第三章 4
(ああ……わたしってどうしてこう、色々迂闊なのかしら……)
祭りの喧噪から少し離れた裏路地で、シャロンは一人反省会を開催していた。初めて仕事以外でラルフと出かけたという嬉しさから、指輪といい手つなぎ未遂といい、少々我を忘れてはしゃいでいるのが分かる。
(だから! ラルフさんはアイドルとしてのわたしが大切なだけで……それ以上は望まないし、気持ちを伝えるつもりもないから……)
それでいい、とシャロンは自身に言い聞かせた。
この恋心は一生胸に秘めたまま。アイドルとして、ラルフの役に立って、そして。
(もしも王族の方の目に留まれば、その時は――)
浮ついていた気持ちが一気に氷点下まで落ち込んでしまい、シャロンは深いため息をついた。ゆっくりと立ち上がり、大通りに戻ろうとする。あまり時間は経っていないはずだが、これ以上のんびりしていたらラルフを心配させてしまうだろう。
「ええと、あっちかな……?」
シャロンはきょろきょろと辺りを見回す。すると突然背後から「あの、」と声をかけられた。
「もしかして、シャロン・リーデン?」
「えっ⁉」
「ピンク色の髪! うわあ、噂には聞いていたけど本当に綺麗な顔だなァ」
振り返るとそこには、一人の青年が立っていた。髪はくすんだ茶色で、ラルフの物とはまた違った眼鏡をかけている。レンズの部分には色が入っており、表情がはっきりと見えないことに、シャロンはいっそう不安を募らせた。
「ひ、人違いです」
「またまたァ、最近王都ですごい有名なんでしょ? 良かったらちょっと付き合ってよ」
「すみません、失礼します」
「おい、逃げるなよォ、いいだろ?」
シャロンは慌ただしく背を向けるが、男はなおも追いかけてくる。少しでも紛れればと人混みの中に逃げ込んだが、男は目ざとくシャロンの髪を目当てに距離を詰めてきた。
(どうしよう、振り切れない……)
必死になってラルフを探す。
だがあれほど目立つ黒色が、どうしたことか今は全く目につかない。その間も男はシャロンを追跡しており、こちらの視線に気づくとニタリと口の端を上げた。ぞくり、とシャロンの背を恐怖が走る。
(嫌な感じがする……逃げないと)
しかし気づけば男との距離が先ほどより縮まっていた。シャロンは相手に恐れを気取られぬよう懸命に足を進める。少しでも翻弄出来れば、と建物の角を次々に曲がった。
するとある一角で、誰かから腕を引かれる。
「――ッ!」
たまらず声を上げようとしたシャロンだったが、すぐに口元に人差し指が下りてくる。視界の端に白い花を捉えたシャロンは、喉元まで出かかっていた声を慌てて呑み込んだ。
「――大丈夫ですか?」
(ラルフさん……!)
だがすぐに現況を思い出したシャロンは、男の存在を知らせようと周章する。するとラルフはすぐに異変を察したのか、着ていた外套を脱ぐとシャロンに頭から被せた。そのまま全身を強く抱きしめられる。
「ら、ラルフさん、これは」
「静かに――このままやり過ごします」
ラルフの指示に従うように、シャロンは唇をしっかりと引き結んだ。
しかし額に触れているのは、まぎれもなくラルフの胸であり、今自分を覆っているのは彼の両腕なのだ――と自覚するにつれ、全身がふつふつとした熱を放ち始める。
(うう、……早く、はやくーー!)
細身だと思っていたが、意外としっかりした体つきであるとか、香水とは違ういい匂いがするだとか。普段なら絶対知ることのない情報が洪水のように押し寄せ、シャロンの思考はもはや限界を迎え始めていた。
やがてシャロンの体を拘束していた力が弱まり、視界が明るくなる。顔を上げると外套を手にしたラルフが、もう大丈夫だというように目を眇めた。
その優しい表情を目にした瞬間、先ほどまで抱えていた恐怖や緊張が一瞬で消え失せてしまい、シャロンは安心からかじわりと涙を浮かべる。
「どうやら別のところに行ったようです。怪我はありませんか?」
「ラルフさん、すみません……わたし、勝手にいなくなってご迷惑を」
「私の方こそ申し訳ありません。……あなたに怖い思いをさせてしまいました」
シャロンはふるふると首を振ると、潤んだ瞳で精いっぱいの感謝を伝えた。
「助けてくれて、本当にありがとうございます……」
「……」
すると一拍置いて、ラルフの腕に再びぎゅっと力が込められた。どうしたのだろうとシャロンは困惑していたが、時間を置かずに解放される。心なしか顔を背けているラルフは、やや早口に続けた。
「またいつ先ほどのような方が現れるか分かりません。今日はこれで帰りましょう」
「は、はい」
シャロンが返事をすると、目の前にすいと手が差し出された。しおれた花の指輪を認識し、シャロンはそろそろと顔を上げる。そこにはもう一方の手で眼鏡を押し上げ、視線をそらしたラルフが立っていた。
「はぐれないように」
「……はい」
おずおずとシャロンは手のひらを乗せる。その指先を包み込むように、ラルフの手が握りしめられた。そのままぐいと引かれ、シャロンは不格好なステップのようにたたらを踏む。
(こ、これは……)
恥ずかしさのあまり、少しだけ手を解こうとするが、ラルフはがっちりと掴んだまま離してくれそうにもない。エスコートで何度も触れた手のはずなのに、こうして握り込まれていると、その大きさや温かさ、力強さも全然違うと自覚する。
(う、嬉しいけど、嬉しいけどーー!)
シャロンは車に到着するまで、かつてないほどの羞恥と葛藤で、頭から湯気が出そうだった。




