婚姻届と結婚式を巡る攻防
タイトル名:「王族子女会議〜それぞれの誓い〜」で登場した例の王子様が登場します!
「――ダン、すまんね。これ、渡し忘れてた。確認できたから、返すわ」
低く響く声とともに、ひとりの男性がぼくたちの前に現れた。その人は、ダン先輩よりも一回り以上大人に見える。
(オーちゃんと年齢が近そう……30歳ぐらいだろうか?)
整った顔立ちをしていて、一見すると王子様のようだ――。
だけど、その青い瞳と髪は、まるで深い海を思わせるような色合いで、どこか冷たい印象を与える。そして彼自身、ミステリアスな雰囲気を纏っていて、何を考えているのか全然わからない。
(どうしてだろう……。初めて会ったのに、この人、怖い……!)
「シアン殿、お気遣いありがとうございます!」
「ええよー。お構いなく」
シアン殿、と呼ばれたその人物は軽い調子で返事をすると、ぼくの方へ視線を向けた。
「……あれ、そちらの子は?」
そう言って、彼はぼくをじっと見つめる。鋭く、蛇のように――まるで何もかも見透かしているぞって感じの目付きだ。
(見ないで……!)
胸がざわつく。
ぼくは今まで、人を嫌いだと思ったことなんて一度もなかった。だけど、この人の雰囲気は……どうも苦手だ。
(それに……『シアン殿』って……? 彼も、王族……?)
王族ならまずい。
なぜなら、ぼくたちはさっきまで第一王女に関する話をしていた。もし彼に聞かれていたとしたら――。
恐る恐る顔を上げると、彼の視線が冷たく刺さるように感じた。
彼の目は、まるでぼくの内面を覗き込んでいるようだった。
(あぁ……バレたら終わりだ!)
心臓が跳ね上がり、喉の奥がカラカラに乾いていく。でも、ここで絶対に知られてはいけないし、知られたくない。ぼくが第一王女だというこの秘密だけは、絶対守り抜かなければ――!
気づけば……体が勝手に動き、ぼくは思わず、ダン先輩の後ろに隠れてしまった。それを見た彼は、案の定ぼくのことを話題にしてくる。
「かわいいね、照れ屋さんなのかな?」
その言葉に焦りながら、ぼくは小さな声で答えた。
「あの……ぼくはダン先輩の後輩です。はじめまして……」
ぼくが後ろに隠れているのが気になったのか、ダン先輩も振り返って、ぼくに話しかける。
「サラ、シアン殿は第5王子だ。そんなに緊張しているのか?」
その一言に、全身がゾクっとする。
(やっぱり……彼も王族なんだ……)
ぼくはなんとか当たり障りのない回答をしようと必死に考えた。
「緊張しています。ぼくは、一般家庭出身なので……」
すると、第5王子は薄ら笑いを浮かべながら、言葉を返してきた。
「謙虚で健気な後輩やね……」
その声にはどこか含みがあるようで、ますます苦手意識を感じる。
そんな中、ダン先輩が「はい。弟のようでかわいい後輩です」とフォローしてくれたのが、唯一の救いだった。ぼくは思わず、「ありがとうございます……」と微かな声で伝えた。このまま第5王子にぼくのことを覚えられるのは、絶対にまずいから。
彼がもうこれ以上、ぼくに興味を持たないよう祈るしかなかったが、近くに飾られているウェディングドレスに目を留めたようだ。
「……おっと。こんなところに花嫁のドレスがあるとはねぇ〜。思い出した! ダンは第一王女、見つけた?」
彼も、ダン先輩と同じようにウェディングドレスを見て、第一王女を連想したらしい。
(この話、聞きたくないのに……!)
「いや、わたしはまだ彼女を見つけられていないのです」とダン先輩は即答した。
「そうか、ニコはなんて言ってた?」
突然、ニコくんの名前が出てきて、驚いたぼくは自分の心にさざ波が立つ。
でも、そうだ――ニコくんも王子様だ。彼は他の王子様たちとどんな話をしているのだろうか? その言葉を知りたいような、知りたくないような……。
「ニコも『一般科に、第一王女はいない』と言っています」
「ふーん。二人とも、一般科に馴染んだ? 特に、ダンは特別科と一般科の掛け持ちで大変かもしれんけど……命令やしねぇ。第一王女様がザダ校に紛れ込んでるかもしれん、ってことでさ」
その一言で、ぼくはハッとした。
(そういうことか!)
ぼくは二人の会話から、彼らが裏でどんな計画を進めているのか理解してしまった。
彼ら王子様たちは、行方不明の第一王女を探すために、ザダ校に通い、一般科にまで潜り込んでいたんだ。
(だから、第2王子のダン先輩と、第6王子のニコくんが一般科に在籍してたんだ!)
……第5王子のお気遣いが嬉しかったのだろうか? ダン先輩は一歩前に進み、彼に対して、深く頭を下げた。
「シアン殿、ご配慮いただき、感謝申し上げます」
そう丁寧に礼を述べた後、ダン先輩は少し表情を引き締めると、自分の胸の内を語り始めた。
「でも、わたしは一般科が好きなのです。特別科よりも。部活も楽しめますし、何より――こうやって素敵な後輩に出会えましたから」
(ダン先輩、何言ってるの……?!)
ぼくの心臓音が響く。まるでウサギが全速力で跳ね回っているように……。
まさか、こんな形で自分の名前が挙がるなんて――完全に予想外だった。頭の中がぐるぐる回り、顔が熱くなっていくのが分かる。慌てて両手で顔を覆い、思わず下を向いてしまう。
その様子を見たダン先輩が、少し心配そうに声をかけてくる。
「どうした? サラ。何か、わたしの言ったことが気に入らなかったのか?」
否定したかったけれど、どう返事をすればいいのかわからない。だから、とりあえず首を横に振り、嫌ではないことだけを伝える。
「そっか。それなら良い……」と言うダン先輩の優しい声に、ますます恥ずかしくなった。
そんなぼくたちのやり取りを、例の第5王子――シアン殿は、どこか楽しげな表情で見ていた。
「部活も楽しんでるってか……それは青春、素晴らしいねぇ。ほな、俺は行くわ。ダンがこんな風に語るのも珍しい。そこのかわいい後輩ちゃんも、おじさんが長話しちゃってごめんなぁ」
「いえ……」
ぼくは、どう返せばいいかわからなかったため、蚊の鳴くような声で応じることにした。
(でも良かった……。無事、この山場を乗り越えた〜!)
そう胸を撫で下ろしたのも束の間、第5王子が放った次の言葉に、ぼくは再び動揺してしまった。
「しかし、第一王女様はどこにいるのかねぇ? 見つけたら教えてなぁ〜。俺も見つけた際には、彼女との婚姻届を提出するわ。後、結婚式にも招待してあげる」
軽い調子で放たれたその言葉に、ぼくの心臓は再び跳ね上がる。表情を取り繕おうとしても、視線が泳いでしまいそう……。
(どうしよう! ダン先輩だけじゃなく、第5王子まで第一王女と結婚する気満々だったなんて!)
そんな衝撃を受けながら息を飲むぼくをよそに、ダン先輩も負けじと口を開いた。
「シアン殿――それはこちらのセリフだ! もしわたしが彼女を見つけたら、婚姻届を提出する。そして、その時は――あなたにも彼女の美しい花嫁姿を存分に見せて差し上げよう」
その言葉を聞いた瞬間、ぼくの頭の中は真っ白になった。
(ウソ――ダン先輩まで、そんなことを言うなんて!)
しかも、「彼女の花嫁姿」という言葉の意味を考えると――それって、つまりぼくのことだ。
自分の花嫁姿……。頭の中で、ウェディングドレスに身を包んだ自分の姿がふっと浮かぶ。その瞬間、胸がギュッと締めつけられるような気持ちになる。だって、ドレスを着るってことはいつも身につけている胸のサラシを外して、ありのままの自分を曝け出すってことだよね……。
(いやだ――! そんなの恥ずかしすぎる! 女の子の服なんて一度も着たことないのに……ましてやウェディングドレスを着て、人前で披露するなんて絶対無理!)
胸の奥から湧き上がる恥ずかしさと混乱が、どんどん膨らんでいったものの、ぼくはどうすることもできず、ただダン先輩の背中に隠れるようにじっとしていた。
一方、ダン先輩と第5王子は、どこか楽しげに言葉を交わしていた。
「楽しみにしてるわ……。ダンの見つけた第一王女様が、どんな花嫁姿か――」
「ええ。どちらが先に見つけるか、競争ということにしましょう」
そんな二人の軽妙なやり取りをぼんやりと聞きながら、ぼくはますます身動きが取れなくなってしまった……。