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第三章 5



 ――シャロンとのデートを終えて帰って来たラルフは、何故か執務室の机上でぐったりと落ち込んでいた。所用で訪れていたサルタリクスとニーナは「死ぬほど面倒くさい」と言外に発しながら顔を顰めている。


「デートに行ったのよね? 葬儀に参列したわけじゃないのよね?」

「そうですが」

「じゃあなんでそんな絶望してるのよ」

「己の……ふがいなさに、でしょうか」


 はあ? とサルタリクスが首を傾げる。


「いかに自分が無能かを思い知ったというか……」

 


 ――サルタリクスの提案を受けたラルフは、半ば挑むような心持ちでシャロンを誘った。だが二人での外出などアイドルの仕事で何度も体験している。今更どうなるものでもあるまい、と余裕ぶっていたのがそもそもの間違いだった。


 私服姿の彼女を見て、ラルフはいきなり眩暈を起こしかけた。

 あれだけ煌びやかなドレス姿を、毎晩のように見ていたというのに、今日現れた服装はそのどれよりも可愛らしかったのだ。 

 華美な装飾やしっかりしたメイクはないが、年頃の女の子らしい素直な装いに、ラルフは一瞬「これは本当にシャロンなのか」と自問したほどだ。


 自動車に馬が入っているのではと狼狽えたり、野の花を髪に差したりして喜ぶ姿は、普段複雑なダンスや難解な楽曲をこなす、毅然としたシャロンとは思えないほどあどけなかった。


(おまけに、……お嫁さん、ごっことは……)


 思い出すといまだに少し顔が熱くなる。ラルフはハンカチに包んでいた白い花を、二人に気づかれぬよう眺めた。花弁は折れ、茎もしおれているが、どうしても捨てることが出来なかったものだ。

 やがて撃沈していたラルフを慰めるように、サルタリクスが口を開いた。


「一体何があったのよ?」

「なんというか……まったく予定通りに行かなかった、と」

「あーなるほどね。どうせあんたのことだから、たっかいコース料理でもご馳走しようとしてたんじゃないの?」


 ドス、とラルフの背中に図星の刃が突き刺さる。

 だが動揺するラルフに気づくことなく、サルタリクスはため息交じりに続けた。


「百戦錬磨の口説き魔には分からないかもしれないけれど、シャロンくらいの子はかえって恐縮してしまうものよ。それより二人で屋台のごはんでも食べればよかったのに」

「そ、そうですね……」


 ぎりぎりセーフだろうか、とラルフは少しだけ気を取り直した。

 たしかにクレープを買い与えた時のシャロンは、ラルフがぎょっとするほど嬉しそうだった。この年頃の子はこういうものを好むのか、と冷静に分析する一方で、夢中になって食べる彼女から目が離せなくなっていく。

 大きな茶色の瞳をいっぱいに見開いて、この世の幸せを一身に集めたようなシャロンの笑顔は、眩いばかりに輝いており――すれ違う男たちが、そんなシャロンに見惚れていることに、ラルフは少しのいら立ちすら覚えていた。

 だがすぐに自身の中で否定する。


(彼女はアイドルだ。私がそうなるよう育てたのですから……。異性の目を集めることは当然です)


 しかし彼女を狙う熱い視線は増え続け、ラルフはいっそう憂憤を募らせた。当のシャロンは一向に気づいていないらしく、ぽややんとした幸せそうな笑みを満面に浮かべて、のんびりと歩いている。


(たしかにパーティーでも危なげな時はありますが……彼女にはもう少し、自分の魅力を自覚していただきたい……)


 仕方ない護衛に徹しよう、とラルフはさりげなく周囲の男どもに目を配る。するとどういうわけか、シャロンがラルフの手を握ろうとしてきたのだ。その時のことを思い出すと、ラルフは今でも恥ずかしさで息絶えそうな気がしてくる。


(ああ……誰か私の記憶を消してください……)


 名うての商人として数多の修羅場をくぐって来たラルフは、女性の心の機微にも順応できるという自信があった。だから彼女たちが自分に手を差し伸べた時は、エスコートを願い出ている合図なのだ、と体が覚え込んでしまっていたのだ。

 実際、それでほとんどのご婦人は喜んだ。

 頬を染め、ラルフの望み通りの情報を寄越してくれた。だがどうしたことか、十六歳の幼い少女にだけは通用しなかった。


 ラルフが指先を握り返した途端、シャロンはまるで熱いものにでも触れたかのように、すばやく手を引き抜いた。どうやら指輪を取りたかっただけらしく、ラルフの無様な言い訳に気づいたのか、逃げるようにいなくなってしまったのだ。

 あの時の自分の惨めさときたら……ニーナ辺りから絶縁を言い渡されてもおかしくないだろう。


 するとそんなラルフを見透かすかのように、苛ついたニーナが口を開いた。


「で? 僕は一体何のために呼ばれたんだ? お前の愚痴を聞かされにか?」

「――そうでした、すみません。実は取引のルートを探っていただきたいものが」


 雑念を振り払うようにラルフは首を振ると、手にしていた紙をニーナへと手渡した。そこには精密な眼鏡のデッサンと製造番号、業者名などが記載されている。


「カッティテロスの九十一番。作られたのは二点だけだと聞いています」

「これが今どこにあるか、だな」

「はい。レンズは色付きのものと付け替えられているので、その工房も調べてください」


 それはシャロンをつけ狙っていた男が身に着けていた品物だった。

 逃げ出したシャロンを追いかけ、その姿を発見した時、彼女は既に不審な人物から追われている最中だった。すぐに保護して事なきを得たが、その男がしていた眼鏡にラルフは見覚えがあった。


(市場には出回らないオーダーメイド……何故あんな村に?)


 だが男について考えていると、同時にシャロンを助け出した場面もまざまざと甦ってくる。目立つ髪を隠さねばと咄嗟に外套で包んだまでは良かったが、どうして自分は彼女を抱き寄せてしまったのだろうか。


(その方が身を隠せる……恋人の逢瀬のふりをすればと、――いや、そうじゃない)


 あの時シャロンは震えていた。見知らぬ人間から追われ、恐怖に怯えていた。

 その小さな肩が、細い腕が、たまらなくか弱く見えて――気づけば彼女を腕の中に押し込めていた。守らなければ、と本能が囁いていたのかも知れない。


 抱きしめた体は華奢で、少し力を込めるだけで折れてしまいそうだった。服を介して彼女の吐息が胸にかかり、次第に大きくなる心臓の音を聞かれはしまいかと、ただ必死になって心に制御をかけた。

 やがて男が去ったのを確認した後、ラルフはようやく腕の力を抜いた。彼女の温かさが離れ、少しだけ寂しく思うラルフに向けて、シャロンは目に涙を浮かべて感謝を口にする。

 その瞬間――ラルフは頭を鉄槌で叩かれたかのような衝撃を受けた。


 でも違う、とラルフは改めて自身の手のひらを見る。


(あの子は……アイドルだ。誰か一人のものになるのは許されないと、私自身が唱え続けてきた。すべての人を虜に出来るようにと)


 ラルフはシャロンを一番近くで見てきた自負があった。

 毎日夜遅くまで練習し、朝は誰より早く起きて勉強に励む。誰に不満を言うでもなく、誰に賞賛されるわけでもない努力を一年間。一度アイドルとして社交界(ぶたい)に上がれば、熱があろうが風邪をひこうが完璧に振舞い、周囲にいる人間を魅了する。


 ただしその実態は、ごく普通の、年頃の女の子で。

 アイドルとしてのシャロン、ただの少女としてのシャロン。そしてその裏側にある壮絶な努力をラルフだけが知っている。

 この秘密に心惹かれない男がいるだろうか。


(だからそう――これは、恋ではない。ただの情だ)


 恋愛感情などただのまやかしだと、ラルフはもとより思っている。自分の抱えるこの気持ちも同じで、彼女に対する情が、多少浮かれて形を変えただけなのだと。

 そう気づいたからこそ、帰りは普通に手を繋ぐことが出来た。あの時の無様な恥じらいはどこに行ったのかと思えるほど、心は静穏に満ちていた。


(それに……もしも本当に王族とつながりが持てるのであれば、きっと彼女にとってもその方が良いでしょうし……)


 いくら金があるとはいえ、ラルフは一介の商人であり、貴族としての立場はあってないようなもの。連日社交界から招待され続けているのは、他ならぬシャロンの存在があってこそだ。

 彼女にとっても、単なる妹、単なるアイドルで終わるよりも、きちんとした相手に輿入れする方が幸せに違いない。そして自分はその後ろ盾を武器に、この大陸で伝手を広げて――と考えていたラルフは、何故か胸の奥がぎしりと軋むのを感じていた。

 そんなラルフの異変をよそに、ようやく話が出来るわとサルタリクスが口を挟む。


「帰って早々に悪いけど、パーティーの招待よ」

「サルタリクス、今はまだシャロンを休ませたいのですが……」

「あたしもそう思うけど、今回は相手が悪いわ。メルクリオ公よ」


 その名前にラルフはわずかに唇を噛んだ。王都でもかなりの権力を持つ家――そして王族との関わりの強い貴族だ。


「シャロンを是非、というご指名付きよ。断ったらどうなるか」

「……分かりました。出席しますと返事をしておいてください」


 かつてのラルフであれば、願ってもない上客だと笑みを浮かべていただろう。

 だが不思議なことにラルフの心には、浮き立つ喜びも駆り立てるものも何一つなかった。代わりに全身が声なき悲鳴を上げているかのような、息の詰まるような苦しさだけが湧き起こっていた。



 

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