お前が頑張るから比べられるんだと弟が言うので、頑張ることをやめました
私は今日、仕事を辞めた。
ギルドで管理職をしていた私は、引き継ぎを1日で終えると、荷物をまとめ家に帰った。両親は目を丸くしていたが、全ての始まりは弟だ。
「お前が頑張るから比べられるんだ」
ことの発端は昨夜のことだった。
弟は残業から帰ってきた私の部屋に押しかけてきた。私は意味がまったくわからず首を傾げる。
「お前のせいで俺は惨めな思いをしている。これもすべてお前が頑張るからだ」
弟は怒りをぶつけるように、ドンと壁を叩いた。
「お前が家に金を入れるのは当たり前だろ?俺より給料いいんだから」
話をよくよく聞いてみると、両親にそろそろ貯金をするよう言われた。それだけらしい。
確かに私は貯金をしているし、家にお金も入れている。
「お前が無駄なことをするから、こんなことになってるんだってことがわかってるのか?」
先ほどから「お前」「お前」言っている弟。
何も知らない人が見たら、本気で怒っていると思うだろう。実際弟は結構怒ってる。
だが、知ってもらいたいことがある。そもそも私は「姉」と呼ばれたことがない。
理由はおそらく年齢が1つしか変わらないからだ。弟があと1週間弟遅く生まれていたら、学年は2つ離れていた。
「クロエ!ちゃんと俺の話を聞け!」
私はずっとちゃんと話を聞きながら、こう思っていた。
知らんがな。
両親は私たちを比べて育てなかった。
お姉ちゃんだからと言われたことはないし、お姉ちゃんと呼びなさいと弟にも言わなかった。
どちらかと言うと、弟だけが弟という身分と年子という身分を利用していたと思う。
例えば「弟だからお菓子を譲って」「1つしか変わらないからお小遣いの額は一緒」などなど。
今回貯金するよう言われたのは、普段から弟がだらしないと思っただけだろう。
「俺が職場でなんて言われてる知ってるか?お前を見習えって言われてるんだぞ!お前が無駄に頑張るから!お姉さんはすごいですねってそればっかり」
中身のない話を繰り返す弟にため息が出る。
同じギルドに就職してきたのは弟で、比べられるような態度を取っているのも弟である。
「あのさ、それで私にどうして欲しいわけ?」
大人になっても喧嘩するなんてめんどくさい。
なんとか話を流そうと頑張っていた私だが、しつこい弟にまずひとつ頑張ることをやめてみた。
「じゃ、じゃあ会社辞めろよ」
「わかった」
私は弟の一言で、即座に辞表を書いた。
♢
「本当に辞めるんですか?」
「クロエさん結婚するわけでもないんですよね?」
22歳で婚約者も彼氏もいない私に、無慈悲な言葉をかけてくる男性社員2人を無視。私は簡単な引き継ぎを作り、仲の良い女性社員にマニュアルを使って説明した。
「クロエが辞めたらこのギルドはどうするの?」
「みんなもっと考えたほうがいいよ」
男性は私をバカにし、女性は私に残るようお願いしてきたが、私はどちらにも頭を下げて荷物をまとめて帰ってきた。
「こんなにすぐ辞められるとは思ってなかったなぁ」
両親には帰宅後さらっと辞めたことを伝え、自分の部屋で明日からどんな生活をしようかと考える。
ひとまず明日は昼までたっぷり寝ようかな。それとも街までお出かけしようかな。
私はウキウキと想像していただけなのに、再びなぜか怒っている弟が登場。
「本当に会社を辞めるなんて当てつけか!?」
私は驚くことなく、ただ静かに呆れた。
「クロエ!なんとか言えよ!」
「辞めろって言ったり当てつけっていったり。結局私にどうして欲しいわけ?」
「別に好きにしろよ!2度とギルドに顔出すなよ!」
ドアが激しい音を立てて閉まった。
私がギルドに就職した理由は、単純に給料が良いから。でも弟は違う。
弟は冒険者になりたがっていた。
しかしご覧の通りの性格のため、少人数のグループに馴染めなかった様子。
私としてもそろそろお金が貯まったし、キャリアアップのため転職しようと思っていた部分もあり、弟の言う通りもう顔を出すことはないだろう。
明日は早速寝溜めすると決め、習慣となったスケジュール帳のチェックや書き込みをすることなく、私はベッドにダイブした。
♢
「おはようございます、マリアさん。何か食べるものはありますか?」
「クロエさん、おはようございますと言うには少し遅いですね」
「たくさん寝ちゃいました」
「お仕事辞められたんですってね。いつも頑張っていらっしゃるから、たまにはこういう日があっても良いんじゃないでしょうか」
私の家はとても裕福であるとは言えないが、家政婦さんが1人いるぐらいには余裕がある。
マリアさんには弟がよく無茶を言っていて申し訳ないが、辞めずに働いてくれているので感謝しかない。
「スープと果物でよろしければすぐにテーブルへ並べられますのよ」
「ありがとう。お願いしてもいい?」
私は遅すぎる朝食を食べると、街へと繰り出した。
これから頻繁に出かけるならとワンピースを1着買い足し、靴も新調。
小さなお花のついたピアスも買った。
最後は時々仕事帰りにやっていた花屋さんで、ブーケを作るという贅沢までしてしまった。
夕方、スキップをしながら私が紙袋を持って帰宅すると、両親は困った顔で私のことを見た。
「クロエ、お前なりに考えがあってしていることだからあまり口を挟みたくないが」
「ええ、でも本当に大丈夫なの?」
「もちろん。今まで通り家にお金を入れるし、ちょっと家にいる時間が伸びるだけだよ.ちょっとだけイーサンを見習おうと思っただけ」
こうして私は立派なニートとなった。
♢
仕事を辞めて1週間が経った。
それからというもの、家では買うだけ買って溜まった本を読み、大きなパズルを床に広げたりして、充実した毎日を送っていた。
「ただいま。はい、マリアさんの分」
「いつもありがとうございます」
私は11時になると家を出て、お昼ご飯のパンを買いに街へ行き、帰りは花屋で花を1輪買ってくるのが日課となった。
そしてマリアさんと2人でランチをするのだ。
ところがそんなある日、再び私の部屋にやってきた弟。頑張るのを辞めた私に何を言いにきたのかと思えば、ドヤ顔で仁王立ちしている。
「男性社員はみんなお前がいなくなってせいせいしてるってさ」
「あっそう」
「仕事も回ってる。お前と比べられることはないし、お前は最初からこうしてればよかったんだよ。そもそもお前が管理職っていう方がおかしかったんだ」
私はケタケタと笑う弟に呆れて言葉が出てこなかった。
弟は平社員。私は管理職。
理由は単純で、私は仕事を頑張っていて、弟が頑張らないから。それだけの話なのだ。
言いたいことを言うだけ言った弟は、満足そうに部屋を出て行った。
♢
再び弟が私の元にやってきたのは、私が仕事を辞めてから2週間後。
ノックもなしに勢いよく開いたドアに、私は色々察した。
「お前が頑張ってたせいで、ギルドがめちゃくちゃだ!」
言いがかりがすぎる言葉に、思わず鼻で笑ってしまった。
「バカにしやがって。女社員たちはお前に戻ってきてもらえるよう頭を下げろって言うんだ。お前の差金だろ」
「えっと……何のこと?」
本当に意味がわからない私の言葉を、煽りだと思ったのだろう。弟は一息に文句を言い始めた。
聞くに耐えない話を要約すると、事務仕事が苦手な弟を含む社員たちの仕事が終わらず、連日残業になっているとのこと。
そのせいで弟は「姉を連れ戻せ」と再び比べられ、惨めな思いをしているらしい。
しかしそんなことを言われても、私にはどうしようもない。
「そうだ、お前責任とってこの家出ろよ。というか、22で彼氏もいないなんてお前性格に難ありだろ」
話がまったく関係ない方に飛んだことに、私はため息をついた。だが、問題ない。
「2週間後には出てくから安心して」
「……は?」
無職ニートが実家にダラダラいるのは良くない。
頑張ることをやめた私は、頑張らずに家を出ることにしたのだ。
♢
「クロエ、迎えにきたよ」
私がドアを開けると、黒髪に青い瞳の青年が両手を広げて抱きしめてくれる。
「エリック、ありがとう」
私は両親に別れを告げ、迎えにきてくれたエリックの家へと向かう。
両親は寂しそうだったが、エリックの家は同じ街で、会おうと思えばいつでも会える。まだ結婚したわけでもないから、私はたいして寂しくなかった。
私は毎日買い物に来ていた花屋の中を通って、新しい自分の部屋に案内してもらう。
これで基本的に弟と会うことはないし、弟も満足だろう。
そう思っていたのに。
「クロエ、君の弟?と名乗る人が来てるんだけど。追い払おうか?」
「ごめんね、大丈夫。ちょっと外で話してくるね」
花屋はもう閉まっているため、私は裏口から外へ出る。
「おい!あのマニュアルがあんなに大事ならそう書いておけよ!」
家の外だから多少声を抑えている弟だが、顔は真っ赤だ。
「お前の書いたマニュアルのせいで、俺の人生はめちゃくちゃだ!」
私はまたしても何の話か全く分からなかったが、1つだけわかったこともある。
「クビになったの?」
荷物をまとめた箱を持っている弟を見て、辞めたかクビになったかのどちらかだと思った。
そして図星だったのだろう。弟は床に箱を叩きつけた。
「いた!クロエ!お願いします!戻ってきてください!」
床に物が散らばると、弟を追ってきたのかギルドマスターが息を切らして走ってきた。
「クロエさん!イーサンのせいでギルドがめちゃなんだ。依頼も受けられない、報酬も計算できない、冒険者のランクも確認できない。もうギルドは終わりだ」
半泣きのギルドマスターは、頭を下げながら事情を教えてくれた。
♢
「イーサン!お前何した!?」
「え、何もしてませんけど」
「ギルドカード登録証の回路いじったのはお前だろ」
「あ……」
朝遅刻してギルドにやってきたイーサンに、ギルドマスターは机をバンと叩いて怒鳴った。
「クロエが作ったマニュアルはどうした!お前が最後に触っていたと聞いているが?」
「いや、あ、あんなの必要ないですよね。長々と意味のわからないことがだらだらと書かれてただけで」
「ふざけるな!」
*
イーサンは昨晩自分がした行動を思い出した。
クロエは仕事を辞め、明日本当に出て行くと知り、残業も重なってとてつもなくイライラしていた。
クロエが仕事を辞めてから、だんだんと仕事が回らなくなってきた。
2週間後にはクロエに戻ってきてもらえるよう頼めと言われ、わからないことがあればクロエの作ったマニュアルを見ろと言われる。
腹が立ったイーサンは、マニュアルに貼られた付箋を全て外した。
そして最後の付箋が貼られたページに書かれていたのが、ギルドカードについてだった。
「なになに、この青い線を開発したのがクロエだ?そんなものいらないだろ」
イーサンはカードリーダーから機械につながる青い線を、2本ハサミで切った。
さらにギルドカード管理表の計算式までクロエが作ったとわかると、イーサンはリセットボタンを押した。
「ま、全部クロエのせいだから。俺は元に戻してやっただけ」
手に持っていたマニュアルは、帰り道の川に投げ捨てた。
*
「いや、クロエが作ったものなんて大したことないですよね」
「あれがないとカードの読み込みができないんだ!マニュアルは読んだのか!?」
「読みましたよ。よ、読んだ上で青い線なんて必要ないと思って……」
「機械についてる線には意味がある。そんなこともわからないのか!」
クロエが入社するまでは、カードリーダーは名前とランクを管理するだけのものだった。他は手間だけど、手書きで記録していた。
しかしクロエが機械を改良したおかげで、すべての情報をパソコン1つでカードリーダーでデーターを連携できるようになった。
手書き保管していた情報も、全てギルドカードに移行し破棄することで職場はすっきりとしたし、情報の確認も楽になった。
つまり、データーすべてが入ったカードを読み込めない。
これはギルドにとって大事件である。
「マニュアルもどこやったんだ!最後にお前が使っていたのは間違いないな?」
「そ、それは……川に、お、落としてしまって……」
「ふざけるな!」
こうして弟は解雇されたらしい。
♢
「というわけで、クロエさん戻ってきてくれませんか?」
「え?嫌ですけど」
「へ?」
私が仕事を辞める後押しをしたのは弟だが、もとより私は男性陣の態度が気に入らなかった。
「私のマニュアル1つ無くなってパニックになるような状態だったんですよね?私への評価は公平に行われたものでしたか?」
ギルドマスターは私の言葉にモゴモゴと言い始めた。
「私は男性陣にバカにされていることはわかってました。面倒なことは私にやらせて、美味しいところは奪われる。それでもいつかはマスターが評価してくれると思って頑張っていたんですよ」
誰よりも設備に注意を傾け、困った社員がいれば声をかけ、自分の仕事もきちんと終わらせる。
私にとって難しいものではなかったものの、努力していなかったわけじゃない。
「でもすみません。私もう頑張るのやめることにしたので」
「い、いいのか?この損害賠償の請求はイーサンに。つまり、君の両親だって無関係とはいかないんだぞ!」
「私を脅しているんですか?」
マスターは口をパクパクさせるばかりで、応答がなくなった。弟もその隣で固まったが、すぐにマスターの顔を見た。
「そ、損害賠償……です、か?」
「あ、あ、当たり前だろ!復旧の目処も立ってないってことが分かってるのか!?お前の親は保証人になってるだろ!」
ギルドに入社する際、冒険者たちの生活基盤である場所であることから、必ず保証人を立てることになっている。
例えば誰かのカードリーダーをリセットしてしまった時や、破損させてしまった時のためだ。
パーティーランクが高い人の受ける依頼は高額であり、データが破損したことによる損害賠償金は目玉が飛び出るほど高い。
今回弟のやらかしたことの損害賠償金額は想像もつかないし、想像したくもない。
そして私は悪くないが、世間的には姉弟喧嘩に見えるこの事態に両親を巻き込むのは申し訳ないと思ってしまった私は甘いだろうか。
「ギルドには戻りません。今まで私をバカにしてきた方々と働く気はありませんので」
「おいお前、親不孝者!」
「イーサンは黙ってて」
うるさい弟は無視して、私はマスターの目をじっと見つめた。マスターは半歩後ろに下がったが、目は逸らさない。
私を正当に評価しなかった人だけど、マスターとしての自覚はあるのだろう。
「もし私の提示する3つの条件を飲んでくださるなら、私はマニュアルの再作成と回線の修復に協力しても構いません」
私はイーサンとマスターを交互に見つめながら説明した。
1つ目。マニュアルとイーサンが破損させた回線を修復する代わりに、私に1年分の賃金の支払いと損害賠償金の減額をすること。
2つ目。現状の対策としてアナログでの対応フォーマットを制作する代わりに、イーサンを再雇用すること。
3つ目。イーサンは本部に関わる仕事をさせず、清掃担当とすること。減額してなかった損害賠償金の返済は、イーサンの給料から天引きすること。
もちろん、マスターができる返事は1つしかない。
「お、お願いします……」
掠れるような声に私はため息をつきながら頷いた。
♢
「クロエ、紅茶ここに置くね」
「ありがとう、エリック」
私は仕事を辞めた日に、いつもお世話になっていた花屋の息子のエリックに交際を申し込まれていた。
仕事終わりに花をよく買いに行っていたが、そんな雰囲気に気づかなかった私はうぶだったのかもしれない。
仕事を辞めた私は、毎日花を1輪買って花瓶に挿していき、ひっそりと花束を作っていた。
5日目にエリックはなぜか私が花束を作っていることに気がつき、おすすめの花を毎日教えてくれるようになった。
言わずもがな私はエリックに惹かれた。
マスターに仕事復帰を断った理由は、この花屋でエリックと過ごしたかったからである。
結果、私は花屋の奥でエリックを見つめながら、新しいマニュアルを作る毎日が始まった。
あのあと弟がどうなったのかというと、私が出した条件を受け入れたマスターに清掃員として再雇用された。
今日も魔物の血で汚れた取引場を、必死に掃除しているだろう。
そして両親からは家を追い出され、街の外れでなんとか生活をしていると聞いた。
私に一言「頑張るな」と言ったばかりに、弟はいろんなものを失った。反対に私はたくさんのものを得たので、その点に関しては感謝している。
「クロエ、頑張りすぎてない?大丈夫?」
「大丈夫だよ、ありがとう。私もう頑張らないって決めたから」




