第四章 本心、告白、そして――
メルクリオ公爵家に到着すると、ラルフはいつものようにエスコートの手を差し出した。シャロンもまた慣れた様子ですぐに指先を添える。お祭りの時のやり取りが嘘みたいだわ、とシャロンは心の中だけで苦笑した。
「これはこれは、ようこそお越しくださいましたアイゼン子爵。おお、こちらが例の」
「はじめましてメルクリオ公爵。シャロン、御挨拶を」
「シャロン・リーデンと申します。お招きいただき、ありがとうございます」
触れがたい彫刻のような美しさを見せていたシャロンだったが、にっこりと微笑むとそれらが一気に氷解するような、可愛らしい空気を露わにさせた。その素晴らしい変貌に、主宰者であるメルクリオ公は満足げに頷いている。
今日のシャロンの衣装は淡い紫色。
襟元は大きく開いており、抜群の存在感を放つピンクダイヤモンドと、紅真珠のように艶麗な髪が彼女の白い肌を彩っていた。黒ずくめの男と連れ立って歩く姿は、まるで天使と悪魔を描いた一枚の絵画のようだ。
招待客らがシャロンたちのために道を譲り、熱心な羨望の眼差しを向けられる中、先導するメルクリオ公がどこか誇らしげに口を開く。
「シャロン様のお噂は、わたくし共もよく聞き及んでおりました。なんでも花の精霊のように美しく、それでいてダンスも歌も完璧なご令嬢だとか。いやはや、たしかにこうして面と向かいますと、過言でないことはよく分かります」
「とんでもありません、公爵様」
「いえいえ。ですが聞くところによると、厳しい兄君のせいで恋人はおろか、婚約者も決まっていないとか」
「ええ。大切な妹ですので、やはり彼女自身が本当に好きになった相手でなければ、と思っております」
すらすらと出てくるラルフの言葉に、シャロンは少しだけ表情を陰らせた。何度も聞いた口上じゃない、とすぐに穏やかな笑みへと正す。そんなやり取りも知らず、過保護な兄君ですなとメルクリオ公は楽しそうに笑っていた。
「でしたら、今日は良き日になるかもしれません」
「それはどういう意味ですか?」
「いえ、シャロン様に是非お会いしたいという方がおられまして」
ようやくたどり着いた場所は、パーティーの開かれている大ホールから、一つ扉を隔てたサロンだった。シャロンたちが中に入ると、中央に置かれていたソファに座っていた人物がゆっくりと立ち上がる。
「はじめまして、アイゼン子爵。そして――シャロン様?」
そこにいたのは物語の世界から飛び出してきたような、正真正銘の王子様だった。
光の輪を持つサラサラとした金髪に、サファイアのような青い瞳。長い睫毛は金糸で出来ているかのようで、形のいい唇が今は嬉しそうに口角を上げていた。
ラルフとは対照的な白いスーツも、彼が身に纏うと全然気障ではなく、まるで白馬に乗って迎えに来たかのような錯覚すら覚える。
シャロンがたゆまぬ努力によって作られたアイドルなら、彼はきっと天性の資質だけで生み出されたアイドル――そんな言葉がシャロンの脳裏をよぎった。
「こちらは第三王子、グレン様であらせられます」
「お会い出来て光栄です、殿下」
「ずっと会いたかったんだ。シャロン、と呼んでも構わないかな?」
「は、はい……」
ラルフの挨拶を綺麗に無視し、グレンはシャロンに体を向けた。そのあからさまな態度にシャロンは焦燥したが、どうやらラルフは気分を害したわけではなさそうだ。
グレンは美しい顔立ちをほころばせながら、シャロンの手を取ると軽く口づける。そのまま指先を握りしめると、ラルフやメルクリオ公を残したまま、大ホールへと足を向けた。
「あの、グレン様?」
「聞いたよ、君はダンスが得意なんだって?」
導かれるままに会場に入ると、グレンを知る貴族たちが一斉に場所を空けた。当然のようにそこに向かったグレンは、早々と最初の構えをとる。シャロンもつられるように手を握り込むと、一拍の乱れもなく踊りの輪に加わった。
(この人――上手いわ)
今流れているのは最近発表されたばかりの新曲だ。複雑なステップと早いリズムが難解で、シャロンも随分と苦労させられた。実際、まわりのカップルも足を踏み違えたり、ペースを乱されたりと、まともに踊っている組の方が珍しいほどだ。
しかしグレンは曲の途中から、しかも一度も間違わずに踊りこなしていた。シャロンが気を遣ってリードする余地すら与えない、完璧な足型だ。
シャロンは信じられないとばかりにグレンを見る。すると息ひとつ切らすことなく、先ほどと同じ完璧な美貌で微笑んでいた。
そして曲の後半。
くるり、と身を翻すたびに囁き合う周囲の声が耳に飛び込んでくる。
「――あれはグレン様では?」
「――組んでいるのはあのシャロン様よ。なんて絵になる二人なのかしら」
彼らが絶賛する通り、天使のような容姿のグレンと、華やかな出で立ちのシャロンが踊る姿は、会場の中でも特に目を引いていた。だが当のシャロンは自らを凌駕する存在の登場に、何故か恐怖に近い感情を抱く。
「シャロン、どうかした?」
「い、いえ! なんでもありません……」
やがて曲が終わり、シャロンはグレンに礼をして立ち去ろうとする。だがグレンはその手を放そうとはせず、にこにこと小首を傾げていた。いつものシャロンであれば、同じ相手とは踊らないというルールの元、すぐにでもこの場を去っていたのだが――
(どうしよう、ここで断れば失礼に値するわ……)
相手は普通の貴族とは違う。この邸の主宰者相手に絶大な影響力を持つ王族だ。もしもここでシャロンが拒否をすれば、グレンに恥をかかせてしまうことになり――それはシャロンの身内であるラルフの評価にも直結する。
(それだけは避けないと……)
加えてシャロンの目的は『王族とのつながりを作る』ことだ。ここでグレンの機嫌を損ねるのは得策ではない、とシャロンは仕方なくその場にとどまった。やがて次の演奏が始まり二人が優雅に踊り始めると、どこかからひそひそとした噂が交わされる。
「――おい、みたか」
「ああ、シャロン嬢は同じ奴とは二度踊らないと言われていたのに……」
「もしかして、グレン様と……?」
途切れ途切れではあったが、何を称されているかはシャロンにも理解出来た。しかし心を無にしてダンスだけに集中する。その間、ラルフにこの姿を見られたくない、とシャロンは必死に祈っていた。
そのままグレンは二曲目、三曲目とシャロンとペアを組み続けた。さすがに四曲目となったあたりで、シャロンは疲弊した様子で眉尻を下げる。
「申し訳ありません殿下。少し休みたいので、どうか他の方をお誘いいただけないでしょうか?」
もちろん、サルタリクスの地獄のレッスンを受け続けてきたシャロンにとっては、この程度練習前の準備運動でしかない。
だがパーティー会場には他にも多くのご令嬢がおり、彼女たちは王族という権力と、麗しい風貌を持つグレンのパートナーになりたいと、今か今かと声がかかるのを待っている。ここで自分だけが回数を重ねるのは互いにとって良くない、と示そうとしたのだ。
しかしグレンはそんなシャロンの気遣いを、あっさりと一蹴した。




