落語声劇「てれすこ」
落語声劇「てれすこ」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約20分
必要演者数:4名
(0:0:4)
(4:0:0)
(3:1:0)
(2:2:0)
(1:3:0)
(0:4:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
多度屋茂兵衛:名前の分からない珍魚の話を聞いて、漁師も分からないな
ら、適当な名を言えば褒美がもらえるだろうと考え、
事実、その通りになるが…。
女房:茂兵衛の女房。
捕まった茂兵衛の為に神仏に願掛けしている。
役人:奉行所にて働くお役人様。
茂兵衛の態度が怪しいと気づいている。
奉行:奉行所を任されている天下のお奉行様。
北町なのか南町なのかは語られていない。
漁師:沖合で名前の分からない珍魚が網にかかっていたのを奉行所へ届け
に来る。
農民:江戸のどこかのなんとかという名前の村民。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
茂兵衛:漁師:
役人・農民:
奉行・枕:
女房・語り:
枕:昔から所変われば品変わるなんという言葉がございますが、
よくよく聞いてみますてえと品が変わるというのは違うんだそうです
。名が変わると言う方が本当なんですな。
交通が今ほど発達していなかったころは、その土地特有の方言なんと
いうものが色濃くあったものです。
近ごろはどちらへ参りましても言葉の違いというものはそうそう無く
なってきましたが、当時はそうはいかなかったようでございまして。
漁師:今日はぼちぼちってとこだなァ…ん?
何だこりゃ?見た事のねえ魚だな。
うーん…もしかしたら、お役人様とかなら知ってるかもしれねえ。
よし、奉行所さ持ってくべ。
【二拍】
お願えでございます!お願えでございます!
役人:どぉ~れ。
うん?なんだ、その方は?
漁師:わたしどもはここらの浜方の漁師でごぜえますだ。
実はこんな魚が網にかかりましたが、名前が分からねえんでごぜえ
ます。
お役人様なら存じておられると思って参りましただ。
役人:ほう、珍魚がとれたと申すか。
漁師:いやぁ、赤くはねえから金魚ではねえですだ。
役人:そうではない。
珍しい魚を珍魚と申すのだ。
漁師:はあ、さようでごぜえますか。
それで、なんという魚でごぜえますか?
役人:ともあれ、これへ出して見せよ。
!むむ、これは…。
【つぶやく】
うぅむ…このような魚、今まで見た事がないぞ…。
というか漁師が知らんのにわしが知るわけなかろうが。
しかし、ただ知らぬと言ったのではわしの面目が…。
っど、どれ、この魚はひとまずこちらで預かりおく。
おって沙汰をいたすゆえな。
漁師:へ、へえ、わかりましただ。
語り:自尊心がお高めな役人様、まさか知らぬとも言えずに漁師が持ち込
んだ謎の魚を、同僚や上役達と額を寄せ集めて相談しあうもやっぱ
り答えは出ない。
現代でしたら潮の流れの具合で、どの辺から来たという事も判明す
るのでしょうが、そこは昔の事ゆえどうにもしょうがない。
しかし、自分達の面子にかけてもただ知らないとうっちゃっておく
わけにもいかない。
だいいちお上の沽券にかかわるという事で、これを一枚ずつ丁寧に
描き写すと、人の集まる所へ張りだした。
農民:茂兵衛さん、聞いたかい?
茂兵衛:何がだい?
農民:なんでも、珍魚がとれたらしいだよ。
茂兵衛:なに、金魚?
別に金魚は珍しくもないだろう。
農民:金魚でねえ、珍魚だ。
おらと同じこと言ってるべ。
珍しい魚のことだ。
茂兵衛:ははあ、なるほどなあ。
農民:なんでも、名前がわからねえんだとか。
名前を知ってる人間は奉行所まで名乗り出れば、褒美がもらえるん
だと。
茂兵衛:へえ、褒美かぁ。
どのくらいもらえるんだい?
農民:百両だって話だぁ。
茂兵衛:百両!
これァまた大枚だなぁ。
とりあえず、その魚を見てこようか。
【二拍】
お、あの張り紙だな。
どれどれ…はいごめんよ、はいごめんよ。
え~なになに…?
此度、沖合にてかような珍魚がとれる。
魚の名を存じおる者あらば、役所まで申しいでよ。
褒美として金百両をつかわすものなり…へえ、ずいぶんとでかい
褒美だな、こいつは。
漁師も知らねえんだ。適当こいてもバレねえだろ。
【二拍】
お願いでございます、お願いでございます!
役人:どぉ~れ。
む、何じゃその方は?
茂兵衛:手前は多度屋茂兵衛と申しまする者でございます。
張り紙にありました魚の名を存じておりますゆえ申し上げたく、
まかり出でましてございます。
役人:おぉさようか。
では付いて参れ。
申し上げます。かの珍魚の名を存じておる者を連れて参りました。
奉行:おお、その者がか。
してその方、珍魚の名を存じおるというのはまことか?
茂兵衛:はい、存じておりまする。
奉行:そうか。
して、あれは何と申すのだ?
茂兵衛:その前に、張り紙で一度拝見いたしましたが、魚そのものはまだ
見ておりませぬ。それゆえもし申し上げましたとして、万一にも
間違いましては相なりませぬゆえ、念の為に実物を拝見いたし
とうございます。
奉行:うむ、いかにももっともじゃ。
あぁこれ、かの珍魚をこれへ。
役人:ははっ。
【二拍】
さあ、これじゃ。
とくと見て調べるがよい。
茂兵衛:ははっ。ではご免くださいまして…。
【二拍】
ふむ…ふむ…。
あぁこれならば手前、存じておりまする。
申し上げましたる節は、張り紙にございましたご褒美、
手前に頂戴願えますもので?
奉行:うむ、間違いなくその方につかわす。
して、何と申すのじゃ?
茂兵衛:ははっ。
しからば恐れながら申し上げます。
かの魚の名は、「てれすこ」と申すものでござりまする。
奉行:…うむ?何と申した?
茂兵衛:「てれすこ」にございまする。
奉行:「てれすこ」…とな?
役人:【声を落として】
な、なんじゃその名は…。
語り:あまりに珍妙な名前が飛び出してきたので、周りはぽかーん。
しかし茂兵衛は大真面目かつ、神妙な顔をして申し立てる。
さすがにそれは違うのではないかと役人たちは思った。
…思ったんだけど、自分達も知らないものだから否定もできない。
奉行:…なるほどのう。
その方は博学であるな。
これ、約束通りに褒美の金子・百両を持って参れ。
役人:は、ははっ。
【二拍】
さあ、褒美の金子じゃ。
受け取るがよい。
茂兵衛:ははーっ、ありがたき幸せに存じます。
では、これにて御免をこうむりまする。
【二拍】
役人:恐れながら申し上げます。
お奉行、いくらなんでもこれは怪しゅうはござりませぬか?
奉行:うむ…とはいえ、我らも知らぬ事ぬえ、何とも否定はできぬ。
そうじゃの…。
よし、こうしてみよう。
まずこの魚を日にあてて干すのじゃ。
役人:日干しにいたすのでござりますか?
奉行:うむ、その後の事はおって指図いたす。
語り:奉行の命令でさっそく「てれすこ」を日干しにいたしますと、
以前とはだいぶ形も変わり、大きさも縮んで、趣がずいぶんと
違って参りました。
役人:申し上げます。
「てれすこ」にございますが、日干しにいたしたものが出来上がり
ましたゆえ、何とぞご一見を…。
奉行:おお、できたか。どれ…。
うむ、だいぶ様変わりいたしたようだの。
しからばこれをまた紙に描き写すのじゃ。
そして以前と同じように、
此度も沖合にてかような珍魚がとれる。
魚の名を存じおる者あらば、役所まで申しいでよ。
褒美として金百両をつかわすもの
…と書くがよい。
役人:えっ、また百両も!?
奉行:うむ。
さすればこれが本当に「てれすこ」かどうかわかるであろう。
役人:なるほど、さすがお奉行は知恵者でございますな!
ではさっそくにも。
語り:かくしてお奉行の発案のもと、日干しにて仕上げたてれすこの干物
を紙に書き写し、再び懸賞を掛けてあちこちに張り出されることと
相なりました。
当然、また多度屋茂兵衛の耳にも入るわけでございます。
農民:茂兵衛さんよぅ、また沖合で珍魚がとれたんだと。
茂兵衛:へえ、またかい?
ずいぶん金魚がとれるもんだね。
農民:茂兵衛さん、金魚はもういいべよ。
茂兵衛:あはは、たしかにしつこかったな。
農民:今度も名前を知ってたら奉行所さ届け出ろだと。
そうすりゃまた褒美に百両くだされるらしいべ。
茂兵衛:はぁぁ、また百両も!?
…金ってのはあるとこにはあるもんだなぁ…。
ちょいと見に行ってくるよ。
【二拍】
へへ、これァまた百両いただきだな。
今度は…よし、あれでいくか。
お願いでございます!お願いでございます!
役人:どぉ~れ。
うん?その方は先日参った、茂兵衛ではないか?
茂兵衛:はい、さようでございます。
実は張り紙にありました魚でございますが、名を存じおり
ますゆえ申し上げたく、まかり出でましてございます。
役人:なに、また知っておると。
ふうむ…さようか。
こちらへ付いて参れ。
申し上げます。かの珍魚の名を存じておる者を連れて参りました。
奉行:おおそうか…うん?その方は確か、多度屋茂兵衛であったな。
茂兵衛:はい、茂兵衛にございます。
奉行:してその方、こたびの珍魚の名も存じておると申すか?
茂兵衛:はい、存じておりまするが、魚そのものはまだ見ており
ませぬゆえ、もし万一にも間違いましては相なりませぬもんで、
念の為に実物を拝見いたしとうございまする。
奉行:それはもっともなことじゃ。
これこれ、かの珍魚をこれへ持って参れ。
役人:ははっ、ただちに。
【二拍】
さあこれじゃ。
とくと見て調べるがよい。
茂兵衛:ははっ。
はて、この魚は干物になっておりまするな?
奉行:うむ、こたびはちと日が経ち過ぎたゆえな。
やむなく日干しにして保たせたのじゃ。
茂兵衛:そうでございましたか。
では失礼を仕りまして…。
【二拍】
ふむ…なるほど…。
あぁなるほどこれならば手前、存じております。
それで、申し上げましたる節はご褒美の百両、
たしかに手前に頂戴してよろしいもので?
奉行:うむ、間違いなくその方につかわす。
して、何と申すのじゃ?
茂兵衛:ははっ、恐れながら申し上げまする。
かの魚の名は、「すてれんきょう」と申すものでござりまする。
奉行:…なに?いま何と申した?
茂兵衛:「すてれんきょう」にございまする。
奉行:「すてれんきょう」、とな…!?
【床を扇子で叩いて】
多度屋茂兵衛、不埒であるぞ!
この魚はな、過日その方が「てれすこ」と申した魚を日干しにいた
したものぞ!なにゆえ名前が変わるのだ!
さては褒美欲しさに目がくらみ、知りもせぬ名を騙ったか!
上を偽る不届き者め!
吟味のうえ、受牢三月を申しつける!!
召し捕れィ!
役人:これッ、立てッ!
不届きな奴め、さあ引っ立てろッ!
茂兵衛:【つぶやくように】
うぅ、欲に目がくらんで、柳の下に二匹目のドジョウがいるよう
に見えてしまった…。
語り:さあ大変な事になりました。
取り調べの末、確かにこれは褒美欲しさに適当な名を騙ったに相違
ないと一決いたしまして、いよいよお裁きの日を迎えます。
お白州に引き出されました多度屋茂兵衛、やせ衰え、やつれた顔を
うなだれて悄然と砂利の上に控える。
正面にはお奉行様、左右には目安方公用人、同心たち
がずらりと居流れます。
奉行:多度屋茂兵衛、その方、「てれすこ」と申せし魚をまた、「すてれ
んきょう」と申し、上を偽る不届き者。
重きお咎めもあるべきところなれど、上の慈悲をもってその方に
打ち首を申しつくる。
最期に望みあらば、上においてその願いを叶えつかわす。
酒、たばこ、なんなりと申してみよ。
茂兵衛:…ありがとう存じまする。
叶うことでございましたら、何とぞお慈悲をもちまして妻子に
ひと目、お会わせ願いとうございます。
奉行:妻子にひと目会いたいと申すか。
良かろう。
これ、茂兵衛が妻子をこれへ連れて参れ。
役人:ははっ。
【三拍】
さあ、中へ入るがよい。
女房:お前様…!
茂兵衛:!?お前、そんなに痩せてどうしたのだ…!?
わたしは受牢の身ゆえ仕方がないが…もしや、病なのか…!?
女房:いいえ、病ではございません。
お前様が受牢になってから、一日も早く身の証しの立つようにと
神仏に祈っておりました。
火の通ったものを口にしない、火物断ちの断食もしようとしました
が、それではお乳が出なくなって子供が可哀想ですから、蕎麦粉を
水に溶いたのをいただいております。
かようにやつれたのは、それがためにございます。
茂兵衛:そうか…それほどまでに苦心して、わたしの為に断ち物をしてい
てくれたのか…。
だが、わたしはもういけない。打ち首という事に決まってしまっ
た。
女房:そ、そんな、お前様…うっ、うぅぅ…。
茂兵衛:泣くでないよ。仕方のない事だ。
これも定まる因縁と諦めるより致し方がない。
思い残す事が無いと言えば嘘になるが、なにより一つ、
お前に言い残しておきたい事がある。
よく聞いておいてくれ。
女房:は、はい…おっしゃって下さい。
茂兵衛:いいかい、その子供が大きくなった時に、イカの干したものを
決してスルメとだけは言わしてくれるなよ。
語り:妙な事を言うと思った方もおられるでしょうが、昔は今と違い、
控訴するという事ができなかったのでございます。
例えば先のスルメを例に挙げますてえと、
「イカは生の状態ならイカ、干して干物にした物をスルメと申しま
す。ですので「てれすこ」は生の、「すてれんきょう」は干物に
なった状態を指します。」これができないわけです。
「黙れッ!」と頭から威圧されますてと、もう二の句が継げなくなって
しまう。
これが為に、お奉行へ申し上げるわけにはいかないから我が子への
遺言という形で申し開きをしたと、こういうわけであります。
奉行:!
おお、多度屋茂兵衛、その方の言い訳、相立った!
即刻無罪を言い渡す!
女房:えッ!?お、お前さん…!
茂兵衛:わ、わたしが…無罪でございますか…!?
あ、ありがとう存じます…!
語り:茂兵衛さん、手の舞い、足の踏む所を知らず、女房と抱きあって喜び
ました。それもそのはず、わずかスルメの一枚で命が助かった。
しかしこれは助かるのはもちろん道理でして、
女房が火物(干物)断ちをしたからでございます。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
三遊亭圓生(六代目)
※用語解説
・金子
お金の事。
・沙汰
この場合の沙汰は、決定した事などを知らせること。
・沽券にかかわる
品位や体面、信用、あるいは名誉に差し障りがあること。
・不埒
道理に外れて不届きなこと。
・受牢
牢屋にはいること。
・控訴
判決に不服がある当事者が、さらに上級の裁判所(控訴裁判所)に判決の
再審理を求める手続き。
・手の舞い足の踏む所を知らず
有頂天になって、われ知らずに体が躍りだすことにたとえる。
・百両
一両は約八万円。
したがいまして、約八百万円なーりー。
・目安方
江戸時代の町奉行所に属していた役職で、訴状(目安)の整理や奉行の
陪席を務める「内与力」の一つ。