歪な世界
この国は――歪んでいる。
私だけがそう思っているのだろうか。
この国の常識では、たぶん誰も信じて疑わない。
そして、いずれ私も。
この国で一人前の人間と認めてもらえる為には必要なことがある。
いつもパンの耳を売ってくれる、パン屋のおばさんも。
忙しそうに機械を動かす職人さんも。
夜の街の綺麗なお姉さんも。
場合によっては、お金持ちだけが通える学校の小さな子供まで。
この国の人は皆、指が――ない。
十本すべての指がない人もいる。
片手だけ指がない人もいる。
一本だけ指のない人もいる。
指をなくすことはステータスであり、必須事項なのだ。
私の指は十本ある。
生まれは知らない。誕生日すらわからない。
両親の顔など見たこともないし覚えてもいない。
狭く、薄暗い裏路地の片隅でひっそりと生きている。
それが指が十本ある私の生活。
機械と魔法の国。
それが客観視した時のこの国の評価になるだろう。
人々は機械を使うと同時に、大気中に含まれる「魔素」と呼ばれるものを利用している。
街の外にはモンスターと呼ばれる害獣が存在する。それらを倒すためには魔素を利用しなければならないのだという。
一人の少女が泥にまみれて、側溝のドブさらいをする。目的は落ちている小銭をかき集めるため。
そして少女はひとしきり自分のナワバリの側溝を調べ終わると、夕方からは大通りに座り込む。
目の前に空き缶を置いて、冷たい地面に手をついて。
指が十本あることを世間に晒す。頭を下げる必要はない。ただ、指が十本あることを示すだけでよいのだ。
それだけで奇特な人は、親切な人は空き缶に小銭を入れてくれる。稀にお札を入れてくれる人もいるが、そんなことはほとんどない。
少女は名をエレナと名乗っていた。
名乗る相手もほとんどいない。呼ばれることのない名。
それでも少女にとっては貴重な所有物だったし、大事なものだった。
年は十六歳くらいであろうか。
夜の街に立って、男を引くこともできる年齢ではあるがこの国では指の十本揃った女など買う男はいない。
だから今日もエレナは「指をなくすため」の費用を稼ぐため側溝をさらい、小銭をかき集め、大通りで物乞いをして金をためる。
狭い、薄暗い裏通りにはかつて仲間達がいた。その中でエレナは一番年齢が低かった。その中でリーダー格の男の子がいた。年はエレナより三つ年上だった。
その子が言うには、この街で一番安く指をなくすには三万レガ必要なのだといっていた。
パンの耳を買うのに五十レガ、水を買うのに百レガ。合計百五十レガは毎日の維持費として必要になる。力のある男の子はごみ処理場でゴミを漁り換金性のあるモノを探し、女の子は力を合わせて側溝の溝さらいをして小銭をかき集める。男の子は日が暮れるまでゴミを漁り、女の子は夕方になると大通りで空き缶を置いて物乞いをする。夜になると皆で持ち寄ったお金で少量のパンの耳を買い分け合い食べる。そしてブルーシートと段ボールで出来た家とも言えないような簡素な建物の中でくっついて眠る。
そして一進一退の貯蓄額を繰り返し苦節数年。目標としていた三万レガを貯めた者は晴れやかな顔で裏路地を後にした。三万レガの貯金をためた者から一人、また一人と指をなくして旅立っていく。指をなくして最底辺ではあるものの仕事にありついて安定した生活をする者もいた。根性を買われてギャングになる者もいた。また、一獲千金を夢見て冒険者へとなる者もいた。
どんどんと仲間たちは減っていき、最初のうちは食事なども多少面倒を見てくれていた者たちもある日突然来なくなる。幼いエレナにはその理由はわからなかったが、多分もう一生逢うことはできないだろうという事だけは理解できた。個の絶望的な状況から這い上がる術が用意されているのに、這い上がった先が決して明るい未来であるということはないのである。
やがて裏路地のメンバーは入れ替わり、人付き合いが下手なエレナは新しいグループで年長であるにもかかわらず、リーダーになることもできなかったし、他の人に自分の分を分け与えることもできるほど器用ではなかった。そうなると必然的に裏路地のメンバーからは阻害される。結局、エレナは一人で小銭を探し、物乞いをして生きていた。
ただ、エレナはその言葉を信じて、その言葉だけを頼りに、金を貯めて指をなくすことを目標に生きてきた。
敢えて食べずに水だけで過ごした日も一日や二日ではない。やせ細った体で必死になって三万レガを目標に耐え抜いてきた。
そしてとうとう、目標としていた三万レガを貯めることができた。
エレナは小銭がパンパンに詰まった袋をもって、はるか昔のリーダーだった少年のの教えてくれた店へと向かう。
「ごめんください……」
そういってエレナは重いドアを開き、声をかける。
室内からは血と、肉と、油の臭いが漂ってくる。
「聞こえてるよ。入ってきな」
年老いた野太い声がエレナへと返ってくる。
エレナは店内へと歩を進める。血の匂いが一層濃くなり、若干の腐敗臭がエレナの鼻へと刺激を与えてくる。
「すみません、指を……指をなくしたいのですが……」
「そうだろうな、それ以外の用事でうちの店には来ねぇよ」
そういって店の奥から白いひげを蓄えた小太りな男性が姿を現す。エプロンと思われるものを着ているが、明らかに血の飛び散った跡が散見される。
「あのっ、三万……三万レガで指をなくせると聞いて……」
「三万レガ? 足りないな。うちは一年前に値上げして三万五千レガでしか受けてねぇよ」
「そんな……」
小銭の詰まった袋をギュッと抱きしめて俯くエレナ。ここから五千レガ貯蓄するにはまた爪に火を点す思いと覚悟が必要だ。もうあの生活には戻りたくない。
そう思うと自然と涙がぽろぽろと零れ落ちてくる。
そんなエレナの姿を見た店主は頭をポリポリとかきながらエレナへと近づく。
エレナを値踏みするかのように、店主はエレナの頭、顔、身体をじろじろと眺める。
「嬢ちゃん、手ぇ出しな」
エレナはゆっくりと店主に向かって両手を差し出す。
店主はその両手をしっかりと眺めて問いかける。
「……落としたいのはどの指だ?」
「ひとさし……人差し指です」
「ふむ……三万レガで受ける条件がある」
「グスッ……なんでしょう?」
「道具は貸してやる。自分で指を落とせ。そしてその姿を動画で撮影させろ」
「ま、麻酔とかは……」
「無論なしだ。後処理はしてやる。指を切り落とすところまででいい」
エレナは袖で涙をぬぐい、店主へと向き直り決意を込めていった。
「それで……それでお願いします!」
「決まりだ。まずはうちの裏手で水浴びをしてきれいになってこい。特に入念に手は洗え。爪の間の泥もきれいに落とせ」
「……はい!」
エレナは店の裏口から出て、水道の蛇口をひねる。冷たい水が流れ出る。エレナは躊躇することなく、その水の流れに頭を突っ込む。
きれいな水での水浴びすら久しい。髪を伝う水は黒く濁り排水溝へと流れ込む。わしわしと頭を掻き、頭皮の汚れを洗い流してゆく。髪がごわつき、指に絡まる。少し力を入れて引っ張るとぼろぼろと髪は抜け落ちてゆく。
「せっけんを使え」
エレナの背後から店主の声がかかり、エレナの手にせっけんが手渡される。せっけんを使い丹念に髪を洗い流してゆく。これまでの苦労と我慢の日々を洗い流すかのように。
髪を洗い終わると顔を、手を、足をきれいに洗い流していく。
すべてを洗い終わるとこざっぱりした少女がそこにはいた。服はボロボロだが見た目は悪くない。唯一難点を上げるとすれば栄養不足により、年相応の女性らしさが不足しているといったところか。
店主は柔らかなタオルをエレナへと渡し、また店の中へと戻っていく。エレナはタオルで水滴を拭きとる。あらかたの水滴を拭きとったエレナは店内へと歩を進める。
この一歩一歩が指をなくす事へと近づくのだと決意を込めて。
店内へと戻ると店主は動画撮影の準備を既に整えていた。
カメラの先には、まるで料理の調理台の様におかれた木のまな板。そして大振りのナイフがきらりと光っている。
「カメラの前に立て」
「はい」
エレナはカメラの前へと歩を進める。まばゆいばかりのライトが照らされる。
「名前は?」
店主から質問をされる。
「え、エレナといいます」
「年齢は?」
「多分……十六歳です。自分の誕生日もわからないので……」
「手を見せて。指が十本すべてあることをカメラに向かって」
エレナは言われたとおりに手を開き、十本の指をカメラに見せつける。手の表も裏も見せて間違いなく十本あることを示す。
「今日、落とすのはどの指?」
「左手の……人差し指です……」
「今回は麻酔もしない。痛みが伴う。途中でやめるのが一番痛いよ?」
「さ、最後まで……耐えてみせます。泣いちゃうかもしれないけど……」
「じゃあ、さっそくやってみようか」
「……はい」
店主はカメラを近づけて、エレナの顔と指がうまく画角に収まるように調整する。
実際に木のまな板の上に自分の手を置くとわかる。木のまな板には今までの戦歴を刻むかのような無数の傷と染み込んだ古い血の跡が残り、傍らに置かれたナイフには何度も研がれた跡がある。
「じゃ、撮影再開するね」
「……はい」
「ナイフを持ってみて?」
「はい」
エレナはナイフを右手に持つとそのずっしりとした重さが伝わってくる。
「できそうかい?」
そう尋ねる店主の質問にエレナはごくりと生唾を飲み込み返事をする。
「が、頑張ります」
「じゃ、指を開いて台の上に手をついて」
エレナは言われたとおりに、左手を開いて台の上へと乗せる。
「自分のタイミングでいいよ。思い切ってやることが大事だ。ためらい傷は一番痛い。一気に体重を乗せて指を落とすんだ」
エレナは右手にナイフを持ったまま、左手をできる限り開きまな板の上に置く。狙いは人差し指一本。無作為にナイフを振り下ろすのは危険なのでナイフはまず少しまな板に食い込むように刃先を固定し、刃の根元で体重をかけて一気に切り落とすしかない。ナイフの湾曲を利用して、てこの原理でナイフの根元を使って一気に指を落とすのである。
エレナは台の上に左手をついたまま、右手でナイフを握り深呼吸をする。
フーっ、フーっ、フーっ。
わかってはいるが、なかなか踏ん切りがつかない。指を落とす。そのために頑張ってきたはずなのに最後の一歩が今踏み出せない。
お金さえあれば、こんな痛い思いをせずに麻酔を使って指を落とせるのに――。
子供の指を落とす場合はほとんどが全身麻酔で、病院にて処置が行われる。子供は泣くことも痛がることもなく、次に目覚めた時には指先に新しい機械の指が装着されていることになる。
これこそが差別であり区別。親ガチャとはよく言ったもので、出生先ひとつで人生の送り方が全く異なるのである。
そんな事を想ってしまうと、エレナの目からはぽろぽろと涙がこぼれる。
悲しいのではない。痛いことを想像した涙でもない。ただ、悔しいのだ。
悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい――。
その一心でエレナはナイフを左手の人差し指へと這わせる。
表皮と肉をえぐり鮮血が飛び散る。ナイフに体重をかけるとゴリッとした感触にいきつく。
――痛い。痛いけど悔しい。痛くて悔しい。エレナの貧弱な体では骨を容易に切り離せるだけの力が足りない。
エレナは左手をナイフと共に持ち上げて、勢いをつけてナイフごと台へと叩きつける。
鮮血を飛ばし、髪を振り乱し、涙も鼻水も流れ放題のひどい顔で。
歯を食いしばり、痛みと悔しさをぶつけるようにバシンバシンと大きな音を立てて台へと叩きつける。
二度、三度、四度。
五度目に左手とナイフを叩きつけたとき、右手でしっかりと握ったナイフから伝わる感触が変わった――その感触は骨を砕き木製の台へと突き刺さった感触。
台の上にはひどい有様で転がる左手の人差し指があった。エレナは確かに自分自身の力で指を落としたのだった。
左手は叩きつけたのと無理に切断したのとで全てがじんじんと痛み、感覚などとうになかった。
「はい、オッケー」
店主はそういってカメラを止めると、エレナの手を取り、「痛いぞ」と言うと消毒液をザバッとかけてくる。そしてポケットから取り出した針と糸で傷口を強く縫合していく。本当であれば消毒液も、縫合も針を刺されているので痛いのであろうが、既に左手はじんじんと痛み、縫合の痛みは全く感じられない。そんなエレナの傷口を店主は包帯を強く巻き、止血する。
「抜糸まではうちで面倒見てやる。傷口なんだからドブさらいはやめとけ。二階の物置で暮らせ。飯も用意してやろう」
「な……ぜ……?」
エレナは乾いた喉から精いっぱいの声を出して尋ねた。
「この動画は高く売れる。間違いねぇ。五千レガ以上の価値があると俺が判断したからだ。安心しな」
その言葉を聞くと、エレナはへなへなと腰砕けになって床に座り込む。まだ痛む左手と、指を落とせた安心感と、まだ生きられるという安堵感で涙をこぼした。
それから一週間、エレナは不自由なく店主の元で暮らした。
そして抜糸。傷口は完全に塞がり、実生活にも問題がない状態となった。
「それで、嬢ちゃん。どの義指にするか決めたかい?」
抜糸が終わると店主はエレナにそう聞いてきた。
「……まだ……決めきれてないです」
「そうか、うちで扱ってる義指のタイプは三種類しかない。一つ目が連射型。毎秒発射することができるが威力は弱い。もう一つが威力型。一発のチャージに十秒かかるが、威力はその分大きい。三つめがバランス型。一発のチャージ時間は五秒だがそこそこの威力しかない。この街で生きていくには……義指によるフィンガーショットを身に着けるしかない」
「はい……それはわかっています。義指を、フィンガーショットを身に着けて冒険者として街の外に出たいです」
「冒険者ならなおさらだ。モンスターと戦うのだから、戦略が即ち義指の種類となる」
「実際問題として、一人でモンスターを倒して稼ぐためにはどの義指が最適なのでしょうか?」
「俺は冒険者ギルドの人間じゃないからな……詳しいことは教えられねぇ。ただ、この近辺に出てくるモンスターはソロならラビット退治、仲間とパーティを組むならばゴブリン退治とは言われている」
「ラビットは素早いと聞いているので、連射型が最適だと思っています。ただ、連射型でゴブリンには歯もたたない程度のダメージしか与えられないのであれば、将来的に役立たずとなりますので初めから威力型で考える必要があると思っています」
「冒険者は大体複数本の義指を装着してるのは事実だよな」
「二本目の義指……」
「おっと、今度は三万レガでは受けれんぞ。一本目だからこそ、嬢ちゃんの動画には価値があったんだ。二本目となれば三万五千レガから値引くことはできない」
「はい。わかってます。当然だと思ってます。問題は連射型でラビットを狩ったとして、どの程度の期間で二本目の義指装着が可能になるのかという事です」
「ラビットのみを狩ることで生活は成り立つのか否か……か。今よりはマシな生活ができるとは思うがな。ラビットの毛皮も、肉も街では利用価値がある」
「それは知っています。ただ、連射型でいくつも穴の開いたラビットの肉はくず肉として安く提供されているのも事実です。また、複数の穴の開いた毛皮は利用価値が低いのでほとんど値が付きません。多分威力型、またはバランス型で頭を一気に貫く必要があるのだと思ってます」
「そこまで考えていたとはな。とはいえ、義指は一度装着すると変更はできねぇ」
「――私、決めました。最初はバランス型にします。練習を前提としてバランス型にします」
「正直、バランス型は威力型の補助として使うやつがほとんどだ。メインじゃねぇ、サブだ。十秒のチャージ時間を稼ぐために間に一発バランス型でダメージを与えておくんだ」
「構いません。ラビットをバランス型で狩れるという事は、私の射撃能力が上がったという事です。威力型を次に装着した時にその技術力は活きてくれるはずです」
「そうか……それじゃバランス型の義指を用意する」
義指はこの国では一般的に皆がつけている形状のもので、サソリの尾のような武骨な形状をしており、機械でできた黒光りする義指だった。
エレナはそれを左手の人差し指があった場所へと添える。すると淡く紫色に光り輝き、指の根元が義指と一体化していく。こうなるともう、引っ張ろうと折り曲げようと外れない。
エレナは仕組みなど知らない。ただ、その義指は人間の体内にある魔素を貪欲に吸収するために指の根元へとしっかりと喰い付く。一度喰い付くともう離れない。普通の指と同じように感覚で指先を曲げることもできれば伸ばすこともできる。
また、フィンガーショットを放つには、意識を指先へと持っていく。力をためるような感覚を必要秒数続けると、指先がほんのりと紫色に発光する。その状態で指先で狙いを定めて心の引き金を引くことで圧縮された魔素が放たれフィンガーショットとなる。
それだけわかっていれば十分だった。これで街の外に出れる。他人から蔑まされることがなくなる。自分の力で稼ぐことができるかもしれない。
エレナはそんな胸のドキドキを感じながら、街の門へと向かう。ここでは門の守衛が指先をチェックする。エレナはおずおずと左手を見せると、守衛は一言「よし!」とだけいって次の順番を待つ者へと関心が移っていった。認められた。これだけのことでエレナは泣きそうになる。
エレナは門をくぐり街の外へと出る。初めて見る街の外は、風が吹くのが心地よかった。
街中の雑踏から離れ、ただ広がる草原をいつまでも眺めていたいと思った。そんな中、ガサガサと草が揺れてぴょこっと顔を出したのはウサギの様な長い耳を持つモンスター、ラビットである。
我に返ったエレナは静かに左手の義指に魔素を集める。徐々に発光し、光を増していく義指の先。エレナはまっすぐにラビットの頭を狙い狙いを絞る。
距離にして約十メートル。近くもなく遠すぎもせず。そんな距離である。
(いけっ!)
エレナがそう思うだけで心の引き金は引かれ、フィンガーショットは光の尾をまといながらラビットへと迫る。ラビットは両耳をぴくぴくと動かしたかと思うとエレナのフィンガーショットをひょいと避けると共に、エレナを視認する。
エレナとラビットの目と目が合う――その刹那、ラビットはエレナに向かって一直線に向かってくる。
焦ったエレナは次弾のチャージも忘れて走って逃げる。
エレナがどれだけ走ってもラビットを引き離すことができない。既にエレナはラビットから敵として認識されてしまっていた。
足元の小石につまずいて、エレナは地面へと転がる。ラビットは勢いをつけて迫ってくる。そこでエレナはハッと気づく。間に合え。間に合えと思いながらフィンガーショットをチャージする。指先が徐々に発光する。ラビットの迫る勢いは全く衰えない。
ラビットが勢いよくエレナに向かって飛びつこうとしたその時、エレナは左手をラビットに向かって突き出して思わず目を瞑る。
「嫌あああああああああああああ!」
全く狙いなど定まっていない。運よくエレナの指先から放たれたフィンガーショットはラビットの胴体を貫通し、どさりとラビットは地面へと落下する。
エレナが恐る恐る目を開くと、そこには胴体に穴をあけたラビットだったものがピクピクと痙攣しながら横たわっている姿だった。身体のど真ん中を貫通している為、毛皮としても、肉としても二束三文にしかならなさそうな一品であったがそれは確かにエレナ自身が手にした栄光だった。
「やった……やった……」
ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返しながら、エレナは今までにない達成感を味わっていた。
エレナはそれから毎日、ラビットを狩り続けた。
とはいえ、無理はしない。常に距離的な安全マージンと狙いが可能な範囲を調べ、実際にやってみる。一日一匹以上狩れる日もあれば、ゼロの日もあった。何が良かった、なにが悪かったと自分自身で反省と改善を繰り返し、だんだんと狩りにも慣れてきてエレナ自身の射撃精度も上がっていくのがわかった。
ラビットにはラビットの呼吸がある。呼吸のタイミング、耳の動き、口元の動きからエレナの攻撃に対応するまでの時間。距離の問題。それらをコツコツと経験しながら積み重ねていくことでエレナの実力はどんどん上がっていった。
ひと月も経つとエレナは冒険者組合に所属し、組合から依頼される数のラビットを納品できるようにまでなった。それでもなお、エレナは無駄遣いを避けていた。次の右手の義指のためにである。
半年ほどで三万五千レガを貯めて、再び店主のもとを訪ねた時には店主はエレナを抱きしめて、自分の事のように喜んでくれた。エレナは安全マージンを取ってひたすらラビットのみを狩り続けたことが幸いした。冒険者となった浮浪児の行く末は、ほとんどがその全能感に酔いしれ無謀な冒険へと出かけて帰らぬ人となるのだそうだ。
二本目の義指は予定通り右手の人差し指とした。今回は満額支払っているので部分麻酔ではあるが指の切断から後処理までを店主が実施してくれた。
それでも骨を断つ際のゴリッゴリッという音はしばらく耳の奥に残り続ける音だった。
左手はバランス型、右手は威力型。このコンビでエレナはゴブリン退治へと赴こうと決めていた。
ゴブリンは『一匹見たら二十匹はいると思え』という言葉の通り、団体で現れることで有名だった。統制の取れた行動はしないのに、群れる。行動目的は食欲と性欲。あとは底知れない征服欲。それは人間に対しての劣等感からなのか、ゴブリンとして生まれたが故の欲望なのかは知らない。ただ、ゴブリン退治のため、複数本の指を義指として次々対処を行うか、パーティを組んで各個撃破を狙わざるを得ないモンスターであった。
エレナがゴブリンを目標としていたのは理由がある。ゴブリンは存在そのものが悪なので討伐するだけでよかった。討伐の証跡としてゴブリンの耳を持っていく必要があったが、ラビットのように状態を気にする必要も、大量の獲物を抱え込む必要もなかった
ゴブリンは商隊や村々を襲っては女を攫い犯す。そして孕ませてゴブリンは増えてゆく。苗床とされるのだ。
このあたりでは一番の害獣。更には肉や毛皮と言ったラビットにはある利用価値がゴブリンには皆無。ただ、人間にとって邪魔だからという理由で冒険者組合は駆除の要請を出し、冒険者はそれを受けて数人がかりでゴブリンを討伐する。商隊の人もそれぞれフィンガーショットを装備しているとはいえ護衛が不在な場合や、想定以上のゴブリンが襲ってきた場合など、多勢に無勢になると一気に押し負ける。はっきり言えばソロで狩る相手ではない。しかしエレナは誰かと組むことは考えずソロで狩る方法をずっと模索しそのための努力を積み重ねてきていた。ゴブリンから安全な距離をとりつつ確実に遠距離から撃破する。そこまで考えての義指の構成だった。
その日エレナは朝早くからマントをなびかせて、歩みを進めていた。愚者の森はゴブリンの主な生息地体で、この街では愚者の森で活躍できて冒険者としては一人前と認められる。
エレナは森に入ってからも慎重に歩みを進める。けもの道に沿って従うように歩みを進め、無駄に草木を揺らすことなく森の奥深くまで入ってゆく。できる限り音を立てることなく。ゴブリンに気付かれる前にこちらが見つけなくてはならない。
さらに愚者の森は、木々が青々と覆い茂っている為、太陽の光が届きにくく自分の位置が把握しにくい。帰りのことまで考えて、自分の来た道、北方向をしっかりと把握し、確実に街に帰れる手段を残しておかなくてはいけない。愚者の森での野営などもってのほかである。
気付いたときにはゴブリンの集団に包囲され、物量に押されてあっという間に制圧されてしまう。
装備もゴブリンとの戦いに合わせて買いそろえた。靴音が響かないようになめし革のブーツを履いているし、マントも森の木々に隠れられるよう、緑色を選択した。
ゆっくりと、確実に森の中を進む。あわよくば野生している薬草などがないか足元に注意して進む。聞いた話では、ゴブリンは狡猾に自分のテリトリーで、草同士を結んで転ぶような罠を設置するのだという。また、ゴブリンの弓矢には注意が必要で、先端に毒が塗られているのだという。毒と言っても即死すするようなものではなく、主にキノコを原材料とした神経毒、そしてゴブリンの便を塗りたくった矢じり。それによりかすり傷であっても適切な対処を行わないと破傷風などの合併症を引き起こし、最悪死に至ったり、四肢を切断する羽目になるのだと聞いている。ゴブリンは決して弱いモンスターではないというのが冒険者の認識である。
そんな中、エレナは一匹のゴブリンを見つける。じっと様子をうかがうと続けて二匹目、三匹目のゴブリンが現れてくる。ゴブリンは緑色の身体であるため森の中では保護色となり視認が難しくなる。エレナはできる限り音をたてないように近くにあった木に登り始める。この日のためにエレナは木のぼりを練習してきた。愚者の森の木々は少しでも太陽の光を集めようと高い位置にしか枝葉を伸ばさない。その為、低い位置に足をかけられるような枝はなく、ある程度の高さまではロープを用いた木登りをする必要がある。『ぶり縄』と呼ばれる手法で、三十~四十センチの枝とロープの組み合わせで足場を作りながら木に登る手法である。ロープの結び方から、実際に木に登れるようになるまでそれなりに時間はかかったが、エレナは持ち前の身軽さと覚えの良さであまり苦労することなく習得することができた。
まず、ロープを木に回し、木の枝の下に足をかけるロープを作成し、後は八の字に木の枝にロープを回せば簡易の足場が完成となる。ポイントは自分の位置より少し高い位置に設置する事。そしてその足場ロープへと昇り、次の足場を頭の少し上に作る。登ったら下の段をほどきまた頭の少し上で足場を作る。そしてようやく木の太い枝に登ることができれば、足場は解体して背中の背嚢へと仕舞う。背嚢にはぶり縄に必要なロープと、水。そして少量のラビットの乾燥肉を入れてある。木々の枝の上は、ゴブリンまでの射程が伸びるデメリットはあるものの、すぐに発見され反撃がされにくいメリットのある場所。即ち木の上からの断続的な射撃こそ一人でゴブリンを退治する方法だと考えたのだ。
三匹のゴブリンは何をするでもなく、ただ森の中をぶらぶらしている。時折、右手に持ったこん棒で木々を叩いて鳴らしたり、草を払ったりしてはイヒヒヒヒと歯をむき出して笑いあっている。モンスターと言えど、二足歩行をしている知的生命体と考えると殺すことに躊躇してしまいそうになる。
エレナが右手の指先に力を込めると淡く発光が始まる。左手にも力を入れて連続して射撃ができるような状況を作り出す。虫の音、鳥の声、森の音。そしてエレナの息遣いだけが聞こえる中、エレナは一匹のゴブリンに狙いを絞る。このゴブリンが後ろを向いた瞬間に後頭部を威力型で一気に貫く。そう決めたエレナは瞬間を待つ。
(今だっ!)
エレナの右手の義指からフィンガーショットが放たれる。フィンガーショットは狙いを外すことなくゴブリンの後頭部を貫き、ゴブリンはそのまま倒れる。
残った二匹のゴブリンは警戒態勢となるが、エレナを発見できず周囲をきょろきょろと索敵している。エレナは第二射にむけて右手に力を込める。
(早く……早く……)
第二射のフィンガーショットで横を向いたゴブリンのこめかみを貫いて二匹目を倒す。
(残り一匹……)
ゴブリンはまだエレナが木の上にいることは気付いていない。エレナはわざと左手のフィンガーショットを明後日の草むらへと打ち込み音を立てる。ゴブリンはその音に反応し草むらの方へと注意を向ける。その瞬間、右手からの第三射のフィンガーショットがゴブリンの頭を貫きゴブリンは膝から砕け落ちるように倒れた。
(やった……できるんだ、一人でも。私でも)
ゴブリンを一人で倒せたという興奮を抑えつつ、エレナは木から降りてゴブリンの耳を小型のナイフで切る取りに向かう。ゴブリンは討伐の証跡として耳を切り取ってくることとなっている。耳は必ず右耳と決まっており、左右の耳が混じると討伐対象をごまかしたのではないかと疑われ、冒険者組合での信用が下がってしまう。
エレナは周囲を警戒しながらも一匹目のゴブリンの右耳をナイフで切り取り、腰につるしてある小袋へと収納する。続いて二匹目のゴブリンの右耳を切っているとき、ゴン!と後頭部に衝撃を受けてエレナは膝から崩れて倒れこむ。
――一匹見たら二十匹はいると思え。
冒険者が口々にいうこの話は決して嘘ではなかった。ゴブリンは群れるのである。それはエレナもわかっていたはずだし、木から降りるさも周囲を警戒していたはずだった。ゴブリンが狡猾なのである。音をたてなければ保護色のゴブリンは視認しにくい。草木の陰に隠れてしまえばいくらエレナが警戒していたとはいえ、初心者冒険者など赤子の手をひねる様なものである。つまりエレナは格好の餌だった。
次にエレナが気がついたのは、すっかり日も傾いた頃でゴブリンに乱雑に植物の蔦で手足を縛られ、運搬されている最中だった。
エレナが男であったならば多分その場で殺されていたのであろう。女であったことが幸いしたのか、エレナは厳重に植物のつるで身体を拘束され運ばれている。
(まずい……このままでは巣に運ばれる……)
ゴブリンは巣を持ち、そこで生活、繁殖を行う。エレナはその苗床として選ばれたのだった。両手を後ろ手に縛られており自由が利かない。
ゴブリンにばれない程度に力を入れてみたり、身体をひねってみたが簡単にほどけるようなことは無く、むしろ手首など、素肌の出ている所は植物の蔦と擦れて痛いくらいだった。
ゴブリンは簡易な担架のようなものを木と植物の蔦でこしらえており、エレナはその上に乗せられて運ばれている。薄目を開けて周囲を確認する限り六匹のゴブリンがエレナを運んでいる。担架を担いでいる前に二人、後ろに二人。そして先頭を歩く一匹のゴブリンは意気揚々と棍棒を掲げて偉そうに歩いている。エレナの後頭部を叩いたのがあのゴブリンなのであろう。
後方には少し小さめのゴブリンが担架の後をついてきている。
この状態でフィンガーショットが狙えるかと言われると正直厳しい。知能が低いとはいえ、ゴブリンも馬鹿ではない。人間のフィンガーショットの威力や、その危険性くらいはわかっているので安易に指先に魔素を溜めると発光するのでわかってしまう。そうなるとゴブリンは再びエレナに対して攻撃を仕掛けてくる。そして再び気絶した時にはもう巣に運び込まれてしまい、エレナの冒険者としての人生はそこで終わってしまう。そして威力型の一発で倒せるのは一匹。バランス型で倒せるとすれば後方からついてくる小さなゴブリンがせいぜいで、他のゴブリンに対して県政はできても倒すことはできない。二匹倒せたとしても、後ろ手に縛られ、両足もきつく縛られた状態で四匹のゴブリンを相手にするのは無茶が過ぎる。
こんな時に、普通の少女ならばどうするのだろうか。自分の将来を悲観して泣き崩れるのだろうか。それとも最後まで勇敢に立ち向かうのであろうか。
頼れる仲間のいないエレナは、考えるしかない。考えて、考えて、考え抜いて行動を起こすしかない。このままゴブリンの苗床になることを受け入れてはいけない。
やがて一行は崖と崖の間にかかった粗末なつり橋へと辿り着いた。先頭のゴブリンはひょいひょいと身軽につり橋を渡り切る。ギャギャギャと耳障りな声を出すと、担架を運んでいる四匹のゴブリンに早く渡れと言わんばかりにアピールする。その間エレナは黙ってゴブリンがつり橋を渡り切るまでの秒数を数えていた。秒数にして二十秒。ゴブリンは人間より背丈が小さく、歩幅も狭い。そのゴブリンが二十秒というのだから人間であれば十秒ほどで渡れる。自分が十秒歩いたときの長さを思い出す。エレナの一歩は大体六十センチメートル。大人の男性であればもう少し歩幅は広いであろうが、単純計算で一秒一歩として六メートルのつり橋。更に担架を担いで渡るというのだから三十秒は見積れる。つまり右手の威力型なら三発は発射できる計算。四人中三人倒せるというのはデカい。特に担架の後方を持っている二匹を倒せたらな、それは絶大なる効果を得られる。左手のバランス型も交えるなら三十秒という時間は合計で九発のフィンガーショットを撃つだけの貴重な時間となりえるのである。丈夫な橋には見えないため、後方の小さなゴブリンも一緒につり橋には乗ってこない。そう目算を立ててエレナは覚悟を決める。
エレナを担いだゴブリンはエレナの想像とほとんど変わらないスピードでつり橋を渡り始める。ゴブリンたちはつり橋の橋げたを踏み外さないようにするため、下を向いて歩いている。担架の後方を担ぐのゴブリンが完全につり橋の上に乗ったことを確認する。
(チャンスだ!)
ここしかないとエレナは両指の義指に力を込める。まずは左指のチャージが完了し、担架の左後方を持っているゴブリンの頭に向かって大体の狙いでフィンガーショットを撃ちこむ。下を向いて慎重に歩いていたゴブリンは回避することもできず眉間に直撃する。
ゴブリンはその衝撃に耐えられず、担架を思わず手放すと担架を担いでいた残り三人もバランスを崩す。足場の不安定なつり橋の上で、急に眉間に衝撃が走れば、簡単に担架など手放してしまう。左指の第二射の使い方は決まっている。右手の威力型はまだチャージが完了していない。エレナは転がるようにして担架から逃れると、腹筋だけで起き上がる。両指のチャージ完了まであと二秒。
担架の前方を担いでいたゴブリンも異常に気付き、担架を放り出してエレナへ飛び掛かる。
その刹那、左右のチャージが終わる。
左指のフィンガーショットで後ろ手に縛られている蔦を打ち抜き、右手をすばやく引き抜くと担架の左前方を担いでいたゴブリンがエレナに飛び掛かるのとほぼ同時だった。
右指から威力型のフィンガーショットを撃ち、飛び掛かってきたゴブリンのちょうど腹の真ん中に風穴を開ける。どすっと落ちたゴブリンはピクピクと動いているが気にしている暇はない。
すぐに左右の指に力を込める。ここから最低五秒は無防備でかわし切らなくてはならない。
エレナは担架を両手でつかむとバランス型を食らった左後方のゴブリンに対して突く。担架ではなく長い槍として使用する。先端がとがっていることが本来は望ましいのであろうが、今は時間を稼ぐことが最優先。左後方のゴブリンはみぞおちに担架の柄を食らい悶絶する。
そしてそのまま右後方のゴブリンに対して横っ面に担架をぶつける。今度は長い棍棒として使うのだ。
今度は右前方のゴブリンが飛び掛かって襲ってくる。左指のチャージは完了済み。冷静に担架を捨てるとバランス型でゴブリンの脳天を撃ち抜く。バランス型でも至近距離から急所に撃たれれば十二分にゴブリンは倒せる。これでゴブリンは残り四匹。
ハアハア、ゼイゼイと呼吸を荒くしながらもエレナの脳内では冷静に次の手を考えている。
ゴブリンたちも一度冷静になったのか、既に渡り終えたゴブリンがつり橋へと戻り包囲することでエレナを再び無力化しようとしている。
エレナは再び左右チャージが完了する。逃げ場のない、足場の悪いつり橋の上で先に動くことは負けに等しい。それはゴブリンにもわかっているようで、じりじりとエレナへと確実に距離を縮めてきている。エレナはまだ両足が蔦で縛られている状態の為、回避行動はとれないと言ってもいい。一番警戒しなければならないのは前方のゴブリン。こいつだけが唯一こん棒を所持している。つまり、最優先で殺さねばならないのはこのゴブリン。
後方のゴブリンについてはそれぞれダメージを与えている為、優先順位としては下がる。
一番後方にいた小さなゴブリンはその状況を見て逃げ出した。ゴブリンの仲間を呼びに行ったのか、逃げたのかはわからない。とはいえ、長期戦に持ち込むことはエレナにとって得策ではない。ギシギシとつり橋の揺れる音だけが響く。
次の瞬間、前方のこん棒を持ったゴブリンがしびれを切らせて飛び掛かってくる。エレナは左右の手をクロスする形で、威力型の右手で飛び掛かってきたゴブリンを迎撃する。右指のフィンガーショットはゴブリンの大きく開けた口を貫通し力なく空中からどさりと落ちる。
――残り二匹。
前方はもう気にしなくてよい。後方の二匹にだけ集中していればそれでよい。
後方のゴブリンは腰から下げていたこん棒を装備し、じりじりと距離を詰めてくる。
エレナのフィンガーショットは左指のみ。右指はまだチャージが終わらない。二匹同時に飛び掛かってくる可能性は薄い。既につり橋のギシギシときしむ音は最高潮を迎えている。
後方左のゴブリンが飛び掛かってくる。今度はこん棒を左腕で受ける。特に小手など装備していないエレナにとっては鈍器で殴られただけでも骨が割れそうなくらい痛い。しかしここで負けてはいけないと力の限り受け止める。そして右指のチャージが完了すると同時にゴブリンの眉間にむけて右指のフィンガーショットを撃ち抜く。先程まで左腕にかけられていた力がぬけ、こん棒が荒い橋げたの隙間から下の川へと落ちていく。
――残り一匹。
既に一度バランス型の直撃を受け、更には担架で突いた手負いのゴブリンである。しかしこちらも左腕で防御したため、左腕の感覚がほとんどない。
力の限りを振り絞りエレナは左指を残りのゴブリンへと向け、フィンガーショットを撃ちこむ。ゴブリンはそのフィンガーショットを避けることもできず直撃するとバランスを崩してそのままつり橋から落ちていった。
(助かった……)
エレナがそう感じた。その一瞬視界の端にきらりと光るものが見え、無理な体制であることを承知しながら身体をねじって躱す。
後方に言った小さなゴブリンは逃げたのでも、援軍を呼びに行ったのでもない。弓でずっとエレナの隙を伺っていたのである。
エレナはバランスを崩しそのままゆっくりとつり橋から落下する。
なす術などない。掴む場所もない。唯一エレナにできることと言えば川に落ちる前に足に絡みついている蔦を処理することだけである。エレナはフィンガーショットを足の蔦へと向かって放つ。蔦を貫通したフィンガーショットはそのままつり橋の古いロープも切断し、つり橋の残骸と共に川へと落ちていった。
水面へと叩きつけられたエレナは肺の中の空気をすべて吐き出させられるような衝撃と共に、水中へと沈んだ。幸いなことに川にはある程度の深さがあり、川底に頭をぶつけて即死するようなことがなかった。
川の流れが速いものの、エレナは必死に水面へと顔を出すと、先ほどのつり橋の橋げただった木材がいくつか浮いている。必死になって木材を掴み、水面へと顔を出し呼吸する。
とはいえ、泳いだことのないエレナとしてはただ黙って流されていくのみである。
日も暮れていき、段々と辺りは真っ暗になり身体も冷えていく中でエレナは必死に木材にしがみつき流されていった。
次にエレナが気付いたのは川の流れも穏やかになり、大きく曲がる川岸だった。
身体はすっかり冷え切っており、朝日が木漏れ日のように差し込んでいた。
流れの穏やかな河川があるという事は、街や村がある可能性が高い。そこまでたどり着けばという気持ちだった。
方向もわからなければ、地図もない。それでもエレナは川沿いに歩き続けた。
周囲が森から平原へと変わると、その先に城壁らしきものが見えた。
(助かった……)
エレナは心底安堵した。距離はあるが人里に戻れれば態勢は立て直せる。
エレナは草原の中を一歩一歩確実に進む。
やがて城壁に到着すると、門には守衛が立っていた。
エレナの姿をみると最初は警戒していたが、事情を話すとそうかそうかと納得してくれた。
「君は指のない国から来たのだね……」
守衛はそういって右目の眼帯をひょいと持ち上げる。
「――この街は、この国は……みんな眼がないのだよ」
そういって機械の義眼をエレナに見せてくる。
エレナはこの瞬間この国の、この世界の歪さを知った。
2025年カクヨムコンの短編賞に応募した作品を公開します。
箸にも棒にも引っ掛からなかったのでそんなもんです。




