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序章 メイド、花嫁、そしてアイドル




 シャロンの人生が一変したのは、つい三日前のことだ。


 両親の存在を知らず、孤児院で生まれ育ったシャロンは、街の名士であるゴルト伯の邸で一番下っ端のスカラリーメイドとして働いていた。しかも最も年下だったため、誰よりも早く起き、暖炉の灰掻きや洗い場の掃除といった雑用をこなさなければならなかった。

 それでも毎日屋根のあるところで眠ることが出来、お給金は安いが飢えることもない生活に、シャロンも特に不満を覚えることはなかった。


 だがある日、上級から下級まですべての使用人が大ホールへと招集された。何ごとだろうと先輩たちがさざめき合うのを聞きながら、シャロンも壁の端に隠れるようにして並び立つ。するとこの邸の主――ゴルト伯アブドラ・マッカーソンが現れ、苦虫をかみつぶしたような顔つきのまま、低い声で尋ねた。


「この中で、一番若いものは?」


 全員の視線が、一斉に後方にいたシャロンに向けられた。

 びくりと肩を震わせるシャロンの前に、人波をかきわけるように道が開かれ、その中心をアブドラが歩いて来る。

 やがてシャロンの眼前に立つと、顔を覗き込むようにして問いかけた。


「年齢は」

「じゅ、十五です……」


 ふむ、とアブドラはしばらく逡巡していたが、隣に付き従っていた執事に何ごとかを告げると、他の使用人たちに向けて叫んだ。


「よし、もういいぞ。持ち場に戻れ」


 ぞろぞろと部屋を後にする先輩たちを見ながら、自分はどうしたらとシャロンが狼狽えていると、執事から穏やかに声をかけられる。


「あなたはこちらに」

「え、あの、でも仕事が」

「あなたにはもっと重要な役目がありますから」


 執事はそう言うと、シャロンを別室へと連れて行った。





(い、一体、何が起きているの……?)


 執事に案内されたのは、上級使用人用のシャワー室だった。そこで髪と体を磨くように言われ、これを着て出てくるようにと白いワンピースを渡される。袖を通すと、今まで触れたことがないほどすべらかな肌触りで、シャロンはさらに不安を募らせた。

 小綺麗になったシャロンを従え、執事が向かったのはアブドラの執務室だった。奥には相変わらず苦い顔をしたこの邸の主がおり、執事とシャロンが姿を見せると室内にいた他の使用人をすべて下がらせる。

 三人だけとなった部屋で、アブドラが厳めしい顔つきで話し始めた。


「シャロンというそうだな」

「は、はい」

「突然で悪いが、君に頼みたいことがある」

「な、なんでしょうか……」

「――娘の代わりに、嫁に行ってもらいたい」


 シャロンは最初、単語を聞き間違えたかと首を傾げた。

 孤児院時代もちゃんと勉強していたので、日常会話程度であれば普通に聞き取れると思ったのに……とシャロンは困惑する。だが続く言葉にシャロンは耳を疑った。


「実はわしの娘――エメリアに、とある子爵と婚約を結ぶ予定があったのだ。だがいよいよ顔合わせの日が迫った途端、……エメリアが姿を消してしまったんだよ」

「お、お嬢様がですか⁉ でしたら早く探さないと……!」

「いや、あいつは自分から逃げ出したのだ。部屋にこんな手紙も残されていた」


 差し出された便箋を受け取り、シャロンは素早く目を通す。時々分からない単語はあるが、要するに『よく分からない成金男と結婚するくらいなら、私は本当に愛する人と一緒になります』と書かれているようだ。


「これって……」

「今朝確認したところ、宝石や洋服類がごっそりなくなっていたそうだ。あの馬鹿娘、駆け落ちするなぞマッカーソン家の恥だ……!」


 どうやら親同士が決めた政略結婚が嫌で、当の花嫁が逃げ出したという話らしい。貴族の結婚観がピンと来ていないシャロンは、大変ですねと口にはしつつ、どうしてこんな重大なことを聞かされているのだろうと不思議に思う。

 するとアブドラがとんでもないことを言い出した。


「そこで君には、エメリアの代わりになってもらいたい」

「お嬢様の、代わり……って、え⁉」


 聞き間違いではない、とシャロンは目を見開いた。


「む、無理です! お嬢様とは顔も全然違いますし、髪も、目の色だって」

「先方はエメリアの名前と歳しか知らん。もともとこの結婚自体、奴が伯爵家とつながりを持ちたいが故の婚約なのだ」

「え、ええー⁉」


 なんでそんな婚約を受けたのか、とシャロンはエメリアお嬢様に同情したくなった。相手の顔も性格も知らずに結婚したいだなんて、政略結婚とはいえあんまりな気がする。

 しかしそれとこれとは話が別だ、とシャロンも反論した。


「で、でも、きっとすぐにばれてしまいますよ! ちゃんと事情を説明して、婚約を解消なさった方が……」

「それは無理なのだ……」

「え?」

「すでに多額の結納金を受け取っている。その上こちらの都合で婚約破棄などとなれば、倍以上の違約金を払わされることになるだろう。エメリアの婚礼準備にも随分金をかけてしまったから……悪いがそこまでの余力はない」

「そ、そんな……」

「悪いがこれは命令だ。君は今日付で使用人を解雇。三日後の輿入れの日まで、最低限度のマナーを叩きこんでおくように――任せたぞ」

「御意に」


 短く返事をした執事によって、シャロンはがっちりと腕を掴まれる。雇用主の圧倒的権力にねじ伏せられたまま、シャロンは引きずられるように執務室を後にした。






 三日後。執事に伴われたシャロンは、巨大な建物の前であっけに取られていた。


(おっきいお屋敷……伯爵さまのところより、大きいかも……)


 衝撃の解雇通知を受けてから、シャロンは三日三晩、休む間もなく教養を叩きこまれた。貴族の令嬢にふさわしい言葉遣い、立ち振る舞いなどを学び、なんとか見栄えがするように顔や体も丁寧に整えられている。

 くすんだ赤茶色の髪、緑がかったブラウンアイ。不慣れな化粧もなんとか様になっている。幸い体型がお嬢様とほぼ変わりなかったため、ドレスはエメリアの物を借りてきていた。この一着だけでシャロンの給金の何年分になるだろうか、と背筋を凍らせる。

 やがて相手方の執事が現れ、シャロンたちを応接室へと招き入れた。外観だけではなく、内部の装飾も実に見事なものばかりで、そこかしこに高価そうな甲冑や絵画が並んでいる。緊張のままソファに座って待つシャロンの元に、ようやく相手の男が現れた。


「お待たせいたしました。エメリア様」


 良く通る低い声に、シャロンは思わず立ち上がった。


(この方がラルフ・リーデン様……)


 執事から耳が痛くなるほど聞かされた名前――ラルフ・リーデン。

 元々は貿易業を営む商人だったのだが、稼いだ利益を元手に金融業を始めたところ、これが莫大な富を生んだという豪商だ。その一方で平民である、ということに引け目があったらしく、一年ほど前に子爵の地位を金で買ったという噂だ。エメリアお嬢様が成金男、と称したのはこうした背景があったからだろう。


(思っていたより、ずっとお若い方だわ……)


 最初はどんな狡猾な老人が、と警戒していたシャロンだったが、目の前にいるラルフはそれとは正反対の青年だった。

 すらりとした長身に黒い髪。瞳も珍しいほどの漆黒で、細い黒縁の眼鏡をかけている。顔立ちも端正で、全体的に女性にモテそうな甘い雰囲気が漂っていた。

 その一方でダークグレーのシャツに黒いネクタイ、同じくジャケットと、今から葬式に参列するのだろうかというくらい、全身が黒一色で統一されている。


 ラルフはシャロンの顔を見、すぐに足先までを値踏みするように一巡すると、にっこりと唇を結んだ。ここまで送って来てくれたマッカーソン家の執事に向けて、あっさりと告げる。


「お連れいただき、ありがとうございました。後は二人だけで話をしたいと思いますので、お引き取りいただいて結構ですよ」

「い、いえ、しかし……」

「ゴルト伯爵さまにもお伝えしておりました。エメリア様には生活に慣れるため、しばらく私どもの邸で暮らしていただきます」


 早々に追い返された執事の背中を見つめながら、シャロンは一気に不安になる。だがラルフは自らの執事に何ごとか告げたのち、シャロンに向かって優しく尋ねた。


「改めまして、私はラルフ・リーデン。少し前にアイゼン子爵の位を拝領しました」

「わ、わたしは、エメリアと申します……」


 ふふ、と優雅な笑みを浮かべるラルフに対し、シャロンはどこに視線を置いたらいいか分からず、泳ぐ魚のように漂わせている。

 するとその口に釣り針でも放り込むような気軽さで、ラルフははっきりと告げた。



「あなたは――エメリア・マッカーソンではありませんね?」



 

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