序章.万緑の中の静寂 4
フィーラは長い間岩の上から目下に連なる山々を眺めていた。
ここは静かで美しく、キリリとした冷たい空気は肌に気持ちよい。
日が傾き、あたりを夕日の赤い光が包み込んだ頃、やっとフィーラは家へと帰ることにした。
枝の上を走り、家に近づけば近づくほど、森に違和感を感じた。ざわざわと沸き立ち、まるで何かをを拒んでいるようだ。
彼方に家の屋根が微かに見えるところまで来ると、その違和感は確かな胸騒ぎに変わった。
今日はエンマが夕食を作っているときに出る白い煙が上がっていない。
迫り来る嫌な予感に、心臓が忙しなく鼓動する。
フィーラは全速力で走った。
「エンマ!!」
息を切らして家の戸を開けると、知らない男がエンマの頭を支え上半身を起こしていた。その傍らに知らない女が一人。
フィーラはエンマを見た。エンマの胸から止めどなく流れる、赤いものを見た。
そして男が腰に差す、剣を見た。
エンマは目を開けていなかった。
頭の中で、何かがはじける音がした。足下から、何かが湧き起こって、全身を駆けめぐる。怒りでぶるりと身震いがする。
それはほんの1、2秒のことだった。
「おのれっ!」
フィーラは男に向かって突進した。剣を持っていない。でもフィーラは剣術以外にも様々な武術を習った。剣がなくとも戦える。
しかし男との間に女が素早く入ってきた。
「やめときなさい」
女の静止のの声など、何の役にも立たない。フィーラは女を蹴り飛ばした。女が壁にぶつかってひどい音がする。
それには目もくれず、男を見つめる。男はエンマを床におろし、臨戦態勢になっていた。しかし剣をとってはいない。
フィーラは掌の拳を痛いほど握り絞めた。男に向かって左の拳を入れる。続いて右足、左足、右手。目に見えないスピードで技が飛び出す。対する男もそれを避けきっている。
フィーラの一撃がやっと男の脇腹に当たった。
「っ!」
男が眉根を寄せる。
それでも男の対処は素早かった。男は脇腹に入った右腕を掴むとフィーラを背負い投げた。勢いよく床に叩かれる。肺に衝撃が走る。一瞬息が止まる。
その隙に男はフィーラに乗りかかってフィーラの腕を片手で掴み、両足を足で押さえ込んだ。男の力にフィーラはビクとも出来ない。
最後の抵抗とばかりに、男に憎しみを込めて睨んだ。
向かってきたのは一人の少女。それもまだ13かそこらだろう。
輝く黄金の髪に澄んだ青い瞳。これがあの娘だということは、すぐに分かった。
伸びる手足は引き締まってはいたけれど、細くて白い。殴れば折れそうな体で、応戦はなんともやりにくい。脇腹にくらった拳は思いの外強烈だった。肋骨が一本いったかもしれない。息が詰まる。しかしまだ甘い。
ロバートは骨が折れない程度に少女を投げ飛ばした。
少女を拘束する。少女に蹴られたセシリアが起きあがったようだ。あの蹴りもかなりの威力だったに違いない。あのセシリアが腹を押さえている。
なんという娘だ。この細い体のどこにそんな力があると言うのだ。
「落ち着け。あの女を殺したのは俺等じゃない」
まだ諦めていない少女は、視線で殺すと訴えている。これではろくに話も聞けないだろう。
ロバートはため息を吐いて、腰に差していた剣を抜いた。
「ほら見ろ。刃に女の血が付いてないだろ。それに服をよく見ろ。返り血もない。俺たちはあの女を殺していない。本当だ。ここに来たときは既にやられてた。これを防ぐために来たというのに、たどり着くのが遅かった。すまない」
男は頭を下げた。こいつらがエンマを殺したのではない?では誰がエンマを殺したと言うのだ。山奥にあるこの家には滅多に人が来ないというのに。
「では誰が殺した!お前達ではないというのなら、誰がエンマを殺したんだ!」
フィーラはまだ疑いを消せなかった。この男が嘘を付いているという可能性もあるのだ。
「それは今ここで口に出すことは出来ない。俺が言うべきことではない」
「なぜ言えない?お前達のことなんて、信じられるか!」
フィーラの激しい物言いにも、男は少しも動じなかった。
「すぐに信じられないのは分かっている。でも誓って俺らじゃない。とにかくここは危ない。いつまでもここに居るわけにはいかない。逃げるぞ」
男は拘束していたフィーラの腕を引っ張った。フィーラは必死に抵抗する。
「離せ!お前が例えエンマを殺していなくとも、お前達と一緒に行くつもりはない」
男の腕から逃れようと身をよじる。
「大人しくしろ。ここは本当に危ないんだ」
フィーラは断じて耳を貸さない。
「セシリア」
男が女に目で合図した。
「はい」
その瞬間お腹に衝撃が走る。フィーラは意識を失った。
やっと話が動き出しそうな気配。
駄文ですみません。