争の初期、米ソの誇る機甲師団が瞬く間に壊滅したのが、本来兵士を守るはずの装甲が、彼らにとって牢獄、そして棺桶になってしまったからだった。今では戦車の保有自体を止めてしまった国も数多く存在する。


 だが、予想したような悲劇は起こらなかった。

 目を凝らしてみれば、61式戦車の装甲の全面に細かく阻霊の刻印が刻み込まれているのが見える。確かにこれなら、眷属の車内への侵入を許すこともない。


『機銃、撃てっ!』


 機銃から放たれる弾で接近する我捨髑髏の方が逆に薙ぎ倒されていく。機銃とは呼んでいるものの発射速度がかなり遅い所を見ると、弾丸の代わりに成型したアウルを発射しているのだろう。装甲に守られた安全な状況からの射撃だからか、命中精度は高い。


 これなら、アシストを頼める。俺は愛海の長柄斧の連撃を掻い潜りながら、トランシーバーで久藤に連絡を取った。


「久藤さん、伊勢崎が操られてる。助けるには、ヴェレクエルを倒すしか……」

『分かった。可能な限りアシストする』


 砲塔が旋回し、主砲が隻腕の天使に狙いを定める。威嚇だ。前に久藤自身が、対天魔用の砲弾は完成していない、と図書館で言っていたのを覚えている。

 しかしそのことをヴェレクエルは知らない。我捨髑髏の攻撃を防ぐ未知の戦車の出現に、流石の天使の表情にもいつもの余裕はない。


「小賢しい真似を。だが、そんなものは私には通用しないよ」


 骨や死体が空中に舞い上がり、ヴェレクエルの前に巨大な死者の壁を形成し始める。砲弾を防ぐのが目的だから、眷属ではない。言ってしまえば、骨のバリアだ。

 俺は骨の海を駆け、ヴェレクエルの方へ向かう。背中に激痛が走った。愛海の長柄斧の先端が掠ったらしい。痛みを堪え、隻腕の天使を間合いに捉える。


『主砲、徹甲弾装填、撃てっ!』


 その号令を合図に、跳躍。61式戦車の主砲が火を噴き、砲弾が放たれた。

 主砲の砲身内部に刻まれたライフリングによって回転エネルギーを与えられた直径90ミリの砲弾は正確無比に隻腕の天使めがけて飛翔する。


 砲弾はヴェレクエルの作り上げた骨の壁を一瞬にして粉砕し、天使の脇を通過してそのまま背後の壁に突き刺さった。重々しい衝撃音が響き、破孔からは小さな滝のように水が零れる。

 だがそれはフェイントだ。ヴェレクエルがそちらに気を取られた一瞬の隙を突き、俺は両手剣を羽根の付け根に突き立てる。


「がはっ!」


 純白の羽根を、真っ赤な鮮血が染め上げた。

 浮力を喪ったヴェレクエルは背中に馬乗りになった俺ごと、骨の海に墜落する。傷口を広げる為に剣に捻りを加え、そこで一度距離を取った。

 すかさず走り込んでくる愛海の斧を、すんでのところで回避する。


 ふらつく足で、愛海と正対した。

 相変わらず狂ったように俺の名を呟き続ける愛海に、俺は初めて剣の切っ先を向ける。

 覚悟はもう、決まっていた。


「伊勢崎。いや、愛海。少し痛いけど、我慢してくれ」


 錯覚だろうが、ほんの少しだけ、愛海が頷いたような気がした。

 愛海は、守らなければならない存在だ。そう心に想いながら、アウルを剣に篭める。多腕巨人(ヘカトンケイル)と戦った時に感じたのと同じ感覚。


 長柄斧を愛海が振りかぶる。が、逃げない。そのまま、真っ直ぐ愛海の方へ歩を進める。斧の刃が、俺の頭に向けて振り下ろされる瞬間、渾身の力で長柄に斬りつけた。

 狙うは武器破壊ただ一つ。

 遠心力の載った愛海の斧と、全身全霊のアウルを載せた俺の剣が交差する。激しく火花が散り、殺し切れない勢いに俺の足が骨の海に沈み込んだ。


「でぇぇぇぇぇぇぇぇいっ!」


 雄叫びを上げ、最後に一押し。重い斬撃を弾き返すつもりで篭めた気合いで、斧の柄を斬り飛ばす。

 そのまま勢いを殺さず、両手剣の柄頭で愛海の鳩尾に打撃を加えた。肺の中の空気が吐き出され、愛海が気絶する。


 死んだように眠る愛海を、そっと地面に横たえた。

 これで良い。

 後は、ヴェレクエルが死ぬか、俺が死ぬかだ。




 よろめきながらも立ち上がったヴェレクエルと向き合った。

 目が、霞む。

 思ったより、傷が深かったのかもしれない。足元の白骨に、じわりと朱が広がる。


「伊勢崎の洗脳を解け、ヴェレクエル。お前の負けだ」

「虚勢を張るな、ホモ・サピエンス」


 天使の口調から、一切の奢りが消えていた。

 向けられる表情はこれまでの見下したものではなく、完全なる憤怒そのものだ。


「……貴様を、処分する」

「絶望を、吸収するんじゃなかったのか?」


 寒気がする。向けられる敵意の所為だけではない。失血が酷いようだ。こんな時、愛海がいてくれれば、すぐに回復してくれるのに。


「貴様など、食すにも値しない。家畜以下の害獣だ。肉片一つ残らぬように、完全に処分する。このヴェレクエルの名に賭けて、だ」


 まだ宣言し終わらない内に、骨の海が鳴動し始めた。

 骨や肉片が組み合わさり、大小さまざまな眷属が次々と生み出されていく。


『おい、ワタセさん、こいつはちょっとまずいぞ』


 この部屋にある無数の(むくろ)が全て眷属になる、と言うことはないのだろうが、どんな眷属でも一〇〇を越えれば災害に匹敵する甚大な被害を及ぼす。

 何としてもここで食い止めなければならない。


「久藤さん、伊勢崎を、皆を戦車の中に収容して、そのまま撤退してくれ」

『……ワタセさんはどうするんだい?』

「誰かがヴェレクエルの足止めをしないといけない」

『しかし……』


 渋る久藤に、珪が声を掛ける。我捨髑髏の間隙を縫い、いつの間にか愛海を抱えてくれている。珪が連れて行ってくれるなら、何も心配することはない。


「行きましょう。開も、覚悟は出来ているはずです」

『……サワラさん、本当に、良いんだね?』

「はい」


 珪と愛海が戦車に乗り込むのを見届け、ヴェレクエルに向き直る。

 もう、他のメンバーには関心が無いのだろう。戦車には追っ手すら差し向けていない。


「……やっと二人きりだ、ヴェレクエル」

「……ただでは殺さんぞ、ワタセカイ」


 こちらは剣、天使は魔法。

 珪と一緒に戦った時にヴェレクエルの繰り出した冷気のことは今でも覚えている。あれを、一人で凌ぎ切ることが出来るのか。


「どうした、ヴェレクエル。来ないならこちらから行くぞ!」


 先手必勝。敵が片手の不利に慣れる前に、一気に畳み掛ける。

 両手剣での速攻は、連撃と言うよりも剣舞に近い。勢いを殺すことなく円と曲線を組み合わせた動きで、相手に魔法を発動させる隙を与えない。


 一歩、また一歩とヴェレクエルを壁際に追い詰めていく。

 強大な天使との力量の差が、腕の一本程度で縮まるとは思えない。ヴェレクエルはこの期に及んでまだこちらのことを下等生物と見下し、本気を出し切れていないのだ。

 それはそれで腹立たしくもあるが、弱き者の工夫として、その慢心は最大限利用させて貰う。


「どうした、ホモ・サピエンス。息が上がって来ているぞ」

「煩い! 黙れ!」

「お前は人間と戦っているのと同じつもりで私を壁際に追い詰めたつもりなのだろうが、この通り……」


 天魔の最大の特徴、透過。

 しかし、今のヴェレクエルはこの壁を通り抜けることが出来ない。


「ちっ、こんな所にまで阻霊の刻印か!」


 苦々しげに吐き捨てるヴェレクエルに、斬撃を叩き込む。が、これは冷気の盾で弾かれてしまう。


 寒い。

 血を、失い過ぎた。攻撃に熱中するあまり、背中からの出血を甘く見た報いだった。

 このままだと、ヴェレクエルを殺さなくても愛海の呪縛は解けそうだ。


「骸から創った眷属共に嬲り殺されるが良い」

「お生憎様。自分の死に方は自分で決めさせて貰うよ」


 そう言って懐から、巾着袋を取り出す。

 出発前に久藤から預かった、使う予定の無いお守りだ。


「何だ、それは?」

「高性能手榴弾だ」


 ずっしりと重いそれを、掌で弄ぶ。道中で目を通した説明書によると、コンクリートの壁くらいならかなりの広範囲で壊すことが出来る。俺はヴェレクエルに微笑みかけながら、ピンを抜いた。


「自爆でもするつもりか。生憎だが天使には爆風も通用しない」

「そんなことは知っているさ。だから、こう使うんだ」


 ピンを抜いてからきっかり三秒。

 最後の力を振り絞って投げた手榴弾は、狙い通りに遊水地の壁に吸い込まれる。


「この壁の向こうには、島全体の雨水を集める外郭放水路がある。その壁が砕かれれば」


 閃光と、轟音。

 次いで、膨大な量の水が流れ込んでくる。瓦礫混じりの水は渦となり、低い所にいた眷属たちから濁流に飲み込んでいく。


「なるほど、考えたなワタセカイ。この濁流で眷属を全て溺死させるつもりか」

「眷属だけじゃないさ、俺も、お前も、全員だ」

「この程度の水、天使である私ならば透過が可能だ」


 そう。水だけならば、ヴェレクエルは透過が可能だ。そんなことは分かり切っている。


「水だけ、ならな」


 手榴弾で開いた破孔から、周りの壁にヒビが伝う。

 厳重に強度計算されているのだろうが、一ヶ所でも一定以上の大きさの穴が開いてしまえば、壁の構造体は水圧に耐えることが出来ない。

 崩れ始めた壁面に引きずられるように、天井も崩落してくる。

 落ちてきた破片の一つが、ヴェレクエルの肩に当たった。


「ま、まさか…… この部屋、壁だけではなく天井まで?」

「ご名答。壁だけでなく床も天井も、この部屋を取り囲むもの全てに、刻印が彫られている」

「そんな馬鹿なことが……」


 破片の降り注ぐスピードが、だんだん速くなる。

 それはまるで、石の嵐のようだ。


「分かっているのか、ワタセカイ! このままだと、貴様も死ぬぞ!」

「精々絶望するんだな、ヴェレクエル。俺とお前は、ここで死ぬんだ」

「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」


 必死に羽ばたいて逃げようとするが、羽根には俺が深い傷を作ってやっている。

 どの道、逃げられはしないのだ。潔く、死を受け入れる方が良い。


「ワタセカイ! 貴様どうして絶望しない! どうしてそんな風に笑っていられる! 答えろ! 何か脱出する方法を隠しているのだろう!」

「違うさ。俺が絶望しないのは……」


 足元まで濁流が押し寄せる。

 必死に立ち続けてきたが、そろそろ限界だ。

 駆け足続きの人生だったが、それほど悪くはなかったと思う。


 ゆっくりと、目を閉じる。

 遠くで、ルクレツィアの声が聞こえた気がした。

 身体が軽くなり、空を飛ぶような感覚に包まれる。

 もう、何も、聞こえない。



                              †  †  †



「……瀬さん、渡瀬さん!」


 全身が気怠い。

 目を開けるのも億劫な気分だ。今はこのまま、もう少し眠っていたい。

 俺は死んでしまったのだから、少しの朝寝は許されるはずだ。


「渡瀬さん、起きてください、渡瀬さん!」

「……伊勢崎の声がする」


 瞼を開けると、そこには心配そうに覗き込む七不思議研の面々と珪がいた。

 太陽の光が眩しい。どうやら俺は、地上に帰って来たらしかった。


「良かったぁ、生きてましたよ!」


 伊勢崎の呪縛は、どうやら無事に解けたらしい。

 それだけで、俺は十分に満足だった。


「ワタセさん、一時は心臓まで止まってたんだから」

「此方がここまで運んでやったんじゃからな。感謝すると良い」

「開が無事で、本当に良かった」


 まだ完全には力の入らない身体を、無理矢理起こす。

 皆の顔を、見回す。

 色々な言葉が喉まで出掛けのだが、消えていく。

 何か言わなければ、と気持ちは焦るのだが、上手く行かない。


「あー」

「ん、何ですか、渡瀬さん?」


「……腹、減ったな」


 全員から笑い声が零れる。


「よし、じゃあ勝利のお祝いを虎牢関でやりますかね」

「賛成! 早く行きましょう!」

「此方は揚げ焼売が食べたい気分じゃのぅ」

「あの、僕も混じって、いいのかな?」

「おいおい、俺は怪我人だぞ? そんなに急かすなって!」


挿絵(By みてみん)


 夏の嵐の通り過ぎた空は、どこまでも高く、澄んでいる。

 水平線の向こうから、ゆっくりと朝陽が顔を出し始めた。

 これから、秋が訪れ、冬になる。それでも、この仲間たちとなら、どんなことでも乗り越えられそうな、そんな気がする空の色だった。


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