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番外編:君が謳い、僕が踊る




「――そのお邸に入るのは、あまりお勧めしませんね」


 裏口の門扉に手をかけていたニーナに、見知らぬ男が声をかけた。

 派手ではないが一つ一つの部品が整った顔をしており、上品な雰囲気が漂っている。ただしその服装は上から下まで真っ黒で、まるで宗教画に出てくる悪魔のようだ、とニーナは思った。


「……誰だよ」

「これは失礼、私はラルフと申します。こちらのお庭には、非常に獰猛な番犬がいるそうですよ」

「……」


 飄々としたラルフの視線を受けて、ニーナはきまり悪そうに立ち上がった。無視して立ち去ろうとしていると、何故かラルフが追いかけてくる。


「なんだよ、ついて来るな!」

「ちょっとお尋ねしたいことがありまして」

「……」

「今日の夕方、そこの孤児院で歌っていたのはあなたですか?」


 その言葉に、ニーナは思わず立ち止まる。


「だったら何だよ」

「いえ。実に素晴らしかったので、どんな方が歌っていたのか気になって」


 唐突な言葉に、ニーナは続く言葉を失った。

 てっきり先ほどの泥棒未遂を見咎められるのかと思えば、彼はそれには一切触れず、誰も見ていなかったであろう場面を口にする。だが驚いたのは一瞬だけで、ニーナはすぐに鼻で笑った。


「だとしたらどうだ? こんなコソ泥で失望したか」

「いいえ。むしろ声をかけられる機会を得られて良かった」

「……何?」

「改めまして――よければ私と共に、舞台に上がってはみませんか?」


 これがラルフとニーナの、初めての出会いだった。






(で、本当に歌で食えるようになるとはな……)


 ラルフと出会ってから半年。ニーナはすっかり見違えた自身の姿に、がりがりと頭を掻いた。

 安い給金で働いていた下働き時代では、とても手が届かなかった洋服に靴。ラルフに言われて言葉遣いも直したため、傍目にはそこらの市民と変わらないまでになった。


 ――ラルフはピアニストだった。

 それもそんじょそこらの流しの引き語りではなく、その演奏だけで酒場の酔客を全員黙らせるほどの実力を持っていた。実際お忍びで街に下りて来ていた貴族の使いが、何度かラルフを呼びつけようとした現場も目撃したことがある。

 その腕前だけなら、王宮勤めであってもなんらおかしくないのだが、どうしてかラルフは誰かに雇われるのを嫌がった。

 そのうちニーナは、彼がどこかの国の王子はないか、という疑惑を抱くようになった。それくらい彼の所作は洗練されており、言葉遣いにも選ぶ洋服にも隙が無い。少なくともニーナのような孤児院や下町の出身ではなく、どこか名のある家の息子なのだろう、と言葉にはせずとも確信していた。


 そんな彼に誘われたニーナもまた、稀代の歌手としての名を挙げつつあった。

 元々は孤児院での弟妹たちのために披露していた、聞きかじりの歌。だがラルフはニーナの持っていた天性の才能を見抜き、それを見事に開花させた。

 事実ニーナは抜群に耳が良く、あらゆる音階、和音、さらには遥か遠方の音や音源の聞き分けまで出来るようになった。自分でも知らなかったその能力に、ニーナは驚くと同時にラルフに感謝したものだ。



 ちなみにサルタリクスと出会ったのもこの頃だ。

 ある夜、舞台で演奏を披露していたニーナたちのもとに、立ちの悪い酔客の一人が上がり込んできた。戦いに不向きなニーナは、せめてラルフの手だけは傷つけさせまいと必死に立ちふさがる。

 そこに反対側から屈強な男――サルタリクスが殴り込んできたのだ。

 サルタリクスはラルフたちの舞台にいたく感動したらしく、乱入した男を追い出した後も二人のことをいたく讃えてくれた。それを聞いていたラルフが突然「あなた、ダンスをしませんか?」と言い出したのだ。

 当然サルタリクスは驚き、その日は何となくお開きになった。だがその数日後、先日の酒場にサルタリクスが現れたかと思うと、ラルフに頭を下げたのだ。


「あの時はもー本当にびっくりしたわ。あたしが悩んでいたこと、どうして分かったのかしらって」


 後から聞いた話だが、あの時サルタリクスの家はまあまあやばい騒動の渦中にあったらしい。そんな家と共に滅びるか、それとも自身の本当にしたいことを貫くべきなのか――そんな悩みを変えていたのだと、サルタリクスは笑っていた。

 結果、サルタリクスもまたラルフと共に行動するようになり、いつしか三人は気の置けない友人のような心地の良い関係を築いていた。




 だが別れは突然に訪れた。

 いつものように舞台の準備をしていた三人の元に、黒服を纏った使者が現れたのだ。彼はラルフを見つけ出すと何ごとかを言葉少なに告げ、それを聞いたラルフもまた滅多に見せない焦りを滲ませる。


「……少し、時間をください」


 ニーナとサルタリクスは、何が起きたのかとラルフを心配した。だが彼は何も言わぬまま、静かにどこかへ立ち去った。

 残された二人は各々の技量により、日々食べていくことには困らなかったが、一番の基盤であったピアノ奏者を失い、その精彩は明らかに欠けていった。


「……もう戻ってこないかもしれないわね」


 サルタリクスの言葉に、ニーナは同意を返さないまでも、ぼんやりと同じことを思っていた。きっとラルフは、本来彼がいるべき場所に戻ったのだと、それ以上考えないようにし、ニーナはいっそう歌の鍛錬に集中した。




 そんなある日、突然ラルフから手紙が届いた。

 二人が競うようにして封を開けると、中には国境を越えたとある場所の住所と、『ラルフ・リーデン』という家名付きの署名が書かれていた。

 当然のように駆け付けたニーナたちの前に現れたのは、やはり王族だったのかと思わされるほど巨大な邸宅。だがこれでも爵位を持っていないと聞いて、ニーナは改めて上流階級の恐ろしさを実感した。


「来てくださって、ありがとうございます」


 訪れた二人を、ラルフは歓迎してくれた。

 自分が抜けてしまった期間の穴埋めとして、かなりの額の小切手を提示されたが、二人は揃って辞退した。そんなことをされずとも、ラルフから得た知識と技術で十分すぎる稼ぎは得ていたからだ。


「ラルフ、一体何があった?」

「……」


 やがてラルフは、自身の身の上を明かし始めた。

 自分は商人の出身であること。跡継ぎの兄がいたが事故で亡くなり、自分が呼び戻されたことなどを口にする。

 やがてすべてを語り終えた後、ニーナはいつものように淡々と尋ねた。


「それじゃあ……もうお前は、戻ってこないのか」

「……はい」


 いつまでも続くと思っていた、奇跡のような時間。

 新しい歌を披露し、踊りで魅了し、観客たちと夜通し笑い合った。今はもう思い出だけになってしまったそんな光景を思い出し、ニーナははあと息を吐く。


「お二人の技量は、私もよく理解しています。もしも後援者や融資が必要とあれば、すぐに準備をさせていただきたいと思っています」

「ラルフ……」

「本当にすみません。……私から声をかけておきながら、こんな形で終えることになってしまうなんて……」


 どんな時でも冷静で、酔客に絡まれても逆にやりこめるような男が――今は、とても頼りなく見えた。どうしたらいいか分からない、という迷子のような感情を押しとどめ、大人としての見た目を必死に保とうとしているかのようだ。


「僕たちのことはいい。お前はどうなるんだ」

「私は……これから仕事の勉強をして、兄がしていた事業を引き継ぎます。どこまで出来るかは分かりませんが、……兄の遺志を無碍には出来ません」


 こんな豪商の次男坊だったラルフが、どうして今まで放蕩のような立場で許されていたのか、ニーナたちには分からない。だが彼のピアノは本物であり、自分たちは間違いなくそれに魅了された。

 それが今になって――その夢を諦めなければならないなんて。


「じゃあお前は、これからここで一人で戦うっていうんだな」

「……はい」

「そうか」


 ニーナはちらりとサルタリクスの方を見た。どうやら彼も同じ気持ちだったらしく、言葉にせずともにやりとした笑みが返ってくる。


「じゃあ、一つ頼みたい」

「はい。どんなことでも」

「僕たちを、ここで雇え」


 ラルフの返事はなかった。

 代わりにその真っ黒な目を大きく見開き、何度かぱちぱちと瞬いている。


「……雇う、とは」

「別に給料はなくてもいい。それくらい街に出れば、僕らは簡単に稼げる。欲しいのは教育だ。僕たちにお前と同じ勉強をさせろ」

「どういう、意味で」

「だからね、一緒に頑張りたいって言ってるのよ」


 分かりにくいニーナの言葉を補うように、サルタリクスがばちんとウインクした。ようやく真意を察したラルフは押し黙り、なんとも言えない表情を浮かべている。


「お前が僕たちを、この世界に引きずり込んだんだ。ならば、次の世界にもちゃんと巻き込むのが道理というものだろう」

「ニーナ……それは、なんというか」

「なんだよ」

「……理論が、めちゃくちゃですよ……」


 するとラルフは泣き笑いのような顔で、ようやく纏っていた空気をやわらげた。

 この部屋に入った時から感じていた、張り詰めた鎧のような雰囲気がなくなり、下町にいた頃のラルフが戻って来る。


「大体、そう言うことは先に言え。勝手にいなくなって、どれだけ心配したと思っているんだ!」

「おや、心配してくださっていたんですか」

「言葉の綾だ! 綾‼」

「そうよ~ニーナったら、暇さえあればラルフが戻ってこないか、ちらちら外を見ていたんだから」

「サルタリクス!」


 ラルフのいない舞台に上がっても、きっとあの時のような高揚感は得られない。ならば再びラルフがピアノを弾けるようになるまで、今度は自分たちが彼を助ける番だ。

 サルタリクスの指摘にすっかりへそを曲げてしまったニーナに向けて、ラルフはゆっくりと立ち上がった。まっすぐに伸ばされたその手に、ニーナはちっと舌打ちしながら自身の手を重ねる。サルタリクスがその上に手を添え、ようやく三人は笑い合った。


「ようやく元通りだな」

「ええ」

「ふふ、何だか楽しみね」


 いつかまた三人で踊り謳い合えるその日まで――彼らはともに戦うことを選んだのだった。




 そうして時は流れた。

 当初は大変な目に遭った勉強だったが、ニーナはなんとか一介の商談が出来るまでに成長した。特に流通に関しての情報収集能力は他の二人より飛びぬけており、そうした案件を主に担当することになった。

 サルタリクスは元々が貴族出身だったため、礼儀作法についてはほとんど指摘されなかった。商品の選定――ことさら諸侯のご婦人や令嬢らに好まれるドレスや宝飾品についての読みが鋭く、彼が調達したものが次の年の流行りとなるまで言われるようになる。

 もちろんラルフは誰よりも深く見識を深め、商売の天才だったと言われた彼の兄を凌ぐほどの頭角を現した。儲け話に勘が冴えているのはもちろんのこと、物腰の柔らかい応対に女性のみならず、多くの男性も魅了されたのだ。

 やがてリーデン家は以前よりも大きく発展し、子爵の位を得るまでとなった。だがラルフはそれにとどまらず、さらなる貴族や果ては王族までも取引相手として狙っているようだった。


 まさに順風満帆の暮らし。

 だがそんな忙しない日々の中、ニーナは一つだけ心に引っかかっていることがあった。


(ここに来てから……あいつがピアノを弾くのを聞いてないな)


 ニーナやサルタリクスは、腕が落ちないよう定期的に鍛錬を続けていた。

 しかしラルフは人よりも多くの仕事を受け持っていることもあり、まとまった自由な時間を取ることが難しい。

 気づけば彼のピアノを聞くことはなくなり――ニーナはそれを思うと、体の奥底になんとも言い難い針のような痛みを感じていた。



 そんなある日、ラルフが結婚すると言い出した。

 相手は伯爵家のご令嬢で、顔も声も知らないという。


「お前正気か⁉」

「年齢的にも必要かと思いまして。伯爵家の後ろ盾を得られるのも好ましい」

「……はっ」


 自らの伴侶に関することだというのに、まるで商品の仕入れ時期でも語るかのような言い草に、ニーナは本気で苛立ちを抱えていた。

 それでもラルフなりの考えでしていることだろう、とニーナも一度は我慢した――しかしあろうことか、その婚約者が突然『アイドル候補』に変貌したのだ。

 これにはニーナもさすがに怒髪天を衝いた。


「いい加減にしろ! あんな、どこの出かも分からない小娘を、アイドルだと⁉」

「はい。彼女は才能がある。きっと私の理想を体現する、素晴らしい『アイドル』になることでしょう」


 『アイドル』という存在を生み出したいのだという話は、以前ラルフから聞いてはいた。だがあくまでも仮想の話であり、まさか本気で実現させるなどとニーナは思っていなかったのだ。

 だがあれよあれよという間に講師に仕立てられ、ニーナは体一つ出来上がっていない貧相な小娘相手に、教育を施す立場となってしまった。


(ラルフの奴……一体何を考えている⁉)


 案の定小娘――シャロンは何も出来ず、まともに声も出せなかった。その情けない姿を見るたび、ニーナはラルフに向けての苛立ちを募らせる。


(あいつ……もう自分がピアノを弾かないつもりで……それで、こいつにそれを押し付ける気じゃないだろうな)


 いつか。この仕事が落ち着いたら。

 そう思ってニーナはずっと働き続けて来た。

 いつかまた三人で、ラルフのピアノで歌い踊りたいと。

 それなのにあいつは――こんな奴に夢を押し付けて、逃げ出す気なのだろうか。


(――くそっ!)


 言いようのない苛立ちは、はっきりとシャロンへの態度に現れてしまい……ニーナはそのたびに言いようのない自己嫌悪に陥った。





 だがいつからだろう。シャロンが変化を遂げた。

 ニーナが何も言わずとも鍛錬するようになり、自ら足りないものに気づき始めた。いつの間にか声も良く出るようになっており、ニーナはようやく初歩の初歩から教え始めることにした。

 すると意外なことに、シャロンは驚くほどの成長をみせた。どうやらニーナと同じく耳のいいタイプらしく、孤児院出身ということを聞いてからは、いよいよ他人のようには思えなくなっていた。

 そして極めつけは、彼女から聞いた言葉。


「――あとは……あ、ラルフさんにピアノを習っているので、そのせいかもしれません」

「ラルフが? お前にピアノを?」


 弾いていたのか、とラルフは耳を疑った。

 それを聞いた瞬間、ニーナはラルフが逃げ出すために『アイドル』を作り出そうとしたわけではないと理解する。

 きっと彼にとってはいつも通り――ニーナやサルタリクスの才能を見抜き、拾いあげてくれた時のように、彼女を大切にしたいと思ったのだろう。


「せ、先生?」

「……次の曲行くぞ! 長いからしっかり続け!」

「は、はい! お願いします!」


 わたわたと楽譜を手にする教え子を見て、ニーナはこっそりと笑みを浮かべた。



 それからはまあ色々あって、ラルフは再びピアノを弾くようになった。

 その代わりに、あれだけ丹精込めて育てた『アイドル』を自ら商品棚から下ろし、いそいそと自分のものにしてしまった。才能を見抜いたからではなかったのか、と呆れかけたが――何となく、そうなりそうな気もしていたから、ニーナは特に何も言わなかった。




「お前、いちゃつくならこの邸から離れたところにしてくれ」

「……は、い」


 シャロンが防音の部屋から出て行った後、ニーナは仕事の報告を終えたついでに、ラルフを睨みつけた。ラルフは何のことを言われているのか理解したらしく、不自然に目をそらしている。


「嫌でも聞こえるんだ、僕は」

「……失礼しました。以後気を付けます」

「そうしてくれ」


 久しぶりに立場が逆転したような気持ちになり、ニーナはふふんと腕を組む。やがて少しだけ顔をほころばせると、かつてのように微笑んだ。


「それから――今度、ピアノを弾いてくれないか」

「私が、ですか?」

「当たり前だ。シャロンと僕で歌って、サルタリクスに踊りをさせる。どうだ?」


 その提案に、ラルフは最初きょとんとしていた。だがすぐに相好を崩す。


「そう……ですね。久しぶりにしてみましょうか」

「ああ」


 ニーナはそう答えると、手にしていた資料をひらひらと振りながら執務室を後にする。自室に戻るため廊下を歩いている間――機嫌のよい鼻歌だけが続いていた。




(了)



  



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