第二章 デビュー、写真集、そして無自覚
シャロンは一六歳の誕生日を迎えた。
テーブルの上にはローストビーフや七面鳥、貝や海老といった豪華な夕食と、真っ赤に熟した苺をふんだんにあしらった可愛らしいケーキが置かれている。普段の食事でこんなにたくさんの肉や甘味が出ることはないのだが、今日だけは特別らしい。
「誕生日、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます……」
孤児院育ちのシャロンは、自分の正確な誕生日を知らない。孤児院に預けられた日を、暫定的に生まれた日として扱っているだけだ。実際、誕生日など今まで一度も祝われたことがなかったので、それでなんの不自由も不満もなかった。
だがラルフは――おそらく養子縁組の書類に書いたのを覚えていたのだろう――わざわざシャロンの誕生日を記憶しており、こうして二人だけの祝宴を開いてくれた。
琥珀色の発泡酒を傾けていたラルフが、シャロンに向けて微笑む。
「この一年、あなたはよく頑張りました」
「と、とんでもないです! こちらこそ、色々とありがとうございました……」
「サルタリクスとニーナからも『文句なし』という評をいただいています」
そこで、とラルフの目が鋭く光った。
「早速ですが来週末、公爵家で開かれる大規模な夜会。そこに――あなたを連れて行こうと思っています」
いよいよだ、とシャロンは息を吞んだ。
「分かっているとは思いますが、これであなたはデビュタントとなる。そして同時に『アイドル』として初めて人目に触れることになります。緊張するな、とは言いませんが、相応の覚悟を以て挑んでください」
「は、はい……!」
「まあ会場には私も同行しますので、そこまで不安になることもないでしょう」
はい、と微笑み返したものの、シャロンはわずかに表情を陰らせた。
(ついに社交界……今のわたしで、本当に大丈夫なのかしら……)
たしかに講師の二人――サルタリクスとニーナからは、怒られることがほとんどなくなった。サルタリクスにいたっては褒めちぎってくる場面もあり、過分な評価に逆に不安になっていたほどだ。
せっかく皿に取り分けてもらったケーキも、全然食べる気が起こらず、美しいまま残っている。そんなシャロンを見ていたラルフは、ひとり静かに目を細めていた。
今日が誕生日ということもあり、夜のレッスンはすべてお休みとなった。
シャロンは部屋で自主学習をしていたのだが、ノートを削るペン先が、先ほどから何度も止まっている。
(うわー……やっぱり緊張する! だってわたし、たいして何も変わってないし、本物の貴族でもないし……)
たしかにここに来たばかりに比べれば、少し背も伸びたし、女性らしい体つきになったかもしれない。
だが夜会に出席する人達といえば、正真正銘の貴族たちだ。シャロンとは生まれた時から生きている世界が違う。ラルフのように秀麗な顔立ちと明晰な頭脳があれば、臆せず入っていけるかも知れないが――シャロンは根っからの庶民。特別可愛らしいわけでも、賢いわけでもない。
(でも、そこでアイドルとして認められないと……わたしの存在価値がなくなってしまうわけで……)
気づけば、参考書に置いた手がかすかに震えていた。シャロンは落ち着かせようと撫でさするが、どうしても嫌な想像が止まらない――とそこに、軽くドアを叩く音が響いた。はい、とシャロンが返事をすると、ラルフが顔をのぞかせる。
「お兄様⁉」
「遅くに申し訳ありません。どうしても今日、渡しておきたいものがありまして」
慌てて立ち上がったシャロンが近づくと、ラルフはにっこりと微笑んで「後ろを向いてください」と告げた。言われるままにシャロンが背を向けると、首元に細い氷を乗せられたかのような冷たさが落ちてくる。
すると驚いたシャロンの瞳に、眩いばかりの輝きが飛び込んできた。
「お兄様、これは……?」
「誕生日プレゼントです。気に入っていただけると良いのですが」
それは実に絢爛なネックレスだった。傾けるだけでキラキラとした光を生み出すダイヤモンドが、大小取り合わせて綺麗に配置されており、特に中央にあるダイヤは、はっきりとしたピンク色をしている。
ラルフが金具を止めてくれている合間に、シャロンは思わず尋ねた。
「真ん中のこれも……ダイヤですか?」
「質のいいビビッドが手に入りましたので、特別に作らせました。あなたの髪と似て、素敵な色でしょう?」
ようやくラルフの手が離れ、シャロンは改めて振り返った。首元できらめくそれに、そっと指を添える。
(ラルフさんからの、プレゼント……!)
だがシャロンははっと目を見開いた。ラルフが『特別に』というだけあって、きっと恐ろしく高額なのだろうと察し、青ざめた顔つきでそろそろと顔を上げる。
「だ、だめです、受け取れません! こんな高価なもの……!」
だがラルフは平然とした笑みでつっぱねた。
「だから差し上げたのです。あなたが、臆することがないように」
「……え?」
「あなたがアイドルだと認められれば、貴族の男性たちから多くの贈り物をいただくことになるでしょう。そのたびにこうして『受け取れません』だのと言っていては、その程度の器だと思われてしまう」
「で、でも、……」
「この宝石はあなた自身の価値です。私はあなたにこれを出しても惜しくない、と思うほどには、あなたのことを愛している」
「あ、愛……⁉」
いよいよシャロンは思考が回らなくなってきた。
「これを基準にしなさい。このダイヤを超す……私よりあなたのことを大切にする、という自信のある男が来るまで、決して心を許してはいけません」
「は、はい……!」
勢いのままに返事をしてしまったが、はたしてこのダイヤを超える贈り物など、存在するのだろうか。シャロンは苦笑しながら、ネックレスとそれを慈しむ自身の手を眺める。
気づけば、震えはすっかり収まっていた。
つい先ほどまで、完全に自信を無くしていたシャロンだったが、ラルフから与えられた宝石とともにあるだけで、なんだか自分自身もとても価値があるように思えてくる。
「あの、ありがとうございます。わたし――頑張ります」
「ええ。期待していますよ」
ラルフがにっこりと一笑するのを見て、シャロンもまた笑みを返す。
(あなたのことを愛している――)
きっと、シャロンの願っているような意味ではない。
だが他ならぬラルフの口から聞けた。ただそれだけで、シャロンの心の中には暖かい春が訪れていた。




