甘い毒のプロポーズ〜第一王女を花嫁にする夜〜【※】
【※注意】身体的な接触表現あり(R-15:背後注意!)
一階のカウンターにて。
ぼくはモニターのメニュー画面を操作していた。
(えっと、ナゲットは……あった!)
目的の項目を見つけ、選択ボタンを押そうとした矢先の出来事だった。
ドサッ、ドサリ!
店内のあちこちで、人々が力なく崩れ落ちていく、嫌な音が響いた。
「だ、大丈夫ですかっ?!」
すぐ隣で倒れ込んだお客さんに声をかけたけれど、返事がない。
呼びかけに身じろぎもせず、瞳孔の開いた虚ろな瞳で宙を見つめていた。
「えぇっ、なんで……何が起きたの?」
辺りを見回すと、さっきまで談笑していたお客さんも、忙しなく動いていた店員さんも、全員が床やテーブルに突っ伏している。
この異常な静寂の中で、立っているのはぼくだけだった。
一階がこの状態なら、二階でも同じことが起きているかもしれない。
「とりあえず、エバスくんたちがいる二階に!」
不安を打ち消すように、ぼくは一段飛ばしで階段を駆け上がった。
辿り着いた二階も、一階と同じ静寂に支配されて……いなかった。
全員が意識を失っているはずなのに。
ただ一人を除いて、ぼくを待ち構えるように立っている人物がいた。
(どうして? まさか、貴方が……!)
心臓が早鐘を打つ。
逃げたい。
今すぐ、ここから立ち去りたい。
けれど、エバスくんがテーブルに突っ伏したままだ。
(置いていくことなんて、できない!)
一刻も早く起こして、状況を把握しないと。
「ねぇ、何が起きたのっ?!」
倒れ込んだエバスくんを揺すり起こそうとした瞬間、背後から両肩を強引に掴まれ、ぼくは身動きが取れなくなった。
「どうして他の男に話しかける? 今は、俺と君しか意識がないんだよ」
耳元で囁かれた、湿り気を帯びた低い声。
その声と共に漂ってきたのは、先ほどまでの煤臭さとは対照的な、脳を痺れさせるような甘いアーモンドの香り。
最悪だ……。
この第5王子は、ぼくの性別を、女であることを完全に把握している方の「人格」だ。
どうしよう。今日はダン先輩どころか、誰もいない。
それでも、ぼくは必死に知恵を絞る。
気絶している人たちを、どうやって救い出すのか。
そして、この狂気を孕んだ第5王子から、どう逃げ出すか。
(あぁっ、頭が真っ白だ! どうすればいいの?)
「んー、何を考えている? こうすれば、振り向いてくれるのかなぁっ……」
耳元で、粘りつくような吐息が聞こえた。
直後、パクッ……と右の耳たぶを唇で包み込まれ、執拗に熱い舌で嬲られた。
「いやぁあああっ!」
ゾッとするような生理的嫌悪感に、ぼくは悲鳴を上げて、身を翻した。
すぐさま、ソファの上の木刀袋に手を伸ばそうとしたけれど、指先はむなしく空を切る。
「うぅっ……」
すでに骨が軋むほどの剛力で、左手を強く掴まれていた。
そのまま、ぼくの身体は背後の壁に押し付けられ、逃げ場を失った。
振りほどこうと身悶えても、彼の握力が強すぎて、びくともしない。
「あぁ……会いたかったよ、俺の花嫁」
「は、離して! ぼくは未成年だから、結婚なんて――!」
嗚呼ッ……!
恐怖のあまり、声が出なかった。
さっきは右耳。
今度は、ぼくの左手の甲に、彼の唇が触れた。
「怖がる必要はないよ。これからは、俺とずーっと一緒にいよう。まずはこうやって、スキンシップを。他には――」
意味不明だ――言葉が入ってこない。
しかも、彼はまた、ぼくに触れようと顔を近づけてきた。
(いやだ! これ以上、好きにさせない!)
ぼくは無詠唱で魔法を行使し、ソファに置かれた袋から、木刀を強引に引き抜いた。
「おっと……?」
飛んできた木刀を避けるために、第5王子が手を離したのを、ぼくは見逃さなかった。
その一瞬の隙に、空中で掴んだ木刀を、彼の頭に目掛けて、全力で振り下ろした――!
「血気盛んだね……」
余裕そうに髪をかきあげ、手の平をぼくの方に見せて、木刀を掴もうとする彼。
掴まれると悟ったぼくは、咄嗟に軌道を翻した。
木刀の向きを横に変え、無防備な彼の右腰へ鋭く叩き込む。
「っ……!」
衝撃と同時に、彼の魔力がわずかに揺らぎ、低下した。
その際、ぼくはお店の外全体が、逃げ場のない結界で塗り潰されていることに、ようやく気が付いた。
(彼が、このお店の人たちの笑顔を奪ったんだ……)
「絶対に許さないッ!」
激情のままに一階へ駆け降り、入り口の前で、木刀を魔法で――剣に変えた。
開閉窓の隙間に剣をねじ込み、外側に張られた結界を抉り取るように、全体重を乗せて押し込む。
だけど、相手はやっぱり王子様で、その魔力量はぼくの想像を絶する。
歯を食いしばって、持てる力の全てを叩きつけても、結界に穴をあけることすらできない。
こういう時、ルルの力を借りればいいのだろうけれど、第5王子の前でルルは出せない。
この前、ルルのことを乱暴に扱ってきたのだから。
ルルを酷い目に遭わせるわけにはいかないんだ。
「悔しい! 何か、何か打開策はっ……!」
「無理だよ、サラ。その結界は、君が抗えば抗うほど、より強固に君を閉じ込める」
退路を断つ足音が、すぐ背後まで迫る。
(さっき、うまく当てたのに、なんで……!)
何より恐ろしいのは、半ば当然のように、彼はぼくの名前を呼んでいた。
(ヤダヤダやだやだ、嫌だっ……!)
震えを抑えきれず、敬語も、立場も、恐怖で何もかもが頭から消える。
「来ないで……! ぼくはこの結界を解除して、みんなを助け……ぁっ!」
気づいた時には、すでに真後ろにいた。
背後から抱きすくめられ、抗う術もなく軽々と抱き上げられる。
「きゃぁあっ!」
「はぁ……。自分のことよりも、周りの心配をするなんて、健気なお姫様だ」
「みんなが苦しそうにしてるから、今すぐにでも解除してっ!」
「いいよ。ただし、条件がある」
(条件って、何を企んでいるの?)
彼は感情の起伏すら見せず、ぼくを椅子に下ろした後、その場に跪き、胸ポケットから小さなケースを取り出した。
その箱に入っていたのは、冷たい光を放つ、無色透明のダイヤモンドが嵌め込まれた指輪。
「この前、君の左薬指に触れたのは、指輪のサイズを測るためだったんだ」
「いやだ……言っちゃダメ……!」
少女漫画で読んだことがある展開。
ダイヤモンドの婚約指輪は、男性が好きな女性に、プロポーズする時に渡すもの。
だからこそ、これから第5王子が話す内容を聞きたくなくて、涙を堪える。
「その学ラン姿も、鍛え上げた剣術も、君を『第一王女という宿命』から遠ざける、素晴らしい偽装だ。でも、俺の目は欺けない。ほら、指を出して」
「あぁっ……」
ぼくは一気に涙が溢れてしまった。
これまで隠し通してきたのに、王子様にぼくの正体がバレてしまった。
しかも、ぼくが築き上げてきた「サラ」としての幸せな人生を、偽装だなんて……。
「違う、ぼくはっ……言わないで……!」
「泣かないで、第一王女」
彼はぼくの涙を拭ってから、尚更、残酷な言葉を口にした。
「どんなに強く振る舞っていても、本来の柔らかな王女の輝きと、この身体の細さは隠せやしない。大丈夫、王女としての『戻り方』は、俺が君の身体に直接教えてあげる。夜が明ける頃には、自分が男装していたことなんて、思い出せなくなっているはずだよ」




