王女様は普通になりたい
彼らが第一王女との婚姻届や結婚式の誓いについて大いに盛り上がった後、第5王子は飄々とした態度でその場を後にした。残されたのは、第2王子のダン先輩とぼくだけ――。
静かな空気が漂う中、ダン先輩がふとぼくの方を向き、気遣うような優しい声で話しかけてくれた。
「サラ、どうした? さっきより元気がないようだが……」
その声に思わず顔を上げたが、言葉を返すことができず、再び視線を逸らしてしまった。
(第一王女だなんて、言えるわけがない……!)
誰にも言えない秘密を抱えながらも、ぼくはひたすらバレずに、この場を無事に終わらせたいと耐えていた。だから、乗り越えることができた今、『どう話を切り出せば良いか』なんて……考える余裕はなかった。そんなぼくの雰囲気を察したのか、先輩が柔らかな表情で詫びの言葉を口にした。
「すまない、サラ。立ち話を長々と聞かせてしまったな」
「いえ! 全然気にしてないです!」
それでも、先輩は申し訳なさそうに続ける。
「実は、君に謝らないといけないことがあるんだ……」
「えっ?」
(何の話だろう?!)
「以前、一般科でわたしが王族だと知っているのは君だけだと言っただろう? でも、あの後いろいろあって、他の生徒たちにも王族だと知られてしまったんだ」
その言葉を聞いて、ぼくは思わず肩の力を抜いてしまった。
(よかった……第一王女の話じゃなかった!)
「大丈夫ですよ! むしろ、ダン先輩がこの学校で1番目立っちゃうから仕方ないと思います!」
「目立つ?」
「はい! ダン先輩、本当に身体が大きいですから!」
「そうか……確かに、大きいかもしれないな」
「はい! 本当に大きいです!」
ぼくの発言を聞いて、先輩は微笑みながら首をかしげた。
「サラ、疲れているのか? 『大きい』を二度も繰り返しているが……緊張させてしまったならすまなかったな」
「えっ、あっ……! そ、そんなことないです!」
ぼくは慌てて否定したけど、正直、ずっと心の中がざわざわしていて落ち着けていなかった。
(だって……まさか王子様たちの会話で、自分――第一王女の話題があんな風に出るなんて、想像もしていなかったのだから)
そんな中、ダン先輩が別れ際にさらりと口にした言葉は、ぼくの心をさらに揺さぶるものだった。
「では――気をつけて帰るんだ。ああ、そうだ。もし、一般科で第一王女を見つけたら、わたしに教えてくれないか?」
突然のお願いに、ぼくは努めて平静を装いながら返答した。
「は、はい……その機会があれば、必ずお伝えします! 今日は本当にありがとうございました!」
必死に言葉を整えながら、頭を下げる。ダン先輩の背中が遠ざかっていくのを見送ったものの、その瞬間、心の内には波打つような動揺が押し寄せていた。
(第一王女のことを見つけたら……って、どうしよう。絶対、バレないようにしないと……! だって、ぼくは王族の娘になりたくないし、将来王妃様になる――そんな人生はもっと嫌だ!)
頭の中で何度もその思いを繰り返しながら、無意識のうちに足を早めていた。胸の中では焦燥感が渦を巻き、心はまるで荒れ狂う嵐の海のようだった。
……気がつけば、いつの間にか寮の自室に到着していた。
あの山場は無事に乗り越えられたのに、どうしてだろう――鍵を閉める手が震えている。扉を押し閉じると同時に、自分の中で抱えていた緊張が一気に崩れ落ち、思わず大きな溜め息をついてしまった。
「はぁ……どうしてこんなことに……」
溜め息に混じるかすかな呟き。それが静かな部屋の空気に溶けていく中で、ぼくは改めて自分が置かれた状況の重さを噛みしめていた。
とりあえず、自室のソファに身を沈め、天井をじっと見つめた。自分の中に渦巻く不安や疑念をどう処理していいのか、わからなくなってしまった。何をどうすればいいのか――考えるほどに、答えは遠ざかっていくようだった。
(第一王女なんて、ただの名ばかりの存在……。ぼくは、誰にも気づかれず、普通の家庭で育った。それなのに、どうして今さら――見つけ出して、結婚するだなんて)
心の中で叫ぶ声が、静寂の中で反響する。自由に生きていきたいだけなのに、それすらも叶わなくなるかもしれない現実が、ぼくを締めつけていた。
ふと、お母さんが日記に書いていた王宮での記録が蘇る。
煌びやかな世界、厳しい規律、そして愛情よりも責任が重視された日々――。
王族であることがどれほどの重荷なのか、お母さんが残してくれた日記を読んで、ぼくは知ってしまった。
(お母さんにとって辛かった王族の世界に、自分も引き戻されるなんて……想像するだけで息が詰まりそう)
だからこそ、ぼくは自由を求め、この学校の一般科に進学した。一般科なら、王族に会うリスクが少ないと思ったからだ。
なのに、彼らは一般科にまで潜り込んでいた――。
気持ちが重く沈む中、ふいにダン先輩の穏やかな笑顔が頭に浮かぶ。
(ダン先輩……)
同じ剣術検定1級保持者ということもあり、先輩のことは心の底から尊敬している。それでも、先輩が王子様であることを思い出すたび、ぼくの気持ちは揺らいでしまうのだ。
(……先輩は優しい人だ。でも、もしぼくが第一王女だと知ったら、どうなるんだろう?)
今までと同じように、弟のように可愛がってくれるのか、それとも王族の立場として、ぼくに王女としての「責務」を押し付けてくるのか……答えはわからない。
(それにしても、あの第5王子の目は、本当に怖かった。まるで獲物を狙う猛禽類みたい……)
ぼくの中で、どうしても彼の存在が不安を掻き立てた。彼が本気でぼくを探し出そうとするなら、どんな手を使ってでも迫ってくるだろう。
「……大丈夫、バレなければいいんだ」
そう自分に言い聞かせて、深呼吸を繰り返す。
(この平穏な日々を守るために、ぼくは絶対に正体を隠し通す。それがどれだけ大変でも――)
ソファから立ちあがり、窓の外を見ると、月明かりが寮の庭を静かに照らしていた。その穏やかな光を見ながら、ぼくは心に誓った。
(誰にもバレないように、慎重に生きるんだ。ぼくの自由を、絶対に奪わせない!)
そんなぼくの決意した表情を見たルルは、心配そうな顔をしながら優しく声をかけてくれた。
「サラちゃん、覚悟を決めた表情をしているけど……顔色が良くないわ。疲れてるんじゃない? 早くお風呂に入って休んだほうがいいわよ」
「ルル、ありがとう。そうするよ……」
そう言って、ぼくは自室のお風呂に向かった。
今日もしっかり鍵を閉めて、サラシをそっと外す。そして、左胸に目を落とすと、やはりそこには王族特有のアザが浮かんでいた。このアザは、生まれた時からぼくにとって消せない足枷だ。
それに、アザだけでない。男であれば無いはずなのに……存在している女性特有の胸の膨らみも誰にも知られてはならない、絶対に。
もし、ぼくが男だったら――。
そう思わずにはいられなかった。王子として生まれていたら、ダン先輩やニコくんたちと親友のように気兼ねなく青春を謳歌していただろうに……。
でも、それは叶わない。ぼくは紛れもなく、第一『王女』だからだ。
この国では女性の数が圧倒的に少ない。その希少性から、王族の娘との結婚を目指す王子様たちもいるのかもしれない。だけど――。
ぼくの未来は、ぼく自身が決める。王子様たちに屈するつもりはない。
ぼくは普通の家庭で、普通の人と恋愛をして、普通の幸せを手に入れたいんだ――。
決めた!
これまで磨いてきた剣術で、自分の身を守り切ってみせる。
18歳になるまで、逃げてみせる。
そのためにはまず、ダン先輩に勝つ!
そんな想いを胸に抱きながら、ぼくは明日以降も剣術部の活動に励むのであった。