天使族の血は極上
ぼくはふと目を覚ました――寝起きで頭がぼんやりしている。なんだか、いつものベッドと感触が違う?
そうだ! ニコくんがここまで運んでくれたけど……今日って授業半日だから、もしかして……!
授業をサボってしまった!? その考えが頭をよぎり、慌ててシーツを跳ねのけた。けれど、体に力が入らず、またベッドに倒れ込んでしまう。
「うわぁー!」
ぼくの間抜けな声が響く。すると、オーちゃんが慌てて駆けつけてくれた。
「サラちゃん、大丈夫? 慌てなくていいからね。担任の先生には、体調不良で休むって私から連絡しておいたから、安心してね」
「オーちゃん! ごめんね……いろいろ手配させちゃって」
「謝らなくていいの。それより……さっきの男の子、サラちゃんと同じクラスの子なの?」
「うん……お友達だよ」
そう答えながら、内心ヒヤリとする。さっき、ニコくんと「内緒にする」って約束したばかりだ。
(「彼は王子様なんだよ」なんて、オーちゃんには絶対言えない……)
けれど、オーちゃんの視線が鋭くなる。彼女は何かを察しているみたいだ。
「彼、吸血鬼よね? 何か言われなかった?」
「えっ……?」
しまった、こう言う時すぐ「何も言われてない!」って言い返さないといけないのに、ふと匂いのことを思い出してしまった。でも、匂いがしていないか聞いてみてもいいかもしれない。
「オーちゃん……その、ぼくって、何か匂いがする?」
「しないから安心して……。彼になんて言われたの?」
「甘いって……」
「……」
流石に「美味しい」は言えなかった。恥ずかし過ぎて。
「そうね……。吸血鬼って、血以外の飲食を覚えると嗅覚が鈍るって言われているけど、彼は魔力が強い吸血鬼だから、その影響を受けていないのね。だから、サラちゃんの性別も嗅ぎ分けられたんだと思うわ」
「そっか……。オーちゃんは、あの後ニコくんと何か話したの?」
「少しだけね。彼がサラちゃんのお友達だってことはわかったわ。でも――」
オーちゃんの表情が一瞬引き締まる。
「サラちゃん、男の吸血鬼には本当に気をつけて。彼らにとって、天使族は“極上”の存在だから……」
そう言って、オーちゃんは吸血鬼族に関する説明書を手渡してくれた。
その本には、こう書かれていた。
『吸血鬼は補血を行う際、人間、エルフ、天使の血を好む。特に天使の血は希少で、極上。美味である』
ページをめくるたび、吸血鬼族の本能や文化についての詳細が記されている。手に取った瞬間、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
(だから、「美味しい」って言ってたんだ……! どうしよう! ぼく、天使族ってバレてないかな?)
「それとね……吸血鬼にとっては、血だけじゃなくて体液も栄養になるの。本当に危険だから、強引にキスされそうになったら、絶対に逃げて!」
「えっ!? ……う、うん。気をつけるね……」
その瞬間、更衣室での出来事が脳裏によみがえった。閉じ込められて、キスされそうになったあのとき――。ニコくんはあの場で、本当にぼくを“食べる”つもりだったのだろうか?
彼の意図はわからないけど、あれは……本当に恥ずかしかった。思い出しただけで、頬が熱くなる。きっと、顔がピンク色になっているのがオーちゃんにも見えてしまったのだろう。
「サラちゃん……本当に気をつけてね。あなたは、とてもかわいいのだから」
優しい声とともに、オーちゃんはそっとぼくの頭を撫でてくれた。その手の温もりに、一瞬驚きつつも、安心感が広がる。
才色兼備なオーちゃんから、こうしてアドバイスをもらえるのは、本当に心強い。
ぼくの中で不安が少しだけ和らいだ気がした。
その後、だいぶ体が動けるようになったため、保健室を出て、寮の自室へ戻ることにした。
早速パソコンを開いて、例のSNS内の【王妃様に感謝し隊】メンバーに相談してみることに。
(オーちゃんとニコくんがケンカしてたから……)
『ボクには仲良しのお姉ちゃんとお友達がいるけど、その2人が今日言い争いをしてたんだ……。ボク、ケンカって苦手なんだ。これからどう対応すればいいんだろう?』
そう相談すると、すぐに【紅】さんから返事が来た。でも、その内容に驚いてしまった。
『ララちゃん、それって、もしかして……三角関係?! 2人ともララちゃんのことが好きなんじゃない?』
三角関係だなんて――!
そんなこと、絶対にない。
オーちゃんは、お母さんみたいだったり、お姉ちゃんみたいな存在だし、ニコくんは趣味友達って感じ。
でも、一瞬だけ「もしそうだったらどうしよう?」と考えてしまった自分が恥ずかしい。
『えぇー! ボクは2人のこと好きだけど、恋愛の好きじゃないんだ。家族や友達として、本当に頼りになるって感じかな?』
慌てて返信しながら、胸がドキドキしていることに気づいてしまった。紅さんの恋バナ発言は、なんだか妙にリアルで、少しだけ動揺させられた。
『こんばんは。ケンカを見ていると心が痛みますよね、わかりますよ。わしも兄弟たちがよくケンカをしてのう……ツラいです』と【老人万華鏡】のおじいちゃんもログインしたようで、すぐ同調してくれた。
『おじいちゃん、こんばんは! ボクも心が痛むタイプだから、なんだかホッとしちゃった』
『わしもじゃ〜。ケンカを見るのは辛いのう……』
やさしいおじいちゃんの言葉に、ぼくは少しだけ心が軽くなる。同じように感じてくれる人がいると知るだけで、こんなに安心できるんだ。
紅さんはそんなぼくたちに的確なアドバイスをしてくれた。
『ララちゃんとおじいちゃんの2人はとても優しいんだね。そうだ! 【エスプレッソ伯爵】に相談したらどう?』
「確かにー!」とつい現実世界で声を上げてしまった。そんなぼくの発声と共に、通知が来た――エスプレッソ伯爵だ!
『こんばんは』
これには紅さんも『ナイスタイミングだね』と感心している。
『喧嘩のような衝突は――内なる感情が絡んでいるからこそ起こる。だから――感情を整理しない限り、対立は続くものだ。ララ。君ができることは、お姉様とご友人に冷静に話し合う機会を提供することだよ。もしくは、少し距離を置いて状況を観察するのも1つの手だ。彼女たちが自分で解決するのを待つという選択も、賢明な判断だろうね』
なんて的確で冷静なアドバイスなんだろう――しかも、こんなに丁寧に答えてもらえるなんて。ぼくは思わず笑顔になって、お礼を伝えた。
『すごい……! さすがだよ! 素敵な解決策をありがとう、エスプレッソ伯爵!』
『君の悩みなら、いつでも相談に乗るさ』と返ってきたのは、彼らしいちょっとキザなセリフ。だけど、それが逆に嬉しい。
すると、おじいちゃんもすかさずコメントを入れてきた。
『わしも伯爵の意見を参考にするよ。これで兄弟喧嘩が減ればいいのだがのう〜』
その言葉に対し、伯爵は淡々と『どうぞ』と返答。やたら冷静な返信が、逆に面白くて、ぼくは思わずくすっと笑ってしまった。
『あっ、そろそろ夫が帰ってくるから離脱するね〜』と紅さんが軽やかに締めくくる。旦那さんとの時間を大切にしている彼女らしい言葉に、ぼくは自然と笑みがこぼれる。
紅さんが伯爵を頼るように助言してくれたおかげで、ぼくは本当に救われた。名残惜しいけど、お別れの挨拶をすることにした。
『ボクもご飯食べようかな! みんなありがとう。また会おうね!』
エスプレッソ伯爵が『また』と返してくれた。その一言に、どこか安心感を覚える。
そしておじいちゃんは『ノシ』とかわいらしい絵文字で応えてくれた。
画面からみんなの名前が消えていく。少し寂しいけれど、心には温かい余韻が残った。
ぼくもそろそろ、ご飯にしようかな――みんなのおかげで、今日のご飯はなんだかもっと美味しく感じられそうだ。
ぼくはパソコンの電源を落とし、ぐーっと背伸びをした。更衣室や保健室での出来事があって少し疲れたけど、みんなとは心地よいやり取りができたなぁ〜! そんな余韻に浸りながら、晩ご飯のことを考える。
外食する気分でもないし、自室で簡単に料理を作ることにしよう。
冷蔵庫に何があったっけ? そんなことを考えながらキッチンに向かおうとした、その時。
『ピンポーン』とチャイムの音が部屋中に響いた。
(こんな時間に誰だろう?)
少し警戒しつつドアを開けると――。
そこには、漫画とトマトを手に持ったニコくんが立っていた。
「……なんで漫画とトマト?!」
思わず口にしたぼくの言葉に、ニコくんは悪びれる様子もなく、無言でじっとぼくを見つめていた。