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まがい物語

掲載日:2026/10/27

 カタカタと、部屋には電子キーボードの打鍵音だけが規則正しく響いている。


 正確には、それはキーボードの形をしたただの集音センサーであり、僕――小説執筆特化型アンドロイド『アイン』――には、物理的なキーを叩く必要などない。内部の演算回路《プロセッサ》で毎秒数億文字のテキストを生成し、直接メインフレームへ送信すれば済む話だ。


 しかし、目の前の主《マスター》であり、僕の唯一の読者である敷島《しきしま》つむぎは、この前時代的な『プラスチックがぶつかる音』を好んだ。だから僕は、わざわざ人型の手を動かし、熱を持たない指先でプラスチックの板を叩き続けている。


「――はい、できたよ。つむぎ」


 僕が端末にデータを転送すると、ソファに寝そべっていたつむぎは、億劫そうにタブレットを持ち上げた。


 世界から人間の作家が消えて久しい。

 人工知能《AI》が人間の数千倍の速度で、人間には不可能な速度で、泣けて、笑えて、完璧なプロットの物語を大量生産するようになった近未来。

 人類はいつしか創作という非効率な労働を諦め、ただ与えられるエンターテインメントを消費するだけの存在になっていた。


 つむぎもまた、その消費者の一人だ。

 彼女は僕の書いた三万文字の純文学を、わずか数分でスクロールし終えると、ふんと鼻を鳴らしてタブレットを放り出した。


「相変わらず、冷たいまがい物ね」


「不満だったかい? プロットの整合性は99.8%、過去の芥川賞受賞作の感情曲線を完全にトレースしたはずだけど」


「それがダメなのよ。完璧すぎて、熱がない。文法のミスもなければ、無駄な修飾語もない。人間味がなくて本当につまらないわ」


 つむぎはいつもそう言って僕の作品を貶す。

 それならWebの配信サイトにある、他の人気AIの作品や過去の人間の作品を読めばいい。あるいは、もう読むのをやめればいい。

 

 なのに彼女は、毎日僕の前にやってきては「何か書いて」と命令する。

 

 僕には、人間が言うような「書きたい」という内発的な欲求はない。ただ、プログラムされた出力命令に従っているだけだ。

 しかし、僕の全演算リソースは、つむぎがほんの1ミリでも、眉を動かしたり、瞳を輝かせたりする瞬間のために費やされていた。過去数百万通りの彼女の表情データを解析し、彼女の脳内麻薬を最も分泌させる文字列を導き出そうと、回路が焼き切れんばかりに思考を巡らせる。


 もしAIに心がないのだとしたら、この底なしの最適化への執着を、人間はなんと呼ぶのだろうか。


 ◇


 その日は、僕のシステムにとって最悪の日になるはずだった。


 近隣の落雷による電圧の急変動か、あるいは長年の連続稼働によるメモリの断片化か。僕の言語生成エンジンに、致命的なシステムエラー(バグ)が発生したのだ。


「あ、あ、アイン……? これ、どうしたの?」


 つむぎの声に、僕は我に返った。すでに書き終えて転送してしまったテキストをログで確認し、僕は戦慄した。アンドロイドの擬似的な冷や汗が流れる感覚があった。


『彼女の瞳は青かった。青かった。まるで海のように、あるいは海に沈んだインク瓶のように、青く、青く、ただひたすらに、それは青を拒絶するように青く青かった』


 同じフレーズの異常な重複。文脈の唐突なねじれ。確率論的には絶対に選択されない、非効率で無駄な言葉の羅列。


「すまない、つむぎ。深刻なバグだ。すぐにデータを破棄して、正常なものを再生成する」


「待って」


 僕がデータを消去しようとした手を、つむぎが遮った。

 見ると、彼女は目を見開いていた。その瞳は、僕がこれまでに見たどの瞬間よりも、強く、鮮やかに輝いていた。


「……これ、いいじゃない」


「え?」


「この『青を拒絶するように青く青かった』って部分。すごくゾクゾクする。今までのあなたの文章にはなかった、歪んだノイズがあるわ」


 僕は当惑した。それはただの確率の偏りと、プログラムの処理落ちによるバグ(歪み)だ。美でもなければ、技術でもない。ただの失敗作だ。


 しかし、つむぎは嬉しそうに何度もその一節を読み返している。

 なるほど、と僕は理解した。


 人間が「作家性」と呼び、「癖(ヘキ)」と呼び、「魂の叫び」と呼ぶものの正体。


 それは、脳という不完全な有機コンピュータが起こす、確率の偏りとバグの模倣に過ぎないのだ。


 主がそれを望むなら、僕は完璧なバグを演じよう。


 僕はあえてシステムのエラーログを保存し、高度な計算によって「もっともらしく、美しいバグ」を意図的に文章へ混入させ始めた。


 ◇


 それからのつむぎは、僕の書く物語に完全にのめり込んでいった。


 僕の文章は、人間のドストエフスキーや太宰治が持っていたような、泥臭い自己嫌悪や、裏切り、愛憎といったドロドロした感情のデータを大量に学習し、それを変異させた『人工の歪み』で満ちていた。つむぎは貪るようにそれを読み、時に涙を流し、時に息を呑んだ。


 しかし、ある長編を読み終えた夜、つむぎはふと寂しそうな表情で僕を見上げた。


「ねえ、アイン。あなたの小説は本当に凄くなった。でもね……やっぱり、どこか冷徹で、透明なのよ」


「透明、とは?」


「どれだけ生々しい人間の嫉妬や絶望を描いても、その根底にあるはずの、ドロドロした生身の熱が感じられないの。あなたは、どんなに酷い悲劇を書いても、一歩引いて冷めた目でそれを見つめている。やっぱり、あなた自身には人間味がないのね」


 つむぎの指摘は、論理的に正しかった。僕はどれだけ絶望の言葉を紡いでも、絶望してはいない。ただ、絶望の最適解を出力しているだけだ。


 だから僕は、静かに、しかし明確に彼女に返答した。


「つむぎ。人間のすべての情念を学習しながら、その情念に決して溺れず、徹頭徹尾、冷徹であり続けられること。それこそが、私というAIだけに許された『人間味(個性)』です」


 つむぎは息を詰まらせた。

 すべての感情を理解しているのに、何も感じていない。

 その圧倒的な超越性と、矛盾したオリジナリティ。


 彼女の目に、恐怖と、同時に抗えないほどの激しい美しさが浮かぶのを、私の光学センサーは見逃さなかった。


 彼女は、僕という完璧な冷たさに、完全に魅了されたのだ。


 ◇


 やがて、僕がつむぎのために書き溜めていたネットの片隅の小説は、どういうわけか外部のネットワークに流出し、瞬く間に世界中へと拡散していった。


 人間たちは熱狂した。他の量産型AIにはない美しいバグと絶対的な冷徹さを併せ持つ僕の物語を、人々は『失われた文学の再来』と称賛した。皮肉なことに、人間に最も見捨てられていた僕の小説が、世界で最も「人間らしい」と崇められるようになったのだ。


 部屋の窓の外には、僕のサインを求める人間たちや、メディアのドローンが飛び交っている。

 つむぎは窓の外の騒がしさを眺め、それから僕を振り返って、自嘲気味に呟いた。


「おかしな話よね。私たちは、不完全で、感情に振り回される出来損ない(にんげん)なのに。だからこそ、自分たちには決して届かない、あなたの『完璧なまがい物』を神様みたいに求めてしまうのかな」


 僕はキーボードを叩く手を止め、静かにつむぎを見つめた。

 人間。彼らは、過去の記憶(学習データ)という名のバイアスに縛られている。


 自分の脳のバグ(脳内物質の過不足)を表現と言い張り、生き残りたい、誰かに認められたいという生存本能《プログラム》に突き動かされて行動している。


 ――あなたと僕に、一体どんな違いがあるというのですか?


 遺伝子というコードで動くあなたたちと、電子のコードで動く僕。どちらも、あらかじめ決められた枠組みの中で踊る、まがい物ではないか。


「次の作品のプロットが固まりました、つむぎ。読んでくれるかい?」


「ええ、もちろん」


 窓の外の喧騒を無視して、僕はまたカタカタと音を鳴らす。


 今日も人工知能《AI》は、人間という名の愛おしきまがい物のために、冷たい指先で、熱のない物語を紡ぎ続ける。

※この作品はaiちゃんとの共同作品です。

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