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夏の嵐  作者: 蝉川夏哉
第三章 夏の嵐
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13 地下へ

 虎牢関飯店の空気は沈んでいた。

 俺と珪、久藤とルクレツィア。それと知らない顔が二つ。これが時々話に出ていた、浅田と岸野だろう。忍術選考と格闘選考なのは、恰好を見ればすぐに分かる。


「で、サワラさん。イセザキが連れ去られた場所に心当たりはあるんだね?」


 既に完全武装を整えた久藤がマイルドセブンスーパーライトを燻らせながら尋ねた。その目はいつになく真剣だ。学生、という皮を脱ぎ捨て、戦士の顔になっている。普段の昼行燈(ひるあんどん)然とした表情は完全に擬態だったということだ。何故か左頬が微かに腫れているが、理由は聞かないことにする。


「ある。というよりも、僕は今まであの天使と一緒にそこに潜んでいたんだからね」

「珪、勿体付けないでくれ」


 思わず語調が強くなる。

 一刻も早く、伊勢崎を助けに向かわなければならない。気ばかりが焦ってしまう。

 しかし、珪が指差したのは円卓に広げられた関東一円の地図ではなかった。


「床?」俺の問いに珪が首を振る。

「いいや、地下だ。この久遠ヶ原島の地下には、巨大な地下空間が広がっている」


 ふぅ、と全員から溜息が漏れる。

 予想もしていなかった場所。だが、こちらにとっては好都合の場所でもある。ルクレツィアが食べている中華ちまきの蒸籠を退け、こめかみを揉みながら久藤が広げたのは先日図書館で描き写してきた島の地下の地図だ。


「これは……」

「偶然、と言えば偶然なんだが、ちょうど私たちも島の地下を調べようとしていてね。ワタセさんたちと一緒に来週にでも潜る予定になっていたんだが」

「凄い精度の地図ですね。ただ、今はこの通りには使えないでしょうけど」

「……ああ、雨だな」


 耳を澄ますと雨音に混じって防災無線が狂ったように大雨洪水警報を勧告しているのが聞こえる。

 学園自体は山の上で水捌けが良いが、そこから斜面を流れ落ちる水量も相まって、海岸付近の平野部は極端に水害に弱い。それを補う為、一定以上の降水がある場合は久遠ヶ原では雨水を地下の外郭放水路に流し込む対策を採用していた。


「天使が潜んでいるのは、ここだ」


 珪の指差したのは、俺たちの最初の目標だった「呻き声」のポイントとそれほど離れていない大きな空洞だった。地図には遊水地と書かれた大きな空間が示されている。


「……灯台下暗し、ってところかね。ルートだが、サワラさんとあの天使が通ってきたルートで侵攻することは出来るかな?」

「あまりお勧めはしないね。狭い下水道の中で数十匹の眷属と戯れるのは賢い選択だとは思えない」


 学園の地下に天魔が潜んでいるだけでなく、ちょっとした防衛用の拠点も築いている、ということだ。


「駄目元で生徒会にもさっき応援要請を出してみたんだが」

「どうだったんだ、久藤さん」と俺が尋ねる。

「梨のつぶて。運悪く京都奪還作戦準備の為にかなりの数の撃退士を斥候任務で関西方面に送り出しちゃった後みたいでねぇ。生徒会直轄で動ける生徒ってのがほとんどいないんだとさ」

「依頼を出してみる、というのはどうかのぅ」

「それについては以前から既に釘を刺されてるんだよね。もし学園内で天魔の存在を確認したら、事態を公にする前に生徒会に通報し、内々に処理すること、ってさ」


 学園内に天魔が侵入しているのは公然の事実だ。久遠ヶ原の住人であれば、誰もが知っている。とは言え、知っているということと知られているということの間には大きな差がある。

 久藤のように自衛隊まで学園内に内偵を送り込んでいる状態で、あまり事を大きくしたくない事情があるということは俺にでも理解できる。


「あの天使、ヴェレクエルは何をするか分からない。助けに行くなら急いだ方が良い」


 珪の忠告に、全員が頷く。

 これまで学園が対峙してきた天使は、総じてプライドが異常に高い。下等生物と見下す人類に手傷を負わされた場合、逆上して何を仕出かすか分からないことも共通している。


「さて、地下に潜るには六人パーティ、というのが趣味に合っているんだが」

「歯に物が挟まったような言い方だな、久藤さん。何か問題があるのか」

「今、経路を検討して気付いたんだが、ひょっとすると辿り着けないかもしれないんだな、これが」

「どういうことだ?」

「七不思議研の調査の場合、十分な時間を掛けて調査をすることが出来るんだけどね、今回は速戦速攻が作戦の趣旨になる。ところが、目標までの最短経路の中に“本当に通行可能かどうか分からない”箇所があるわけだ」


 そう言って久藤が指差したのは、元々は久遠ヶ原島要塞の連絡壕として作られていた地下通路だ。


「ベトン、つまりはコンクリートで補強した、という記録はあるにはあるんだが。七〇年近く前の地下通路が手入れも調査もされずに通行可能な状態で残っているかどうか、はっきり言って自信が持てない。だが、ここを通らないとすれば回り道を覚悟することになる」


 久藤がライターの尻でなぞっていくルートを見ると、確かにここが通れなかった場合のロスは大きい。ほとんど島を半周近く回らないと、元の道に復帰できないことが分かる。


「で、だ。ここでもう一つの選択肢がある。二番目に近いルートだ」


 今度のルートは、総延長は最短ルートよりも長いが、通過しなければならないのは学園を設立する際に工事があった所ばかりなので、安心して通れそうに思える。が、時間のロスはかなり大きい。


「そこで私は指揮官として最低の指示を出そうと思う。ワタセ、ルク、サワラ組は最短ルートを、私、浅田、岸野組は確実ルートを使って侵攻する」

「二手に分かれるのか」

「下策であるのは百も承知だ。だが、今は伊勢崎の安否が心配だ。戦力のバランスから考えて、どちらのペアが先についても敵の足止めは可能だ、という判断だ」

「途中に眷属が配置されていた場合はどうするのじゃ?」

「……戦闘は、極力回避。現状では手持ちの情報が少なすぎるからな。トランシーバーも支給するが、二つのチームが行軍する場所が少し遠すぎる。実際に目標地点で合流した時にしか使えないだろう。臨機応変で対応して欲しい」


 痛し痒しだが、久藤の作戦には同意せざるを得ない。全員が最短ルートで進行して通行できなかった場合は目も当てられない。そのリスク分散、という意味ではこの作戦は確かに有効だろう。

 夜も更けてきたが、地下での行動なら時刻はあまり関係ない。突撃するのは、早ければ早い方が良いというのは全員の一致した見解だ。


「それと、ワタセさんにはこれも渡しておこう。ま、使うことはないだろうが、お守りみたいなもんだ。使い方は、中に説明書を入れてある」


 そう言って手渡されたのは、リンゴより少し小ぶりな巾着袋だった。


「さて、質問はないか? それでは、これより状況を開始する」



                              †  †  †



 地図に示された「最短ルート」の入り口は、古い兎小屋だった。

 今はもう使われていない。古びたフェンスの囲いを越えると、小屋の陰にマンホールが隠れていた。阻霊の刻印が刻まれたマンホールを俺と珪で持ち上げると、中から生暖かい風が流れ出てくる。


「ルクレツィア、マッチを」

「うむ、分かっておる」


 有毒なガスが溜まっていないか、マンホールの中にマッチの火をかざしてみるが問題はなさそうだ。学園の存在する久遠ヶ原島の中心部、旧久遠ヶ原島とでもいうべき部分は、火山性の小島だった。

 気象庁の分類上は一万年以上活動の証拠がない死火山ということになっているが、島には温泉もあり、火山性のガスが地下に充満している可能性は十分にある。


 朽ちかけた古い梯子を手掛かりに地下に降りていくと、そこは土壁が剥き出しのままになっているところもある、コンクリート製の地下通路だった。遠くから聞こえる音は、雨水が外郭放水路に流れ込む音だろう。地鳴りのような響きが微かに響いている。


 湿り気を含んだ空気は滞留して澱んでいて、コンクリートと黴の匂いがした。十畳ほどの無数の部屋と、それを繋ぐ連絡壕。地下通路の中はまるで迷宮(ダンジョン)のように複雑に入り組んでいて、真っ直ぐに進んでいるつもりでもすぐに方向がずれてしまう。

 方位磁針を確かめながら、俺は可能な限り早足で先を急いだ。今、この瞬間にも伊勢崎がどうなっているか分からないのだ。


 隊列は、俺、ルクレツィア、珪の順になった。

 手先の器用な珪が先頭に志願したが、先駆けはやっぱり俺がやりたいということでのこの並びだ。久藤達の用意した自衛隊からの放出品のライトで照らしながら、慎重かつ素早く通路の奥へと進んで行く。


「ところで、ここは何なのじゃ?」

「太平洋戦争の遺構だよ。久遠ヶ原要塞群のね。茨城県には当時、数多くの飛行場が置かれていた。本土決戦の際に、その飛行場を敵の艦砲射撃から守る為に、この島に要塞砲を据えて敵海軍の接近を阻止しようと考えたわけだ」

「ふぅん。つくづく人間というのは変なことを考えるのぅ。そんなもの此方(こなた)なら島を通り過ぎて空から攻撃してしまうが」


 ルクレツィアの指摘に珪が苦笑を浮かべる。


「その通り。この久遠ヶ原島を要塞化したところで、敵連合軍にとって硫黄島のように絶対に攻略しなければならない拠点にはなり得なかった。航空戦力も充実していたからね。だから、最初から無駄な工事だった、というのがこの島に対する現代の評価だ」

「無駄に作られた地下通路か。これがあるお陰で俺たちは地下まで潜っていけるんだけどな」

「そうとも言えるね」


 言いながら珪は地図を包んだ塩ビのシートに通過した道順を丁寧に記入していく。先頭の人間は両手を開けておく必要があるから、ということで珪に押し付けたのだ。

 この行軍について、不安が無いわけではない。例の“通過可能かどうか分からないポイント”もそうだったし、眷属の問題もある。


 久遠ヶ原の地下に数多くの天魔がいる、というのは信憑性のある噂だった。目撃証言も少なくない。はぐれ悪魔や堕天使の中には、公然と島の地下での居住経験を語る者もいる。

 そんな連中に遭遇してしまえば、伊勢崎救出のタイムスケジュールはぐっと遅れてしまう。だからなるべく、そういう連中には遭遇しないことを願わないといけない。


「ん、ここは真っ直ぐ行かぬ方が良いのぅ」


 歩いていると突然、ルクレツィアがそんなことを言いだした。背中の小さな羽根を器用に使って、俺と珪の間をふわふわと浮かびながら進んでいる。


「最短の経路としてはこっちなんだけど」

「この先には何かおるからの。この感じじゃと、多分悪魔じゃ」

「そんなことが分かるのか?」

「分かる。その為に組分けじゃ。此方を信じて真っ直ぐは進まんことよの」


 確かに、戦闘は避けねばならない。

 だがその分、行程は確実に伸びていく。時間のロスも大きくなる。

 自分でもはっきり分かるほど、俺は苛々していた。通路の分かれ道でルクレツィアが安全な道を教えてくれる度に、通路は最短経路からはずれ、地図上の線は大きく膨らんでいく。


「……珪、強行突破は?」

「止めた方が良いね。敵の戦力が不明だし、何よりもこちらの体力は温存しておきたい」


 スタミナの問題は、確かに重要だった。

 撃退士は天魔に対する唯一の切り札で、その投入方法は可能な限り、時間的、空間的、意味的な集中を求められる。つまり、大事な局面に最大の戦力を叩き込むことを前提とした戦略が採られているのだ。だから、超長距離を支援も受けずに行軍し、敵の戦力中核を撃破する、ということは基本的に想定されていない。よって、長距離行軍の訓練はほとんどない。


 動けば動いただけ、筋肉に乳酸が溜まる。あの天使、隻腕のヴェレクエルと対峙した時に最高のコンディションで戦えないことに対する不安が、心の中で澱のように積もっていくのが分かった。


「……開、焦ってもしょうがないよ」


 珪が俺を慰める。

 あんなことがあったばかりなのに、珪はこの強行軍にも不平ひとつ漏らさない。ほとんどあったばかりの伊勢崎の為、こんな地の底にまで付いて来てくれているのだ。

 傍にいるのが当たり前過ぎて忘れていたが、こうやって珪と話をするのも四か月ぶりだ。


「珪、おかえり」

「ただいま、開。心配、かけたね」


 二人とも、それで無言になる。

 それだけで、十分だった。



 奥に進むほど天魔の気配は色濃くなっていった。原因は、壁にある。この辺りの全ての壁に、阻霊の刻印が刻まれているのだ。数が揃えられなかったのか、梵字の刻まれたもの、ラテン語の聖句の刻まれたもの、ヴォイニッチ式天使言語の刻まれたものなど種々雑多に壁を彩っている。


「悪魔も天使も下級になればなるほど道を覚えるということをせんからのぅ。透過してしまえばいいんじゃから」

 ルクレツィアのぼやいた通り、この辺りの天魔は迷い込んで出られなくなってしまった者がほとんどなのだろう。今まで馬鹿にしていたが、阻霊符というのも案外効果があるらしい。


「学園地下への侵入を防ぐために刻まれた阻霊の刻印の所為で、逆に天魔を閉じ込めることになっているっていうのは性質の悪い冗談だけどね」

「これ全部、学園側で彫ったのか……」

「執念というか何と言うか。凄い労力じゃのぅ」


 連絡壕は曲がりくねりながら緩やかに下り坂になっている。

 学園のある山頂部から、外縁の裾野へ。島の地下をぐるりと取り囲む外郭放水路を潜り抜けるように越えるのが、今回の最短ルートだ。


「要塞建設の責任者はこの久遠ヶ原要塞群を難攻不落の不沈空母にしろという命令に応える為に、海底を抜けて茨城県本土に続くトンネルを掘ろうとしたんだ」

「そんなことが可能なのか?」

「無理だね。本州と九州を結ぶ最重要の通路である関門国道トンネルでさえ完成していない時期だ。たった一要塞にそれだけの土木工事を施すことは出来ない」


 水音が段々と大きくなる。外郭放水路が近いのだ。

 コンクリート壁の一部が崩れていて、流水の音はそこから漏れているようだった。興味があるのか、珪がその裂け目を覗き込む。


「開、君も見るかい。なかなかお目に掛かれない光景だよ」


 それは、一種異様な光景だった。

 幅十メートルはあろうかという外郭放水路に、無数の排水溝から暴力的な勢いで久遠ヶ原中の雨水が流れ込んでいく。オレンジ色の非常灯で照らし出される水煙は水面から十数メートルは離れているはずのここまで立ち上ってきそうだ。天井を支える巨大な柱の連なりは、まるでここが水の神殿か何かのような錯覚を起こさせた。


 時折、何か大きなものが派手に水音を立てて黒々とした激流の中に飲み込まれていく。

「眷属じゃな」

 ルクレツィアが忌々しげに目を細める。その視線には、どこか憐みの色が宿っているようにも見えた。


「大方、水の中におって窒息したのじゃろう。透過は出来ても、呼吸はせねばならんからの」

「そうなのか? てっきり天魔は呼吸しなくて良いもんだと思ってた」

「天魔、と言ってもそれほど強いものではないからのぅ。空気の無い所に放り出せば、ものの十五分ほどで息絶える。人間と同じく肉の檻に囚われた、哀れで弱々しい魂よ」

「はぐれ悪魔のルクレツィアにそう言われてしまうとな」

「何、渡瀬も早良も仲間じゃからのぅ。何かあったら飛んで行って助けてやる」




 錆びて腐りかけた梯子で、縦孔を降りる。外郭放水路の真下、問題の地下通路の区画だ。

 どこからか水が漏れているのか、コンクリートで打ち固められていない地面が泥濘んで足を取る。ここは海抜〇メートル以下。深さで言えば、太平洋よりも下になる。


「良かった、通れそうだ」


 珪の言葉に、思わずガッツポーズをしてしまう。これでここが使えなければ、今来た道をかなり前まで戻ることになるところだった。腰まで浸かるほど水が溜まっているが、外郭放水路の向こう側まで辿り着けそうだ。


 水をかき分けて進みながら、俺は日本神話の一説を思い出していた。

 イザナギが、死んでしまった妻イザナミを迎えに黄泉平坂(よもつひらさか)を通って根の国へ向かう(くだり)だ。世界中の神話に、似たようなモチーフがある。暗く深い地の底は昔の人間にとって、いや、今の俺たちにとっても、何かを暗示させる。


 不吉な考えを、頭を振って打ち消した。

 天使ヴェレクエルの狙いは、俺だ。奴にとって伊勢崎愛海は、俺を絶望させる“道具”に過ぎない。ということは、少なくとも俺が辿り着くまでは生きているはずだ。

 その事に、一縷の望みを託す。




 行程もほとんど終わりに近づいた曲がり角で、珪が不意に足を止めた。

 角を曲がれば、あとは真っ直ぐ進むだけで天使ヴェレクエルの待ち構える玄室に辿り着く。

 この辺りまで来ると“連絡壕”から“通路”に変わっていた。明りも等間隔に設置されている。学園建設の為に島を拡張した際に作られた部分だ。もう少し外縁に近付けば、伊勢崎の言っていた潜函(ケーソン)に行き当たるのだろう。


「開、一つ確かめておきたいことがある」

「改まってどうした?」

「あの、伊勢崎っていう子の事だ」


 珪の表情は真剣だ。小さな頃から一緒に過ごしてきたが、こんなに真剣な顔をするのは始めて見たかもしれない。その表情に気圧されたのか、ルクレツィアも口を噤んで聞いている。


「これから僕たちの戦う敵、ヴァレクエルは、強い。僕も開と同じように勝つつもりでいる。ただ、難しい選択を迫られる局面は、あるかもしれない」

 慎重に言葉を選びながら、珪は続ける。

「つまり、僕が何を言いたいか、と言うと」

「……覚悟を決めろ、ってことだろ」


 隻腕となったからと言って、対天使戦でこちらが有利になったわけではない。さっきの攻撃は奇襲に分類されるべきもので、言わばまぐれだった。総合的な戦闘力では、ヴェレクエルの方がまだ圧倒的に強いことは間違いない。その上、相手は人質を取っているのだ。


 “どちらも”が許されない時に“どちらか”を先に決めておくかおかないかは結果を大きく左右する。

 俺が死ぬか、伊勢崎が死ぬか。

 その選択を、珪は迫っている。



「何かあったら、伊勢崎が助かる道を選んでくれ」


 答えは最初から決まっていた。

 伊勢崎愛海と渡瀬開。生き残ることに優先順位を付けなければならないなら、俺は伊勢崎を選ぶ。

 学園に預ける遺書が白紙の人間とそうでない人間のどちらを助けるべきか。そんなことは深く考えるまでもない。もちろん、それだけが理由ではないが。


「……本当に、それでいいんだね?」

「ああ」


 頷きを返しながら、俺は愛海と初めて会った時のことを思い返していた。

 あの時、風に紅茶色の髪が靡いて、多分、俺は伊勢崎愛海に一目惚れをしていたんだと思う。

 今にして思えば馬鹿らしいが、そう考えると、これまでのことがすっきりと腑に落ちる。


「君が羨ましい」珪が差し出したスニッカーズを受け取る。

「何がさ?」

「そこまで誰かを好きになれるっていうのは、きっと素敵なことだよ」

「そうか。そうかもしれないな」


 人を、好きになる。

 そんな気持ちになることが出来る、と言うこと自体、この四カ月間すっかり忘れていた。それを取り戻してくれたのは、やっぱり、愛海だ。


「伊勢崎を、取り戻す。何があっても、だ」


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