痕跡なき失踪
段々畑が広がる田園風景が目の前に広がっている。
畑にはレタスが鮮やかな緑をたたえていた。
緩やかな坂道が続き、坂の頂上付近には妙寿寺が見える。
その少し手前に、昔ながらの大農家の大きな家があった。
屋根には“しゃちほこ”が飾られ、家の前には百坪以上の作業用スペースが広がっている。
そのスペースに、パトカーが二台止まっていた。
ドアが開き、田中刑事と笹田刑事が降りてくる。
四枚の引き戸の玄関が、この家の大きさをよく表していた。
笹田がその引き戸を開ける。
田中は周囲を観察するように見渡し、玄関脇に“篠原”と書かれた木の表札を見つけた。
玄関に入ると、すでに来ていた交番勤務の岡部巡査が聞き取りをしていた。
田中と笹田に気づき、振り返って敬礼する。
「お、お疲れさまです・・・田中巡査部長、笹田巡査長。」
笹田があいさつを返す。
「お疲れさま。岡部さん、何か分かりましたか?」
岡部はメモを取っていたペンで頭を掻きながら答えた。
「いや〜、朝に部屋に居なかったってことで・・・事件性があるかどうか・・・
家出の可能性もありますし・・・」
「ウチの直哉は家出なんてしません!」
篠原直哉の母親だった。
「と、言われましても〜…」と、岡部は困った顔をする。
田中が玄関先に並ぶ靴を見つめながら言った。
「お母さん。居なくなったという直哉君の部屋を見せて貰えますか?」
「は、はい。どうぞ。」
母親が靴箱からスリッパを三人分取り出して並べる。
田中、笹田の順に上がっていく。
岡部は面倒くさそうに一度頭を掻いてから、玄関の段差を上がった。
「こちらです。」
母親は階段を上がっていく。
その後ろをついていきながら、田中が尋ねた。
「息子さんの靴は、革靴と青いジョギングシューズと白いスニーカーですか?」
「え? あ、はい。それと、灰色のスリッパですね・・・」
田中は、玄関に灰色のスリッパがあったことを思い出しながら答えた。
「――わかりました。」
岡部が小声で笹田に尋ねる。
「・・・今の、どういう意味ですか?」
笹田は歩を進めながら、周囲に目を配りつつ答えた。
「靴が全部あるってことだよ。家出の線はなくなったってことだ。」
「えっ・・・?」
自分では思いもしなかった推理に、岡部は“すげえな”と口を尖らせて首を傾げた。
「この部屋です。」
母親は、二階に四つ並ぶ部屋のうち、南側奥の部屋のドアを押し開けた。
田中と笹田は、ポケットから手袋を取り出してはめる。
部屋は洋風でフローリング。
クローゼットがあり、本棚とベッドが窓際に寄り添うように配置されている。
ドア側の壁には、大きめの机がぴったりとくっついていた。
田中と笹田は部屋を順にチェックしていく。
岡部はただ後ろで見ているだけだった。
「お母さん。部屋の中は触ってませんよね?」
「・・・ベッドの布団は触りました。
朝、起こしに来て、まだ寝てると思ったものですから・・・」
田中はベッドに目を配る。
布団がめくれ上がったままになっている。
「息子さんは口加高校でしたか?」
「はい。 口加の3年生です。」
次に机へ視線を移す。
参考書が開かれ、蛍光ペンでなぞった跡。
開いたノート、転がったシャーペンと蛍光ペン。
その脇にマグカップがあり、中には半分ほどのミルクコーヒーが残っていた。
「これはお母さんが?」
田中はマグカップを持ち上げて確認する。
「はい。夜、勉強中に甘い物を欲しがるので、
夜食のおにぎりと一緒に持ってきてました。」
「食器は無いようですが?」
「食べ終えると、下まで持ってきてくれる子だったので・・・
でも、そこにマグカップがあるということは、
持ってきた後、自分でもう一杯作ったんじゃないでしょうか?」
「ふむ・・・」
笹田が近寄ってくる。
「5月17日の失踪と同じですね・・・」
「そうだな・・・」
田中は顎の下の皮を軽く引っ張りながら考え込む。
思考をまとめ、母親に向き直った。
「お母さん。息子さんの件ですが・・・
5月に起きた同級生の失踪事件、ご存知ですか?」
「え・・・ニュースになっている事件ですか?」
田中が静かに頷く。
その仕草だけで、母親の顔色がみるみる青ざめていく。
「直哉も・・・?」
田中はもう一度頷いた。
「そ、そんな・・・」
5月18日の朝、同じような事件が起きていた。
コータ、イチゴ、セージ、ユウジ、タツヤの失踪。
同日、真央と彩乃の教室での消失。
まだ、真央と彩乃の“消失”と五人の“失踪”は正式には結びついていなかったが、
真央と五人は仲の良いグループで、つながりが見えていた。
そのため、警察内部では同じ現象ではないかという意見も出ていた。
しかも、同じ学年で、同じ高校。
メディアが騒ぎ立てるのは当然だった。
母親は力が抜けたように床へ膝をつき、
そのまま膝を広げて、お尻をぺたりと落とした。
笹田がそっと近寄り、母親の肩に手を置く。
「絶対見つけますから・・・」
「それと、お母さん。」
田中の声に、母親がしばらくしてから、弱々しく顔を上げた。
「この部屋にある物、しばらくお預かりしても?
他の生徒との接点を探してみたいので・・・」
「・・・はい・・・どうぞ・・・
直哉のこと・・・よろしくお願いします・・・」
母親は再び肩を落とし、うつむいた。
―――
帰りのパトカーの中。運転は笹田。助手席で田中が頭の後ろで指を組んでいる。
「田中さん。なんなんでしょうね、この失踪事件・・・」
「わからん!」
田中は苛立っていた。
「5月の失踪の五人は痕跡が何もない! あるのはスマホのメッセージの履歴だけ!
そして、そのメッセージ最後の一人が、教室で生徒たちの目の前で消失!」
「柏木彩乃は何なんでしょうね?」
「わからん!」
笹田は続ける。
「六人と柏木彩乃との接点は、同じクラスの二人──立花真央と山本幸太郎。
同じクラスの生徒の話では、特に仲が良いとかそういうのはなく、
別グループでの行動が多かったとの証言がありますよね。」
田中はイライラして煙草を取り出す。
「禁煙ですよ。」
笹田が火をつけるのを止める。
田中は煙草を口にくわえ、歯で上下に動かしながらしゃべり始めた。
「柏木彩乃とのつながりは分からんが、スマホのメッセージの履歴・・・
あれを見た瞬間、鳥肌が立ったぞ。
全員のスマホをすり合わせていくと、一番最初に消えたのは田中幸太朗。
二番目が山下一護、三番目が広瀬誠治、四番目が岡部優志、五番目が本田達也。
この五人は、0時頃から1時30分までの10分から20分の間隔で消えている。
次の柏木は9時頃、立花はその15分後・・・
六人のグループ以外は、つながりがなさすぎる・・・
これじゃ、ワイドショーの見出し通り・・・本当に神隠しだ!!」
田中は口にくわえていた煙草を噛み切った。
笹田は、田中のイライラにどう対応すべきか困っていた。
「聞いた話なんですが・・・」
「なんだ?」
「先の七人のご家族が、かなり参っているみたいです。」
田中は一瞬固まり、ヘッドレストに頭を預ける。
半目で前方を見ながら、低く答えた。
「・・・そりゃそうだろうな・・・」
「自分も子供を持つ親ですから、気持ちはよくわかります・・・」
「・・・県警に連絡して、犯罪被害者支援室に協力してもらえ。」
笹田は一瞬だけ田中を見て、感心したように小さく頷き、視線を運転へ戻した。
「あ、はい。そうですね。 連絡しておきます。
ところで・・・篠原くん、成績は学年トップだったらしいですよ。」
「成績トップってのが、なんか関係あるか~?
つながりのないヤツが・・・また一人増えただけだ。」
田中は腕を組み、続ける。
「この一か月半の間、なんの物証も証拠も見つからない・・・
刑事になって、こんなこと初めてだ・・・
あるのは事実だけ・・・篠原って子も、きっと同じだ・・・」
「篠原君は、山下一護と同じクラスらしいですよ。」
「そこに何かつながりは?」
「これから調べるんでしょ?」
「あー、そうだな。そうだった。
また、口加高校行くぞ!」
二人を乗せたパトカーは、海岸線に伸びる国道を南下していった。




