断髪した転生令嬢の三年後
緑豊かで果物や香水、それから織物にガラス細工などが有名な美しい国の公爵家に転生した私。
私が今の私になる前に幾度となく見てきたこの世界。所謂ゲームの中へと転生した、という感じである。
この作品は、世代交代できるRPG。恋愛や友情ありはもちろんのこと、複数の異性や同性とお付き合いできたりするいろいろと自由度の高いゲーム。そしてこの作品、最初の主人公が少女と青年版の二作品が発売された。それぞれストーリーが違うのも魅力のひとつで、レベルやステータスの違いも魅力だ。ただ最初の国はどちらも同じところから始まる。それが私の転生したこの国。
そして……私が転生したのは少女版。それが問題だった。
私は考えることをやめ、そして歩みを遅め振り返る。
広いから全てを見ることはできなかったけれど、高い場所から見ているからある程度は見える。私は笑顔で、その景色を見続ける。
「愛してる」
私から溢れた愛の言葉は誰の耳にも入ることはない。
私は、もうあの国の人間ではないから。その証拠に腰下まであった長く真っ直ぐな緋色の髪は、肩より上の短さとなっている。
王族、貴族の令嬢は腰下までの長さの髪にすること。そして縁切りされた令嬢はその長さを肩より上に。
私の髪が肩より上の短さとなっているのは、つまりそういうこと。悪いことをしたから断罪され、家から縁切りされた。それで髪を肩より上に切ったのである。
ざあっと風が強く吹いた。私は咄嗟に耳元で髪を押さえる。だけど今までとは違う。今まで風が吹いて髪が靡くとカーテンのように視界を覆ってしまって少し邪魔だったけど、今はあまり邪魔ではない。
私は改めて自分の立場を理解し、口許に笑みを浮かべ心穏やかに愛している国から離れるため歩き出す。
******
私があの国から去って早三年。ストーリーは滞りなく進み登場人物たちは幸せに暮らし、私も平和に過ごしている。そしてあの国も美しいまま存在している。それが、とても嬉しい。
緑の隙間から降り注ぐ太陽の光。私はその光の先にある花を優しく傾け、中から蜜を取り出し専用の瓶へ入れる。この蜜は集めて月の光に当てると深い甘さを生み出す。とても美味しいと有名な蜜なのだ。そしてこの花があるのが獣人族と精霊族の棲む場所のちょうど境目のところなので、双方の族長に許可をとり作業を行っている。
『セシル』
『あら、ザック。どうしたの?』
『君に客だ』
『私に?』
獣人族の友人であるザックに言われ、彼の後ろを見る。
「っ……!」
「お久しぶりです。セシル様」
三年前と変わらない優しく可愛らしい声。そしてクリーム色のふんわりとした髪と夏の空のように美しい澄んだ青色の瞳。三年前より美しいその姿を見てほっと安心するのと同時に、ざわざわとざわつく心。
ザックが私の様子を変に思ったようで、彼女から私を隠すように近づき小さな声で話しかけてくれる。
『セシル。彼女とはどういった関係だ? 君が嫌なら帰ってもらえるよう俺から言うぞ』
『ザック、ありがとう。大丈夫よ。彼女は私の……友人なのよ』
『……』
『そう。友人なの』
『君がいいなら俺は何も言わない。だが無理はするな。心に悪い』
『ええ。ありがとう。それからごめんなさい。ズウ族長とカエデ姉さんにお昼までには戻るからと伝えてもらえるかしら?』
『ああ、もちろんだ。君なら大丈夫だと思うが、念のために言っておく。気をつけて』
『ありがとう』
ザックは私の頭に自分のおでこをくっつけて、グルルッと小さく鳴く。これはこの世界の狼が仲間にするお守りのような行為だ。
心配そうに私を見るザックを見送り、私はゲームの主人公であるシオンをまっすぐ見つめる。
……こんなにもまっすぐ彼女を見るのは、あの日以来。私が彼女を酷く虐げると決めたあの日以来。
「セシル様、申し訳ありません。わたしは今回あなたにお話ししたいこととお聞きしたいことがあり、セシル様の迷惑も考えずここへ参りました」
「謝らないでください。私はもう公爵家の娘ではありません。ただの罪人です。あなたが私に謝ることなど一つもありませんし、敬称をつけ呼ぶのはおやめください」
「いいえ! セシル様は罪人などではありません! わたしの大切な師であり、命の恩人です!」
「っ……」
ゲームの中でさえ滅多に大きな声など出さなかった彼女が、私の言葉を大きな声で否定する。
「セシル様。あなたは未来を視ることができるのではありませんか?」
「いいえ。私にそのような力はないわ」
ただ私は知っていただけ。何度もプレイしていろんなルートをクリアした。だから私は……私にとって最も良い選択肢を知っていた。その道を進んできただけ。そのことを多くの人に伝えてはいけなかった。私の知らないルートへ進んでしまう可能性があったから。だから私は限られた人に最低限のことだけを伝えて協力を願った。
「……」
「でしたら、どうしてわたしにあのようなことを言ったのですか? あれは未来を視ることができなければ知ることのない情報です」
「シオン様。その情報は役に立ちましたか?」
「はい。とても……」
「それならばもういいではないですか。私がどうしてその情報を知っていたのかなんて」
「いいえ。駄目です。それでは証明ができません」
「証明?」
「あなたが国を救い、そして他国も含め多くの人の命を救った証明です」
「いらないわ。そのような証明。私は今の生活に満足しているし、後悔もしていない」
「わたしが後悔しています。考えが甘かったと。全てが終わればあなたをすぐに迎えに行けると思っていました。でも無理でした。他国からのあなたの悪評が消えない。わたしたちがどんなに動いても消えてくれないのです。でもわたしはあなたと一緒にいられると……だからわたしは頑張りました。どんなに苦しくても。あなたがわたしに託してくれたから。あなたといたいから……!」
「シオン……」
「証明さえできれば戻れます……! だからお願いです。教えてください。どうして知っていたのかを」
「……」
私はシオンに向けていた視線を、ゆっくりと右斜め上に移す。木々がざあっと風に揺られ音を鳴らす。すう、と息を吸いゆっくり吐く。
「シオン様。私は何も言う気はありません。全て覚悟の上で行いました」
「……っ」
「私はみんなが生きていてくれて嬉しい。今のあなたの姿を見ることができて嬉しい。あの国が無事で嬉しい。今の私の心は幸福に満ち足りております。だから、よいのです」
「よくありませんっ……! セシル様が幸せでも、わたしは幸せではないし他の人だって幸せじゃない!」
「ごめんなさい……」
ぼろぼろと大粒の涙が彼女の頬を伝い、地面に落ちて色をつけていく。私はそれを見て瞬間的に謝罪の言葉を口にしていた。
「謝るのなら、帰って来てくださいっ! わたしたちはあなたに帰って来てほしい……」
今にも崩れ落ちそうな彼女を抱き締めたいと思った。でもそれは私のためにも、彼女のためにもならない。
私には彼女が納得いくだけの説明をすることはできない。最初の質問のときに未来を視ることができると言ってしまえば簡単な話だったと思うけど。でも私に戻る気はないし。そういえば……。
「あの、シオン様。アルヴェルト殿下のことはお好きですか?」
「っ……もちろん好きですよ」
「そう。よかった」
「どうして、今聞くのですか? あの日と同じじゃないですか……」
「そうですね。ただあの日と違うのは私があなたを二度と虐げることがないことです」
「あれは他国の方々に見てもらうためにあなたが考えた作戦でしたから……」
それしかみんなを救える方法がなかったから。少女版で私が最も避けたかったルート。それはあの国が滅ぼされ、多くの大切な人たちが殺されてしまうというもの。そしてそれを避ける方法は一つ。私の婚約者であったアルヴェルト殿下とシオンが結ばれること。それができれば、二人の心が互いに寄り添い高められたときに使うことのできる伝説の魔法を放つことができるから。だから私が邪魔だった。当時、私はアルヴェルト殿下の婚約者だったから。そして回避のためにどうしようか頭を悩ませたのはいい思い出だ。理由もなく婚約破棄はできないしと、彼女を虐げるという方法で私の悪評を広め婚約破棄まで持っていき家からは縁切りもしてもらえた。彼女には申し訳なかったけれど、必要な理由のみを話し協力してもらった。それに当時も質問したけれど、彼女がアルヴェルト殿下に心を寄せてくれていたのもありがたかった。おかげでスムーズに事を進めることができた。
今回、避けることのできたあのルートは少女版最大のデメリットと言っても過言ではないと私は思う。いや、それでもプレイしているときは苦しかったけどとても楽しかったです。だけど当事者になって後のことを知っている身としては見過ごすことはできなかった。ああ、違う……見過ごしたくなかった。だから選んだ道だ。
「セシル様に問いかけられたときに、わたしは言葉を飲み込みました。セシル様がとても安心した顔をされていたから。でも飲み込むべきではなかったと今では思います」
「……」
「だから今回は飲み込みません。ちゃんとわたしの想いをセシル様に伝えます。わたしのアルヴェルト様への好きは恋慕ではありません。敬愛です」
恋慕、ではない……。それじゃあどうしてみんな無事だったの。お互いが想いあい愛が高まって初めて使える魔法のはず。なのにシオンがアルヴェルト殿下に抱いている感情は敬愛。あの魔法を使うのに、敬愛でどうにかなるものだったの。ああ……でもあの国と多くの人が救われたのは間違いない。だから結果としては成功。
それなのに、私の心が悲鳴を上げる。
隠し続けた、私の心が。
「セシル様からお話を聞いたとき、わたしはあなたの役に立ちたいと思いました。他でもないあなたの願いだったから。だからわたしは頷きました。ですがわたしはアルヴェルト様に恋をしていない。セシル様のお話を聞いてそれでは救えないと思いました。だからどうしたらいいのか悩みました」
「……」
「そして答えを見つけました。わたしの一番はセシル様。アルヴェルト様の一番もセシル様。だからわたしたちはセシル様へ抱いている愛で国を救ったのです」
「私への、愛……?」
「セシル様がわたしたちを愛してくださっているように、わたしたちもセシル様を愛しているのです。わたしたちはセシル様に幸せになってほしい」
「……私は幸せよ。だから心配いらないわ」
シオンは目を伏せて思案するような素振りをみせた。私は何もせずただ彼女を見つめる。
暫くの間のあと、彼女はぱっと私を見て口を開いた。
「セシル様。お時間をとらせてしまい申し訳ありません。わたし、帰ります」
「ええ。お気をつけて」
シオンは私にお辞儀して背を向け歩き出す。そして少し離れた場所で何かを思い出したかのように「あ!」と声を漏らした。そして。
「セシル様! わたしだけではないので! セシル様に帰ってきてほしくて本音が聞きたいのは!」
それだけ言って彼女は走り去った。そして残された私の頭に嫌な予感が過る。
私にとって最悪の相手が訪ねてくるかもしれないという、嫌な予感が。
******
現在の時刻、二時。ズウ族長とカエデ姉さんのところへ行き、獣人族のみんなとお昼ご飯を食べてまったりしてから家へと帰ってきたところ……見知った人物が私の家の前で立っていた。
「……」
思わず足音をたてないように大樹の後ろに隠れる。
嫌な予感というものは当たる。当たらなくていいのに当たる。どうしてこんなことになったのか。シオンが私を訪ねてきてくれた辺りから私が知っているストーリーではない。だって私がプレイしていたときは、ストーリーから退場したキャラの元に行くなんていうルートはなかった。
どうして私を訪ねてくるの。私はもう退場した人間なのに。
「……」
こっそりアルヴェルト殿下を見る。
私の家の前に立つアルヴェルト殿下は三年前より美しさに磨きがかかっているし、服の上からもわかるくらい逞しくなっている。これは多くの令嬢たちが放っておかないと思う。きっと出会いの場が設けられているはずだ。でも彼が誰かと婚約したという話は聞かない。そしてさっきシオンと話していて、彼女がアルヴェルト殿下と結ばれることはないと思った。彼はあの国の第一王子で次期国王だ。このまま誰とも婚姻しなければ、世継ぎの問題だって出てくる。妹であるリリア様は王位継承を断固拒否しているし……。
「……」
彼がここにいる理由が私に帰ってきてほしいというものだったら……なんて、都合のいいことを考えてしまう。帰れるわけがないというのに。
いいえ。帰れるわけがないというのに、ではないでしょう。私は私の意思で、帰らないと選択したの。何を弱気になっているのよ。
さあ、ちゃんと鍵をかけて。
私の愛が溢れてしまわないように。気づかれてしまわないように。
……いくら私の家が安全な獣人族の土地でも、いつまでも殿下が一人でいるのは危ないわよね。お話しして早くお帰り願いましょう。そう。それがい……。
「あ……っ」
「っ……! セシル!」
じっと見つめていたせいで視線に気づいたアルヴェルト殿下が私を見る。そしてばっちり目が合った瞬間、アルヴェルト殿下は私に向かって走ってそばまでやって来る。
手を伸ばせば触れられる距離で見るアルヴェルト殿下は、私を見て泣きそうな顔で笑った。
「セシル。君に会いたかった」
「……」
「ああ、すまない……。違うんだ。いや、君に会いたいと思っていたのは本当なんだが。その、何から話せばいいのか……」
歯切れの悪いアルヴェルト殿下は珍しい気がする。珍しい、というよりは初めてと言ったほうが適切かもしれない。それくらい珍しい光景を見ている。
アルヴェルト殿下は伏せた瞳を上げて、穏やかな声で言った。
「セシル。父から聞いた。君が何者で何がしたかったのか」
「っ……!」
「それを聞いたとき、君に会って思いっきり抱き締めたいと思った。抱き締めて、僕は全てを知っているから一人で抱え込まなくていいのだと伝えたかった。君を支えられる男でいたい……」
「アルヴェルト、殿下……」
「セシル。僕は君を愛している。この想いは間違いなく本物で、君の知る物語のアルヴェルトの想いじゃない。今、君の前に立つ僕の想いだ」
せっかく鍵をかけ直したのに。アルヴェルト殿下の言葉で壊れてしまった。そして覚悟はどこへ行ってしまったのか。
私の心は帰りたいと叫び出す。
アルヴェルト殿下のそばにいたい。お父様に会いたい。弟のフレイにも会いたい。あの国のみんなに会いたい。
許されるのなら、私は帰りたいーー。
ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちる。
溢れてやまない涙をどうにかしようとするけれど、上手くいかない。
ああ、どうしよう。本当にとまらない。
「セシル。抱き締めてもいいだろうか」
「抱き締めて、ください。アルヴェルト殿下」
言った瞬間、ぎゅうっと隙間なく抱き締められる。ほぼ全身で感じるアルヴェルト殿下の温もり。私はもっとアルヴェルト殿下に近づきたくてアルヴェルト殿下の背中に腕を回す。
私は、この人が好き。この人が愛しい。
「セシル。僕と一緒に帰ろう」
「……」
アルヴェルト殿下の言葉に首を横に振る。
「帰れません。私は、罪人です。私の浅はかな策のせいで国と陛下、アルヴェルト殿下に父と弟……他の方々も悪く言われています。今、私が戻ればそれがさらに酷くなります。私以外、誰も悪くないのです」
「君が悪いなんて、君が愛してくれている国の人間は誰一人思っていないよ。それよりどうしたら君が帰ってきてくれるか考えて行動している」
「……」
「そういうことは考えなくていい。ただ帰りたいか、帰りたくないか。そのどちらかで答えてほしい」
「帰りたい……え!? わっ!」
持ち上げられて、華麗に横抱きにされる。そのあまりの早さに驚いて涙が引いた。
「帰ろう、セシル」
「は、はい」
まさかこのまま帰るのだろうか。まさかそんなはずはないと思いたい。だけどとても機嫌のよさそうなアルヴェルト殿下を見ると、そのまさかになりそう。
いや、ちょっと待って。このまま帰るのは駄目だと思う。獣人族のみんなには特にお世話になってるし。ちゃんとしていかないと。
「あ、あの! アルヴェルト殿下!」
「ん? なんだ?」
「家を貸してくださった獣人族の皆さんに挨拶と、あと掃除やいろいろしたいので一週間ほど帰るのを待っていただけないでしょうか……」
「……一週間」
「はい」
「わかった」
「ありがとうございます。アルヴェルト殿下」
アルヴェルト殿下は私を下ろして、それから先ほどより優しく抱き締められる。
「また迎えに来る」
「はい」
返事をして、もう一度ぎゅうと抱き締め合う。それから離れて、見つめあい笑う。
「それじゃあ、また」
「はい」
悲しくないお別れ。
次があるお別れ。
あの日とは違う、お別れ。
私はこの世界に転生して一番の笑顔で、アルヴェルト殿下を見つめた。