序章 2
どくん、と心臓が体から飛び出してしまうかと思った。
予想以上の速さで見抜かれたことに、動揺を隠せなかったシャロンはわたわたと狼狽する。だがここでばれてはならない、とシャロンも必死に応戦した。
「ど、どうしてそのようなことを?」
「本当は事前に肖像画をいただきたい、と申し上げていたのですが。ゴルト伯からたびたび断られましてね。仕方がないので、こちらで勝手に調べさせていただきました。本当のエメリア嬢は金髪で、背も君より少し高い」
するとラルフの背後にいた執事が、サイズの違う二枚の紙を差し出した。
大きい方には『エメリア・マッカーソンについての報告書』と題され、つらつらと彼女についての詳細な情報が記載されている。
もう一つの小さな紙には、実に鮮明な絵が描かれていた。そこには以前邸でちらっとだけ見たことのある、エメリアお嬢様の姿がある。まるで風景をそのまま映しとったかのような精密さだ。
「こ、これは……」
「ああ、初めてご覧になりましたか。これは『写真』といって、レンズを介した世界をそのまま印画紙に転写する技術です。まだこちらの大陸ではあまり知られていませんが」
「しゃ、しゃしん、ですか?」
レンズ、印画紙など、聞いたこともない単語が飛び交う中、シャロンは必死になってこの場を乗り切る方法を考えていた。だがこうしてエメリアの容姿がばれている以上、シャロンがどれほど言い繕ったところで、信じてもらえるはずがない。
すっかり怯えてしまったシャロンに対し、ラルフはゆっくりと目を細めた。
「で? これでもまだ自分がエメリア・マッカーソンだとおっしゃるのですか?」
「う、うう……」
万事休す。
このまま警察にでも通報されれば、貴族の名を騙ったとして逮捕されること間違いなしだ。ゴルト伯爵が釈放に来てくれるのであればいいが、そもそも厄介ごとを押し付けた張本人が、わざわざ厄介を引き取りに来てくれるはずがない。
(ごめんなさいアブドラ様……やっぱりわたしでは無理でした……)
その押しつぶされそうな重圧感を前に、シャロンはがくりと首を垂れた。
「申し訳ございません……本当の名前はシャロンと言います」
「素直な子は好きですよ。それで、どうしてこんなことを?」
「そ、それは……」
そこでシャロンは再び口ごもった。
ゴルト伯爵家にとってはこれ以上ない悪評であり、決して口外すべきではない事情だ。それに『あなたとの結婚が嫌で、お嬢様は逃げたのだ』と遠回しにラルフに伝えることにもなる。一介の使用人風情が、簡単に口に出来るあれそれではない。
だがシャロンの葛藤をよそに、ラルフはは「ああ、」とわざとらしいため息を零すと、ことも無げに言い放った。
「おおよそ、私との結婚が嫌でどこかの男と逃げ出した、というところでしょうか」
「な、え?」
「婚約を破棄するためには高額の違約金がかかる……惜しくなったゴルト伯が、適当な使用人をエメリア嬢に仕立て上げ、代わりにここに送り込んだ、……どうです、合ってますか?」
完璧です、と答えるわけにもいかず、シャロンはぶわりと汗が噴き出すのが分かった。どうしよう。秘匿すべきゴルト伯爵家の内情がすべて見抜かれている。
(ど、どうしたら……ごまかす、のも無理そうだし、……かといってこのまま帰ることも出来ないし……!)
当惑するシャロンだったが、目の前の男は素晴らしい推理ののち、小さく『仕方がありませんね』と呟いた。
「まあいいでしょう。もとより彼女に愛などありませんし」
「……いい、とは……」
「この強烈な醜聞があれば、しばらくはマッカーソン家を脅す材料になりますから。それに、私も嫌がるお嬢さんを無理やり手籠めにするほど、悪人ではないつもりですよ」
にい、と口の端を上げたラルフの美しい笑顔に、シャロンはさきほどかいた汗が一気に冷え切るのが分かった。自分で悪人ではないと揶揄しておきながら、マッカーソンを脅すと言い切っている。
その姿はまるで、魅惑的な願いをかなえる代わりに、契約者の命を取るという――悪魔のようだった。
「しかし困りましたね。花嫁がいなくなった以上、少々予定が狂ってしまいました」
「よ、予定と、いいますと……」
「多額の結納金と引き換えに、ゴルト伯爵家の後ろ盾を得て、貴族たちに取り入るつもりだったのですが……あなたでは、何の役にも立たないでしょう、し……」
すると突然、ラルフがシャロンの顔を凝視した。宝石を鑑定するかのような、真剣なまなざしでシャロンの瞳や髪、唇から手、足先と輪郭をなぞるように吟味している。
そのあまりに熱心な視線に、気恥ずかしくなったシャロンが照れたようにうつむくと、ラルフはどこか満足げにふうん、と嬌笑した。
「悪くない」
「え?」
「いえ、こちらの話です。それで、あなたはこれからどうするおつもりで?」
「わ、わたしは、……」
シャロンは言葉に詰まった。使用人の仕事はクビになってしまったし、目的を達成できなかった以上、邸に戻ることも出来ないだろう。新しい仕事が見つかるまで、どこか夜露がしのげるところを探して……とシャロンは絶望的な未来を思い描き悄然とする。
すると男――ラルフ・リーデンは、眼鏡越しに見える漆黒の瞳を眇めた。
「もちろんエメリア・マッカーソンでない以上、ここに置くことは出来ません。ですが……この家の養子になる、というのであれば話は別です」
「養子、ですか?」
「はい。私の妹となってエイドーロン――『アイドル』になるのなら、です」