忍び寄る闇
1学期の中間テストが終わり、生徒たちの顔には
解放されたような明るさが戻っていた。
休み時間も勉強を続けているのは、成績上位の進学組くらいだ。
安永久美もその進学組の一人。
クラスの一番後ろで、彼女は一枚の紙を握りしめてじっと見つめていた。
その様子は、どこかおかしい。
(・・・順位が落ちた・・・あれだけ頑張ったのに・・・
最近よく眠れなくなったせいだ・・・集中できない・・・なんなのよ・・・)
久美は顔を伏せ、額を押さえる。
眉間には深いしわが寄り、体調も悪そうだった。
キーンコーン、カーンコーン。
休み時間が終わり、チャイムが学校中に鳴り響く。
先生が入ってきて授業を始めた。
久美は両手でほほを叩き、無理やり気合いを入れる。
(・・・集中・・・!)
黒板に書かれていく文字を必死に追い、
先生の説明をノートに書き込んでいく。
よく見ると、ノートも教科書も書き込みで真っ黒だ。
集中しようとすればするほど、
背中に“何か”がゆっくりと忍び寄るような圧がかかってくる。
ペンが止まり、手が震えた。
目がきょろきょろと周囲を探す。
だが、何もない。
眼鏡を外し、額の汗をぬぐう。
その瞬間――
視界がふっと暗くなり、久美の体が机に崩れ落ちた。
ガタンッ。
机が大きな音を立て、教室中が一瞬静まり返る。
その音に驚いた教師が振り返り、久美の倒れた姿を見て駆け寄った。
「安永! おい、大丈夫か!? 安永!」
久美は大量の汗をかき、顔色は真っ青。
誰が見ても“ただの貧血”ではないとわかる状態だった。
教師はクラスに向かって声を張る。
「ちょっと保健室へ運んでくる! お前ら、自習してろ!」
久美を抱え起こそうとしたが、ぐったりとした体に不安を覚え、
背負う形に切り替える。
「おい、手伝え。」
近くの生徒が慌てて駆け寄り、久美を椅子に起こす。
教師はその前に膝をつき、背中を向けた。
「よし、そっと乗せろ・・・そうだ・・・」
生徒たちが慎重に久美を教師の背に乗せると、
教師はゆっくりと立ち上がった。
「ドア開けてくれ! いいか、ちゃんと自習してろよ!」
そう言い残し、教師は久美を背負ったまま廊下を急ぐ。
(なんなんだ、このクラス・・・呪われてるのか・・・!?)
教師は焦りを隠せないまま、保健室へと向かった。
―――
保健室へと運ばれた久美は、ひとまずベッドに寝かされていた。
額には汗がにじみ、苦痛に耐えるように小さく唸っている。
教師と養護教諭の三浦が、久美の顔色を見て言葉を失っていた。
「とりあえず、原因もわかりませんし・・・
親御さんに連絡するか、救急車を呼ぶか・・・
担任の幸田先生と相談してください。
――僕は授業に戻ります。」
「わかりました。」
教師が出ていくと、三浦は久美の顔を見つめて小さく息を吐いた。
「こういう時、養護教諭なんて何にもできないから困るわ・・・
とりあえず、幸田先生に相談しないと・・・」
そうつぶやき、三浦も保健室を出ていった。
静まり返った保健室には、久美の荒い呼吸だけが残された。
久美は寝たまま首を左右に振り、何かから逃れようとしている。
「なんなの・・・なにをあけろって・・・いうの・・・」
あの声が、また響いていた。
(…あ…け…ろ…)
「だから・・・なんなの・・・?」
(…は…や…く…あ…け…ろ…)
「早く・・・? なに・・・わからない・・・」
「…ットだ!!」
荒々しい声がして、久美はびくりと体を震わせ、目を覚ました。
息が荒く、胸が上下する。
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・」
周りを見回すと、ベッドはカーテンで仕切られている。
ゆっくりと起き上がる。
眼鏡をしてないので、目を細めて周りを見る。
「はあ・・・はあ・・・ほけん・・・室・・・?」
久美は指でこめかみを押さえる。
「何か・・・夢を見てた気がする・・・」
額にはまだ汗が残り、胸の鼓動が早いままだ。
さっきまで耳元で囁いていた声が、まだ頭の奥に残っている気がした。
「安永さん、目を覚ましたの?」
カーテンの向こうから三浦と幸田が入ってくる。
「大丈夫?」
幸田が声をかける。
「じゅ、授業にもどります。」
久美はそう言ってベッドから降りようとするが、
足に力が入らず、ふらついてベッドのフレームをつかんだ。
「・・・今日はもう無理ね。親御さんを呼ぶから帰りなさい。
教室の荷物は私が持ってきます。
三浦先生、見ておいてくれますか。」
そう言って幸田は保健室を出ていく。
ドアの外でスリッパのパタパタという音が遠ざかっていった。
三浦はスポーツドリンクの入ったマグカップを差し出す。
「座って、これ飲みなさい。」
久美はベッドに腰を下ろし、マグカップを受け取る。
そのまま、握った手にぎゅっと力が入り、歯を食いしばった。
(こんなんじゃ・・・成績が落ちる一方だ・・・)
―――安永久美の自宅玄関
母親が迎えに来て、久美は自宅へ戻った。
「久美、ちゃんと休んでいるのよ。お母さん、パートに戻るから。」
学校からの連絡を受け、母親は仕事を抜け出して迎えに来ていた。
久美を家に送り届けると、急いで仕事へ戻っていった。
家は“しん”と静まり返っている。
その静けさに、久美はぞくりと悪寒を覚えた。
家の中を見渡すと、自分の部屋の方から――
重い圧のようなものが漂っている。
久美はゴクリと唾をのむ。
部屋に近づくにつれ、耳鳴りのような音がじわじわと大きくなっていく。
動悸が速くなる。
そっとドアノブに手をかけたところで、動きが止まる。
部屋の中から、誰かが“話し合っているような声”が聞こえた。
「・・・っ」
手のひらに汗がにじむ。
意を決し、ノブをひねり、勢いよくドアを開けた。
声はピタリと止まり、部屋はシンと静まり返る。
中には――誰もいなかった。
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・な、なんなのよ・・・」
「ああーーーーーーーっ!!」
久美は大声で叫んだ。
まるで、部屋にまとわりつく“何か”を追い払うように。
そのまま机へ向かい、バッグを置くと、中から教科書とノートを取り出していく。
机の上には大量の参考書が積まれ、ページの上にも横にも付箋がびっしり貼られていた。
久美は椅子に座り、バッグを机の横の隙間に押し込むと、
教科書と参考書とノートを開いた。
「のんびり寝てる訳にはいかない!
上の連中を抜くにはもっともっと勉強しないと・・・!」
(一番になりたいのか?)
「そうよ!!」
久美は、自分が“誰に”答えたのか分からず、動きを止めた。
部屋には――自分しかいない。
一瞬、背筋が冷たくなる。
だが、気のせいだと無理やり自分に言い聞かせ、
再びノートに視線を落とした。
その姿は、焦りと困惑を振り払うように、
“何かに追われている”ようにも見えた。




