05 抱き着く少女2
――ただ抱き着いて落ち着く事ができるのだったら、きっと他の人でもいいはず。大輝君でなくても。
優弦は考え事をしながら視線を明後日の方向にやっている。
その様子が、今目の前に立ち塞がる女の子は気に入らない様子だった。
「ちょ、ちょっと、どこ見てんのよ。聞いてんの?」
「…………」
若干どもりながら優弦の気を惹かせようと声を大きくさせながらその女の子が言うと、別の方を見ていた優弦の視線は女の子の方に向く。
優弦の形の良い目と純粋で綺麗な瞳が目の前の子を捉えた。
「…………っ……な、何じっと見てんのよ! ……っ」
「静香、さっきと言ってる事逆だよ」
「わ……分かってる……」
優弦と対面するような位置にいる子の隣には、友達であろう女の子がいる。
静香と呼ばれた子は髪の毛を派手に染め、頭のてっぺんでポンパドールを作りサイドの髪の毛をゆる巻きで流していた。その静香の友達も似たような髪の色ではあるが短髪ですっきりとしている。
優弦に見詰められた事で動揺してしまったらしい静香を宥め、友達も同じように優弦を見た。
「……ここに呼び出したのは、昨日のアンタと伊勢谷大輝君との事なんだけど…………分かってるよね」
「…………昨日……」
昨日の優弦と大輝の事と言えば一つしかない。
優弦が大輝に抱き着いていた事はもう学校中に広まっており、その件について静香は優弦に言いたい事があるみたいだ。
――どうにかなりそうだった心を大輝君と会った事でそれを鎮める事ができ、彼と密着したらもっと落ち着く事ができた。今は心は乱れていないけど……昨日みたいな気持ちが続いているわけではないし…………。
「大輝君と私って同中なんだけど、中学時代はいつも一緒にいたっていうか、割と一緒にいたっていうか……仲良かったんだよね。同じ高校に入っても同じクラスが良かったけどそれは叶わなくて……でも入学式からずっと喋ってるし、昨日もお喋りしたし……」
「つまり何が言いたいかというと?」
「みなみ、茶化さないでよ! えーっと……つまり、私は大輝君の事ずっと好きなの。っていうか相思相愛なの。彼にちょっかい出すのやめてよね!」
「そうよ。ずっと一緒にいるのに未だに告白もできないされない関係なんだから。これからあっちから告白してきたらどうするつもりよ」
「みなみ! アンタ余計な事言い過ぎ!」
「…………」
いまいち二人のコンビネーションが合わないような気もするが、その事に優弦は全く気付いていない。というより、彼女達のやり取りは耳に入っていないようだった。
――この人達だと、どうなんだろう。
暫し物思いに耽ってから優弦は一歩前へ踏み出した。
「ふん、いくら顔が可愛いからって、男が皆アンタに惚れると思ったら……な、何よ。何でこっちに……きゃーーー!」
不意に近付いてきた優弦に静香は咄嗟にかわす事が出来ず、そのまま体を寄せる彼女に抱き着かれる。思いがけない相手の行動に静香は叫び、狼狽した。
「ななな、何なのよ、いきなりこんな……! 言っておくけど私はこっちの趣味は……」
仄かに頬を紅潮させながら静香が言う間も優弦はただ黙って体を寄せるのみ。更に背中に回す腕の力を弱めてみたり、顔の角度を変えてみたり。ひとしきりそんな事を繰り返した優弦は上を向いて相手を眺めた。
優弦も身長は160cmあるが、静香はそれ以上らしい。
見上げる優弦と見下ろす静香。その状態が数秒続いた後。
「…………違う」
小さく呟いたかと思ったら優弦は巻き付ける腕を解き、一人また考える仕種になる。
そして優弦から抱擁のようなものを受けた静香は暫しその場で茫然とした。
「……な……な、な……」
何が起こったのか訳が分からない静香の口からわなわなとその一音が吐き出されていき、一方で優弦は頭の中で昨日の大輝の場合と今の静香の場合との密着具合を比較している。
――心地良いとは思った……柔らかい感じもとても体に馴染んで……。でも、大輝君のように、昨日みたいに落ち着ける感じではなかった。
しかし、もしかしたら静香だけが特別感じなかっただけで、違う人の場合だとまた別の結果が出るのではないかと思った優弦は、視線の先を静香の友達のみなみと呼ばれた子の方へと変えた。
みなみもまた静香のようにきょとんとした表情をしていたが、優弦はお構いなしに彼女にも体を寄せ、抱き着く。
「…………やっぱり違う……」
少々気落ちしたように優弦は溜息をつき、ゆっくりと体を離して、また何かを考えるように歩き出した。
陽の当らない校舎の裏庭に取り残された静香とみなみは、立ち去って行く優弦の背中をその目に焼き付ける。
「何よあの子ー……あんな事して、私の怒りが収まるとでも思ってんの……!?」
「多分そんな風には考えてないだろうね。……でも、何か憎めない子だねぇ。抱き心地良かったし」
「ううう……アンタまで何言ってんのよー!」
悲しみに滲んだ静香の言葉がひっそりとした裏庭に木霊した。
朝登校して校門へと入った直後に静香に校舎裏へと連れられた優弦は、これからやっと玄関に入る。靴を下駄箱に入れ、上履きへと履き替えて廊下へ。すると彼女の行く先にクラスメイトの女の子、久下佳乃子と木野美和が立っていた。
クラスで自己紹介をした日、勇気を出して優弦に話しかけた佳乃子と、その友達の美和だ。
――大輝君が特別だと思うべき? でもまだ二人にしか試していない……。
しかし優弦は考え事をしているために佳乃子と美和には気付いていない様子。
全く視線が合わないので、佳乃子は自ら声を発した。
「蓮見さん」
「…………」
自分を呼ぶ声に優弦はようやく自分の世界から戻ってくる。佳乃子と美和の顔を交互に見ていった。
「ぁ、あの、おはよう」
「…………おはようございます」
今日初めて学校の人と挨拶をしたなと思いながら、優弦はなぜこの二人がここにいるのか考える。二人共カバンを持っていない所を見ると、既に教室に行って置いてきている可能性が高い。ならばわざわざまたここまで来たという事だろうか。誰かを待っていたら、偶然私が来たのかな、と優弦は思った。
だが、彼女達が待っていたのは他でもない、優弦であった。
「えっと……大丈夫だった?」
「…………?」
突然の佳乃子の出だしに、優弦は何も分からないという風な顔をする。
「さ、さっき安藤さんと片桐さんにどこか連れて行かれてたでしょう? 教室からそれ見てて、気になって……でもごめんね。助けに行けなくて……」
佳乃子の説明を聞き、優弦もようやく先程の女の子二人の事かと自分の記憶と合致させた。あの二人に関しては下の名前しか彼女は耳にしていないが、佳乃子が言う安藤さんと片桐さんというのは静香とみなみのそれぞれの苗字で間違いないだろう。
そこまで辿り着いた優弦だが、腑に落ちない点がある。
「……何で謝るんですか?」
先程の件に佳乃子は一切関与していない。それなのに何故彼女から謝罪の言葉が出てくるのか、優弦には分からなかった。
「なん、で……え、えーっと……優弦ちゃんこの地元じゃない中学から入ってきてるし、あの二人の事知らないと思うけど……。結構危ない人達なんだよ。気に入らない子がいるとすぐに苛めの対象にしちゃったり……」
佳乃子と美和は同じ中学出身だが、そこには先程の静香とみなみもいたらしい。
三年間学校が一緒ならば人柄や性格も良く知っているだろう。二人が苛めっ子だという事も。だから佳乃子は二人に連れられた優弦を見掛けて心配になったのだ。
「……でも、大丈夫なんでしょ? 見た感じどこも怪我してるように見えないけど」
佳乃子の隣に立っていた美和が口を挟む。その質問に、優弦は自分の体を確認しながら首を振った。
「怪我……? はい。何処も、何ともありません。ただお話をしただけなので」
そのお話も大分噛み合っていないものだったが……。
「そっかー、良かった。美和ちゃんとね、心配してたんだ。何かされてたらどうしよっかーって」
「佳乃子が大袈裟なんだよ。あの二人ってただ陰険なだけじゃん。暴力振るうような事はしないでしょ」
「またまた~。美和ちゃんだって私と同じくらい心配して……きゃーーーーーっ!!」
「え? な、何!? ちょ、蓮見さん何してんの!?」
佳乃子と美和が会話をしている隙をつき……いや、優弦はごく自然と佳乃子の体に自分の体を密着させていた。
優弦の方が身長が高いので上からという格好。
突然の事に、佳乃子の反応もまた先程の静香と同じようなものだった。
「きゃ、きゃーきゃー! 蓮見さん、蓮見さんっ! どうしちゃったのーー!? …………え?」
「佳乃子落ち着いて。っていうか蓮見さん何やって…………は?」
ひとしきり佳乃子が叫んだ後、優弦は「違う」と言いながら離れ、横にいる美和へと体を寄せた。
佳乃子が抱き着かれていた様子を見ていた美和はこうなるのを少し予測していたのだろうか、特に叫ぶ事も無くされるがまま。すると暫くして優弦はやはり同じように呟くのであった。
「…………違う」
玄関に入って来た時よりも深刻そうな顔をしながら廊下を行き、佳乃子と美和は茫然とした顔で彼女を見送る。
「……ど、どうしちゃったのかな……蓮見さん」
「さっぱりわかんない。……やっぱ、変わった子だわ」
――久下さんや木野さんでも駄目だった。どうして大輝君だけ……どうして、どうして……。
それから、優弦は何を思ったか教室までを行く道すがら通りすがる人に片っ端から抱き着き始めた。
「きゃっ! 誰? え、蓮見さん?」
「違う」
「!! なに!? 何?」
「違う」
「きゃあっ!」
「違う」
色々な人に抱き着いていく優弦だが、どの人に当たっても理想のものではないらしく、その顔は険しい。
抱き着かれた方はいきなりの事に言葉を無くすのみ……というより、相手が女の子であり、しかも周りが羨むくらいの美少女なので何も言う事ができない様子だった。
――分からない、皆違うようで同じ感じだけど、大輝君とは明らかに違う。女の子じゃないから? 男の子だと、もしかして……。
優弦が廊下を歩いている間に出会った人物は奇跡的に全員同性だった。
もしかして性別に問題があるのかと思った優弦は、男子を求め歩き出す。
「あ、蓮見さん来たぞ」
教室の廊下、窓際に立つ大輝と隼人。優弦が教室へと近付いて来るのを確認した隼人は、隣にいる大輝にその事を知らせた。大輝は窓枠のへりに腕を置いて顔を俯せにさせているので見ていないのだ。
隼人の呼び掛けに大輝の体がビクリと揺れる。昨日優弦に抱き着かれたのが相当大輝を悩ませているようで、彼女と顔を合わせるのが気まずい様子。しかし彼女が来たと知らせを受け、彼の心拍数はかなり上がってきている。
「……っつーか、色んな女子と抱擁しまくってるんだけど?」
「は? 何言ってんの? ……ほんとだ」
続いて問い掛けてきた隼人の言葉に大輝は耳を疑うが、実際彼女の事を自分の目で見ると、隼人が言った通りの事をしていた。 暫しそんな彼女を見守る大輝と隼人。
そして優弦も二人に近付いてからやっと彼等の存在に気付き、じっと見てから正面で向かい合う。
「…………男の子だと……」
「優弦ちゃん?」
ぼそぼそ言う優弦に、大輝が彼女の名前を呼ぶが、彼女は大輝の横にいる隼人を見上げた。
「どうなんでしょう…………」
聞こえるか聞こえないかくらいの音量でそんな事を言った後、優弦はすすす、と腕を隼人の方に差し出す。彼の体の脇に添えるように伸ばしていった。
「お? 何だ?」
「ゆづ……」
これはまさか昨日の、と嫌な予感がした大輝は咄嗟に体を隼人の前に出した。
ぴと……。
「だ、駄目駄目ーーーー! それは絶対駄目!」
「…………あ……」
隼人の前に立ち塞がる大輝に優弦は昨日と同じように彼に体を寄せていた。その瞬間ふわっと体の力が軽くなるような感覚を覚え、優弦の脳裏に昨日のあの落ち着いた気分が戻ってくる。
今日抱き着いてきた女の子では感じ得なかったそれに、やはり彼女は心地好さを感じた。
「…………」
「はぁ、はぁ……駄目だからね優弦ちゃん。隼人は彼女いるから、うん……こういう事しちゃいけないよ……」
「…………」
若干息を荒くさせながら大輝が諭すように優弦に言うと、彼女は抱き着いている格好のまま顔を上向かせる。
上目遣いの彼女と目が合い、大輝は更に心拍数を速くした。
「…………やっぱり、大輝君だけみたいです」
「え? う、うん? そう……そっか…………え? 俺だけ?」
優弦の言っている事が分かったように返事をする大輝だが、やはり何も分からないなと聞き返すが、その後優弦は何も返してくれなかった。
大輝に抱き着く優弦、彼女に上半身を預けられる大輝、その大輝の背中と密着している隼人。
――眠ってる時よりリラックスしてる……。大輝君は特別なのかな。
「うう……朝からこれはヤバい……」
「いやいや、何だよこれ。突っ込み所が分かんねーよ」
大輝と壁に挟まれている隼人はただ一人自分の居場所がないように感じた。
我が道を進む優弦。戸惑う大輝。早く抜け出したい隼人。