プロローグ
広大な王国の片隅で、深い森の奥にひっそりと住んでいる一家がいた。
そのお家には人間の兄とエルフの妹以外にも、ふたりとは血の繋がっていない一人の少年が住んでいた。
その少年の名前はサラ。
いや、少年ではない。
実のところ、サラは第一王女であり、女性しかいない稀少な天使族の血を引く10歳の少女である。彼女の運命は生まれた瞬間から王女として生きていくと決まっていたが、母である王妃の死によってその運命は異なるものとなった。
王妃の遺言で『成人年齢である18歳になるまでは男の子として生き延びなさい』と告げられていたため、一家はその遺言を今も守り続けている。つまり王族の血が流れているもののサラはその正体がバレないよう男の子として育てられた。そのため、本人だけでなく、彼女の周りの知り合いもサラが王女だとは夢にも思わなかった。
サラは普段から男の子として過ごしていたが、その心の中にはかわいらしい一面もあった。ウサギのグッズが大好きで、夜寝るときはウサギのぬいぐるみを抱きしめていた。
とある日――彼女は今までと変わらない生活を送り、剣術の習い事が終わったところであった。今でこそ剣術は楽しいが、一緒に住んでいる家族から「自分の身を守るために通いなさい」と言われて通い始めた。最初は泣きながら通っていたが、今では剣術検定という1から5級まである試験で、最年少で2級を取得したぐらい実力をつけてきた。次の最上位である1級は今年受ける予定だが、この王国には取得者がたった4人しかいない。かなり難関であるし、家族からは「そこまで強くならなくていいよ」と言われているが、彼女は挑戦したいと思っていた。
さて――そんな彼女は家に帰る途中、森の方へ入って行った。最近、この辺りにウサギがいたからだ。
(今日もウサギさんいるかな……?)
剣術の習い事だけでなく、森の中にウサギがいるか確認することも彼女の楽しみになっていた。しかし、今日は珍しいことにいつもは入り口近くにいるウサギがいないのである。家族からは「森から出られなくなったら危ないから、奥まで行ったらダメ!」と言われていたが、彼女は好奇心旺盛であるため、ウサギを見に中まで入ることにした。
5分ほど歩いたところ――顔見知りの白ウサギがいた。いつもはウサギの方からこっちにやって来てくれるのに、今日は来てくれない。「どうしたのー?」と声を掛けながら、そのウサギのそばに近寄った。すると、足を怪我していて、血が滲んでいるのが目に入る。可哀想に、真っ白な体に赤い血が染みていた。
「あっ、怪我してるの? 痛いよね。どうしよう! この辺りには動物のお医者さん、いないかも……」
どうして怪我をしたのか理由はわからない。けれど、いつも元気なウサギが、今は痛みに耐えていて、苦しそうな表情をしている。そんな様子を見て、彼女は涙を流す。
「でも泣いちゃダメだ。とりあえず、できることをしないと……」
彼女は涙を手で拭きながら、気持ちを切り替えて、最善で何か出来ることはないか考えてみることにした。ふと、エルフの妹ことオーちゃんから教わったことを声に出してみる。
「そうだ! ぼくは天使族だから、思ったことや叶えたいことを心の中で唱えれば、魔法が使えるって言ってた……」
ただし、その魔法を使うのは「人がいないところで、本当に助けが必要な時にしなさい」と言われたことも思い出す。
その理由は天使族がこの世界ではたったの10人しかおらず、回復魔法に特化していたことから、他の種族にいいように扱われたりと……とにかく狙われやすい種族であることが挙げられる。ただでさえ、王女という立場で追われやすい上に――珍しい天使族。もし王族の追っ手が彼女の正体を暴きバレてしまったら、王宮に連れていかれるだろう。
魔法を使ってはいけない理由について、オーちゃん達から教わっていなかったこともあり、彼女は何も知らない。しかし、今は亡き彼女の母親が王宮を良いところだと思っていなかったことについては理解していたため、『王宮は怖いところ』という認識は持っていた。
(でも。今はここに誰もいないから、魔法を使ってもいいよね? 森だし……。それにウサギさんを助けたい!)
彼女は自分の周りを見渡して確認したが、誰もいないようだ。唯一いるのは怪我をした白ウサギのみ。
彼女は覚悟を決めて、魔法を唱える。心の中で唱えたことは――『ウサギさんの怪我が治りますように!』と。
すると白ウサギの出血していた部位が光り出す。
彼女は「うわぁ!」と驚きつつ光が消えたため、傷跡を確認する。
なんと驚いたことに傷跡が塞がっているどころか――傷自体が無くなっていたのだ。
「え、どういうことー?!」
彼女自身、自分の能力に驚いてしまう。一方、ウサギの方は治ったことに喜んで、飛び跳ねている。その様子を見て、彼女は魔法を使って良かったとホッとする。
「すごい! こんなにすぐ回復できちゃうなんて……。この魔法がどういう理屈なのか全くわからないけど、ウサギさんが元気ならいいや! ウサギさん、次からは無理しないでね。じゃあねー!」
そう言って、彼女は急いでお家へ帰ることにした。帰るのが遅くなると家族に心配されるからだ。
彼女は、自分が魔法を使っているところを誰にも見られていないと信じていた。しかし――先ほど怪我をしたウサギとは別に、もう一匹のうさぎが茂みの陰からその様子をじっと見つめていたのだ。
彼女が回復魔法を使った翌日の朝――元気になった白ウサギは近くにいた他の白うさぎに「ねぇ、そこのあなた〜」と話しかけられる。
白ウサギは驚く。
なぜかそこにいた白うさぎは人間などの種族のように言葉を喋るだけでなく、地面から浮いていたのである。そして、背中には天使の羽、頭には輪っかが付いている。それに耳とお腹に赤色のハート模様があり、全体的にふっくらしていた――明らかに普通のウサギではない。
「あー。驚かないで! わたしの名前は【ルル】。あなたに危害を与えたりしないわ。それより、昨日回復魔法を使った子はどこにいるの? わたし、あの子と瓜二つな女性に仕えていたことがあるの。確認したいことがあって……」
そう喋りながら、『どこに向かって歩いて行ったのか教えて』と手をパタパタさせながらジェスチャーしている。白ウサギはその様子を見て、とある目的地に向かって走り出す。
「あら、ありがとう」とルルは浮かびながら、白ウサギのあとを追う。
そして、森の入り口に着いたところで、あそこの家だと白ウサギは体全体で向きを変えて表現する。ルルは「了解」と言って、背中にある羽を使って、サラのいるお家へ向かって行った。
ごきげんよう。こちらの小説はロマンスファンタジーになります。
ワインやコーヒー・エスプレッソなどを片手に、第一王女様の物語を心ゆくまでご堪能くださいませ。