至近距離〜薔薇姫を知るのは俺だけ〜 ※第一王女→第3王子視点
最初は第一王女視点です。
途中から、第3王子視点になります。
放課後、ぼくは図書室の地下室で、キーちゃんが書いた魔法家庭学の論文を読んだ。
静まり返った空間にいるのは、ぼくだけ。この静けさは、集中するのにうってつけだった。
最後の一文まで目を通したぼくは、論文を手にしたまま、キーちゃんが作りそうな問題を想像していた。
(記述問題は、この範囲から出そう……)
イメージが風船のように膨らんでいったところで、地下室のドアがギィイと開いた。
入ってきたのは――第3王子。
目的の本を探すように背表紙へ視線を滑らせながら、ぼくがいる本棚コーナーにやって来た。
一瞬、目が合ったが、第3王子はすぐに視線を逸らした。
(えっ……。ぼくのこと、覚えてない?)
目が点になった。
この前と違って、一言も喋らないし、考え込む横顔は険しく、むしろ「近寄るな」と言わんばかりのオーラを放っていた。
(月曜日に会った時は社交的だったのに、今日は無口。ご機嫌斜めなのかな?)
ぼくは知っている。
こういうときに話しかけると、かえって機嫌を損ねてしまうかもしれない。
(また、次に会った時に、お礼を言えばいいよね)
一人でコクンと頷き、論文を本棚に戻して、チラッと隣を見る。
第3王子は背が高く、脚立を使わずに、最上段の本を片手でまとめて抜き取った。
だが、その数が多過ぎて、一気に崩れ落ちそうに――。
「危ないっ!」
条件反射で、ぼくは咄嗟に両手を伸ばし、第3王子に覆い被さった。
ドサァ――。
床に散らばった本の音だけが、静まり返った地下室に響き渡った。
(あれ……痛くない?)
恐る恐る目を開けると、仰向けになった第3王子と目が合った。
息がかかるほどの至近距離。体温まで伝わってきて――あろうことか、ぼくは王子様の上に跨っていた。
(やだっ、近い……!)
「す、すみませんっ!」
慌てて立ち上がった拍子に、ぼくのお尻に、硬いたんこぶが当たった。
「ひゃあっ……!」
高い声が出てしまい、急いで口を両手で塞ぐ。
ぼくは血の気が引いた。王子様に怪我をさせてしまった。
(うわぁ……どうしよう! お詫びどころじゃ済まないよ……でも、聞かないと!)
実際に、第3王子は苦しげな表情をしている。ぼくは隣にしゃがみ込み、あたふたしながら、怪我の具合を確かめた。
「ごめんなさい。大きなたんこぶができてるかも……痛くないですか? 保健室に――」
「ふっ……面白いことを言う」
第3王子は口元にわずかな笑みを浮かべた。
けれど、その目つきは鋭く、ぼくの顔をじっと観察している。
さすがに、ジロジロ見られるのは落ち着かない。
その上、さっきのアクシデントで、ポケットからルルのキーホルダーがはみ出していた。慌てて押し戻す。
幸い、王子様は、ぼくの動作に気づいていない。視線が終始、ぼくの顔に注がれていたからだ。
(ぼくの顔、変なのかな……。どうして、そんなに見つめてくるの?)
恥ずかしくなったぼくは立ち上がって、散らばった本を片付け始めた。まとめて棚に戻したかったけれど、背が足りなくて届かない。
脚立を持ってこようと思ったその時――。
「元に戻すから、1冊ずつ俺に渡してくれ」
王子様は身を起こし、ぼくに右手を差し出した。
指示どおりに1冊ずつ渡しながら、考える。
月曜日に会った時と違って、今の王子様はほとんど喋らない。むしろ、初めてウェディングドレスを着た時に、会った印象に近い。
ぼくの中で、答えが出た。
(もしかして、第5王子と同じ二重人格――?!)
やはり、王族は不自由なのだろう。みんな、何かしら悩みを抱えている。
第5王子は嫉妬でダン先輩に石を投げていたし、ニコくんは王族のルールに縛られるのを嫌っていた。お母さんも王宮で不自由な暮らしを強いられていた。そういう事情を知ると、ますます王族になりたいとは……思えない。
「はぁ……」
思わず溜息をつくと、王子様の口から感謝の言葉が返ってきた。
「助かった。片付けはもう終わった」
「あっ……」
考え込んでいるうちに、本棚は元通りになっていた。
用件も済んだことだし、ここに居続けるのも気まずい。
それでも、地下室を出る前に、確認とお礼だけは伝えることにした。
「あの……本当に痛いところはないですか?」
「大丈夫……」
「良かった! この前、左手を怪我していて、痛そうだったから。絆創膏のお礼に、お菓子までいただいてすみません。ありがとうございました」
言い終えて、ドアを開ける。
今日の第3王子は、前回と違って、声を掛ける気配すらなかった。
(うーん。真相がわからないのは、悔しい)
ちょっと負けず嫌いなぼくは、独り言――いや、ふたり言を言う。
「今日のあなた、月曜日と違う気がした……」
顔を腑せたままドアを閉め、図書室の席に戻って、荷物をまとめる。
(占いがこんなに当たるなんて怖いっ……。これ以上、アクシデントが起きませんように!)
そう祈りながら、駆け足で寮に帰った。
* * *
地下室のドアを押し開けると――甘く艶やかな香りが鼻腔をくすぐる。
どこかで嗅いだことのある香りなのに、思い出せない。だが、体が覚えているようだ。
(懐かしい香り……誰だ?)
視線の先にいたのは、一般科の男子生徒。
一瞬、目が合ったが、すぐに逸らした。気安く話しかける必要はない。
目的の本を見つけ、本棚の最上段に腕を伸ばす。数冊をまとめて抜き取った瞬間、大量の本が崩れ落ちてきた。
危ういと思い、魔法を使おうとしたが、その前に、柔らかな重みが腰の上にのしかかる。
本が床に散らばる音だけが響いた。
(……助けてくれたのか?)
目の前には、驚きで潤んだ青い瞳。
形の良い小さな唇。仕草には、どこか上品さがある。
(男にしては、繊細すぎる……)
しかも、「大きなたんこぶ」などという妙な表現まで。思わず口角が緩む。
(幼い。まだ1年生なのだろう。世間に疎いようだ……)
そして――偶然か。錯覚か。再び、あの香り。
(この香り……どこかで……)
気になりつつも、最後の一冊を棚に戻し、礼を述べる。
「助かった。片付けはもう終わった」
それ以上の言葉は不要だ。
なのに、去り際に聞こえた少年の独り言が、心に刺さる。
「今日のあなた、月曜日と違う気がした……」
(ふーん、違いに気付いたか)
俺の中で確信に変わった。
この子が、チョコに絆創膏を渡してくれた。そして、俺のことも助けてくれた。
地下室は再び静寂に包まれた。
しかし、胸奥では、“香りの記憶”が薔薇の棘のように突き刺さったまま。
(面白い子だ。危うくて、儚い“薔薇姫”。その棘さえも俺に委ねて、本当のお姫様になればいい……)