第7章 芸術によるカタルシス効果
人生の晩年を迎えた今、みずから体験してきた諸々な芸術を修一が振り返ってみる。
小説を始め芸術が、もっともその役割や効能を発揮してくれた時期は、壮年時代だったと思う。
この時期、文学が持つ一つの側面、カタルシス効果が発揮されて心身が、いく度も救済された想いが先ず湧いた。
青年期から壮年期の18年間。厳しい仕事内容、精神的に厳しい職種を担った。
自尊心をずたずたに砕かれるような顧客からの厳しい問い詰めに幾度も直面して居た。
修一が責任者の立場になると、孤立と孤独な環境が待ち構えていた。
そして威厳と信頼を仕事の性質上保たなければならないという厳しく環境が長く続いた。
月一度の頻度で製品レベルの大きなトラブルが発生。
内にあっては検察の役としてトラブル品の解析や分析したデータを前に、発生原因の本質究明のために、技術部門の責任者と徹底して議論することになった。
この議論や討論の推進に際し、文学と哲学の研鑚からの想像力と創造力、そしてドロドロした状況の中で真実の原因の光明を見出す思考力、すなわち概念化能力が大いに役立ったと、修一は考えている。
詳しく語ると、修一の仕事の半分は、顧客の前にあって自社の利益を守るため品質の万全性を証明することであった。
修一は顧客の部長ら相手に懸命に自社製品の安全性を弁明するという反するキャラクターを演じ続けた。
ストレス過剰な状態が永続した。最後の五年間は精神的にストレスが蓄積し、過剰な状態におちいった。
疲れ果てた自我の魂の浄化が必要な状況に陥っていた。
この時、魂を浄化してくれたものが、芸術性あふれる絵画が放つ美の輝きであり、あるいは出来栄えの良い小説の中の力強い言葉が自己の精神に移譲され、感動するという小説の持つ物語性がもたらすカタルシス効能だった。
小説の美しい文章や、感情の移入という技法の純粋な感動がもたらす悲哀感や歓喜の精神からの浄化作用が病んだ修一の精神をいやした。
善と悪、愚かさと賢明さなどの相反する二つの概念を元にした葛藤や矛盾の描写から来る物語性。
歓喜や興奮、悲哀感と歓喜の感情がもたらす自我の精神へのカタルシス効果は、芸術がギリシャ時代から言われる感情移入が溜まっていた体内の毒素を洗い清める効能を発揮した。
自らの病んだ魂を浄化し、自らの心身を幾度も救済しよみがえらせてくれた。
さらに、トラブルの原因究明のあとに待っているものが回答書の作成。
大きなトラブルほど回答書は膨大になり、トラブル原因が解明され顧客対応へどう回答していくかというシナリオ作り。
この段階で、修一にとても役立った能力が、文学の研鑚を大いに実践した結果、習得した能力だったと思う。すなわち回答書の構想をひねり出す能力。
主役と脇役を振り分ける能力と構成の仕方の技法。
このような能力が暗黙裡に役立ったと、修一は思っている。
さらに優れた文章の幾つかが頭に入っていたこと、語彙数が豊富であり、そして大江健三郎が説いている、想像力と創造力、かつ概念化の能力であった。
修一は、皆が座っているなか真っ白なボードの前に立ち、チョークでもって回答シナリオの全体の構想図をひとり頭に置いて、トラブル背景などの構成要素を、順番を追いながらひとつ一つ書いて行く。
この能力は大きな物語を書いて行く形態と類似していた。内容は事実に基づくとはいえども、少しの誤差も許されない業務ゆえに、書く文章に最新の注意力を置いていた。
大変にあい路の狭い文章表現しか許されない厳しい緊張感のいる仕事であった。この局面に、数多く小説を読んだ過去の暮らしが役立ったと思う。
難解な文章を苦労しながら読解し、みずから頭脳を訓練したことが根底にあると感じながら仕事を遂行した想いに立つ。
さらにそれらの行程において、創造力と想像力、概念化能力が、身に付いて居たことはとても役に立ったと思う。
当然なことは、物理学と化学などの総合的な専門性の高い基礎的な学問の素養は必須条件であったが。




