06 二人の男と少女
「はーー。朝はほんっとにビックリしたー……」
「そう? あれは佳乃子が驚き過ぎなだけじゃない? 突然って言っても相手は女の子なわけだし」
「でも美和ちゃん、女の子だけど蓮見優弦ちゃんだよ? あんなに可愛い子が私にくっ付いてくるなんて、こっちが変な事してる気分になっちゃうよ」
五十音順で並んでいる席で前後になっている美和と佳乃子は休み時間に今朝の事を話し合っていた。美和はそうでもないみたいだが、佳乃子は今でもあの時の驚きを忘れられないらしい。
「いや、同性同士ならまだいいよ。唯一男で抱き着かれてる奴いるから……」
「あ…………」
その時美和と佳乃子の会話の中に別の声が加わった。すぐ近くの席にいる隼人のものだ。
隼人は佳乃子達に視線を合わせてから、傍に立つ友人に目を向けた。
優弦からの抱擁を男子でただ一人受けた人物、大輝は心ここに在らずといった様子。
「しかも伊勢谷君は二回も同じ事されてるんだよね? ……えっと……何で?」
単純な佳乃子の質問だったが、その理由が分かれば大輝もここまで考え込んではいないだろう。
「うーん…………昨日のはぶつかったアクシデントがあって、優弦ちゃんが立ち上がろうとして間違って俺に抱き着いたっていう風にも思えるし…………」
「大輝は事故にしたがるけど、俺にはそういう風に見えなかったぞ」
「い、いいんだよそれで。今日のも、まぁ隼人にくっ付こうとしたから俺がそれを止めただけだし」
「でもその時も中々離れなかったよな?」
隼人の代わりに優弦からの抱擁を受けた大輝は、それを数分続けられた。その時間の長さに佳乃子と美和は疑問を感じる。
「うんうん。私達もそれ見てたけど、結構長かったよね。私達の時は割とすぐ離れたような気がするもん」
「異様にね。伊勢谷君が蓮見さんの事好きなのは分かったけど、蓮見さんも同じく好きって事?」
「ええっ!? ま、待って。俺がゆゆ、優弦ちゃんの事好きって、木野さん達に言ったっけ!?」
ずばり言い当てられた大輝は驚きの表情を浮かべながら聞き返すが、美和は呆れ、佳乃子はポカンと口を広げた。
「……伊勢谷君って鈍感なの?」
大輝の優弦への態度を見れば誰もが一目瞭然でその気持ちを知る事ができるが、大輝自身はその想いは隼人だけが知る所だと思っていたらしい。
そんな大輝に美和が憐れむように隼人へと疑問をぶつける。
「うん。ちょっとね。DTだし」
「は、隼人! お前何て事を…………本当の事だけど……」
「……DT? ……ダウンタウン?」
「佳乃子は知らなくていいよ。結構バレてると思うけど。伊勢谷君の気持ち。知らないのはこのクラスでは蓮見さんだけじゃない?」
ある言葉の意味を示す単語を使った隼人だが佳乃子は分からないらしく、不思議そうな顔を浮かべた。しかし美和には伝わっているようで、これを友達に説明するのは危険だと判断し、すぐに話題を元に戻す。
「……うー……皆にバレてるって……すげー恥ずかしいじゃん」
隼人以外には知られていないと思っていた大輝は言葉通り恥ずかしそうに気まずい表情をしながらそう言った。
「でも伊勢谷君いい線いってるっぽいよね。蓮見さんにも好かれてるんじゃないかな?」
佳乃子が自信有り気に言うのは、優弦が大輝に対してはあの抱き着いた時の感じが違うと思ったからだ。
優弦は感情を表情には出さないが、あのぴたりとくっ付いている様子はとてもお気に入りのものを抱いているイメージに近い。
大輝に期待を持たせるのも間違いではないと佳乃子は考えていた。
しかしその彼の友人である隼人は、一筋縄ではいかないと思っているようで。
「そうだといいけど……まぁ簡単にはいかないような気がするな……。美人過ぎて男どもは距離置いてるけどさ、大輝と同じように近付いてる奴いるじゃん? あそこに」
言いながら隼人が指し示した方向は優弦の席。彼女はいつものように自分の席に着いており、しかし近くには人が立っていた。
望月健。
その姿を認めると、大輝は一気にムッとした表情に変わる。
「あー、望月君ね~。意外と積極的だよね。結構度胸あるっていうか……同じ委員会に入ったでしょ、蓮見さんと」
「望月君が名前書いてたもんね。私あの時ちょっと驚いちゃった」
クラスの委員決めで早々に保健体育に入れていた佳乃子と美和はその後は全員が決まるまで静観していた。なので優弦が何にするのかも見ていたのだが、彼女の代わりに健が名前を書きに来た時は少し意外だったよう。
健の事を佳乃子と美和は知っているからだ。
「望月の事知ってるんだ?」
優弦と健の事が気になっている様子の大輝を尻目に、隼人が二人に聞いた。
「同中だからね。クラスはずっと違ってたけど、結構女の子からモテるんだよ。でもさ、あんまり自分からはいかない人だったよね?」
佳乃子も健の方をチラチラ見ながら、若干声の音量を落として美和に話し掛ける。
すると美和はうんと頷いた。
「座ってるだけで女の方からあっちに寄ってたからね。モテてる自覚は十分あるでしょ。けど、蓮見さんはそういうの関心なさそうだし。今度ばかりは積極的にいこうと思ったんじゃない? 蓮見さんに惚れちゃったのかもねぇ」
「…………だってさ大輝。どうする?」
美和が言う通り健の容姿は整っている。身長もそれなりにあるので彼自身が何かアクションを起こさなくても女の子の方から寄っていくだろう。
しかしそんなモテている男が優弦には積極的にアプローチしており、彼女から一目置かれているらしい大輝でも健にあっさり持っていかれるのではないかと隼人は懸念する。
「どうするって言われても……。俺は俺のペースでいくしか……」
「ペースって、どのくらいの?」
「え……」
すぐに答えない大輝に、美和は呆れたように溜息をつく。
「そんな意気込みじゃ駄目。今は蓮見さんから好意的に見られてるって思ってるかもしれないけど、呑気に構えてたら横から掻っ攫っていかれるよ」
変に自信を持っていては危ないと彼女は伝える。完全に気持ちが通っていない限りは誰にだって彼女を横取りできるわけだ。すると大輝はハッと何かを悟った顔付きになった。
「うん……俺、負けたくない」
決心するように呟くと、大輝はそのまま優弦と健の方へと向かって行く。美和の忠告が彼の闘争心を掻き立てたようだ。
「……あんまりあのDT君を煽らないでもらいたいな」
「別に伊勢谷君を応援してるわけじゃないけどね。でも端から見てると面白そうじゃん?」
「確かに……」
「……DTって何?」
やはり佳乃子はDTの意味が気になるようだった。しかし美和が答える事はなかった。
「蓮見さんも電車通学なんだ。俺もなんだけど、何処から?」
健の質問に優弦は答えるべきか考える。
最寄り駅を言えばいいだけなのだから普通だったら差し支えない。しかし彼女の場合は少々事情が違う。過剰だと思われるが、あまり個人の事は言えないのだ。
「…………すみません、あの……」
「あんまり答えたくない?」
優弦が言わんとしている事を察した健は彼女が答える前にそれを言ってみせる。そして頷く優弦を見て嘆息した。
「そっか。まだ俺って蓮見さんに信用されてないのかなぁ。俺も色々教えたら蓮見さんもお返しに教えてくれる?」
「…………」
これにもまた優弦は考え込んでしまう。
そもそも交換条件をして自分自身の事を話した事などない。加えてあまり軽々しく個人情報を教えるなと言われている。
優弦の口はますます固くなるばかりだった。
その時、無言で健の事を見つめている優弦の傍にスッと影が落ちる。
「優弦ちゃんどうしたの? 何か困ってる?」
「……大輝君」
「…………」
優弦の前では笑顔を絶やさない大輝が、いつもと同じようにニコニコしが表情で現れ、彼に気付いた優弦も大輝の事を名前で呼んだ。
その一人の男が近付いてきた事で面白く無さそうな表情をしたのは健。優弦と大輝がお互いを名前で呼び合っている事にも意識しているよう。
「望月、何か変な事聞いてるの?」
「……別に。ただの世間話だよ」
そう、健にとってはただの会話に過ぎない。誰とでもできるような普通の内容だ。しかし、優弦にとっては違う。それがネックとなり彼等の会話は無言な事が多かった。
「優弦ちゃんじっくり考えてから話すから、あんまり焦って何でもかんでも聞き出さない方がいいよ。話したい事も話せなくなる」
「伊勢谷って蓮見さんの何? 保護者?」
「さあ、何だろ。分かんないけど、保護者ではないよ。それと多分単なるクラスメイトでもない。友達かな。……ね? 優弦ちゃん」
「…………」
大輝が優弦に聞いてみるが、彼女からの返事はない。
割と自信満々に言ってみた大輝だったのだが、優弦が肯定してくれないと逆に言い過ぎたのではないかと恥ずかしくなってくる。
彼はあれ? と首を傾げた。
「ゆづ……」
「先生が……」
もう一度優弦に聞こうと思った大輝の言葉を遮るように、今度は彼女の方から被せてくる。その彼女の視線の先には教卓。更に言うと教師へと向かっていた。
「伊勢谷、何してるんだ。早く席に着け」
「わっ! あー、すいませーん!」
くすくすくす。
次の時限の担当教師が入って来ていた事に全く気付いていなかった大輝は慌てて謝罪し、自分の席へと戻って行く。
その間クラスからは忍んだ笑いが漏れ、焦っている様子の大輝に、優弦も微かに口端を綻ばせた。
すっごいまったりペースで進んでいます。盛り上がりがなくてすみません。