第6王子との不思議なひと時
どうしてニコくんがぼくの部屋を知っているのだろう?
一瞬そんな疑問が頭をよぎったけど、それを追及する前に、「ニコくん、どうしたの?」とまずは彼の目的を聞いてみることにした。
「さっきは乱暴にしてすまなかった――これ、差し入れ」
そう言って、ぼくに漫画とトマトを手渡す。なぜか彼の手が冷たくて、思わず「きゃあ!」と驚いた声を上げてしまった。
「ニコくんの手、冷たい! どうしたの?」
「ん……大丈夫。冷え性なだけ」と言って、彼は隣の部屋に入ろうとしていた。
(えっ。もしかして、ニコくんってお隣さんだったの?)
「まっ、待って! お腹空いてないの? このトマトで、ミネストローネ作れるけど……」
しまった……! ぼくはオーちゃんに『吸血鬼には気をつけて』って言われていたのに、ご飯のお誘いをしちゃった。
「空いてる……」
「じゃあ、食べる?」
「いいのか? お部屋に入って」と彼は問いかけながら、一歩グイッとぼくの方へ近づいてきた。その動きは思った以上に力強く、驚きで思わず後ずさりしそうになる。なぜなら、彼の体はとても大きくて……一瞬で圧迫されたかのように感じた。
「いいよ。でっ、でも……! ぼくとの約束を守って! ぼくの部屋に入っていいけど、さっきみたいなことはしないって約束して……」
「わかったよ、オウレン先生にも注意されたから」
『そうだったんだ……』と思いながらも、彼をぼくの部屋に案内した。
「そのソファに座って待ってねー! 今から作るね?」
「わかった……」
ニコくんが素直にソファへ腰を下ろしたのを確認して、ぼくは急いでキッチンに向かった。待ってる間に退屈しないよう、近くに置いてあった漫画を渡したけど、彼は特に反応せず黙々とページをめくっていた。
――やがて、ミネストローネが完成した!
テーブルに置くと、ニコくんは静かにそのミネストローネを見つめて、スプーンを手に取る。
「どう?」
「美味しいよ」
短い言葉だったけど、その一言に思わずホッと胸をなでおろす。「よかった〜!」と笑顔で応じると、彼がふいに目を上げて言った。
「おかわりあるか?」
「もちろん!」
ぼくは「おかわりあるか?」と聞いてくる彼の様子を見て、ちょっと笑ってしまった。10歳の時に体験したエピソードを思い出した――アダムさんも確か、蜂に刺されてアナフィラキシーで倒れた後、だんご汁をいっぱいおかわりしてくれたんだよね。
ニコくんもアダムさんと同様に王子様だし、クールなタイプだけど、もぐもぐ食べている姿を見てると、ぼくと同い年なんだと思っちゃう。
「実は……」と珍しくニコくんから、声を掛けられる。
「どうしたの?」
「2点相談したいことがある。1点目はバイクの免許を取ったから……見に行きたいと思ってるんだけど、そういうのに詳しい人物っているか? 2点目はどこか部活に入ろうとは思っているけど……あんまり参加しないでも良さそうな部活ってある?」
たまたまアダムさんのことを思い出していたけど、まさか「バイクに詳しい人物」で登場するとは。後、部活もアダムさんが「幽霊部員でもいいから、入ってくれそうな人がいたら紹介して」と言っていた。
(なんて偶然なのだろう!)
ぼくは彼の相談に即答する。
「いるよ! ぼくの隣に座っているアダムさんがバイクのこと詳しいから、一緒に来てくれないか聞いてみよっか? 部活もアダムさんが募集してたかも。それも聞いてみるね?」
「いいのか……色々ありがとう」
「うん、どういたしまして……。免許取ったんだね。すごい!」
そうだ、アダムさんが言ってた。16歳以上じゃないとバイクは乗れないって。
つまり、彼は4月に誕生日を迎えてすぐ免許を取ったのかもしれない。
「ニコくんって、誕生日いつなの?」
「4月3日……」
「そうなんだね! あっ。ところで、オーちゃんとは仲直りしたの?」
ふとぼくが寝ている間に何が起きたのか気になって、ざっくり聞いてみることにした。
「……オーちゃん?」
(あっ、しまった。つい愛称で呼んでしまった!)
「オウレン先生のことだよ?」と補足すると、彼は「ふぅー」と息を吐き出し、どう答えるべきか悩むような仕草を見せた。
しばらくして、彼の方から、ぽつりと口を開く。
「まぁ、君が女性だとバラすようなことはしないと誓ったさ」
「そっか……」
ぼくは一安心した。ケンカしてたのだろうけど、あの後、冷静にやり取りをしていたのかもしれない。
彼は「食べたから、帰る」と言って、玄関の方へ向かっていった。見送りでついて行ったら、ふとニコくんの方から話しかけてくれた。
「仲がいいんだ。オウレン先生と……」
「うん! だって、ぼくのことを育ててくれたから」
「そうか……本当のご両親は、生きているのか?」
彼が静かにそう尋ねた瞬間、胸が少し締めつけられる。
エルフのオーちゃんとぼくの間に、血の繋がりがないのは、誰が見ても明らかだから……。
だけど、ぼくは第1王女で、ニコくんは第6王子――王族の彼に、本当のことなんて言えるわけがない。ぼくが言えるのは、濁した回答だけだ。
「わからない……」
そう呟くと、彼はじっとぼくを見つめてきた。その視線があまりに真っ直ぐで、思わず続けてしまう。
「でも、オーちゃんたちがぼくにとって、家族だから。それでいいんだ!」
自分でも不思議なくらい、自然にそう言えた。
ぼくが出した答えに、彼も少し意表を突かれたようだったが、しばらくして彼はリラックスした表情に戻る。
「ふーん。まぁ……その気持ち、分かるかもな」
「えっ?」
珍しい。あまり他人の話に同調するタイプじゃないのに――どうしたんだろう?
「オレは第6王子って立場に、特別なプライドなんて持ってない。正直、王様になりたいとも思わないしな。要するに、君が言いたいのは、自分が大事だと思うものを軸にすればそれでいいってことだろ?」
予想外の言葉に、一瞬だけ息が詰まる。
(わぁ……ニコくんがこんなに語るところ、初めて見た。いつも無口なのに、こんなに話すなんて!)
驚いたことに、彼の本音を少しだけ垣間見た気がする。
「王様になりたいとも思わない」――彼は、欲や野心よりも、自分に正直でいたいタイプなのかもしれない。
でも、人生は一度きりだ。ぼくも、彼がどう自分らしく生きていきたいのかを尊重したいと思い、ウンウンと大きく頷いた。
「じゃあ」
短くそう言って、彼は部屋を出て行こうとする。だけど――ふと立ち止まり、ぼくの方を振り返る。
そして、らしくない微笑みを浮かべながら、彼はそっとぼくの耳元に近づき、低いけどいつもより優しい声でつぶやいた。
「オレは一般科でよかった――君といると、時間が早く感じる。一緒にいるだけでも、十分楽しい。またオレと遊んで……」
そう言って、彼は隣の部屋に入って行った。
(まさか、こんな少女漫画みたいな甘いセリフを耳元で言われるなんて……!)
「そういうセリフは……男だと偽っているぼくではなく、素敵な女の子に言うべきなんだよ?」――そう返せたらよかったのに。だけど、彼がさっきまでここにいたという余韻が、まだ心から離れなくて……ぼくはドアの前から動けなかった。
一方、ニコくんがいなくなったのを確認したタイミングで、ルルがぼくのところへやってきた。
「あら、サラちゃん。耳まで真っ赤になってるわよ」と言われて、思わず顔を覆った。
言わなくても分かってる……。自分のほっぺたが熱を帯びているのは、嫌でも感じていたから。
ぼくは、そんな赤みをどうにか抑えたくて、そっと手を頬に当てる。
……それでもぼくの余熱はなかなか引かなかった。