第一章 恋愛禁止、レッスンの日々、そして自覚
ラルフの提案を受け入れたシャロンは、翌日さっそく大ホールへと呼び出された。軽装ではあるが相変わらず黒一色のラルフから『アイドルとは』と語られる。
「素晴らしいアイドルになるためには、絶対に守るべき掟があります」
「掟、ですか?」
「はい。それは『恋愛禁止』です」
ぽかんとするシャロンの前に立つと、ラルフはしげしげと彼女の顔を見つめた。
「昨日も言いましたが、アイドルは『すべての人から愛される理想の女性』。それはつまり、誰か一人のものになることは出来ない、と同義です」
「つ、つまり……?」
「あなたが素晴らしいアイドルになればなるだけ、多くの男たちが蜜を求める蝶のようにあなたの元を訪れることでしょう。ですがこれにほだされてはなりません」
「す、好きになってはいけない、ということでしょうか?」
「もちろん本心を偽ることは出来ませんから、思うことだけは許しましょう。ですがアイドルである以上、一人の男に執心してはなりません。逆に言えば、その男から求められても決して応じてはならないということです」
いまいちピンと来ていないシャロンに気づいたのか、ラルフは呆れたようにため息をついた。
「……要はどんな男から迫られても、肉体関係を結んではならない、ということです」
「に、肉体、関係なんて、そんな……⁉」
「まあお子様には分からないかもしれませんが。ですがあなたが目指す舞台は、そういう場所です。周囲にいるのは飢えた獣ばかりである、と意識しておきなさい」
なんだか馬鹿にされたような気もするが、反論することもなくシャロンはうつむいた。するとラルフは指先をシャロンの顎に添えると、そっと上向かせる。
漆黒の瞳の表面には、怯えた顔つきのシャロンが映り込んでいた。
「誰からも愛され、またすべての人に愛を返す。しかして誰か一人のものになることはない、絶対的で神聖な存在――それが、私の目指す『アイドル』です」
「……」
「逃げ出したくなりましたか?」
返事を待つ間も、ラルフの視線はシャロンから外れることはなかった。シャロンはわずかに睫毛を伏せていたが、やがて覚悟を決めたように見つめ返す。
「いえ、やります。……一度やると決めた以上、逃げはしません」
「……プラス十点です」
同意、を表す短い二音を発すると、ラルフはすぐにシャロンの顔から手を離した。改めて彼女の頭の先からつま先までを細見すると、眼鏡の奥の目を細める。
「となれば、さっそく取り掛かりましょう。幸い顔は良い。化粧はこちらでするつもりですが、あなた自身が最先端を知り、また発信することで女性からの人気も得られます。あとで専門の女中を手配しましょう」
「は、はい!」
「それから少し痩せすぎです。これでは抱いた時に心地よくない」
「だ、抱い……⁉」
「シェフに特別のメニューを考えさせましょう。脂肪とタンパク質、あとはビタミンと……大体まだ成長期ですからね。多少食べても太りはしません。それよりも健康的な肉体であることが望ましい」
扉近くに立っていた執事に何ごとか指示するラルフを見ながら、シャロンは『少し早まったかもしれない』と震え上がった。だがラルフの指示はさらに続く。
「それから付け焼刃で習った礼儀作法でしょうが、講師が古すぎますね。歩き方に礼とまるでなっていない。それからどんな相手にも会わせられる話術、つまりは教養も必要です。これは家庭教師を手配します。あとはダンスと歌ですが……、ああ、ちょうど良かった」
つらつらとあげ連ねていたラルフだったが、部屋の扉が開いたことで一旦言葉を区切った。シャロンが振り返るとそこには、二人の男性が立っている。
「お呼びですか、ラルフ様」
「はい。こちらが今日からあなたの師となる、サルタリクスとニーナです」
サルタリクス、と呼ばれた男はまるで軍人のような屈強な体つきの男だった。広い肩幅に厚い胸板。腰はくびれており位置も高い。幅のあるはっきりとした目をしており、白い歯を見せて快活に笑った。シャロンの小さな手を掴むと、強く力を込める。
「アナタがラルフの『アイドル』ね。ふふ、可愛いわあ」
「よ、よろしくお願いします……」
見た目とは裏腹に、女性らしい言葉遣いのサルタリクスに驚いていると、ラルフが嬉しそうに紹介してくれた。
「彼にはダンスをお願いしています。歌はこちらの彼に」
「ニーナだ」
こちらは対照的に少し小柄な細身の男性だった。歳もシャロンとあまり変わらないくらいだろうか。長い前髪で一方の目を隠しており、表に出ているもう一方の目は、何故かシャロンに対して敵意を露わにしている。
(わ、わたし何かしてしまったのかしら……)
一応手を差し出してみるも、ニーナは受けることなくラルフへと向き直った。
「ラルフ、本当にこいつが『アイドル』になれるのか?」
「ええ。私が一度でも商品を見誤ったことがありますか?」
「……分かったよ」
苦々しく息を吐くと、ニーナは再びシャロンを睨みつけた。挨拶が済んだのを確認するとラルフが得意げに話し始める。
「この二人は私が見つけ出した、世界最高峰の指導者です。彼らを納得させるほどの技量を身に着けられれば、あなたは他に並び立つもののない女性になれるでしょう」
どうやらラルフは本気で、シャロンを『アイドル』に仕立て上げるつもりのようだ。だがどうしても理解が出来なかったシャロンは、思わずラルフに問いかける。
「あの、……どうしてそこまでして、私を『アイドル』にしたいんですか?」
「それはもちろん――王家に取り入るためです」
王家、と突然降ってきた単語にシャロンは目をしばたたかせた。だがラルフは何かを夢想するように、口元に指先を添える。
「あなたが稀代のアイドルとなり人気が出れば、爵位の低い私でも多くのパーティーに呼ばれることでしょう。そこでの人脈ももちろんですが、何より王家の誰かがあなたに恋でもして下されば、これはもう願ったりかなったりです」
「こ、恋って……王族ってことは王子様ですよ⁉」
「当たり前でしょう。見事射止めることが出来れば、正妃は無理だとしても、愛人としてなら可能性はある」
「さ、さっき、アイドルは一人のものになってはダメだって……」
するとラルフははあーとあからさまなため息をついた。
「たしかに、私の求めるアイドル像はその通りです。ですが私とて、慈善事業であなたをアイドルにしてさしあげるわけではありません」
「……つ、つまり、王族の方に見初められるまでは貞淑を貫いて、もしも、必要な時が来れば……」
「おや、難しい言葉を知っていますね。ええそうです。あなたには王子の誰かと結婚していただき、私と王族との橋渡しを行っていただきます」
(……悪魔だ……)
つまりラルフは、仕事のつながりを作るための見世物となれ、王族との姻戚関係を結ぶためにチャンスがあれば取り入れ、とシャロンに言っているのだ。
考えてみれば、元々のエメリアお嬢様との婚約も、貴族たちに取り入りたいだけだとラルフは断言していた。その代わりとしてシャロンを引き取ったのだから、当然求めているのは仕事に関する有益さだけだろう。
そこでシャロンはようやくはっきりと自覚した。
(そうか、わたしはただの『商品』なんだ……)
先ほどニーナに向けて言った言葉。あれは紛れもなくシャロンを指していた。使用人時代から物扱いされることには慣れていたはずなのに、何故かシャロンは体の奥底がずきりと痛むのを感じる。
「とりあえず、今後あなたは『私の妹』ということにします。よそでボロを出さないためにも、これからは私のことを『お兄様』と呼ぶように」
「はい、……お兄様」
「結構」
するとラルフは眼鏡の奥で優しく微笑んだ。冷たい美貌が一気に穏やかなものになり、シャロンは少しだけ嬉しくなる。だがすぐに首を振った。
(勘違いしちゃダメ! ……この人はわたしのことを『商品』としか思っていない、仕事とお金のことしか頭にない悪魔なんだから……)
だがここで逃げ出しても、行くあてなどどこにもない。仕事だっていつ決まるか分からない。明日を生きていくためにはこの男に従うしかないのだ、とシャロンは静かに唇を噛んだ。