第四章 3
だがシャロンの不安はいよいよ現実のものとなった。
「王宮でのコンサート、ですか?」
「はい。グレン殿下直々のご用命です」
件のパーティーから数日後、執務室に呼び出されたシャロンは耳を疑った。
王宮で開かれるコンサートに、歌い手としてシャロンに参加してほしいという依頼が来たらしい。あの場で歌は披露しなかったので、シャロンのアイドルとしての噂を聞いての打診だろう。
「期日は一週間後。曲も指定されています、断ることは出来ません」
「はい……」
もちろんシャロンとしても、この好機を逃す理由はなかった。先日のあの様子からしても、グレンはシャロンのことを大層気に入ってくれたとみて間違いない。アイドルとしての目的がようやく達成されるかもしれない――というのに、何故かシャロンの心は陰りを帯びたままだ。
おまけに最も喜んでくれるはずのラルフまでもが、何故か是とも非とも言わないのだ。
今までであれば『これはチャンスです。絶対に王子の心を奪ってきなさい!』と拳を握って送り出してくれそうなのに、どうしたことか視線を書類に伏せたまま、シャロンの方を見ようともしない。
(もしかしてこの前のパーティーで、いよいよ愛想をつかされたのでは……⁉)
実は件のパーティー以降、仕事が忙しいという理由から、今日まで一度もラルフと会話をしていなかった。あの時どうして助け出してくれたのか、と尋ねる機会をずっと伺っていたのだが、今はとても言い出せる空気ではない。
シャロンは重苦しい雰囲気を晴らすように、出来るだけ明るく笑ってみせた。
「わかりました。グレン様の目に留まれるよう、精いっぱい頑張ります!」
「……そう、ですね」
(う……)
予想していたより随分と暗い返事に、シャロンは続く言葉を詰まらせる。するとラルフはシャロンの表情に気づいたのか、はっと目を見開くとすぐに普段の微笑を浮かべた。
「すみません、少し……疲れているようです。レッスンはニーナに任せていますから、当日まで十分に練習しておいてください」
「は、はい……」
それから期日まで、ニーナのレッスンが続いた。だが集中力を欠いたシャロンに気づいたのか、ニーナが鍵盤を叩く手を止める。
「少し休憩するか?」
「あ、いいえ! すみません、大丈夫です」
「完全に意識が飛んでいる。いいから休め」
冷たく言い切られ、シャロンは沈痛な面持ちでうつむいた。しばらくして、楽譜の確認をしているニーナに向けておずおずと切り出す。
「あの、先生。相談があるのですが……」
「なんだ」
「お兄様は、……わたしのことが嫌いになったのでしょうか」
途端にニーナの眉間に皺が寄った。
「はあ?」
「こ、この前メルクリオ公のお邸に行った時も、ほとんど無言でしたし……わたしあの時、アイドルとしてきちんと振舞えなくて、もしかしたらそれで呆れられてしまったのではないかと……」
「……」
すっかり縮こまってしまったシャロンを前に、ニーナは深いため息をついた。聞こえるか聞こえないかというかすかな声量で「めんどくさい」と呟くと、シャロンに向かって語りかける。
「あいつがお前を嫌うことはあり得ない。だから安心しろ」
「で、ですが……」
「終始不機嫌だったのもあいつの事情だ。お前はただ歌に集中していればいい」
そう言われれば今日も、少し疲れていると自称していた。シャロンはしばらくううんと眉を寄せていたが、やがて自らに言い聞かせるように口を開く。
「そう……ですよね。結局わたしに出来るのは、それしかないですし……」
「ああ。大体王宮でのコンサートなぞ、油断していたら痛い目をみるぞ」
どういうことですか? と首を傾げるシャロンに対し、ニーナはとんとん、と楽譜の端を整えていた。
「あそこは王子たちの気に入りの宮廷歌人を集めて、芸事を競わせる場だ。プライドの高い王族の中には、他人の手駒を蹴落とそうとする奴もいる」
「……」
「ラルフも同行するから問題はないと思うが、舞台に上がるまで身辺には注意しておけ」
「は、はい」
ニーナの言葉には並々ならぬ威圧感があり、シャロンは青ざめた顔で頷いた。
そしてコンサート当日。
王宮に到着したシャロンたちを、グレンが嬉しそうに出迎えた。
「シャロン! 待っていたよ、会いたかった」
「こちらこそ、本日はお招きくださりありがとうございます」
相変わらず美しい金糸の髪に、王国の礼装を纏ったグレンは、すぐにシャロンの手を取った。そのあとをラルフが無言で付き従う。
会場は二階建てのホールになっており、二階部分は回廊型の吹き抜けになっていた。一階にひしめく多くの招待客を横目に、グレンに連れられて二階の回廊を進んでいく。どうやらこのフロアは王族とその関係者しか立ち入られないエリアらしい。
「皆に話したら、是非シャロンの歌を聞きたいと言われてね」
「光栄です、殿下」
やがて一階中央にあるステージと、丁度正対する位置に設けられた特別な観覧席へと連れてこられた。それぞれ区画が分かれており、人影は見えるが間仕切りに阻まれてはっきりと視認出来ない。おそらくそれぞれに王子やその兄弟らが座しているのだろう。
「僕たちはここから見るんだ。シャロンも出番まではここでゆっくりするといい」
「ありがとうございます」
グレンは置かれていたソファに座ると、ちょいちょいとシャロンを手招きした。背後で佇むラルフの反応が気になったが、シャロンは柔和な笑みを浮かべて隣に腰かける。
するとすぐに体に手が回され、ぐいと抱き寄せられた。
(あー、ち、違うんですラルフさん! いえわたしのせいではないんですが!)
思わず硬直したシャロンだったが、ここで無理に引き剥がしてしまえば、グレンは気を悪くするかもしれない。だが『あらあらうふふ』と笑って、そっと距離を取る上級テクニックをシャロンはまだ習得出来ていなかった。
ラルフは護衛よろしく、間仕切りの傍で立ったまま待機している。気のせいか背中に刺さる視線が痛いと冷や汗をかきながら、シャロンはひたすら時が過ぎるのを待った。
――やがて舞台の幕があがり、それぞれの演目が始まった。
身分違いの男女の悲恋を描いた演劇や、声変わり前の少年だけで構成された合唱団。異国風の衣装を身に纏った剣舞など、初めて見る世界にシャロンは目を輝かせる。そして曲芸師によるパントマイムが演じられる頃、ラルフから囁くように声をかけられた。
「シャロン、そろそろ」
「あ、はい!」
「もう出番かい? 寂しいけど、ここから君の素敵な姿を見ているからね」
するとグレンはそうだ、とシャロンを呼び止めた。後ろを向いてと指示され、シャロンが振り返ると、鎖骨のあたりにひやりとした感触が下りてくる。
思わずびくりと身をすくめたシャロンだったが、それがネックレスであることを認識すると、詰めていた息をほうと吐きだした。




