第三話 現代法治国家で勇者と言われても
Tips:魔物を倒すと、その場に遺体は残らず粒子となって風化する。ヒトは間違いなく物体として残るので、ここは生き物として大きな違いがある。
魔物すら「それは何、どういう意味?」と動きを止めるテイシの一発ギャグの甲斐あって、その間に清水区役所は体勢を整え直すことができ、連絡の届いた勇者パーティが魔物の群れを街から追い出すことに成功した。
「さっきみたいなこと、二度としないように」
「どうしてですか!!」
「テイシ君には資格がないからだよ」
「人を助けるのに資格がいるんですか!!」
ソウヘイにたしなめられたテイシは大声で抗議していた。談話室の壁はちっとも彼の声を減衰させず、屋内中に会話が筒抜けだ。
「人を助けるのに資格はいらない。問題は、君が魔物に与えた『会心の一撃』だよ。君は、敵対しているとはいえ、人を守るために魔物の命を奪ったんだからね」
ソウヘイの口調は穏やかだが、表現はテイシの想像していた以上に厳しいものだった。テイシは返す言葉がなくなり、静かになる。
「あれには資格が要るんだ。正確には、国からの認可と、認められた活動理由だけどね。もし君が本当に人を救いたいのなら、これからの話をよく聞いて決めてほしい」
魔族と呼ばれる、人ならざる種族。エルフやらオークやらドワーフやらが日常的に暮らすこの世界にも、それは元々居なかった存在だった。すべては、三十年前に始まったことだ。
テイシがこの世界、水際世に来たように、水際世には低確率で異世界から生物が転移してくる。異世界転移は他の世界間でも起きるが、水際世は特殊な座標に位置するため他と比較して転移しやすい世界とのことだ。それでもたいていは1個体のみが移動するのみで、それぞれの生態系、社会を壊すようなことにはならなかった。
しかし、魔族は三十年前、大群で、かつ意図的に水際世にやってきた。テイシの三分世よりも遠く、当時の観測技術では認識すらされていなかった、後に魂遊世と名づけられる異世界から。
魔族のほとんどはヒトの形をしていなかったが、母語として日本語を話し、こちらに宣戦布告した。この土地を治める者を打ち倒し、支配すると。それから、水際世の日本社会が変わるまではあっという間だった。魔族たちは平均的に魔力が高く、各地の自衛隊を制圧した。正確には、自衛隊は善戦していたものの、魔族は出処不明の無限の戦力個体を供給し続け軍事力で押し返し、またわずかな精鋭の魔族は常軌を逸した強さで日本の主要な防衛力を崩した。
一年足らずで、日本は魔族の「総理大臣」に支配された。
魔族は魂遊世の日本人という位置づけであるが、その民族性は大きく異なった。特筆すべきは、「治める者を倒せる者が、次の治める者となる」というルール、もとい本能だ。己の環境に不満があるならば、行政の長を自ら倒す。それができないならば政治はできないが、裏を返せば誰にでも社会を変えるチャンスがある。無論、自分勝手なだけの者が上に立てば、また異なる強者の市民に目をつけられる。こうして政治の風通しをよくしてきたらしい。
その意志のもと、三十年前、日本の総理大臣は公然と屠られ、一人の魔族と、その父親によって今もなお政治が行われている。
その総理大臣の名は「コヌツチ」。その陰にいる父親は名前すら明らかになっていない。
コヌツチが政権を握ってから、水際世の日本には魔族の「下克上システム」が適用され、誰もが暴力で政治を変えられる国になった。これを都合よしとした水際世のヒトすらも、それぞれの自治体の長を狙い、また狙われるような、悪夢のような内紛状態だ。たいていの場合は魔族が市町村長の座につき、ただの暴漢と化した為政者候補はその魔力に敗れることとなる。またその市町村長の魔族も時には都道府県知事の座を狙い、そして敗れ中間管理職に落ち着くこともある。
コヌツチは、この下克上システムの日本を国として管理し、また水際世のヒトにもチャンスを与えるため、各自治体に総務省管轄、水際世民向けの「勇者課」を設置することを義務づけた。先ほどテイシや役所職員たちを助けに来たのも、清水区の「勇者課」に届出を出したパーティだ。
「勇者課」に所属してよい市民の条件は二つ。
一、所属する自治体、または国の行政の意思決定を担う意志があること。
一、上に定めた意志のため、立ちはだかる存在に抗うと誓うこと。
「……色々他にも細かいルールはあるけど、少なくともその二つを守れない場合、魔物にも、当然だがヒトにも手を出してはいけない規定になってるんだ。そうやって日本の治安を『内紛』という状態で維持したいんじゃない?コヌツチ総理は」
テイシは真面目に話を聞き、水際世の大まかな状況を知った。まず思い浮かんだ二文字は……「地獄」だった。
「誰も、その総理大臣は倒せなかったんですか」
「……そうだね。今や僕らみたいな公務員は、彼と、彼が率いる魔族の部下だ」
そう言ったソウヘイの顔は、一瞬穏やかさがなくなり、「だけどね、」と続けた。
「死なない方が難しいくらいのこの世で、僕らはこうして大切なものを守ってる。明日には何を話したか忘れるような他愛もない馬鹿話、とかをね」
ソウヘイのその言葉は、かつて誰もが死ぬ選択もできたという過去をはらんでいた。その顔を見て、テイシは立ち上がり、声量を取り戻す。
「僕は!!それじゃダメです!!絶対に!!」
彼の足は震えていた。武者震いではなく、恐れから。
「……僕は昔……覚えてないくらい小さい頃に、お母さん死んじゃって。そのあと小四のときに親父が再婚して、そんでその女がヤバいくらいモラハラ体質で……生活がボッコボコに変わっちゃったんですよ、習い事とかやりたくないやつ週6でやらされて」
だから、恐いです。
テイシのその言葉は震えていた。
「いや……全然規模が違うのはわかってるんですよ!?でも!!例えば!!今を生きる子どもが!!自分じゃない誰かに、好きじゃないものを見せられてるんだとしたら!!僕は、色々思い出して、恐いです!!」
「う、うん……それはすごい、すごい良いこと言ってると思うけど、あんまり自分の思い出をそのテンションで言う人いないかな」
ソウヘイは軽くのけぞっている。
「正直さっきの魔物めっちゃ恐かったけど!!ここで何もしない方が恐い!!……戦わせてください!!僕の!!嫌な思い出のためにも!!」
仁王立ちで宣言するテイシに、ソウヘイはほとんど顔をそむけるように「わかった!わかったから!今申請書持ってくるから!」と了承し、逃げるように談話室から出ようとした。しかし彼がドアノブに手をかけたとき、外からドアが開けられて、ソウヘイはべチャリとずっこけた。開いたドアの前に立っていたのは、エルフの女性職員「花触」だった。彼女は大きく息を吸い込んで、
「うるさぁあああああい!!!!!」
ガタが来ているボイラー室の亀裂が少し大きくなったらしい勢いで、テイシを一喝した。
「ホクトくん助けてくれたからちょっと見直したかと思ったら!あんたがうるさくて心のケアの邪魔!もうめっちゃ邪魔なんだけど!勇者課入るならさっさと申請書記入して帰れ!」
テイシの顔に勇者課申請書が投げつけられ、彼女は長い耳から蒸気を排するようにして去っていった。
「いてて……」
紙三枚が当たったとは思えないほどの衝撃をくらって尻もちをついたテイシは、我に返って申請書を眺めた。そこには、一部記入済みの枠があった。『パーティを組む場合は、あなたを含めて組員となる人の情報も記入してください。』と書かれた部分の下枠、二行目。
『花触 実恋奈 種族:森棲族 性別:女 出身:埼玉県所沢市』
「え……?」
ここに名前が書いてあるってことは……
荒い足音が戻ってくる。ズンズンズン……花触……ミレナだ。遠くから「言い忘れてた言い忘れてた……」といそいそした声がする。
「樋朽課長!私子ども支援課辞めます」
「や、辞める!?ちょっと花触くんそれは」
「勇者課の異動許可と、このうるさいの含め健康診断の準備をお願いします!私、パーティの魔法使いになるので」