秘密の男装生活と恋愛観
今日は日曜日!
ぼくは日用品をまとめ買いして、自室に戻ろうとした時――寮の廊下で、ニコくんとばったり出会った。
「ニコくん、ヤッホー!」
声をかけると、彼はチラリとこちらを見る。
「あぁ……」
どうやら彼は疲れている様子だった。ぼくはそんな彼をみて、思い当たる節があったため、小声で尋ねてみる。
「もしかして、例の会議が今日あったの?」
「正解……正直疲れた」
そう言って、ニコくんは大きなあくびをした。
(やっぱり! 当たってた……)
ぼくはふと思い出す。
先週、ニコくんには色々助けてもらった。それに、確か「遊びに行こう」って約束もした。
今週の火曜日は、先生同士の懇親会があるみたいで、授業は半日で終了する。
(ちょうどいいタイミングかもしれない!)
ぼくの方から、提案してみる。
「あのさ、ニコくん。明後日の火曜日、遊びに行かない?」
「行く」
彼は即答だった。
「じゃあ、一緒に行こう。よろしくね?」
「こちらこそ」
最初は疲れた顔をしていたけど、遊びに行こうと誘ってみたら、ニコくんの目が少し嬉しそうに輝いた気がした。
(良かった〜。審議会も無事終わったし、明後日は思いっきり遊ぼうー!)
火曜日の朝――とうとう今日がやって来た!
ぼくは、ルルと一緒にピザトーストを食べていた。チーズがとろけて、香ばしい香りが広がる中、ルルはぼくの嬉しそうな様子を見て、クスクス笑う。
「サラちゃん。今日が楽しみで、楽しみで仕方なかったのね?」
「ルル! だって、アダムさんの退学が無事に取り消されたんだよ! ニコくんが手伝ってくれたからね。それに、今日は本屋に行って、ニコくんは新作の漫画とゲームを予約するんだ! ぼくは……気になる少女漫画を買おうと思っているよ」
「本当に、少女漫画が大好きなのね?」
ルルはぼくが入れた紅茶を優雅に飲みながら、突然、こんなことを聞いてきた。
「ねぇ。サラちゃんは、少女漫画の主人公のような恋愛体験をしたいって思うタイプ?」
「えぇっ?!」
予想外な質問に、飲んでいた牛乳を吹き出しそうになる。
(危ない! 天井に穴が開きそうなくらい、斜め上の発想だ!)
「あら! 牛乳がっ! 制服にこぼれちゃうわよ?!」とルルがすかさず、ぼくの手を支えてくれた。
「ありがとう、ルル。でも、体験するのは無理だよ!」
そう言って、ぼくは堂々と着ている学ランに手を当てる。
「だって、ぼくは男子生徒として、この学校に通っているのだから。それにほら! 学ランを着て、髪も短くしてるから、どう見ても男にしか見えないでしょう?」
軽く自分の髪を触る。
(うん、完璧な男装。第一王女だって、バレないように、色々工夫しているんだ……!)
「そうね……。男性というよりは、男の子って感じだけどね。まぁ、剣術でダン先輩と対等にやり合っているから、誰も女の子とは思わないでしょうね……」
「ルル! ぼくとダン先輩の対戦を見てるんだね? そうだよ! だから、安心し――」
「で・も・ね!」
ぼくがルルを安心させようとした瞬間、彼女はピシャリと言葉を遮った。
「ニコくんは、貴女の匂いですぐ女性と見抜いたでしょう?」
「あぁっ!」
ルルの言う通りだ。指摘されてしまい、思わず声を上げる。
「貴女が一生懸命、工夫を凝らしているのは知っているわ。だけど、本当の性別は女性である上に、第一王女様なの。野心家な王子様たちであれば、貴女のその『第一王女』という価値だけを求める場合もあると思うの――王になりたいってね。彼らは、今も必死になって、貴女を探しているはず」
「……そうだね。第2王子であるダン先輩だけでなく、第5王子も結婚って、言ってたから……わかってる」
ぼくはため息をつきながら、凹んでしまった。
……どうやらルルは、ぼくのことを本気で心配してくれているみたい。その上、何か思い当たることがあるみたいで、さらに慎重に言葉を選びながら話を続けた。
「レンゲ様は恋愛することもなく、結婚したと日記に書いていたでしょう? 王宮では、少女漫画の女の子のような、自由な恋愛はできないわ」
「大丈夫だよ、ルル。ぼくは、王族にはならない。だけど、今のぼくは王族だから……恋愛するつもりは、一切ないよ」
「サラちゃん……」
お母さんが残してくれた日記。
それが、ぼくの生き方の指針になった。
だからこそ、ぼくは成人するまでは、男として生き抜いてみせる。
ルルは、そんなぼくの強い意志を感じ取ったのか、何か言いたそうにしながらも、言葉を探しているみたいだった。
「あっ。でも、成人したら……恋愛はしてみたいよ。今は恋愛できないから、少女漫画で気分を味わってるだけなんだ……」
(なんか恥ずかしいこと、言っちゃったかも……)
ルルに「幼稚だ」と思われるかもしれない。いや、ぼくはすでに、ニコくんから言われてしまった。
『少女漫画の知識は豊富なのに、君自身はねんねなんだな……』
――あの時の、ニコくんの声が脳裏に浮かぶ。
「うぅ……!」
ぼくは思い出して、手で顔を隠す。
「ごめんなさい、言いすぎたかも……わたし」
ルルは申し訳なさそうに、そっとぼくを覗き込む。だけど、彼女は何も悪くないし、むしろ心配してくれた。ぼくは、ふと冷静になって、考えてみる。
(少女漫画の世界って、ありえないことの方が圧倒的に多いよね?!)
実際、このピザトーストを見て、思い出した定番ネタをルルに共有する。
「あっ! でも、少女漫画の世界って、現実には起こらないことの方が多いと思うんだ! だって……ぼくがこのトーストをくわえながら、『いっけないー! 遅刻、遅刻!』って言いながら走ったとしてさ。誰かとぶつかる確率なんて、ほぼゼロだよね?」
「そっ、そうね……」
ルルは、ぼくの持論に苦笑いしている。でも、それでいい。
「なぜなら――ぼくは、そんな風に慌てて食べるより、ルルや大切な家族・お友達と、ちゃんと座ってご飯を食べたいから!」
そう答えると、ルルはふいに目を潤ませた。
「ルル?」
「……ごめんなさい、ちょっと感動しちゃったの」
ルルはもふもふした小さな手で、そっと自身の目元を拭っていた。
「ごめん! ルル、何か泣かせるようなことを言った?」
「嬉しいわ。『わたしと一緒にご飯を食べたい』だなんて。従魔として、こんなに幸せなことはないわ……」
「えっ、気にしないで? ぼくもルルがいてくれて、本当に幸せだよ」
「うぅっ……。涙が止まらないわ……。でもね、ひとつ思ったことがあるわ。サラちゃん、貴女は少女漫画の主人公というより……少年漫画の主人公タイプかもしれないわね」
「えっ! 本当に!? そう言われると嬉しいかも。やったー!」
ぼくが両腕を突き上げて喜ぶと、ルルは大爆笑した。朝からワチャワチャしてるけど、きっと楽しい一日が始まる―― そう思っていた。
だけど、それは大きな間違いだった。
この日、ありえないことが次々と現実になってしまったのだから。




