第二話 異世界では何が失言になるか
Tips:この世界、水際世の日本には、我々の知る人間以外に大きく分けて五種類のヒト族が生息している。ヒト科の生物に共通する特徴は、直立二足歩行と犬歯の退化である。
「飲み会の帰りに……トラックが突っ込んできて……気がついたらこっちに来てた……と。はいはい」
交番の巡査部長は、オークの男を帰らせた後、落ち着いた調子でテイシの調書をとっていた。
「いや何でそんな落ち着いてるんですか!というか、異世界認識してる人おかしいでしょ!」
「声でっか……。この距離感でそんな声量出さなくても……あの、アレよ、習うの。学校で異世界のこと」
この世界の名は水際世。ごくまれに、無数に存在する異世界から人が転移してくる。そのため、長い歴史をかけて異世界に対する認識、科学的知見が深められた。この世界はあらゆる世界から生物が「漂着」しやすいこと、テイシが居た世界は「三分世」と呼ばれ、水際世と三分世の距離は「八分」と比較的近い座標に位置していることなどが一般に知られている。
「八分?僕の世界と八分時差があるんですか?」
「いや……時差はないんだけど……ごめん、理系苦手でね、お巡りさんあんまりわかってないス」巡査部長は照れ笑いでやり過ごす。「まあとにかくね?さっきのおじさんみたいなのは普通にいるし、お兄さんの世界とは違う日本だから、ちょっとずつ慣れてくださいな」
巡査部長は書類を作成し、テイシに手渡した。
「これ、区役所の生活支援課ってところに出しておいで。仮戸籍発行してもらえるから」
******
「ここか……?」
見た事のないスーパーの角を曲がり、パクリみたいな名前のコンビニチェーンの向かいに見える裏口、その反対側に回って辿りついたのは、静岡市清水区役所。確かにここは日本。並行世界の日本なんだ。でも、すぐ近くのタバコ屋を見れば、
「おーいタバコ屋、食いもん持ってきたぞー」
「おおノリさん助かるよ、また来週も頼むよ」
「頼むよじゃねえよ、まず代金払え!ハッハッハ」
狭いタバコ屋の中にギッチギチに詰まって出られなくなっているサイクロプスが、普通のおじいさんと和やかに談笑している。既視感と未視感のミルフィーユ状態だ。
「ああ!頭がおかしくなりそう!帰してくれえ!」
静かな平日、昼の街にこだまするテイシの叫び。談笑していたサイクロプスのタバコ屋も、ただでさえ大きな一つ目を丸くしてこっちを見た。恥ずかしいのと、一つ目巨人に見られる恐さもあって、テイシは小走りで区役所に入っていった。
「すみませーん……」
生活支援課の窓口は3つあって、手が空いてそうな若い女性職員のいる席に話しかけた。役所職員にしては、ずいぶんしっかりとした金髪をしていた。
「番号札先に取ってください」
「あ、ごめんなさい」
「あとここ子ども支援課です」
目測を間違えて隣に行ってしまったらしい。だからってそんなに冷たく言わなくてもいいじゃないか。テイシは案内機に向かいしな、女性職員をもう一瞥した。よく見たら、彼女は色白で金髪なだけではなく、耳が尖っていた。こ、これは!この特徴は知ってる!ネットでもよく見るやつだ!
「エルフ!?」
また大きな声がこだまして、フロア中の人が振り返った。エルフの女性は「だったら何なんだ」みたいな顔で睨んでいる。またやってしまった……。テイシは、男社会においてリアクションといじられキャラで居場所を作ってきた。そのせいで普段から大きなリアクションをとってしまうのが癖になってしまったのだ。しかし今は、異世界という常識の違う場所でこの性質はかなり悪さをしている。これは平謝りせねば……と、各方角に頭を下げていると、
「あ、もしかして三分世……異世界からお越しの方?」
窓口の向こう、並んだデスクの島の奥、何らかの上長の席に座る、髭をもじゃもじゃと生やした中年男性がテイシに呼びかけた。「あ…はい、すみません」と答えると、「はいはい交番から連絡来てますよー」とデスクから降りて、こちらにいそいそとやってきた。ん……?デスクから、飛び降りた?
「え、背ちっさ!」
テイシの口からまたしても差別発言が飛び出した!たしかに、こちらに近づいてくる男の背は小学校低学年ほどのもの。テイシがいた世界で認知されている背が伸びない体質の人よりも低く、それでいて体型はかなり筋肉質だった。遠くに見えた時はゴツめのおじさんが座っているのかと思ったら、デスクに直に立っていたのだ。
「ハハ、止まんないねえ君は」
小男は朗らかに笑いながら、「まあでも今後なるべく言わない方がいいかな」と優しくたしなめる。
「僕はね、金率族。最近はドワーフって言うけどね。うちの種族、大人でもみんなこのくらいの身長だからね」
「すみません……ほんとすみません、思ったことすぐに出ちゃって」
「まあまあ、いいんじゃない?慣れるまでは。早めに慣れとこうね。はいこれ僕の名刺。樋朽壮平です」
ドワーフは一般的に硬派で頑固、気難し屋の職人気質という種族性を持つとテイシは後で知ったが、ソウヘイは物腰柔らかな男だった。
ソウヘイに案内されて、テイシは別室で書類に細かく記入していた。かつて住んでいた世界は「三分世」と書くように指示された以外は、フルネーム、正確な住所、周囲の環境、人種に関するQ&Aなど、すべて正直に書いた。
「あの……『三分世』ってどういう意味なんですか」
「君のいたところは、人種は大きく分けて三種類になるそうじゃないか?コーカソイド、ネグロイド、モンゴロイド。こちらの世界の研究機関が異世界観測を行ったり、テイシ君みたいに『漂着』してきた人の証言から、こちらではそう把握してるんだ」
「そう……ですね」
「ウチは見ての通り三つじゃ分けきれない。ヒト科の生物は、君の知ってるホモ・サピエンスだけじゃないんだよ」
テイシは相槌を打ったが、正直コーカソイドとかはあまり聞いたことのない言葉だった。白人、黒人、黄色人種をそう呼ぶのだろうと思いながら話を聞いていた。
「こっちの世界は、無数にある異世界の、比較的近い位置の複数の世界からたまに人がやってくる。三分世では認識されないほどに珍しい現象だろうが、水際世では、認識される程度には起こることでね。だから自分たちの世界の名前は、外界からあらゆるものが流れつく浜辺、水際だ、ということで水際世としているわけさ」
目の焦点が合わないような顔で聞いているテイシに気づき、「まあゆっくりわかればいいんじゃない?」とソウヘイは笑った。
「記入終わった?そしたらね、財布のお金出して。調査機関に回すから」
異世界人が仮の戸籍を作成する場合、本当は水際世民なのに戸籍のロンダリングを目論む者が嘘をつかないように、手持ちの貨幣を提出させるルールになっている。硬貨の鋳造、紙幣の印刷は、少なくとも日本では一般人には困難かつ違法であるため、複雑なプロセスを経た貨幣であるかどうかを鑑定する機関が、異世界人の真偽を判定するのだ。
「もちろん、同じ金額相当のお金はこっちで出すから」
ソウヘイに渡された現金は、テイシの見た事のない人物の肖像画、歴史上のマイナーな建築物などが刷られていた。なるほどこれは世界を判別しやすい。
「それで申し訳ないんだけどね、調査が終わるまでは、君の身柄は役所で預かるんだ。長くて2週間」
「えっ!!!捕まるんですか!!!」
「うるっさ……。あ、ごめん。捕まるとかそこまでガチガチではないんだが、一応逃げられると行政としても困るしね。どうせ家もないでしょ?」
ただし、清水区役所にはそういった施設がないため、その場合はさらに大きな管轄の静岡市役所に移送することになる。行政の連絡はスピーディーで、テイシは腰を落ち着ける時間もなく静岡市役所へ車で送られることになった。
……そのはずだったが、五分後、状況は一変した。
「魔物襲来!魔物襲来!ウェーブレベル3!住民の皆さんは、すぐに屋内に逃げてください」
街にアラートが鳴った。慌ただしくなる役所。ソウヘイも走り出し、各課に指示を出す。
「生活支援課は付近の住民を中に入れろ!あと魔法か戦闘得意な人!花触さん!君は防衛に!『勇者課』はギルドのリストに連絡を回せ!テイシ君ごめん、安全なとこにいてくれ」
呆気にとられるテイシを置いて、ソウヘイは武器をがちゃがちゃとかき集めて外に出ていった。花触と呼ばれた、先程のエルフ女性も小型の魔法杖を持って駆け出す。
一転、静まり返った建物内。手持ち無沙汰になるのも居心地が悪かったので、テイシはこっそり正面入口に近づいて外の様子を伺った。そこに見える光景は、
「うわああああっ!」
陣形を組む数人の役所職員ににじり寄る、緑色のスライム、手足の生えた南国の植物、顔が巨大なコウモリ。明らかにヒト型でない、まさに「化け物」が、人類を取り囲んでいるのだ。
「うおー!ワシは動けないんだー!助けてくれー!」
タバコ屋のサイクロプスに襲いかかるスライム!
「風魔法……"そよ斬り"!」
エルフ女性職員、花触が小型の魔法杖を使い、二十メートルほど離れた向かいのタバコ屋に近づくスライムを遠隔で斬る!
ソウヘイも、正面入口前に積んだ武器を振り回し、「魔物」たちをつぶしていく。
「ママぁー!ママぁあー!!」
テイシが呆然としていると、後ろから小さな男の子が、職員の陣形に向かって駆け寄った。
「ちょっと!ホクト!出てきちゃダメでしょ!」
少し大柄な人間の女性職員の息子らしい。彼女が息子の方に振り返ったその隙に、顔の大きな化けコウモリが彼女の背中に向かって攻撃!
「ああっ!ウゥ……」
当たり所が悪かったのか、その場に倒れ戦闘不能となってしまった。絶望的な状況に号泣する男の子。そこへコウモリが追撃をしようとしている!
「ホクト君っ!!」
花触がとっさに男の子の方へ走るが、今度は化け物植物が花触の背後に攻撃!
「ウぁっ!痛ったぁ……」「花触さんっ!」
一気に崩れる陣形。男の子が危ない。それを見たテイシは、気がつけば身体が男の子を守ろうと身体が動いていた。武器の山の一番上にあった、カーボンの竹刀、二刀流用小刀六十二センチを持ち、コウモリの大きな顔面に叩き込んだ!
「てええええいどぅれええい!!」
街がざわつこうと関係なく、テイシの声量はこだました。目をバッテンにして消滅するコウモリ。号泣が止まらない男の子に、テイシはできる限りの努力をした。まあ、努力といっても、
「子ども向け一発ギャグしまーす!!いないいなーい……いないいなぁ〜い……!……バーテンダー!!」
「・・・・・・」
エアで無のシェイカーを振るテイシに、再び街は静まり返る。男の子の号泣も止まった。