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第二章 6



 ――薬が効いてきたのか、ようやく穏やかな寝息を立て始めたシャロンを見守った後、ラルフは自身の執務室へと戻っていた。中にはサルタリクスとニーナが待機しており、ラルフの姿を見た瞬間に、サルタリクスが口を開く。


「どうだったの?」

「医師の見立てでは極度の疲労だろうと。栄養をとって安静にしていれば、問題はないそうです」

「そう……ならひとまずは安心ね」


 サルタリクスがわずかに口角を上げる。だが反対側にいたニーナが、噛みつくようにラルフに言い放った。


「だから僕は反対だったんだ! いくら金になるとは言え、あの人数と応対なんて無茶だと!」

「ニーナ……」

「もちろん最終的に出来ると言ったあいつも悪い。だがな、保護者であるお前が止めるべきところだったんじゃないのか⁉」


 握手会の発案をした時、ニーナだけが強固に反対した。時期尚早だ。今はレッスンと顔見せに注力して、写真集は時間をかけて作ればいいことだと。

 だがラルフの商売人としての勘がそれを許さなかった。もちろん一番負担となるシャロンの了承を得ることは最優先だったが、彼女はラルフから尋ねられた時、いつも笑顔で快諾してくれていた。でもあの時だけ。


(――一度だけ、言われていた。それなのに、私は……)


 やりすぎではないか、と。シャロンは自らの立場が目まぐるしく変わっていくことを、恐れていた。それを自分が否定した。もちろん率直な意見として言ったものだったが、どこかで『好機を逃すべきではない』という貪欲な自分もいた。


(そのせいで、彼女は……逃げ出すことが出来なくなって……)


 そうだ、とラルフは自らの手のひらを見る。先ほどまでシャロンが握りしめていた手。熱が出始めたのか、彼女の手は中に火がともっているかのように熱かった。

 その体温を思い出し、ラルフはぞくりと背筋を凍らせる。さすがに様子がおかしいと察したのか、サルタリクスがうかがうように首を傾げた。


「ラルフ?」

「――そうだ。止めるべきだったんだ」


 ぼろぼろと零れるあの子の涙が、恐ろしいほどきれいだった。

 自分はあんなに清らかな瞳で、見上げてもらえるような存在ではないのに。


「あの子は……自分が倒れたというのに、ずっと謝ってばかりでした。私に迷惑をかけてしまった、申し訳ない、と……」

「……」

「せっかく商品に、なれたのに、と……泣いていました。……どうして」


 貿易商と金融業を営んできたラルフは、これまでも様々な人間を利用してきた。

 その場しのぎの金を得たい者や、ラルフの持つ財産を狙う者。もちろんかつてのエメリア嬢もそうした感情でしかなかったし、シャロンもラルフの商売の手駒でしかなかった。

 だが所詮「利用する・される」の関係など歪なものだ。金の切れ目が縁の切れ目とばかりに、利用価値がなくなればどちらともなく離れていく。そうした関係をうまく乗りこなして、ラルフは今日ここまでの繁栄を築いてきたのだ。それなのに。


(あの子はどうして、私から離れようとしなかったのだろう)


 連日の厳しいレッスン。ラルフの勝手に参加させられるパーティー。挙句自分の体を壊してまで開催させられた握手会に、文句の一つも言わないどころか、ラルフに対して涙を見せる始末。

 いくら契約があるとはいえ、普通の人間であれば愛想をつかして逃げ出していてもおかしくはない。

 するとサルタリクスが呆れたように眉を寄せた。


「あなたがそうなるよう、し向けたんでしょう?」

「私が?」

「以前も言ったわ。あの子は人間なのよと。あなたにとってはただの商品かもしれないけれど、彼女はあなたのためなら、きっとどんな苦しいことでも笑顔でこなす。それがどんなに嫌で苦しいことでも」

「何故です? そんな自分の利益にならないようなことを、どうして」


 分からない、と呟くラルフを見て、サルタリクスはちらりとニーナに目配せした。ニーナはなおも苛立ちを露わにしており、サルタリクスは諦観したようにラルフに告げる。


「あなたが好きだからに、決まっているじゃない」

「――え?」

「無粋だから言いたくなかったけど、当の本人がこれだけ鈍感だと、あの子があんまりにかわいそうだもの」

「ちょ、ちょっと待ってください! 好きと、いうのは……」

「あの子、あなたのことが好きなのよ」


 途端にラルフの動きが止まった。

 眼鏡の奥の目は大きく見開かれ、瞬き一つしていない。まるで真っ黒な彫刻のようになったラルフを見て、ニーナが眉間に深く皺を刻んだ。


「おい、嘘だろう。まさか本気で気づいていなかったのか?」

「……だって、そんなはず……」

「僕はてっきり、あいつを御しやすくするよう、お前が狙って惚れさせたのだと思っていたが」

「そ、そんなこと、するはずがありません!」

「まあ確かにあなたは、無意識で女性を落としてしまうタイプだものね……」

「だから違いますって!」


 いつの間にかラルフの頬には朱が走っており、珍しいものを見たとばかりにサルタリクスは畳みかける。


「というか、あたしはてっきり、あなたもあの子のことが好きなんだと思っていたわ」

「はあ⁉」

「だって、あの子をアイドルにするって言い出した時のあなた、すっごい『惚れてる』って感じだったもの」

「あ、あれは! 彼女にアイドルとしての資質を見出したことに感動して……」

「あーはいはい。ラルフはほんっとうに仕事と金のことしか頭にないものね」


 どこか冷たい眼差しを向けるサルタリクスと、同じくじとりと半眼のニーナに囲まれながら、ラルフは思わず左手で口元を覆い隠した。さっきから顔が熱くてたまらない。シャロンの熱が移ってしまったかのようだ。


(シャロン……)


 改めて自身の右手を見る。彼女の額に触れ、彼女が掴んだ手。指先から伝わったシャロンの熱が、今まさによみがえってくるかのようで――同時にラルフを見上げた彼女の顔を思い出す。熱で赤らんだ頬。潤んだ瞳。わずかに開いた唇。


(好き――なんて、そんな、はずは)


 再び硬直してしまったラルフを見て、講師の二人は「金のこととなると恐ろしい洞察力を発揮するのに、どうして自分のことにはこんなに鈍感なんだろう」とそれぞれに疑問符を浮かべていた。



 

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