序章 3
数時間後。執事に連れられてシャロンが訪れたのは、ラルフの執務室だった。
「――ほう、ほう。予想以上ですね」
「……」
あの突拍子もない提案の後、ラルフの指示によってシャロンは女中たちのいる別室へと連行された。そこで化粧をすべて落とされ、頭に変な薬品をかけられたかと思うと、冷たい水でざぶざぶと流される。
着ていたドレスもすぐに脱がされ、よりシンプルな――だが明らかに上質な生地の衣装に着替えさせられると、こうして再びラルフの前に立たされた。
白粉めいていた肌は瑞々しく、くすんでいた髪色は華やかなストロベリーブロンドに。ブラウンの瞳はそのままだが、合わない化粧を施されていた時より、ずっと軽やかな印象になったシャロンを、ラルフはじっと見つめている。
じろじろと上から下までつぶさに観察される居心地の悪さに、シャロンは必死に耐え忍んだ。やがてラルフが探るように呟く。
「髪は色粉をつけていたんですか?」
「は、はい……目立って嫌だったので……」
「なるほど」
鏡に映る自身の髪を見て、シャロンは一人うつむいた。
(元の色に戻ってしまった……さっき洗われたからかしら)
ふんわりと柔らかい、ピンク色の髪――シャロンが一番嫌いな部品だ。
この髪のせいで孤児院や下町ではいつもいじめられていたし、地味な自分には似合わないと今でも思っている。働きに出る前になんとかしなければ、と街で安い色粉を買い、自分で染めた。せっかく良い感じにくすんでいたのに、とシャロンは唇を噛む。
だがラルフは愛しそうにシャロンの髪を撫でると、満足げに微笑んだ。
「素晴らしい。なんて美しい髪だ」
「え?」
「南国の希少な真珠か、はたまた紅色の強いオパールか……いずれにせよ、私はここまで見事な髪色の人間を見たことがありません」
「で、でも、みんなと違うし、全然良くなんて……」
「人と違う――大いに結構ではありませんか。それでこそ、私の求める『アイドル』の理想です」
どうやら本気で言っているらしい、とシャロンはラルフを見つめた。
「あの、さっきから言っている『アイドル』ってなんですか?」
「これは失礼。『アイドル』というのはそうですね……いうなれば、『すべての人から愛される理想の人間』です」
はい? とあっけにとられるシャロンを残し、ラルフは言葉を続けた。
「エイドーロン――幻影、偶像を意味する古い言葉です。この国の文字で表すとすればIdol……アイドル、と読む方が分かりやすいでしょう。私は古のエイドーロン……つまり完璧な存在を作り出したいのです」
「完璧とか理想とか、……結局どういうことですか?」
「そうですね、言うなれば……誰からも愛される美貌。スタイル。素晴らしい歌声。ダンスの技量。さらには万人に愛される性格を兼ね備えた女性――というところでしょうか」
「む、無理です!」
ラルフの声を遮るようにしてシャロンは叫んだ。あ、と遅れて委縮したが、気持ちまで撤回するつもりはない。
「す、すみません……でもダメです。わたし、そんなに可愛くないし、ガリガリだし、歌もダンスも習ったこともありませんし、それに」
「マイナス十点」
「え?」
「自分のことを卑下するのは、いかなる場合においても許しません。大体、見込みのない人間相手に私が取引を持ちかけると思いますか?」
「で、でも……」
「あの古臭い化粧を落としたあなたは、とても聡明な顔立ちをしていました。手足も長く、バランスも良い。歌と踊りは……まあ、これはあなたの努力次第ですが」
それに、とラルフは口角を上げる。
「あなたは、変わり身となった理由を私から尋ねられても、決して口外しようとはしなかった――そういう性格、私は大好きです」
「――ッ」
大好きですという言葉に、シャロンは思わず視線をそらした。好意ではない。この男は単に自分を利用してやろうと、そういう気持ちで言っているだけなのだと、懸命に自身に言い聞かせる。
(でもこのまま追い出されたら、明日から住む家もない……。だからといって、誰からも愛される女性だなんて、そんなもの、わたしがなれるはずがない……)
するとシャロンの心が揺れているのを察したのか、ラルフはさらににこやかな笑みを浮かべた。
「そうそう。私の仕事、ご存じですか?」
「た、たしか、金融業だと……」
「はい。元は貿易もしておりました。こうした仕事をしておりますと、商品や担保としてよく見かけるのが『宝石』なんです」
「は、はあ……」
「宝石には実に多くの種類があり、素人が見ただけでは、価値の判断がつかないものばかりです。……ですが私は、宝石の鑑定を一度として見誤ったことはございません」
ガラス越しの、黒曜石の瞳が輝く。
意識ごと取り込まれそうなその妖しさに、シャロンは思わず息を吞んだ。
「私は自分の『鑑定眼』に絶対の自信を持っています。その私が、あなたを『ダイヤの原石である』と認めたのです――これでも、信じてみる気にはなりませんか?」
聖書に出てくる悪魔は、それはそれは美しい姿で人をたぶらかすのだという。
シャロンはそんな一説を思い出しながら、心の中で神に謝罪した。