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第五章 2(完)



「まずは教会にいって婚約式をしなければ。明日からドレスの採寸にかかりましょう」

「ラ、ララ、ラルフさん⁉」

「なんですか?」

「なんですかって……ど、どうしてわたしが、アブドラ様の、よ、養女に?」


 たしかに今の兄妹関係では結婚できない、と養子縁組を解消する話は聞いていた。だがどうしてそこから伯爵家の養子になる話が結びつくのか。

 するとラルフはあっけらかんとした口調で答えた。


「元々ゴルト伯には、偽物の婚約者を寄越したという弱みを握っていました。それに加えてご息女の奔放さから来た醜聞……をこう、ちらちらっとお見せしたところ、是非シャロンを養女として召し上げたいと。二つ返事で」

「……」

「元々は伯爵家と繋がりを持ちたくて始めた婚約でもありますので――まあ、利用出来るものはしておこうかと。『ゴルト伯爵のご令嬢と婚約する』という意味では、なんら変わりありませんし」

(悪魔だわ……)


 結局ラルフは王族との伝手も作りつつ、ゴルト伯との姻戚関係もまんまと手に入れてしまったというわけだ。『兄のような商才は自分にはない』とラルフは語っていたが、この立ち回りを見る限り、おそらく兄と同等――えげつなさではそれ以上の才能を持っている気がする。


「どうしましたか? 不思議な顔で」

「いえ、何でもありません……」

(でもやっぱり、好きなのよね……)


 恋愛は惚れた方が負けというが、それならシャロンは出会った頃から負けっぱなしだ。それでもいいか、とシャロンが苦笑していると、ラルフは署名のほかにもう一つ、小さな箱を取り出した。


「これでようやく渡せますね」

「ラルフさん? それは……」


 きょとんとするシャロンの眼前で、恭しく布張りの小箱が開かれる。すると中には見事なピンクダイヤモンドが据えられた、豪奢な婚約指輪が鎮座していた。驚いて言葉を失うシャロンをよそに、ラルフはシャロンの左手をすくい上げる。


「シャロン」

「は、はい」

「わたしと、結婚してくださいますか?」


 そっと覗きこまれ、シャロンは思わず言葉に詰まった。改めてラルフを見るが、長い睫毛や形のいい唇ばかりが目に入って、直視をすることすら恥ずかしくなる。そんなシャロンを面白がっているのか、ラルフはなおもシャロンを正視し続けた。

 いよいよたまらなくなったシャロンは、耳まで真っ赤にしながら弱々しく呟く。


「こ、こちらこそ、よろしくお願いします……」


 ゆっくりとラルフの口角があがり、するりと薬指にきらめきが宿った。いつサイズを測ったのだろうと疑いたくなるほど、ぴったりとシャロンの指に添っている。


「あ、あの」

「はい?」

「サ、サイズ……いつ測ったんですか」

「ああ。それでしたら、お嫁さんごっこの時に」


 頭に疑問符を浮かべたままのシャロンに向けて、ラルフがしれっと続ける。


「あなたが私の指から抜こうとした時、わざと少し外してから、あなたの指のサイズを測り取りました。あとはそれを持ち帰って、職人に渡しただけです」

「そんな……あ、あの一瞬で⁉」

「女性の指輪のサイズを知るくらい、商人なら出来て当然でしょう?」

「そ、そう言われれば……、そ、そうかも……?」


 微妙に説き伏せられているシャロンを眺めながら、ラルフは笑いこらえるように口元を手で覆っていた。もしかしてからかわれたのかしら、とシャロンが眉を寄せていると、なだめるように髪を撫でてくる。


「ふふ、すみません――企業秘密ということで」

「ラルフさんだと、本当に出来そうな気がします……」

「あなたのためなら、何でもしてみせますよ。採寸でも、伴奏でもね」


 シャロン、と甘く名前を呼ばれる。ゆっくりとラルフの腕がシャロンの腰に回った。短くなったピンクの髪を撫でながら、眼鏡の奥の瞳が少しだけ悲しそうに眇められる。


「……すみません。私のせいで、あなたの髪が……」

「だ、大丈夫ですよ。髪はまたすぐに伸びますし! それに短い方が洗いやすいです」

「ですが……」

「ラルフさんは、短いの嫌いですか?」


 途端にラルフは目を丸くし、二三度瞬くと「いいえ」と首を振った。


「あなたであれば、何でも好きです。長かろうと、短かろうと」

「それなら、いいです。他の誰から好かれなくても、ラルフさんが好きでいてくれるなら」


 シャロンの言葉に、ラルフはかなわないとばかりに苦笑した。回していた腕に力を込めると、そっとシャロンを抱き寄せる。


「――愛しています。あなたのすべてを」

「わたしも、です」


 ラルフの手がシャロンの顎に添えられ、少し上向かされたかと思うと、静かに唇が下りてくる。最初は優しく、角度を変えて少しだけ強く――やがて、吐息とともに顔が離れ、シャロンは照れた顔を隠すようにうつむいた。


「シャロン」

「は、はい……」

「そろそろ、慣れていただきたいのですが」

「が、頑張ります……!」

「それからもう一つ」

「ま、まだ何か⁉」

「どうか二人の時は――呼び捨てで」


 にこ、と可愛らしく笑ったラルフの顔を前に、シャロンはいよいよ羞恥の限界を突破していた。だが体を抱き寄せる力は強く、おそらくこの依頼を達成しない限り、シャロンが解放されることはない。


「ラ、……」

「うん?」

「ラルフ……」

「ああ――とてもいい響きです」


 草食動物を完全に屈服させた肉食動物のように、ラルフは実に満足げに相好を崩した。

 そのあまりの喜びように、何故かこのままで負けるわけにはいかないと悔しくなったシャロンは、かつてアイドル時代に培ってきた様々なノウハウを思い出す。

 慌てふためいていた表情をがらりと変えると、男性なら誰でも夢中になってしまうであろう、あらんかぎりの儚さと愛らしさを身に纏った。


 その変貌に気づいたラルフは、すぐに身構える。だが一瞬の隙を見計らって、シャロンが微笑んだ。


「――ラルフ」


 するとシャロンは両手を伸ばし、ラルフの顔に手を添えると、ちゅ、と自ら唇に重ね合わせた。あっけにとられるラルフに向かい、とろけるような極上の笑みを浮かべる。


「……だいすき」

「――ッ! ずるい、ですよ……」


 一瞬で赤面したラルフは言葉も思考も失うと、可愛くて仕方のない婚約者を、ただ力の限り抱きしめた。






 同時刻。

 ラルフの執務室にニーナが腕を組んで仁王立ちしていた。訪れたサルタリクスが気づき、どうしたのかと声をかける。


「あら、ラルフは?」

「向こうの部屋にいるな」

「あら良かった。ちょっと相談したいことがあるのよね」


 だがのんきに扉に向かって行くサルタリクスを、ニーナが素早く引き留める。


「その部屋に行くのはやめろ」

「え、どうしてよ。ラルフがいるんでしょ」

「シャロンもいる」


 その言葉に、サルタリクスはぴたりと足を止めた。

 一応耳を澄ましてみるが、防音仕様の部屋であるためか、ピアノの旋律はおろか話し声一つ聞こえてこない。だがここはニーナの言うことを聞くべきだろう、と静かに首を振った。


「分かったわ。出直すしかないわね」

「そうした方がいい。僕だって聞きたくなかった」

「あら物分かりのいい。最初はあんなにシャロンを嫌っていたのにね」

「あ、あれは……」


 たしかにニーナは当初、シャロンを毛嫌いしていた。

 だがそれは、ラルフが自分の夢を彼女に押し付けようとしていたこと、それにも気づかず恋という浮ついた感情だけで、彼に従うシャロンの行動に苛立っていたからだ。

 しかしシャロンはきちんと努力し、ラルフもまた自らの過ちに気づいた。ニーナが厭う理由はもう何もない。

 はあ、とどこか安堵したようにため息を零すニーナを見ながら、サルタリクスもまた嬉しそうに微笑んだ。






 かくして一年という遅れは出たものの、リーデン家が無事『ゴルト伯のご令嬢』と婚約したという話が瞬く間に広がった。

 どうやらその相手がシャロンであると分かると、皆驚きかえっていたが、妹といいアイドルといい、話題性を重要視するラルフの性格から、それらも含めての仕込みであったのではと結論した。


 シャロンはアイドルとしてではなく、ラルフの婚約者として社交界に戻り、以前と同様にそれは見事なダンスと歌を披露するようになった。なかでも王宮でのコンサートで初披露されたという曲は、貴族らはもちろん広く一般市民にも受け入れられた。

 その歌は、心を持った人形が職人の男に恋をして――最後には、人間となってその男と幸せに暮らすという物語で、大人から子どもまで多くの国民に愛され、長く口ずさまれたという。

曲のタイトルは『Beloved』――最愛、と付けられていた。




(了)


以上で完結です!

最後までお付き合い下さりありがとうございました~!

次の新作はゴリラです。

下部にリンクがありますので、またお付き合いいただけると嬉しいです!

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― 新着の感想 ―
[一言] 甘々な物語、ありがとうございました! と、余韻にひたっていたら 「次の新作はゴリラ」 のパワーワードw 楽しかったです。
[良い点] とてもテンポ良く、素敵なお話で最高でした! 2人の焦ったさも、見守る2人が代弁してくれたのがまたいい! それにしても、第三王子が品行方正な方だったらラルフはどうしていたんでしょう? 悪…
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